撫子 10

「父上、撫子はこれより、確と先へ進もうと決心したのです。もう、迷いはありませぬ。猶予は不要にございます」

 そうして凛とした姿を殿に見せると、間もなく白い反物は、撫子の白無垢となるべく反物屋へ持ち帰られることとなった。

 昼頃には、前日に運び込まれていた反物の全てを、それらがまとめ置かれている部屋から荷車へ戻された。それは、蘇芳の仕事であった。

 まるで巻物のようになっている沢山の反物のすべてを山状に丁寧に荷車へ積み、その上から風呂敷のような大判の一枚布をふわりと被せる。きつくならないよう麻紐で縛ると、また来たときのように荷車を引き城を後にする。

 振り返りはしなかった。

 撫子も、見送りなどはしなかった。

 ギギイと重苦しく呻く城門から町へ一歩踏み出すと、努めて夜さまとくぅのことだけを考えるようにした。


 『ドア』を潜り続けていれば、元の時代に戻れる。

 『ドア』を潜り続けていれば、きっと撫子の魂にまた逢える。


 「魂と魂が引き合っている」──夜さまがそうだと言うのだから、今はそれをただ信じるだけだと、蘇芳は思考を集中させた。

「…………」

 行き交う人波へ焦点をぼんやりと合せ、時折吹く風が土煙を巻き上げるさまを、蘇芳は荷車を引きながらぼんやりと眺めた。やがてそれが何かで滲むと、ワナワナと震える下唇を前歯で噛んだ。

 ガラガラガラと荷車の車輪が煩くて良かった。

 鼻を啜る蘇芳の溜め息は、誰にも聴こえはしなかった。



       ◆



「そうか、行ってしまうのだな」

「急にすんません。短い間でしたけど、マジ──じゃねぇや、ホントにお世話になりました」

 その日の内に、「田舎から手紙が届き急遽戻らなければならなくなった」と蘇芳は白木に説明をした。この設定は、くぅがドアの見張りをしながら考えたものだとか。他に体のいい案もなかった蘇芳は、そのままを伝えたわけだ。

「よいよい。こっちこそ、そちの手伝いまことに助かった」

「いや。そんなことねっす」

「まぁ、今宵はゆっくりと休み、朝飯を腹へ入れてから行くといい。またそちが倒れでもしたら困るのはくぅだでな! ささ、夕飯としよう」

 そうして眉をハの字にする白木へ散々くぅと頭を下げた。

「やっぱおやっさんには、足向けて寝れねぇわ」

「お世話になりっぱなしだったもんねぇー、すぅちゃん」

「俺だけじゃねぇけどな」

 夕飯の御膳を向かい合わせにし、蘇芳とくぅは箸をゆったりと動かしていた。

「それよりすぅちゃん。元気出してね? そりゃツラくて寂しいかもしれないけど」

「んだよ急に。励ましか?」

「だあって、すぅちゃんお城から帰ってきてから、ずぅーっと眉毛下がってるんだもぉん。フヌケーって感じ?」

 腑抜けか、と蘇芳は嘲笑気味に鼻をフンと鳴らした。

「いんだよ。俺はもう、夜さまが言ったとおりになるのを信じるだけになったんだ。どう足掻いたってこの時代じゃ、俺のしたいように物事は動かねぇもんな」

 くぅの哀れむような視線に耐えかね、蘇芳は声のトーンをひとつ上げる。

「なぁ、そいや夜さまは見張りの間、なんも食わねぇの?」

「さっきくぅがおにぎり持ってったから大丈夫ー」

 ふぅん、とあまり具の無いすいとん汁を啜り、蘇芳は宙に呟く。

「次、どんなとこに出るかな」

「『すぅちゃんがどうしたいか』に、かかってるよ」

 くぅはそうして伏し目に優しく微笑んでいた。

「すぅちゃんの優しい心が、『ドア』を開けるんだよ」

 そう微笑むくぅのもっちりとしたまあるく白い頬が、このときばかりは不釣り合いに見えた。まるで大人の女性のような素振りに、蘇芳は居心地を失い視線を逸らす。

 椀の中を箸でゆったり掻き回しながら、多少おどけてみせることにした。

「やっと気付いたか! なっ、やっぱ俺優しいだろ?」

「残念ながらぁ、くぅはその優しさ未体験ですぅー!」

「チッ。そこは嘘でも『そうだね』っつっとくんだよ」

「ソウダネ」

「遅ぇし心が込もってねぇ、やり直し!」



   ◆   ◆   ◆



 誰かを、ずっと前から探している気がする。

 ぼんやりと形になって見えるその人は、深い寒色を纏っている。


「蘇芳──」


 そんな誰かを、これからもずっと探していく気がする。



   ◆   ◆   ◆



 夜が明ける。

 六日目を迎えた。

 米問屋の入り口周辺には、蘇芳へ礼の一言を言いたいと町の商人がワイワイと集まっていた。蘇芳もくぅも予想外の見送りに、目を丸くし顔を見合わせた。

「俺、こんなされるほど大したことやってねぇよ?」

 眉をハの字にそう溢す蘇芳へ、見送りの商人らは「まぁた謙遜か!」「こやつはこれだからいい」などと満面の笑みで言った。

「これは皆からだ。ほれ、背に」

 風呂敷のような大判の一枚布いっぱいにあらゆる品々が詰め込まれており、それを半ば強引に背負わされる。長い道中の糧となるよう、多くの民から祈られていることが蘇芳の心の深くまで温めた。

「蘇芳よ、これも持ってゆけ」

 白木は最後に一枚の反物を差し出した。

「これは?」

「そちが先日、向こうで起こったいざこざを沈静させた折に頂戴したと言っていた反物のひとつだ。急ぎ羽織としてみたのでな。こんどのの恩情だ」

 深い寒色が、まるで深海を思わせる一枚であった。年齢を選ばなさそうな色味にどこか懐かしさを感じる。

「わぁー、すっごいキレイ!」

「くぅ、羽織ってくか?」

「うーん。けど引き摺っちゃうよォ、もったいなぁい」

 蘇芳は白木へ深々と頭を下げ、その羽織を喜んで受け取り、ひとまず右腕に引っ掛け進むことにした。

「お世話になりました!」

「達者でなぁ!」

 そうしてたくさんに手を振られ、土煙舞う町並みに惜しむ気持ちを少しずつ溶かす。振り返っては手を振り振られを、幾度か繰り返す。

 くぅが「すぅちゃん」と一度呼べば、「わぁってるよ」とそれきり前を向いた。

「この荷物、夜さま何て言うかな」

「きっと、すーっごくびっくりしちゃうね!」

「狭間に行っても次の『ドア』潜っても、消えたりしねぇかな? 服は勝手に変わってただろ?」

「どーかなぁ? くぅたち、こんな風にその時代の人たちと関わったりしたことなかったの」

「え、そうだったのか」

「けどお陰で、すぅちゃんが優しいってこと、ちょっとだけくぅもわかった気がするよ」

 やがてくぅに連れられやってきたのは、とある民家の裏手にある、井戸のある空き地であった。細く人気のない小道をまっすぐ行った突き当たりだ。

「あった……」

 井戸の隣にボウと佇む『ドア』は相変わらずドンと、ズンとしている。壁や建物に埋まっているわけでもなく、ただそこにドア枠と扉が佇む様は、蘇芳の目にかなり異様に映っていた。

 蘇芳は生唾をゴクリとし、自らの緊張感に唇をひと舐めする。

「夜さまぁ、おまたせぇ!」

「うむ」

 鼻をスンと鳴らし蘇芳を振り返る夜さまは、瞬きをいくつかすると目を丸くした。

「何じゃすぅ、その荷は」

「あ、あぁ。近所の人達が餞別にって、こんなに」

「ある種の才能じゃな」

 夜さまは目を閉じフッと少しだけ笑った。

「ん? すぅ、まさかとは思うが連れてきたのではあるまいな」

 夜さまは空を仰ぎ、三角の耳をヒクヒクとさせると小さくそう呟いた。ハテナを浮かべ、「何のことだ?」と首を傾げる。

「まぁよい。儂とくぅはこの場にて待つ。ヌシはそのままそこの来た道を暫し戻れ。二言三言言葉を交わしたら直ちに戻るのじゃ」

 よいな、とひと睨みする夜さまはくるりとドアへ向き直った。

「は? どゆこと?」

「すぅちゃん、言われたとおり、行ってみた方がいいよ。夜さまがそう言うんだから。何かあるんだよォ」

「うーん。じゃあ、荷物ここ置いてくな?」

「ならん、そのまま持ってゆけ」

「だーってさ! さぁ、いってらっしゃいっ!」

 くぅにそうして腰の辺りをグイグイと押されると、蘇芳はわけのわからぬまま来た道を少しだけ戻ることにした。

「何だってんだ、ったく。案外重いのに」

 ぶつくさと文句を呟きながら、小道を一人行く。米問屋へと続いている大きな通りへ出る間際で、ふとよく見知った砥粉色の小袖が目に入った。

「えっ、なん、で?!」

「す、蘇芳っ!」

 互いに目を見開き驚いた。

 それは、息を切らした撫子であった。

「ば、バカっ何やってんだよ、こんなとこで! 嫁入り前だろ大人しくしてろ!」

「早朝に城入りした者から聞いたのだ。そなたが今日発つと。それでつい、追ってきた」

 撫子は黒真珠のような瞳を潤ませホッとしたような表情をしているので、蘇芳は頬を染めてグッと堪える。

「ったく。ついうっかりで城出入りしてんなよっ。会えなかったらどうしたんだ、危ねぇだろ?」

「しかし、無事会えた」

 そうしてにこっと、まるで花が咲いたときのように可憐に微笑む彼女に、蘇芳の心臓は耐久力を失っていく。

 照れ隠しの舌打ちをし、大通りから彼女を隠すようにクイと左腕で小道へ引き入れる。

 どぎまぎとしながら、撫子は被っていた小袖を肩まで下げた。呼吸を整える間すら惜しむように、慌てて自らの懐をポンポンと確認する。

「そなたの旅に、これを供としてほしく、持ってきたのだ」

 そうして撫子は、腹部からひとつ細長い物を出した。

 それは、いつかの檜扇であった。すっかり綺麗になっていて、汚れていたことが嘘のように感じた。

「いや、それ形見だろ? ダメだ、受け取れない」

「しかし……」

 眉を寄せ、蘇芳は撫子を諭す。

「撫子が嫁ぎ先でも頑張れるように、そういうのはちゃんと持ってろ。形見としてアンタに渡した人の想いを俺が受け取んのはおかしい」

 しゅん、と小さくなる撫子はまるで叱られている幼子のようであった。

 見かねた蘇芳はフッと少しだけ頬を緩める。

「じゃあ、わざわざそんな大事なもんじゃなくてさァ。あっ、そうだそれ、被ってる着物」

 「これか?」と撫子は襟ぐりを握った。蘇芳は右腕に引っ掛けた寒色の羽織をぬっと差し出す。

「これと交換しよう。それを、撫子の代わりにする」

「こんな……しかし、かなり薄汚れている」

「いいよ。それに撫子こそ、薄汚れたやつよりこっちのが似合うだろ」

 撫子がその肩に掛けている砥粉色の小袖だけをスルリと優しく引き寄せる。次いで、ふわりと深い寒色の羽織をその頭から、まるで新婦のベールのように掛けてやる。

「あ、ほら。いい感じだ」

 掛けられた羽織の端を大事そうに握り、そろりと蘇芳を見上げる撫子。

「蘇芳……」

 その潤む瞳に蘇芳のギリギリの自制心は、グラングランと容赦なく揺さぶられるようであった。

「嫁ぎ先で、あんまオテンバしすぎんなよ」

 そうして柔らかく微笑むと、撫子も同じように口角を上げた。

「最後にそなたに会えて、本当によかった」

「うん」

「蘇芳の行く道に、幸多からんことを願っている」

「はは、サン──じゃねぇわ、あんがと」

 そうして、蘇芳は一歩、二歩と後ろへ下がった。

「いつも送ってやれなくて、ホントごめん」

「よい。慣れ親しんだ町だ、今更問題はない」

 撫子もまた、一歩、二歩と下がり行く。乾いた土が煙り立つ。

 そうして少しずつ、距離が開く。

「撫子!」

 首を傾げ、どこか寂しげに微笑む撫子を、じっとその脳裏に焼き付ける。

「昨日も言ったけど、俺はまた撫子に出逢いたい! 何十年何百年先になっても、また捜して出逢いにいく。絶対に、撫子のこと見つけるっ」

「何十、何百……」

「そしたら、必ずまたこうしてきちんと眼を見て話をしよう。だからそれまで、絶対にたくさん笑って生きていけ!」

 そうして一度にっと微笑み、意を決し彼女へ背を向け駆け出す。渋る気持ちをかなぐり捨てる。

「くっ……」

 これ以上撫子の姿を見続けていると、決めた心すらも呆気なく覆してしまいそうで、蘇芳はそんな自分が怖くなった。

 カチャカチャ、と駆け行く度に背中の荷物が鳴る。

 夜さまと、くぅと、そして自分が迎えうる未来のためにと、蘇芳は前を向かねばならない。

「サヨナラ、撫子」

 もう『ドア』も、そこに待っているのだから。



       ◆



「すぅちゃん! よかったぁ、ちゃんと戻ってきた」

「たりめーだろ、俺も居ねぇと『ドア』繋がんねぇんだから。なぁ、夜さま?」

「確と、忘れんようにの」

「忘れねぇよ、ジジイじゃあるまいし」

「すぅよ。ヌシに何が待っておるか、それを前向きに待つがよいぞ。さすれば、この先幸多き道となるじゃろうて」

「そーだな、そうだよな。うん、あんがと」

「ねぇすぅちゃん。生きてさえいれば、必ずまた出逢えるよ。だって『重要な』魂のリンクだったんだもん」

「くぅもな。いつか、絶対に見つけような」

「ふふっ! そだねぇ」

「ではすぅ、『ドア』を開けよ」

「おう」



   ◆



蘇之助そのすけ様、と、申されるのでございますか」

「然様。寛大で心根の優しき若君であった」

「なんだか、聞き心地良き御名にございます。字もどことなく、縁ありそうに感じます」

「はっは、幸先の良きことよ」

 殿によってその膝先に広げられた書状の文字を、静かに目で追う。

蘇之助そのすけ光芳みつよし様、か」

 ぽつりそう呟くと、まるで一部分が発光し浮き出しているような錯覚を見た。ハッと驚き息を呑むが、心を埋めるような不思議な温まりに、瞬く間に落ち着きを取り戻す。

 目を閉じ胸の鼓動に思考を集中させると、あらゆる不安は少しも残っていないとわかった。そして、あながち『そう』なのかもしれないな、とゆっくりと微笑んだ。

「撫子? どうかしたか?」

「いえ、何でもないのです」

 左側へ顔を向けると、澄んだ空に花の香がした。室内にふわりと柔らかく風が舞い込む。

「ありがとう、蘇芳」



       ◆



 ドアノブはひんやりとしている。

 回し押し開けると中からひやりとした風が足元を抜けてゆく。

 くぅ、夜さま、そして蘇芳と、『ドア』の中へと踏み進む。

 一五〇〇年代の扉が、バタン……と無機質に閉じられた。



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