砂砦のドア

セピア 1

   ◆   ◆   ◆



 とある記憶の断片──。

 これは、まだ幼かったふたりの日常のひとつ。



「ねぇ、どうしてそんなに勉強してるの?」

 彼女が首を傾げ本に向いたままの彼の顔を覗く。彼は弾むような声で答える。

「『人生何があるかわかんない』ってのが、ウチのじいちゃんの口癖だから! 勉強ってよりも『知識を詰めとけ』なんだってさ」

「知識を詰める、ねぇ」

 ふぅん、と彼女はこちらを見ようともしない彼の後頭部を見詰める。

「…………」

「…………」

「何の本読んでるの?」

「えーっと、これはぁ、『井、戸、を、掘る、ぎ、じゅつ、に、ついての、本』。だって!」

 拙くも文字を懸命に読み言葉にする彼をしげしげと眺める彼女は、再びふぅん、と顎をしゃくった。

「井戸なんて、今の時代必要なの?」

「海外には水道がちゃんと整備されてない国もまだまだあるんだーって、この前じいちゃんが言ってた。そういう人達の手助けになるために、水が出る場所を探して穴を掘って、普段使える水を確保するんだってさ」

 これにも書いてあった、と彼はようやく本から顔を上げた。

 その彼の瞳に自分が映っている。それだけで彼女の気持ちは高揚する。

「一緒に本、読んでみる?」

「う、うんっ」

 本当は興味などなかった。しかし、自分にとって最も特別な『彼』がそうして誘うのだ。頷く以外の答えなど、この時の彼女の中には存在しない。

「じゃあ一緒に選びに行こうよ。お屋敷の蔵書室にたくさん本あるじゃん?」

「けど、大人が難しい顔して読むやつばっかりだよ? わたしにはムリだよ、読めない」

 彼女は再び口を尖らせ肩を竦めた。(もっと深く考えてから返事をするんだった)と彼から顔を背ける。

「ぼくのコレだって大人が難しい顔して読むやつだよ?」

「■■■は頭いいからスラスラ読めちゃうんだよ」

「違う違う! ようは読む気があるかないか、なんだよ」

 そうして彼はようやくパタンと本を閉じた。

「知りたいと思えば何でも知れる、作ろうと思えば何でも作れる。ね? とりあえずやってみようよ!」

 彼にそうしてぎゅっと両手を握られる。ドキッとした心臓が縮こまるようであった。

「じいちゃんがいつも言うんだ、『わからないと思い込むからわからない、諦めてるからそこまでしか進めない』んだーって」

「そ、そうかな?」

「そうだよ! わかんないことあったら、ぼくも一緒に考えるからさぁ。ね? 読みに行こう?」

 ぐっ、と彼に手を引かれ、彼女は蔵書室へと駈けてゆく。

「う、うん!」

 頷く彼女の瞳は宝石のようであった。

 一緒なら、どこまででも背伸びができるように感じていた。



 そんな在りし日の記憶を、『狭間』で蘇芳の声に気が付くまでに取り戻したのである。




   ◆   ◆   ◆




 ──バタン。




       ◆




 丁度良い言葉が見つからないほどの『むっ』とした熱い風が全身を包む。

 刺さる日差しに情け容赦などは無い。

 今にも溶けてしまいそうなのろい歩み。

 喉は渇ききり、たった一滴の水を求める動物のようにヘェヘェとだらしなくなる口元。

「ああっ! あ゛づい゛っ!」

「わかってること言うなよ、余計暑くなる……」

 開けた『ドア』の向こうは一転、灼熱世界であった。

 広がり見えるのは、空の澄んだ青と、赤みを帯びた砂色の絨毯、そして強く吹き付ける熱を纏った風のみ。

 そう、砂漠に出た。

 その場に居るだけで汗が噴き出る程の暑さに、一同は瞬く間に疲労感を溜める。夜さまは「手足が火傷する」と、怪訝そうに蘇芳の着けているローブへ途端に潜り込んだ。足元からスルリと潜ると足をよじ登り蘇芳の右肩に収まった。

 『ドア』から出ると、蘇芳の学ランは黄土色の足首まであるローブに変わっていた。くぅも同様にそのローブを着ている。

 それにはとても目深なフードが付いている。熱風を防げるのならと蘇芳は早々に被り、足元のくぅにも同じように被せてやった。

 中に着ているものはわからない。ローブがかなり厚手で、その首元がタートルネック様に詰まっているため黙視確認が出来ないのだ。恐らく、この無数の剣山が降るかのような強すぎる陽射しから肌を守るために、少しも隙間を作らないのでは、と蘇芳は咄嗟に閃いた。

「もーう、このローブあつーい! この中で干からびちゃうぅ」

「我慢しろ、多分着てねぇと日焼けじゃ済まねぇくらい陽射しがヤバいんだよ」

 足には何かの皮で作られたブーツを履いており、これが案外砂に埋もれない造りになっている。雪上を行くかんじきのような、埋まらない仕組みがありそうだと蘇芳は思った。

(ここサハラ砂漠かな。それとも、ゴビ砂漠? あー、いや、案外俺の知らねぇ砂漠かもしんねぇな)

 暑さを紛らわすため、あえてさまざまな考えを巡らせる。

「このような特に何もない砂地のままでは、いつの時代に出たのかわからぬな」

 ローブの中からそう言う夜さまは、いやに涼しげな雰囲気を保っている。そのことが、蘇芳の暑さによる苛々をどんどん増幅させる。

「このままダラダラ、どこ進んでんのかわかんねぇのに歩いてていいのかよ?」

「見えぬのか? あれに建物がある」

「は?」

 目にかかるローブを少し持ち上げ、夜さまの言い示す建物を視界に探す。

「あんなぁ。どこに建物があるってんだ、蜃気楼見てんじゃねーぞ。一面砂山しかねぇだろーが」

「不機嫌を儂にぶつけるでない。それに、もう少し右じゃな。進路は右じゃ」

「あ」

 言われたとおり、斜め右の遠くの方に微かに見える建物を認識した。この赤みを帯びた砂よりも少し薄い色をした建物は、今居る位置から見てもハッキリとわかるくらい大きなものだということがわかった。

「な、なんだ、あれ」

「とりあえずそこでお水貰おー、すぅちゃん!」

「そうだな。それが先だ」

 目的地を明確にしただけで、足取りは瞬く間に確実になった。そうして蘇芳もくぅもずんずんと迷いなく建物へと向かって歩きだしたのである。現金なもんだな、と蘇芳は苦笑いを溢した。

「つーか、このローブん中からよく見えたな、夜さま?」

「『ドア』を出た時より見えとったわ」

「へぇへぇ、観察力が足りなくてスンマセンねぇ」

「すぅよ、そう苛々するでない。儂にまで移る」

「おー移れ移れ、そんで俺のイライラ全部吸いとってくれ」

「まるで酔いの回ったような絡み方じゃな……」

「あ、なぁ。『狭間』で訊きそびれたんだけど、俺の学校の鞄とか携帯とかどこやった?」

「まこと今更じゃな。先のように珠に変え、ヌシに埋めたが」

「だーっ、やっぱりか! そんな気ィしてたんだよ! 夜さまは埋めたがりだよなァ? ちょっと引くわ」

「なぜじゃ。失くさず済むであろうに。斯様に利便的なこともなかろう」

「俺はそっちじゃなくて、夜さまの常識外れな思考に引いてんだけどね」

「ヌシの常識と儂の常識を同じにするでない。生きゆく時代がそもそも違うでの」

「夜さまって俺の時代より未来から来ただろ」

「ほう、わかっとったか」

「この前、なんとなくな。そうじゃねぇかなーとは」

「フム」

「過去なわけねぇな、って始まって、夜さまは俺のカタカナ語にちゃんとついてきてたから、それで気ィ付いたようなモン」

「まこと、ヌシは時間をおきゆっくりと考えを巡らせるのが性に合っているようじゃな」

「『それ』も。俺のことも絶対に知ってるんだなって思ってた。未来の俺と夜さまは知り合いなんだ……だろ?」

「しかし、そこまでしか教えられん。未来のどの時点で、どのような接点で、などは、その身をもって経験するまでじっと待つのじゃ」

「へぇへぇ」

「すぅちゃん」

 蘇芳の右側を歩いていたくぅが、突然ピタリとその足を止める。

「どした」

 三歩ほど置いて行ってしまったため振り返ると、くぅは前方を指差した。

「誰か来る」

「あ?」

 舞い上がる砂塵から、ボウと何かに跨がった人影を見つけた。眉を寄せ注視するがよくわからない。

「何だあれ、馬? じゃあねぇな」

「らくだ、かなあ?」

「っぽい気がする」

 くぅと蘇芳はそれぞれで前のめりになりながら、砂塵に揺らめく何かを推測していた。モゾモゾ、とローブの中をまさぐり移動する夜さまも、蘇芳の右頬の隙間からそれを覗きこむ。

「建物の中の人かな。夜さま、何人居るかわかる?」

「いや、全くわからぬな。三人、あぁいや……」

「どうするぅ? お芝居して連れてってもらう?」

「お芝居っておま──」


 ザシュ。


「あ?」

 何かの衝撃に二歩ほど後ろへとよろめく。

 何かの違和感が、蘇芳を襲う。

 左肩にじんわりと違和感がある。

「すっ、すぅちゃんっ!」

 突風で、被っていたくぅのフードが外れた。そう叫ぶくぅの顔面は蒼白そのものであった。

「すぅちゃん! やだ、すぅちゃん!」

「くぅ! 動くでないっ!」

 夜さまが右肩から飛び降りたことが蘇芳にもわかった。ローブの足元からスルリと慌てて抜け出た夜さまは、アメジストのような瞳を溢れ落ちそうなほど見開き息を呑む。

「チィ、攻撃かっ?!」

 ヒュンッ、ヒュンッ、と相次いで何かが飛んでくる。上手い具合に砂上に消える。

 夜さまはそれらをかわし、瞬く間にくぅのローブへと潜り込み、くぅへ何かを話し始めた。まだ蘇芳には何が何だかわからない。


 ザシュ。


「や、だ、いやぁっ! すぅちゃあんっ!」

「──え」

 膝の力が抜けた。

 ずしゃ、とその場に崩れ落ちたことで、蘇芳はその肩の違和感をきちんと認識した。

 矢が刺さっている。

 蘇芳の左肩と左脇腹に、矢が一本ずつ刺さっている。

「なぁっ、んだ、これ?!」

「だめっ抜かないで! やだっ、お腹も血が! 夜さまぁ! 早く『魔法』の……!」

 くぅの栗色の瞳がどんどん涙で滲んでゆく。

「すぅ、しっかりせい! 蘇芳っ!」


 何言ってんだ。

 しっかりしてるよ、夜さま。


 頬に付く赤い砂が熱い。口にも入ったのではないかと妙なところに気がまわる。

「すぅちゃん?! 死なないですぅちゃん!」

 ボタ、ボタ、と降るようなくぅの涙粒が頬に冷たく落ちる。覆い被さるように蘇芳の頭部を囲う。


 バーカ、死なねぇよこのくらいで。


 くらくらとする視界に、蘇芳はだんだん目を開けていられなくなってきた。

 くぅが必死に自分の名を叫ぶ声が、ただ遠くから響き聴こえる。


 声枯れちま うだろ が 黙っ て  ろ


 そう声に出したつもりで、しかしその口はすでに動いていなかった。

「すぅちゃんっ!」

「…………」

 蘇芳はそうして、ゆっくりと目を閉じた。



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