撫子 8

 米問屋裏手にある倉の側で渡された斧はずしりと重たかったが、自前の筋力があって良かった。三度、四度と振り下ろせば勝手に体がその重さに慣れた。


 ガッガッ、ガッ、カーンッ!

 ガッ、ガッ……カーンッ!


 まず、最初の一振りで丸太に斧の歯を食い込ませる。斧に丸太を付けたまま、何度か土台へ振り下ろす。すると丸太は真っ直ぐに割れるのだ、と白木に教わった。蘇芳の場合は平均三振りで割れることがわかり、薪割りはテンポ良く進んでいた。


 ガッ、ガッガッ……カーンッ!


 渇いた音と共に丸太状の材木は見事真っ二つ。それを再び並べ合わせ、九〇度回転させる。斧の歯を入れる向きを変えるためだ。


 ガッ、ガッ……カーンッ!


 これで四分の一。その割った木片を避け、次の丸太を用意する。

 このような薪割りは未経験であったが、今の蘇芳に出来ることは『あらゆる人へ誠意をもって接すること』だと考え着いた。そのため、頼まれたことはなるべく引き受けようと、気持ちを無理矢理一新させ意気込んでいた。空元気という言葉が相応しいであろう。

「よし、次ィ」

 城で倒れ、反物屋の手伝いをうやむやにしてしまった蘇芳は、恥ずかしさに似た罪悪感を感じていた。追った撫子を見失い、すれ違った城の家臣からこんが先に帰った旨を伝え聞くと、すぐさま反物屋へ頭を下げに向かったのである。詫びを入れたい一心で、半ば城から飛び出すように走ったわけだ。

「明日もまたお供頼み申す」

 反物屋へ到着しゼエゼエと肩を上下にしている蘇芳を見るなり、こんはその細い目を益々細め、何でもないようにそう告げた。聞けば、先程持っていった反物を回収に行くのだと言う。

 蘇芳は「ヘマした俺でいいんスか?」と眉を寄せたが、白木には既に許可をもらったのだとこんは上品に笑っていた。

「では。今宵はゆるり休まれい」

「あ、ありがとう、ございます」

 その足で米問屋へと戻り、今度は顔を合わせた白木に大層心配された。

「こやつ、心配させおって!」

 そうして白髪混じりのボサボサ眉をハの字に、白木はホッとしたように笑った。

「旅の疲れが出たのやもしれん。今日はこれにて休むか?」

「いやいや、もう大丈夫ッス。すんませんした」

 そうして苦笑いでかわすと、意外とあっさり薪割りを頼まれてしまったというわけだ。

 しかし、そんな風に頼られることを素直に喜ぶ自分に気が付いた。この時代の人々が一様に持っている『寛大さ』に蘇芳は胸を打たれ、斧を振り下ろしながら諸々を考え耽っていたわけである。


 ガッ、カーンッ!

 ズリズリズリズリ……、ガッガッ、ガッ、カーンッ!


 ハラリと横毛が垂れ下がったため、汗を拭うように掻き上げる。高い位置で結わえているとはいえ、ドアのお陰で時代に相応しい髪の長さになっていることを改めて認識した。

 仰ぎ見た空に吹く風は高く、優しく、そして柔い。相変わらず澄んでいる空気と、流れる雲の雄大さに自然の余裕を見、すると化学物質にまみれた自らの卑小ひしょうさがやけに際立つように感じた。

「すぅ! 戻っとったか」

 右肩のその先にある倉の陰からそう声がかかった。わざわざそちらへ視線をやらずとも、これが夜さまであることはすぐにわかる。

 間を開けてから顔を向けた蘇芳は、きゅ、と眉間を寄せた。

「夜さま。どこ行ってたんだ?」

「しばし城に留まっておった。倒れたヌシへ城の者が駆け寄ってきたゆえ、遠巻きに隠れとったのじゃ。故にヌシが城を出たのに気付くのが遅れた、すまん」

 三角の小さな耳をピクッとさせながら、夜さまは蘇芳へと駆け寄ってきた。

「それより、まことに大事ないか?」

「まぁ、うん。体はもうダイジョブ」

 そうして力なさげに蘇芳が胸周りを擦るので、夜さまはその辺りを細くした目でじっと見た。

「もしや。胸が痛み、倒れたのか?」

「あぁ、この辺ギュウってなった。息できねぇくらい」

「そう、か。まことすまなんだ」

「別に夜さまのせいじゃねぇだろ」

 そうして目を伏せたが、夜さまは「しかし……」と額に力を込めるので、蘇芳は「いいからいいから」と斧から手を離した。

「それより、さっき話途中ンなったろ? そっちの説明くれる方がいい。『途中』って嫌いなんだよなー俺、イライラする。しかも、倒れてから理性飛ぶわ勝手にわけわかんねぇ行動取るわで俺自身がグジャグジャ。いい加減誰かに当たり散らしそう」

 ガシガシと赤茶けた前髪を掻き乱し俯く。そうやいやいと喚き散らしながら、蘇芳は近くの地面に埋まっている大きな岩へ腰かけることにした。

「なぁ夜さま、ハッキリ教えて」

「あぁ、なんじゃ」

 夜さまは蘇芳の足先の辺りへ来ると、尻尾をふわふわとさせてそこへ腰を下ろした。まるで空気を嗅ぎ何かを読み取るように鼻をススンと鳴らし、蘇芳を仰ぎ見る。

「夜さまが探してるモノってなんなんだ? 俺はそれをどんな風に探す手伝いしたらいい」

「…………」

「俺、具体的に何ができる? どうやって手伝える?」

「…………」

 夜さまは、うっすらと口を開いては閉じを何度か繰り返していた。まるで言葉を選びつつ、しかし口に出すことを渋っているかのように。

 我慢ならず、蘇芳は更に眉を寄せる。

「今答えてもらえねぇなら、俺はこの時代に残ろうと思う」

「なんじゃと?」

 夜さまの目頭がきゅ、と細まった。

 頭上でザワリと風が唸る。

「自らの時代に戻れなくとも良いと言うのか」

「捜してた人が見つかったんだ。アイツの傍に居てぇとは思ってる」

「今儂らと離れるともう二度と会えんぞ。『ドア』は、儂と共に居らねば繋がらん。ヌシのみでは帰りたくとも帰れぬようになるのじゃ。わかっておるのか?」

「…………」

 蘇芳もまた、言葉に詰まる。口にはしたものの、そんな覚悟が未だ無いことは明白であった。

「別に、軽はずみで言ってるわけじゃねぇよ」

 不安を覗かれたくなくてそう見栄を張り、フイと夜さまから視線を外す。土台に突き刺した斧に目を向ける。

「わかってるよっ。俺はそもそもここの人間じゃねぇし、いつかは絶対元の時代に帰らなきゃなんねぇってんだろ?」

 けど、と目を瞑る。

 撫子の、手を掴んだ時の不安そうなあの表情が浮かんだ。瞼の裏に焼き付き、ずっと捜している『誰か』の影と重なる。不思議なほどに、綺麗に見事に合致する。

「夜さまの言う『重要な出逢い』が、やっぱり俺の捜してた人だったっぽいんだよ。物心ついたときから、ずっとその『誰か』のこと捜してたんだ。んで今ようやく逢たような気がすんだよ!」

