セピア 5

 八〇も居ない兵をなんとか隊列にし、チャオツの兵が潜むとされる地点まで赴く。

 ラグエルがなぜ弓矢を主な武器としているのか──それは、銃や弾丸になる材質がラグエルからは採れないためだ。辛うじて採れる木材を弓矢に加工し、一矢ずつの攻撃力を上げるため薬毒草を矢じりに練り、回収しながら利用するしか術がないのである。

 一方、鉛や鉄などの原料は、奇しくもチャオツからは無数に採れる。故にチャオツの武器や火力は、ラグエルにとって実に厄介であった。

 しかし、ラグエルの財産は『水』だ。


「水さえあれば、明日の命を得ることができる。これは紛れもない革命である」


 ラグエルの祖先は常々そう言っていた。

 それを守り抜きたいと、その伝え聞く言葉を胸に、セピア達はただただ必死であった。

「セピア様! 敵兵が見えたと報告がありました!」

「フム、ありがとう。……皆の者ォ!」

 セピアが手綱を引きラクダの足を止める。

 兵は皆一度、セピアを向いた。

「その身にチャオツの弾丸を決してくらうなっ! 生きて再びラグエルの水をその身に染み込ませることのみ考えろ!」

 そうした決起の声に、オオオと男達の歓声が沸く。

 ドン、ドオン、と銃声が聴こえる。

「撃ってきたな。皆の者、迎え撃つぞ!」

 具体的な策などは既にない。必死に母国を、水を護るだけなのだ。

(党首だというだけの私に、一体何が出来るんだろうか)

 そんな想いが、常に廻る。

 何より、この抗争の決着の付け方さえ、セピアにはまるでわからないのだ。



       ◆



 朝食の食器が下げられると同時に、医師の女性が蘇芳の傷を診に来た。食後ということもあり、既に上半身を斜め四五度分起こしていたため、蘇芳はそのまま診察されることとなった。

「鎮痛剤、要ります?」

「貰えると嬉しいス」

「そう、では薬液にしましょう、即効性も持続性もあるし。ちょっと痛いけど騒がないように」

 そうして間髪入れず肩の傷の近くに注射針を情け容赦もなく刺され、鎮痛剤を投与された。蘇芳は「えっ」と漏らす間もなく、「いでえぇああっ!」とまただらしなく叫んでしまった。

「はい終わりました。では、傷が痛くなくなったからと暴れ回らないように。ああ、傷口は塞がったみたいよ、よかったわね」

 医師が部屋を出てゆくと、捲れた麻布暖簾の隙間から、セピアの置き土産である屈強な兵士二人が蘇芳を横目で覗いた。

 蘇芳はぎゅ、と口の中を噛んだ。だらしないあの叫び声を聴かれてしまったのかと羞恥心で胸が詰まる。

「すぅとくぅはここに居れ。儂が再び探し出よう」

「それっきゃねぇもんなァ。ワリ、夜さま」

「構わん。戻ったら、傷に治癒魔法を施そう」

 夜さまはそれだけ伝えると、暖簾と床の間にわずかに空いた隙間からスルリと兵士の背後を抜け、石造りの廊下を目立たないよう駆けていった。

「すぅちゃーん。あのねぇ?」

 中央のテーブルに突っ伏していたくぅが、ふわふわと甘えるような声を出す。

「あ? どしたよ」

「ねンむいの、くぅ」

 もっちりとしたくぅの頬が、白いテーブルの上で溶けるように潰れている。その目も虚ろだ。

 蘇芳は、朝食前と様子の違うくぅへハテナを向けた。

「いや、構わず寝てろよ。布団行けるか?」

「うーんー。めんどくさぁい……」

 その虚ろな目は動く意思がまるでない。

 「しゃーねぇな」と、蘇芳はゆっくりと布団から出る。やや脇腹がジクリとしたが、顔に出さないよう懸命に努める。

 テーブルまで摺り足で八歩。大きな深呼吸の後にくぅへ両腕を差し出した。

「ほら、抱えてやるから。来い」

「ふぇ? すぅちゃん、肩ァ、大丈夫なのぉ?」

「ダイジョブだ。今センセーに傷塞がってるって言われたし」

 本当は大丈夫じゃないけどな、という本音を苦笑いで隠す。

 くぅはようやく上半身を起こし、まるでオムツの取れていない子供のように蘇芳の首へと腕を回した。

 蘇芳は主に無傷の右腕を利用し、怪我への負担を軽減させながらくぅを抱き抱え椅子から離した。そのまま反転し、摺り足で一〇歩のところにある自らの隣の寝台へとくぅを横たえる。

 ふぅ、とバレないように冷や汗を拭い、仰向けになったくぅを覗き込んだ。

「具合悪くねぇ? 気持ちワリーとか吐きそうとか」

「うー、ないよ、ねむいだけ」

「そうか」

 蘇芳はそのままくぅへタオルケット様の掛け布を被せ、再び摺り足で移動する。入り口に立っているであろう二人の兵士へ声をかけるため、麻布を分け開けるとそこから顔だけを出した。

「なぁ、さっきの医者のセンセー、もっかい呼んでくれよ。『妹』が具合ワリーんだ」

 それから五分もしないうちに、医師の女性は部屋を再び訪れた。ただただ眠りにつくくぅをじっくりと調べてゆく。

「うーん? 熱もないし、脈拍も正常。心音にも異常はないし嘔吐などの異常が特にないのなら本当に眠たいだけじゃないかしら」

「そ、そっか」

 医師の女性はそうして蘇芳へ視線を合わせる。

「とりあえず、夕方にまた回診に来ます。それまでにこれ以上の異常がみられたらすぐ声をかけて」

 はい、と頷く反面で、蘇芳はぼんやりと沸く疑問を投げ掛ける。

「食事に何か混ぜてたとか、じゃ、ねぇよな?」

 医師はそれに対し、キッと鋭い視線を蘇芳へ刺した。

「悪いけど──」

 くぅが寝ていることを忘れたように、やや声を荒らげる。

「あなたたちにわざわざ貴重な麻酔薬を分け与えられるほどこの国の物資は潤ってないの! それに、こんな小さな子一人を眠らせたりするくらいならあなたも一緒にやってますっ。ついでに言えばもっと確実な方法で瞬間的に殺れる方法を選んでるし、端から怪我の手当てなんかしてないわ!」

「わ、わーったよ……」

 後込みしたような蘇芳の表情に、医師はハッと我に返る。冷静さを取り戻した医師は、大っぴらに咳払いをし、視線と声の音量を下げた。

「まぁいいわ、とにかく──」

 そうして蘇芳へ背を向け、そそくさと鬱金染めの麻布の前に向かった。

「あなたと、医師業務以外の話をするのはセピア様から禁止されてるの。今の話、出来ればさっさと忘れて欲しいわね。それじゃあ」

「あざっした」

 再び、すっかり静けさが戻ると蘇芳は外の兵士には聴こえないように深く長い溜め息をついた。

 静かな寝息が聞こえる。もっちりとした頬や意外と長く細い睫毛などに視線が移る。

「…………」

 右手の甲で、ついその頬に触れた。柔らかく、やや暖かい。口がモニャモニャと動く様は幼子そのものだ。

「くぅお前、ホントは──」



       ◆



 行く宛への辿り方はわかっていた。

 このセピアの邸の向こうから微かに、なぜか自らの魔力と同じ気配がする。夜さまは目頭に力を込めていた。まずはそれの正体を調べに行くのである。

 夜さまは、鼻をスンとひと嗅ぎすると、あらゆる気配の察知ができる。とりわけ『猫の身体』は、魔法の嗅ぎわけによく馴染んだ。

 古来から『魔法を使う者に仕えし動物は決まって黒猫か鳥だとされてきた』と、夜さまは伝え聞いている。その昔、夜さまの大切な人が飼っていた動物が黒猫だったということもあり、無意識的に『黒猫を選択』していたわけだ。

「こっちか」

 廊下を駆け抜けた先にも細い階段がある。これは夜さまが夜中に見つけていたものだ。そこを流れるように駆け降り、端の方でじっと数秒間身を潜める。

「うむ?」

 人間の気配はない。というよりも、邸そのものから人の気配がほぼない。多くがセピアと共に抗争の地へ赴いたのであろうとすぐにわかった。

 タっと駆け出すとすぐに邸の裏口へ出た。

 右手にはラクダの厩舎きゅうしゃがあり、そこも仔ラクダが数頭見える程度で空に等しい。

 ラクダの厩舎を背に、ギラリと暑く刺すような陽射しを抜けて行く。スンスン、と鼻先で気配を辿る。四つ足の全てに防御魔法を弱く纏い、焼けるような熱さを含んだ赤い砂の上を行く。

 そうして夜さまは、しばし魔力の方向へと建造物の合間を縫い行く。

 突然ふと、がらんとした広場に出た。一面砂地の、円を描くような広場である。周囲の建物は皆広場へ背を向けるように、裏口や勝手口が申し訳程度に付いている。

「やはり、妙じゃの」

 やはり人の気配はない。周囲を見渡すが特に人の声はない。

 広場の中央に、御大層な日除け屋根が付けられた井戸がある。魔力の出所はここのようだ。

 夜さまは静かにそれへと近付く。

 井戸は、セピアの邸に使われている物と同じ石で囲われてある。日除けのための大屋根は木製で、その組み方がどうも日本建築のそれと酷似している。

 井戸の縁にヒタ、と黒い体を擦り寄せた。ビシビシと自らの魔力と同じ魔力の気配を感じる。

「これは、『アヤツ』の置き土産か?」

 目を閉じ、そこへ腰を下ろす。井戸の石壁に体をすり付けたまま、今度は頭をもそこへ委ねる。

 スゥと深呼吸をすると、その場に残り留まっていた魔力が夜さまの体内へと戻っていった。


 とても涼やかな魔力だ。

 空気を吸い込む度に、井戸から漏れ出でる魔力が夜さまへと徐々に取り込まれてゆく。


「あぁ、そうか──」

 夜さまは瞼を伏せたまま呟く。

(『あの時』、儂の魔力は二分したのだ。片一方は『アヤツ』へ継がれ、残りは儂に留まった)

「──なるほど」

 そっと目を開けると、夜さまはニヤリとその口角を上げた。

「フッ、『笑うこと』が戻ったか。『アヤツ』へ近付いておるわけじゃな。やはり、すぅを呼び寄せたことは正解じゃったの」

 井戸からそっと体を離すと、そこから漏れ出でる魔力はとても弱くなった。まるで細いロウソクに灯された小さな火のようである。吹けば飛ぶ、という言葉がしっくりくる弱さである。

「ここは『アヤツ』の意思を尊重しよう。『井戸へ保護魔法を施す』──」

 夜さまは右前足を振りかざした。

 淡い薄紫色の眩い光が、球体を模して徐々にその振りかざした足先から大きく膨らんでゆく。そしてゆっくりと足先から放たれると、まるで吸い込まれるように、井戸の中へ薄紫色の球体は落ちていった。

 とてもゆっくりと。

 軽く、優しく。

「よし」

 目を開け、前足を下ろすと井戸から漏れ出でていた魔力は完全にその気配を消した。

 井戸に残りあった魔力は夜さまへほぼ戻り、代わりに夜さまが井戸へ保護魔法をかけたのである。

「これでここの水は永劫護られる、無くなりはせん。直にこの抗争も、終わるじゃろ」

 フウッと温い風が吹いた。そちらの方向へ顔を向ける。

「残るは『ドア』、じゃの」

 さて、この一件についてどのように蘇芳へと説明しようか。

 夜さまはアメジストのような瞳をくるりと一周させると、胸の内がそわそわとし、フフフッと笑みが漏れた。『嬉しい』や『楽しみ』という気持ちは実にしばらく振りであったため、勝手に頬が緩んだわけだ。

 夜さまは、赤い砂の上をタッと静かに駆けて行く。

 そうして、夜さまも少しずつ『元に戻ってゆく』のである。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます