セピア 2

 中学生の頃、とある友人が上級生に身に覚えの無い事で絡まれていた。

 小学生の頃から一緒のそいつはなかなかのお調子者で、俺とそれなりにウマが合った。

 だからというわけでもなかったけれど、俺はとにかくそいつを助けたい衝動に駆られた。ボコボコに殴られるかもしれない、なんていう恐怖心をかなぐり捨てて、俺は上級生に向かっていったんだ。

 そうしたら、たまたま俺の左拳が上級生の下腹部に入ってしまった。今思い出しても、あの一打はまあまあへなちょこだったと思う。決して強くも何ともない、今考えると情けない一打。

 それでも入ってしまった場所が悪くて、上級生はそれをきっかけに俺にしり込みして、途端に冷静じゃあなくなった。それを見て逆に、俺は一瞬で冷静になった。

 上級生の打撃の軌道が全て見える。避けることも、いなすことも簡単。なんならカウンターにだって出来た。


 結果として、教員からしこたま怒られたのは俺だった。


 校内で暴力事件を起こすなんて、と酷く責め立てられた。俺の反論意見なんて少しも聞き入れてもらえなかった。

 打撃の全てが弱かったとか、初めての喧嘩だったとか、そんなことは教員にしてみればどうだっていいのだ。『上級生から仕掛けられた事件』は『俺の起こした暴力事件』として広まり、俺だけが三日間の自宅謹慎になった。


 謹慎が明けると、助けた友人は口を利いてくれなくなっていた。

 あんなに仲が良かったのに。

 あんなに俺が頑張ったのに。


「蘇芳は『友達』を助けたんだ。ですよね?」

 そう言って、俺を咎めなかった先生が一人だけいた。

「ごめんね。先生にもうちょっと威厳とか説得力があれば、キミだけを謹慎させたりなんかしないで済んだのに」

「もういいよ。結局余計なことすんのが悪いんだって、わかったから」

 そうしてふて腐れて口を尖らせる俺へ、その先生はいつも笑顔で肩をポンポンと叩いた。

「そんな風に腐らないで。蘇芳は勇気ある事をしたなって、先生は思いましたよ」

「先生だけがそう思ったって、結局何にもならなかったじゃん」

「うん、そうなんだよ。だからごめん。先生が新任なんかじゃなかったら、なんて、実はずっと考えてました。本当にごめんね」

「先生が謝ったって──っぐ」

 そうして言葉が詰まると、俺は先生に背を向けて静かに泣いたんだ。

 事件が起きてから初めて、悔しくて涙が流れたんだ。

 自分の無力さとか、大人に反論できない度胸のなさとか、いろんなことが渦巻いて……。

 ただただ悔しかった。喧嘩に参戦したことには後悔していなかったけど、大人に立ち向かう事ができない自分に毎日腹が立っていたんだ。

 そんな俺を咎めず叱らず、ただ包むように微笑み居場所をくれるその先生へ、俺はそれからしばらく甘えることになる。


枩太郎しょうたろう先生──」



   ◆   ◆   ◆



「すぅちゃん!」

 目が開くと、くぅが覗き込んでいた。色素の薄い眉をハの字に垂れ下げ、仰向けに横たわる蘇芳にのし掛からんとしている。

「くぅ? バカ、近ぇ……離れろ」

 出した声はひどく掠れていた。喉が渇き貼り付くようであったためガハガハ、と咳き込む。しかし途端に脇腹がグサリと鈍い痛みに襲われ悶絶した。

「うっ! ぐぅう……」

「大丈夫?! どこが痛むの、肩?! お腹?! 誰か呼ぶ?!」

「い、いたむ……けど」

 そうしてゆっくりと上半身を起こすと、ズキンッとかなりの激痛が左肩と脇腹を同時に襲った。

「いでぇえあっ!」

「ほらぁー! やっぱり痛いんだぁー!」

 大声と共に苦しみ悶える蘇芳へ、くぅがそうして悲壮的な声を上げる。その声のトーンが丁度傷口に沁みるようであった。

「頼むからっ、ギャーギャー騒ぐな……っ、傷にクる……だはあっ! イデデデデ……」

「なんだ。騒々しいと思ったら、目が覚めたのか」

 蘇芳が寝かされているベッドのような台の左側から、そう声がかかった。まるでガラス細工の小鳥がさえずったような、美しく澄んだ中性的な声である。

「セピア様!」

 蘇芳の右脇へ突っ伏すようにしていたくぅも、その声にものすごい早さで起き上がる。目をキラキラと輝かせ頬を紅潮させ、背筋をピンとし『いいこちゃん』を始めていたのだ。

「くぅ、そんなに毎回かしこまらなくていいよ」

「いえっ!」

 蘇芳はくぅへ向けた怪訝な表情を、その対面に現れたセピアと呼ばれた人物へ向ける。

 よく陽に焼けた小麦色の肌、細く切れ長の眉目は聡明な印象で、その瞳は美しい赤銅しゃくどう色をしている。黒に近い栗皮くりかわ色の髪は、癖のあるうねりを伴うショートカット。両耳に下がる黄金の円盤のピアスは、揺れる度に「シャーン」と微かに鳴っていて幻想的だ。

「気が付いてよかった。今医者を呼んでくるから少し待ってろ」

 特別にこりともしないセピアは、蘇芳にとって全く性別がわからない人物であった。

 ハイネックだがノースリーブのキャメル色の上衣の胸元は、目立った膨らみが有るような無いような。下衣は深紅のサルエルパンツのようなカプリパンツのような、茄子なす状にダボついた物を着用しているため、そちらもやはりモノが有るような無いような、な印象である。

「あの、アンタは?」

「まだ起き上がるな、傷が開くぞ」

 蘇芳は痛みも激しく辛かったため、その言葉に甘え横になったままでいることにした。

「私はセピア。ここの党首だ」

「そもそもここ、どこなんだ?」

「ラグエルにある私の邸だ」

 言葉がひとつも理解できなかった蘇芳は、眉を寄せ首を捻り頭にたくさんのハテナを浮かべた。

「ひとまず詳しい話は後だ。お前にはまず、医者の診療が必要だろ?」

 そう言ってセピアは、長い暖簾のような鬱金染うこんぞめの麻布をバサリと掻き分けそこから足音静かに出ていった。

 蘇芳は顔をくぅへと戻すと、声を潜め訊ねることにした。

「俺、どうなったんだ?」

「矢で射たれたの。肩と、お腹」

「矢? あー、そうだったかも……」

 くぅも同様に声を潜め、不安そうな目元を蘇芳へ向ける。

「矢じりに、麻酔みたいなよくわかんない毒が塗られててね、体からそれ抜くのに夜さまが魔法をたくさん使ったの。今、寝てるところ」

 そう言いながら、くぅは自分の足元に置いてあるカゴへ目を落とす。蘇芳は、傷が痛くない限界までそれを覗くべく体を動かした。

 くぅの視線の先には、丸まって眠る夜さまが居た。小さなカゴにタオルのような柔らかい敷物をやまほど敷かれ、そこに埋まるように丸くなっている。

「そうか。悪かったな、夜さま。こんなにさせて……」

 苦い顔で夜さまの背中であろう艶やかな黒い背中を見詰める。やがてくぅへ目を戻すと、蘇芳の代わりにそっと夜さまの背を二度撫でた。

 くぅもセピアと同様、ハイネックにノースリーブの浅いキャメル色の上衣。かば色というややくすんだオレンジ色の下衣は、やはり茄子状にぼったりとしたパンツスタイルであった。

「くぅはなんともねぇか?」

「うん、あたしは平気。ごめんね、一人だけピンピンしてて……」

「何言ってんだよ、むしろ矢が刺さったのが俺だけで良かっただろ」

 気にすんな、と蘇芳は少しだけ口角を上げ、自由の利く右掌でくぅのもちもちの頬に触れた。

「水、貰えたのか?」

「うん、セピア様がくれたよ。すぅちゃんは、飲んでいいかお医者さんにちゃんと訊かないとダメなんだって」

 だからごめんね、と力なくくぅは微笑んだ。

「腹やられたんだもんな、そりゃ微妙だよな」

 左脇腹を、掛けられた布の上から軽く擦る。ピリリとやや痛んだ。

「あっ、あのね。これは夜さまと考えた『設定』。多分これから身の上のこと訊かれるから覚えてね、一回で」

「その『一回で』っての、夜さまっぽくてキンチョーすんだろが」

「文句言わないっ。あのね……」

 耳打ちでボソボソと粗方を聞いた蘇芳は、終始「フン、フン」と頷いた。

「入るぞ。医者を連れてきた」

 再びセピアが颯爽と入ってきた。後ろに医師らしき小柄で白髪混じりの年配女性を連れている。

 医師の彼女は、さっさと蘇芳の左側に椅子を用意しそこへ座ると、馴れた手付きで傷口の包帯を捲ったり、蘇芳へ形式的な質問をいくつかした。蘇芳は上半身は裸で、左側を中心に包帯が巻かれている。

「貫通しなかっただけ治りもまあまあ早いでしょう。筋肉が守ってくれたと言えます、よかったわね。痛み止めを後で持って参ります。ただ、神経に触っているかもしれないから、私の許可が出るまで肩は絶対に動かさないように。まぁ後遺症が残ってもいいなら私は口出ししません、ご随意に。あぁそうそう、水は飲めますよ。ただ、食事は明日の夕飯からが普通飯です、それまでは柔らかいものね。こちらから炊事班に伝えておきますから」

 医師はそうしてペラペラと早口に蘇芳へ告げた後、にっこりと微笑みセピアへ丁寧に一礼した。

「以上です、セピア様」

「手間取らせたな。また頼むよ」

「は。失礼します」

 呆気にとられた蘇芳は、そうして医師が出ていくのをポッカリと眺めていた。

「少し、話をいいか」

 セピアは、医師が座っていた椅子に静かに腰かけると、じっと蘇芳と目を合わせにきた。 思わず気圧されそうになり、幾つかの瞬きの後に負けじと合わせにかかる。

「ま、まぁ。はい」

「名は」

「蘇芳です。こっちは妹のくぅ、その猫は夜さま」

「フム。して、どうしてあの場をうろついていたのだ」

「考古学研究の関係っス。磁石失くして、迷っちまって。この辺りだったかなーと、覚えある風景を探してるうちに完全に迷いました」

「ふぅん。見たところ、荷物が一切見当たらなかったが?」

「野宿先で盗まれました。その中に水とか食料、それから磁石も……」

「フム、なるほど。不自然な点はないな」

 セピアは一度蘇芳から視線を外し、唇に右人差し指を軽くあてがった。

 チャンス、とばかりに蘇芳は口を挟む。

「あのそんでっ、ここは具体的にどこなんスか?」

「ん? ラグエルだが」

 蘇芳は「そうじゃなくてっ」と奥歯をキリキリさせた。

 目を合わせたセピアは「どうしてそんな簡単なことを訊ねるんだろう」という表情を向けている。

「この辺りの砂地に砦を構えている国のうち、水が豊かな唯一の国、それが『ラグエル』。ここはその砦の中の、私の邸の一室だ」

「あ、じゃあ俺は『誰に』、『どうして』、射られたんスか」

「私の部下が、チャオツの盗人かと疑って放ったそうだ」

「チャ、オツ?」

「あぁ」

 「またわかんねぇ単語!」と、思わず右手をぎゅうと拳にする。ポカンとした表情が終わらない。

「しかし、武器も何も持ってないとは思わなかったから、そんなお前に一方的に深手を負わせてしまったことは謝らせてくれ。本当に申し訳ない」

 セピアは座ったまま、ガクンと上半身を九〇度の角度に曲げ下げた。蘇芳の寝転がる位置からセピアが見えなくなる。

(何なんだ、マジで全くわかんねぇ)

 勢いよく頭を上げ戻ってきたセピアは、しかしギッと睨むような視線を蘇芳へ送った。

「で。本当にお前達はチャオツの人間ではないのか」

 予想外の問いかけに、「ハァ?」と眉を上げた蘇芳の声は裏返っていた。

「この辺りは、水を奪いに来るチャオツの連中と、このラグエルの民で弾丸や武器を交えている。十数年間ずっとだ」

「俺を、水を奪いに来たやつらだと思って攻撃したっつーのか?」

「そうだ。ラグエルの者でなければ狙撃しろと命じているのは私だからな。最近は砦を越えて忍び込もうとする卑怯者も多い」

「とばっちりかよ……」

 蘇芳はチッと大きく舌打ちをしセピアから視線を逸らす。

「悪いがそういうことだから、明日なったらすぐに尋問をさせてもらう」

「ちょっと待て、何言ってんだ。俺達は武器も何も持ってなかっただろ! こちとら誰かのせいで手負いだっつーのに、その上尋問だと? フザケンなっ」

「お前は情勢を知らないのか? どうだろうと特例は認められない」

「大体、俺を手当てするときに、身ぐるみ剥いで全部調べてんだろ? じゃあこれ以上なんも説明することなんてねぇよ」

「疑わしい行動をとっていたお前だって悪いんだ、反論は認めない」

 蘇芳は責任転嫁するようなその一言にブチ、と理性の糸が切れてしまった。む、と口を尖らせセピアを酷く睨み返し、吐き捨てる。

「あ?! 生憎ここがなんつー大陸で、なんつー国の、どんなとこなのかも全っ然わかんねぇんだよっ! ラグエル? チャオツ? 聞いたことねぇよ、そんなとこ!」

 バン! と勢いよく、握った右拳を振り下ろし叩きつけた。くぅがびくりと肩を震わせる。

「俺らが悪いだ? アンタ達のモノサシだけで判断してんじゃねぇ、マジでただ歩いてただけだっつーの!」

「…………」

 セピアは眉を寄せ口をつぐんだ。

「どんな事情だろうと、やっぱ矢で攻撃してきたことも許せねぇ。俺に怪我させたこともそれなりに腹立ってっけど……それよりも、ちょっとずれてたらコイツらに当たってたんだぞ?! こんな小さい体に当たったら命はなかったかもしんねぇ。そんなこともわかんねぇのか! よくそんな周り見えてねぇのに党首だなんて言えるなっ」

「す、すぅちゃん」

 蘇芳はくぅの声に我に返ると、そっと眼力を緩めた。くぅをチラリと見て、その悲しげな表情に溜め息をつく。

「まァ、でも、医者を寄越して手当てしてくれてることには感謝してる。くぅと夜さまに水やってくれたり、外より涼しいとこにこうして置いてくれてることも、な」

 蘇芳はゆっくりと首を起こした。傷口が痛んだが歯を喰いしばって耐え、言いたいことをぶつける。

「戦争中っ、なら……どんな人間でも疑いたくなる気持ちも、ちょっとくらいなら理解はできる……。俺の故郷も、昔っ……戦争で、民間人も街も、めちゃめちゃにした……歴史があるから」

 傷口がジンワと熱い。もしかしたら開いて血が滲んだのかもしれないと頭を掠める。

 それを覚ったように、くぅに「ダメだよ」と促され、その身を元へ戻した。セピアから視線は逸らさず続ける。

「ハッキリ言う。俺達はここの人間じゃねぇ、全く別の場所から来たんだ。だから、こんな戦争がどうなろうと、マジで関係ねーんだよ」

「完全に、信じることはまだ、できない」

「別にいい。アンタが信じようが疑おうが関係ない。だから、俺の傷の回復の責任をきっちり取ってくれんなら、その後尋問でもなんでも『俺だけは』付き合う。コイツらは巻き込むな、それが条件だ」

 そうして蘇芳は、丸まって眠る夜さまの方へ首をぐりんと向け、ぎゅ、とその目を瞑った。

 胸の周りがモヤモヤとする。沸き立つどす黒い気分に吐き気がする。

「しばらくは、ここに籠って傷を癒せ」

 しばらくの間を置いて、セピアは透明な声色で話し始めた。

「尋問だのなんだのは、それまで取っておく」

 セピアは耳の円盤をシャーンと鳴らし、長い麻布の暖簾を潜り出ていった。



   ◆   ◆   ◆



 少しでも、二人の役に立ちたい。

 少しでも、意味のある存在でいたい。


 俺は、二人の目的の邪魔を、誰にもさせたくないんだ。


 なぁ、合ってるかな、先生?

 俺のやり方、間違ってねぇかな?

 また護ろうとして失くすのが、俺は怖いよ。


 枩太郎しょうたろう先生──。



   ◆   ◆   ◆



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