 伏し目にしたまま薄く目を開き、蘇芳は低い声で続けた。

「だからアイツと一緒にこの時代で生きる道もあんじゃねぇかって。身分とか地位とかこの時代には色々あるけど、それでも──」「ならん」

 夜さまはピシャリと冷静にそう被せた。蘇芳の眉間がム、と詰まる。

「じゃあやっぱ納得いく答えくれよ! 夜さまは、俺じゃなきゃダメだから俺を連れてきたんだろ?! その部分がわかんねぇから俺ずっとモヤモヤしてんだって!」

「…………」

 そうして目を再び合わせた。

 アメジストのような夜さまの瞳の美しさに屈しないよう、蘇芳は自らを奮い立たせる。

「…………」

「…………」

 フーッと細く長い溜め息を、夜さまのその小さな体がしぼんでしまいそうなほど吐き出した。

「やはり敵わんな、ヌシには」

 夜さまはそうして目を閉じ小さな顎を引いた。

 数十秒の後に目を開き再び蘇芳を見上げる。

「ではまず。儂にこの旅の目的が複数ある事を教えようぞ。内ひとつが『ヌシと撫子を引き合わせ、繋ぐこと』なのじゃ」

 蘇芳は口を「は?」の形に一旦あんぐりと開き、やがてゆっくりと閉じた。

「儂には、ヌシと『撫子の魂』を早々に繋いでおく必要があった。でなければ『ドア』を潜り行くことに膨大な時間を要すことがわかったからじゃ。故に若く、それなりの知力と体力のある『高校生の蘇芳』を、転生前の撫子の無垢な魂と引き合わせ接続しておかねばならんだ」

「て、てっ、転生っ?!」

 なんだよそれ、と蘇芳は目を白黒させる。夜さまは構わず続ける。

「望みどおりハッキリと言おう。此度ヌシは無事に『撫子の魂』とリンクした。これにより『重要な出逢い』は完了したわけじゃ。ようやく次の『ドア』を潜れる」

 蘇芳はゆっくりと腰を上げ、発する言葉が見つからないとわかると再び岩へ腰を下ろした。脱力するように手足がだらりとぶら下がる。

 頭が混乱していた。突然現実感の無い情報が頭の中で渋滞を始める。

「残るはヌシの仕事じゃ。ヌシの『行き先を選択する想い』がなければ『ドア』は開かん。それが、ヌシの『手伝える事』じゃ」

「ごめん待って! ちょっと……いや、だいぶ置いてかれてる」

 夜さまは待つ姿勢を取るため口をつぐむ。

 蘇芳は言葉を探りながら、問いに変え、口にしてゆく。

「次の『ドア』潜れる、って。『ドア』、とっくに見つかってたのか?!」

「初日の夕刻には見つけておった。しかし、ヌシが『出逢い』を果たし魂のリンクを終えねば『ドア』を開けたとて無意味。じゃて、今日まで待っておった」

「じゃあくぅも夜さまも、普段昼間何してるわけ?」

「『ドア』の見張りじゃ」

「んん? 俺らが居ねぇと繋がんねぇんじゃねえのかよ?」

「『繋がらん』だけで『開かん』わけではない。万が一関係のない者が『ドア』を開けると、否応なしに『狭間』に飛ばされる。出口は無い。言うたであろう? 『狭間』にて死ねぬまま生き留まる、と」

 初めて夜さまと『狭間』で話をした時のことを思い出した。あれか、と顔を歪めた蘇芳の背筋にザアと寒気が走る。

「行き先は、俺の『想い』次第なのか? この後も? ずっと?」

「然様。それも、心の底で真に願う『想い』がなければ先に進めん」

 顎に手をやり考えを纏めようとしていると、夜さまはどこか嬉しそうに鼻をスンと鳴らした。

「なんで俺なの?」

「今は言えぬ。すまんがこれは追々にさせてくれ」

 夜さまにそうハッキリと断られると、不思議なことにモヤモヤはしなかった。恐らくうやむやにされることが嫌なのだろうなと自ら気が付く。

「この時代に来たときの俺の『想い』って何だよ?」

「『捜しとる気がする誰かに逢いたい』──ではなかったかの? まぁ『願い』の方が適切じゃな」

 蘇芳はそうだな、と苦笑いを溢しながら左掌で前髪をぐしゃりと掻き上げた。

「なんで、撫子のことわかった? 一回も名前出してねぇのに」

「城に留まったゆえ、家臣や侍女らの話が耳に入った。撫子という名の姫君が居り、倒れたヌシの傍に付いておったこともそうして聞いた」

 夜さまはピクリとその三角耳を動かすと、ほんのりと口角を上げた。

「姫君は倒れたヌシを運ぶよう侍女らを懸命に指揮しておったでな。あぁあれが姫君か、とすぐにわかったわ。それに、斯様かような美人にヌシが弱いことくらいわかりきっとるでの」

「おい、おちょくってんだろ」

 そうして耳を熱くし、口を尖らせ鼻筋にシワを刻むと、夜さまは腰を上げ蘇芳の左横へと飛び乗った。

「まぁその他様々な話も耳にはしたが……ヌシと接点があったのは撫子姫のみゆえ、実に簡単であった。儂はそれを確認しに城へ共に向かったのじゃ」

「白木のおやっさんとか、反物屋だったかもしんねぇじゃん?」

「無いな。魂の形が合致せなんだ。撫子の魂の形はよく覚えておったでの」

 ふうん、と左腕を頭から外す。

「その言い方的に、夜さまは、転生先の撫子と会ったことでもあんのか?」

「ああ、ある。だが教えられん。ここより未来が変わってしまう」

「うん、俺も今はもう聞かなくていいや。くぅ的に言えば『頭パアンなる』」

 そうして蘇芳が項垂れたので、夜さまは長く黒い尻尾をシュルンとうねらせ鼻を鳴らした。

「うむ。ヌシのそういう引き際をわきまえとるところはやはり感心しとる」

「『は』ってなんだよ、『も』だろ」

 目が合うと、蘇芳はようやく少しだけ眉間の緊張が解けた。

「サンキュ、とりあえずちょっと落ち着いた。強引に訊いて、悪かったな」

「もうよい。いずれは話さねばならなかったことじゃ」

 アメジストのような瞳の奥に優しい灯りが滲んでいる。蘇芳はそれに対してゆっくりと口角を上げた。

「よしッ」

 パンと膝を叩き、腰を上げる。グッと上にひと伸びすると、周囲の木々がサヤサヤと風に吹かれていた。

 地元の鈍色をした狭い空を既に思い出せないほど、この時代の空気は澄んでいる。深く呼吸をする度に土や草花の生々しい匂いがする。

 一度町へ出れば、視界に入る町並みの全ては背が低い。その辺りを野良犬が当たり前に駈けていたり馬舎があったりなど、棲む生き物も様々。

 一歩、一歩と草鞋で土を踏めば、靴でコンクリートに触れたあの感触をその都度忘れそうになる。

(あぁ。やっぱりここは、俺の時代とは全然違うんだなぁ)

 蘇芳の中で想いが二分し、それぞれで形成される。解決すべき事柄が、蘇芳の中で明白になったようであった。

「夜さまの気付いたとおり、俺、撫子が好きだよ。恋愛感情だなーってスゲェ思う」

 蘇芳はそうして斧へ近付き、柄をグッと握る。

「だから冷静になれなかったり、距離感間違ったりした。安心させたいとか、ずっと笑っててほしいとか……そういう自分の知らなかった気持ちに焦ったんだ。……クッソダセェけどっ」

 土台にある丸太へ斧を振り下ろす。


 ガッ、ガッ……カーンッ!


「だからちょっとだけ、俺に覚悟固める時間くんねぇ?」

 下ろした斧から手を離し、夜さまを振り返る。

 長い尻尾をシュルンとさせ、目を閉じ「あぁ」と夜さまは合意した。

「二日の内に決めるのじゃ。よいな」

「あぁ、わかった」



       ◆



「お美しゅうございます、姫様」

 侍女の一人がそうしてうっとりと甘い声を出した。

「反物が美しいのだ、私ではない」

「いえ! 姫様がお美しい故、反物がそれを映すのでございます」

 肩から背中へとかけられた反物は白い。所々銀の糸が織り込んである。

 おおよその寸法を測り終えた侍女の一人が、反物を撫子から静かに外す。

「これで、この城下も益々安泰にございますな」

「そう、思うか?」

「婚儀とはそういうものにございます。姫様のお働きはさぞ有益でございましょう」

 微笑む侍女に、撫子は上手く微笑み返せない。目を伏せがちに黙ってしまう。

「少し疲れた。部屋へ戻る」

「承知いたしました」

 蘇芳はもう帰ったのだろうか。

 撫子はそれだけをぼんやりと心に、羽織りをふわりと着直した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます