狭間

珊瑚色の珠

 押し開けたノブから手が外れると、途端に『ドア』は背後でバタンと閉まった。

 振り返り見た『ドア』は、やはり音もなく下から上へと、まるでシュレッダーにかけた重要書類のように霧散した。蘇芳は眉尻を下げ「またこれか」と肩を竦めた。


 そこは『狭間』世界。ただ闇のみが広がる空間である。

 前も後ろも左も右も奥行きすらもわからない。やはり自身の身体だけは薄ぼんやりと光って見えている。


 足元、胴体、そして腕へ視線をゆっくりと移していくと、蘇芳の衣服はよく見慣れたものへ戻っていた。

 汚れが目立つようになってきた白いスニーカー、光に当たるとやや赤く見える黒い学ラン、中に真っ赤な無地のロングTシャツ……すべて蘇芳の物である。一週間弱着ていたあの薄汚れた小袖は、既に見る影もない。背負わされた荷物は幸いにもそのままであった。ずしりと重く、どこか嬉しい。

「はー……」

 思わず出た長い溜め息は、安堵のような落胆のような、不思議な心地を纏っていた。力が抜けた気もするし、焦燥を思い出してジタバタし始めてしまいそうでもある。

 やがてその場に腰を下ろし、背の荷を肩から外した。中身を広げ見ると、実に多種多様な品が詰め込まれている。

(この干した魚は「ずっと噛んでても飽きねぇ」って、この前乾物屋が言ってたやつか。この玄米と雑穀の塊はおやっさんが入れてくれたんだな。あ、竹筒だ、水筒代わりにってか。ハハっ、誰だよまったく、手渡ししねぇと意味ねぇだろ)

 そうしてひととおり眺め終えると、右腕に引っ掛けたままの撫子の小袖をふわりと宙に広げ見た。

 きっと、すんとひと嗅ぎすれば撫子の体温をまだ感じられるであろう。そんな想像をし、しかしブンブンと頭を振り邪念を放り出す。

「ん?」

 そういえば、夜さまもくぅも姿が見えない。

 おかしい、と眉を寄せ、蘇芳は小袖を手にしたまま立ち上がる。

「夜さま? くぅ?」

 いやにシン、としている。

 発した声が反響し反ってくる様子もなければ、果てしない広がりも耳には感じられない。言い表すとすると、ヘルメットを被ったまま話をしたときのようである。

「マ、ジ? まさか、はぐれたとか?! 夜さまーあ! くぅー!」

 悪い想像が頭を駆け巡る。


  儂らと離れるともう二度と会えんぞ。『ドア』は、儂と共に居らねば繋がらん。ヌシのみでは帰りたくとも帰れぬようになるのじゃ──


「オイオイ勘弁してくれよっ!」

 いてもたってもいられず、蘇芳は周囲をぐるぐると見渡す。

「夜さまぁっ! どこだ夜さまーっ!」

 もはや、どこから入ってきたかすら定かではない。駆け出したいが、どこを駆けて行けばいいのか全くわからない。

「くぅー! 夜さまーっ!」

「ここじゃ」

 蘇芳の視界前方にボウ、と仄かな灯りを纏い、四つ足で音もなく静かにやって来る小さく黒い物。

 夜さまであった。

 目を細め注視し、ようやくわかった程度の薄明かりに蘇芳は慌てて駆け寄る。夜さまもまた、ぼんやりと発光していた。

「夜さま! ったく、心配かけんなよ」

「あぁ、ヌシは最初の『狭間』で気を失っていたんじゃったな」

 夜さまは止まる様子なく、そのまま蘇芳の横をすり抜け、広げていた荷へと向かって行く。蘇芳は眉をきゅ、と寄せ、着いて行くことにした。

「『狭間』に立ち入ると多少離れてしまうでの。声を頼りにヌシを見つけた。説明が足りなんだな、すまん」

「あービビった。声出して正解だったわけな。『ここで一生過ごすことに』ってやつかと思った」

 蘇芳は大袈裟に溜め息に変え胸を撫で下ろした。

 荷まで真っ直ぐに辿り着き、夜さまはくるりとそれを中心に回り込む。腰を下ろし蘇芳を見上げると「ときに」と話を切り出した。

「ヌシは何ともないか。主に胸の周りや、記憶など……」

「記憶?」

 蘇芳はうーん、と首を捻り胸の周りを軽くさすってみる。

「別に? なんともねぇかな。イテぇとかもねぇし」

「ならば良かった。では、姫のことは、覚えておるか?」

「姫? 撫子のこと?」

「よい。充分じゃな」

 夜さまはそうしてアメジストのような瞳をキラリと光らせ、やや微笑んでいた。(なんか変な夜さま)とますます首を傾げる。

 考えてもわからないモヤモヤを払拭すべく、ガシガシと前髪を掻き上げたその時、ふとくぅを思い出した。

「つーか、くぅどこだ? はぐれてんじゃねぇの?」

「確かに。ちと遅いかの」

 夜さまはピンク色の小さな鼻先をひとつスンとし、辺りをぐるり見回す。

「くぅー! こっちだぞ、くぅ!」

 蘇芳は、夜さまが声を頼りに自分を見つけたように声を張りはじめた。

「どこだー、くぅー! 一人ンなっちまうぞー?」

 やはり響くことはない。焦燥がじわりと押し寄せる。しかし『夜さまには届いた』事実が、声を発する毎にそれを少しずつ消してゆく。

「くーぅ!」

「やっほ、すぅちゃん」

 蘇芳の背後から突然そう声がかかる。慌てて振り返るとくぅであった。手を後ろに組み、小首を傾げ小さく微笑んでいる。

「くぅ!」

 最初の『狭間』で見たまま、くぅはアイボリーのセーターをやはりワンピース様に着、つつじ色とたんぽぽ色のボーダー柄靴下と、その先端には真っ赤なエナメルの靴を着用していた。蘇芳は「あぁコイツこんな格好だったな」と思い出し、心のどこかでホッとする。

 そんな安堵も束の間、蘇芳は舌打ちをひとつしくぅをひと睨みした。

「バァカ。『やっほ』じゃねーよ」

「アリガト、必死にあたしのこと呼んでくれて」

 くぅはそうしてまあるく白いもっちりとした頬を上げた。

 蘇芳は照れから視線を逸らし「ウルセー……」と首の後ろへ手をやる。

「くぅ、ヌシは変わりないか」

 足元にいた夜さまは、ひょいとくぅのアイボリーのセーターの肩に飛び乗り、様子を窺いはじめる。

「そーだなぁー」

 顎に人差し指を当て、上を向き、くぅは「うーん」としばらく唸る。

「特別ビックリするほどじゃないけどォ……」

 そうして夜さまと目を合わせた。

「ちょっと『戻った』、気がする」

「どの辺りじゃ」

「あたしのこと、かなぁ?」

 眉間を寄せた夜さまは真剣そのもので、柔らかく微笑むくぅの栗色の瞳を瞬きもせずに見詰め続けた。

 蘇芳はその様子を黙って眺めていた。何の事を話しているのかは全くわからなかったが、口を挟む隙が二人には一切無かったためだ。

「そうか」

 やがてアメジストのような瞳を伏せるとくぅの肩からひょいと降り、蘇芳の広げていた荷へ向く。

「すぅよ、この頂戴した物は如何様にする」

「あ、持ってく持ってく」

 突然話の矛先が自分に向いた蘇芳は、わたわたと慌てて荷の近くにしゃがみ、それらをまとめはじめる。

「荷とし持ち行くか? それとも『想い』としヌシの内に埋めるか?」

 アグラをかき、大判の布の両端をぎゅっと持ったところでゆっくりと顔を上げた。

「は、はい?」

 言われたことの意味がわからず、きょとんと夜さまを見詰める。

「荷とし、持ち行くか、想いの形とし、ヌシのその身に埋めるか、と訊いたのじゃ」

 わざわざゆっくりと一言ずつ言ってはもらったものの、全く脳内処理が追い付かない。

「あの、ごめん。久々に夜さまの話がわかんねぇ」

「夜さまね、魔法が使えるんだよ」

「は?」

 くぅからの一言すらわけのわからなかった蘇芳は、くぅを見上げるなり掠れた声で目以外を笑わせた。

「ハ、ハハハ。あーあー、そうだよなぁ! 夜さまは魔法が使えるっ! うんうん。夜さま、魔法で頼むわ!」

 蘇芳は「あっはっは」と高笑いしながら、アグラ座りにした自らの膝をバシバシと叩く。それはいつかの姿と重なる。

 しかしすぐに、その頭を掻き乱しながら憤慨しはじめた。

「──ンなワケあるかぁ! 何だその微妙なウソはっ」

「え?」

 眉を上げ瞳を真ん丸にきょとんと蘇芳を見下ろすくぅ。

「ん?」

 同じようにきょとんとする夜さまは、淡く透明な薄紫色の糸のような光を、幾重にも螺旋状にその右前足から出していた。そうして荷をその光で包むと、数秒足らずで珊瑚色の小さな珠に変えてしまった。

「はっ?! マジなの?! つーかあっという間に変えてんなよ!」

「これを持ち行くか? その身に埋めるか?」

 悪びれる様子なくその首を傾げ蘇芳へ問い続ける夜さま。蘇芳はきゅっとついに眉を寄せた。

「え、なに。夜さまは『埋めてぇ』の?」

「落とすといかんじゃろ? 埋めれば落とさず失くさずで済むよってに」

 コロコロと、鼻先で珊瑚色の珠を蘇芳の膝先へ転がし渡す。

 ピンポン玉にしては大きく、テニスボールにしては小さい。まさかのうちに掌に納まるサイズになってしまった『善意の品々』を、半信半疑に拾い上げる。

「埋めるはいつでも出来る。必要があらばまた申せ」

「おう……」

 蘇芳は、珊瑚色の珠を眺めながらやや残念そうに肩を竦めた。

 次の時代でも使える物はあったかもしれない、何よりこれは元に戻せるのだろうか、と考えていた。反して、訊ねる気力はすっかり削がれてしまっていた。

「その羽織は如何様に──」「これは絶対ダメ」

 唐突に低くなった蘇芳の刺さるような声色に、夜さまの目は真ん丸に見開かれる。

 それを見てくぅは我慢できずにフフッと笑った。

 やり取りが一区切りすると、ふと左側が仄かに明るくなった。全員でそちらへ顔を向け、するとくぅが黄色い声をあげる。

「あっ! 次の『ドア』!」

 まるで板状チョコレートのような形状、左側に黒色の丸ノブ、高さはおおよそ二メートル二〇センチ、幅は大人が二人並んで通れる程。一同がしゃがみこんでいる場所から約二メートル離れた位置にぼんやりと浮かんで見える様は、やはり蜃気楼のようである。

「さて、行くかの」

 シュルンと黒く長い尻尾をうねらせ夜さまがドアへと向かって行く。

 珊瑚色の珠をギュッとその右手に握り、蘇芳も重い腰を上げた。

「あいよ」

 砥粉色の小袖は、腕を通さずふわりと肩に引っかけ羽織ってみた。

「着てくの?」

「とりあえずな」

「ふうん! へーえ!」

「ンだよ」

「ふふっ、なんでもないよ」

「すぅ、開けよ」

 うん、と頷き蘇芳がノブに手をかける。

「その内に秘めし想いを遂げさせよ」

「内に、秘めし想い」

「何のため、この『ドア』を開けるか。そこを忘れてはならぬ。よいな」

「おう」

 そうして『ドア』を押し開けると、再び見たこともない景色が広がっているのだ。



   ◆   ◆   ◆



 少しでも、二人の役に立ちたい。

 少しでも、意味のある存在でいたい──。



   ◆   ◆   ◆



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