撫子 7

   ◆   ◆   ◆



 誰かを、ずっと前から捜している気がする──。

 俺は物心ついた頃から、常にそんな気がしている。


 その姿形はいつだって薄ぼんやりとしていて、いつだってはっきりしない。男か女かも定かじゃない『誰か』を、瞼を閉じ眠りに落ちる前にいつも視る。ずっと視ている。

 どれだけ手を伸ばしても届かない。

 どんなに大声を出したって届いていない。


 その夢から覚めた現実世界での俺は、テレビや雑誌などを見る度に、まずその誰かを探すことから始める癖が無意識的についていた。

 それと、脳裏に焼き付いたように『誰か』に呼ばれる声が聴こえたりもする。白昼夢とはこの事か、という具合に、ふとした瞬間に呼ばれているような気がするんだ。

 幻聴や幽霊とかじゃあない、もっと遠くてずっと近い何かとして、俺は長年心の内に秘め続けていた。

 長い間、一人きりでずっと。


「──芳。……蘇芳」


 ほら、また俺を呼ぶ声がする。

 なぜだろう、とても聴き心地がいい。

 アンタ、誰なんだ? 


 いや。

 もう俺は、知ってるはずだ。

 わかってるのに、わかろうとしてないだけなんだ。

 だってわかってしまったら、その後どうやって先を進めばいいのか検討もつかないから。まぁ、情けない話だけどさ。


「しっかり──、す──」


 きっとこの声は、アンタなんだろ?

 俺が『心に想い描く人』……それは──。



   ◆   ◆   ◆



「──蘇芳っ」

 その声にハッとする。

 視界を茶色い木板の天井が埋めていることに数秒遅れて気が付く。どうやら意識よりも先に目が開いていたようだ。

 パチパチ、と二度瞬きを重ねると、ボウと右側に人影が見えた。

「気が付いたか、よかった。確と、わかるか?」

 そうして蘇芳を覗きこむ人物は、柔らかな声色に艶やかな黒髪を下げた女性であった。

 こんな人物を、蘇芳は一人しか知らない。

「な、でしこ……?」

 眼球だけで彼女・撫子を認識すると、次第に焦点が合ってゆく。撫子の凛々しい瞳に不安げな眉尻をハッキリと見定めたところで、蘇芳は完全に意識を取り戻した。

 ガバッと勢いよく起き上がる。

「ここっ、どこだ?!」

「まだ寝ていろ、突然起きてはならぬ」

 立て膝になりながら、撫子は蘇芳の肩に手を添え優しく身を案じた。蘇芳は口を閉じ、促されたとおりそっと横になる。

「ここは城の一室だ。人払いをしたゆえ、この場には私しか居らぬ。そう気を張らずともよい」

 着物の袖をふわりとさせ、撫子は綺麗にしゃんと座り直す。蘇芳は寄せた眉のまま撫子を見上げていた。

「俺、どうしたんだ?」

「反物屋のこんと共に城入りしたと聞いた。運び入れた反物のことで父上と話をするため、こんが一旦離れたであろう? その間に倒れたようだ。そなたの身に何があったのかはわからぬが、呼ばれていた私が父上の元へ向かう道中で、そなたを発見した」

「そ、そっか」

 蘇芳は撫子から視線を外し、天井を眺めた。

「情けねぇなぁ、俺。急に意識飛んで倒れるなんてさ。今までそんな経験ねぇのに」

 左腕を目元へと乗せ、撫子の視線から顔を隠す。しかし数秒の後に「いや」と腕を退けた。

「違ぇ、そうじゃねぇわ。ビックリしただろ、撫子? ごめんな。人、倒れてたんだもんな」

 下から見上げた撫子は、目を丸くし呆気にとられていた。

「なぜそなたが謝る。私は問題ない、気にするな」

「でも、ごめん」

 言いながら、今度はゆっくりとその身を起こす。同じ目線になると、撫子の黒い瞳がいかに大きいかがわかった。

「本当によいのだ。それに、私は発見しただけだ。結局ここへそなたを運んだのは侍女らであったし……私はそなたに何もしてやれなんだ。せめて心配くらいさせてくれ」

 力なさげに肩を竦め苦笑する撫子は、町で話した彼女であった。姫としての彼女とはまた違う雰囲気である。

「それより、まことに何ともないのか。どこか痛むところがあれば薬師を呼ぶゆえ、何でも申すのだぞ」

「ハハ、あんがと」

 再び前のめりにそう問う撫子へ、蘇芳はようやく頬を緩めることができた。

 胸の奥の方を強く締め付けていたあの苦しみは既にすっかり無くなっていた。軽く小袖の上から触れ擦ってみても、へこみや痣などの外傷も無く、異常は見当たらなかった。

「倒れる前、胸苦しかったんだ。……うん、今触っても何ともなさそう」

 続いて頭にも軽く触れたが、同じく特にどこかが痛むわけでもない。

「多分、もう大丈夫だと思う」

 終始黙って不安気に様子を伺う撫子の視線に、蘇芳はフッと再び気を緩めた。

「そんなずっと眉間寄せてねぇで、もう普段どおり笑って」

 咄嗟に、蘇芳は右手で撫子の頬に触れた。目尻を細め、眉をくしゃりとさせ、努めてニッと笑ってみせる。子どもが母親の微笑みを見るだけで心底安心するように、蘇芳もまたそうして自らの最愛となっていた彼女を安心させたかった。

「!」

 撫子は心底驚いたように目を見開き息を止めた。肩を縮め硬直したように動きが止まる。

「わっ、ワリィ! つい」

「いっ、いや……」

 撫子の頬の染まりに気が付いてしまい、蘇芳はぎこちなくその手を引っ込め視線を落とした。さすがに触るのはまずかったか、とその手の甲で口元を隠す。

 撫子の頬の赤が頭に焼き付き離れなくなる。つられてバクバクと心音が速くなる。

「お、俺のこともだけど。撫子こそ、もう平気なのか? 足」

「っあ、足?」

 撫子は一呼吸遅れてそう返した。瞬きが多い。触れられたことがかなりその心を戸惑わせたようだ。

 蘇芳は顔から手の甲をぎこちなく外すと、再び撫子へ目を合わせる。

「扇拾った前の日、道で俺にぶつかったの覚えてねぇ? ずっと気になってた」

「あ、あぁ! あれもそなたであったか。小袖でよく見えなんだゆえ」

「昨日もその前もちょっと引き摺ってたじゃん。アレ、俺にぶつかったときに捻ったんだろ?」

「いや、違うのだ。あの日実は、城から抜け出た折に、塀からの着地に失敗してな」

 決まり悪そうに、撫子は右手で口元を隠す。

 蘇芳は「はあ?」と顔を歪めた。

「着地に、失敗?」

「ひ、低い塀なのだがな、いつもそこを越え町へ行くのだ。な、馴れた塀なのだぞ、まさか滑らせるとは思わぬ所なのだ」

 慌て、懸命にそう説明する撫子の仕草の全てに、蘇芳は吹き笑いで返した。

「……フッ!」

「わっ、笑うな」

「アッハハハハ、やっぱアンタおもしれーよ」

 そうしてつい笑い飛ばすと、撫子は首まで真っ赤に染め、じっと口をへの字に曲げた。

 蘇芳がどれほどまでにそんな彼女を愛おしく思ったことか。胸のあたりがきゅうと縮む。

「ふふっ、なぁんだ。案外オテンバ娘なんだな。普段フフっ……普段ピシッとしてるとこからのギャップが、ハハッ」

「ぎゃ、ぷ?」

「あーいや、じゃなくてだから、そういうとこ可愛いって思ったん──」

 すっかり口に出してしまってから、蘇芳はうっかり漏らしてしまった本音に気が付いた。

 しかし時既に遅し。互いに目を丸くし、固まり、各々顔を背ける。

「じょ、冗談も! あまり続けると、ぶっ、無礼にあたる、のだぞ」

「ばっ、冗談でこんなこと言えるほど、アンタのこと適当に考えてねぇよ……」

 その言葉を確かめ合うように、そろりそろりと互いを見合う。当然視線がバチリとかち合う。

「…………」

「…………」

 なぜこんなにもスラスラと、撫子には本音に近い心情を口に出してしまうのだろう。蘇芳は不思議でたまらなかった。口から勝手に溢れ出る本音を撫子にずっと聴いていてもらいたい、とさえ考えていた。

「あ、夜さま」

 突然蘇芳は夜さまを思い出した。倒れる直前に話をしていたのは夜さまであった。

 ハテナを浮かべ、ポカンとする撫子へ問いかけ直す。

「あっ、と、猫。さっき俺の近くに猫居なかった? 真っ黒いキレイな猫なんだけど」

「いや? 見なんだが」

 撫子は通路の方へ視線を移す。その奥の外の景色へ猫の姿を探すようであった。

 米屋に帰ったかな、と蘇芳は肩を落とす。今までのやり取りをどうやら聞かれずに済んだとわかっただけで、大袈裟なほどに胸を撫で下ろしていたのである。

「『綺麗な猫』か。私も見てみたいものだ。その黒い猫、どのように美しいのだ」

 蘇芳へそうして訊ねた撫子は、ようやく眉間のシワを無くし自然な笑みを浮かべた。

「まぁー、そうだなぁ。普通の猫よりは品があるよ。目が宝石みたいでキラキラしてんだ。ちょっとツンケンしてんのが、たまにムカつくけど」

「宝石? 宝玉のことか?」

「そ、そうそう『宝玉』っ」

「ふむ。なかなか興味深い『お猫様』だな」

「そう? 紫の宝玉を嵌めたみたいな目ェしてんだ。睨まれたらキラーンて光る気ィするし」

「ほう、益々興味深い。蘇芳の連れ猫か?」

「まぁ、そうだな。つーか連れてんのか連れられてんのか微妙だけど……」

 尻窄みにごにょごにょと濁すと、撫子はクスッと笑みを溢した。

「侍女らに探させるか? この辺りならば直に見つかろう」

「いやっ、いい、いい! 多分白木のおやっさんトコ戻ったと思うし!」

 撫子は「そうか?」と首を傾げた。

 これ以上厄介になるのは申し訳ない上、夜さまに余計なことをすると怒られそうだなと気が引けてしまったためである。

 慌てふためく蘇芳を、今度は撫子がクスクスと笑った。

「蘇芳と話をしていると、まことに気が安らぐ。つい本音がこぼれ出てしまう」

 そうして柔らかく微笑むので、蘇芳は前日の桃色に染まる彼女のあの笑みを思い出した。

「お、俺も、撫子と喋ってると、恥ずかしい事でも、ちゃんと言える気ィする、かも」

 再び左掌で口元を覆い隠しながら呟く。視線は撫子からすぐに外れる。耳が熱い。

「恥ずかしい事とは?」

「たあっ例えばさっきみてぇに、かっ、か、わいいとか、ほら! なんかそういう感じっ」

「かっ……」

 口を噤み、再び沈黙に包まれる。照れや気恥ずかしさが充満する。

「あの、この際だから言うけど」

 まるで張り詰めていた糸がプツンと切れたかのように、蘇芳は言葉をつらつらと並べ始めた。視線は自らの膝へと落とされたままである。

「俺、ずっと昔から、誰かを捜してるような気がしてたんだ」

 呆気にとられたような表情は変わらず、撫子は蘇芳の一言一言へ小さく頷くことにした。その話の真意が不透明でやや首を傾げている。

「今気ィ失ってた間も、誰かが俺を呼ぶ声が聴こえてた。ぼんやり誰かの姿も見えてた。これいつもなんだ、ガキの頃からずっと」

 顔を上げ、ゆっくりと再び彼女へ顔を向ける。

「けどようやくわかったんだ、あれが誰なのか。そうならいいなって、最近ずっときっとどっかで思ってた」

 咄嗟に出た右手で彼女の左手を掴まえる。視線から逃げられたくない一心で、蘇芳は撫子の瞳の奥へ訴えかける。

 体勢が前のめりになる。顔が近い。言おうとしていることも含め、緊張しないはずはなかった。

「俺の捜してる人……それは撫子、アンタなのかもしんない」

 意を決し、喉の乾きを堪えながら吐き出した。

 ぐ、と息を詰まらせたように撫子はその身を硬直させた。途端に頬が赤く染まりその目も潤み、戸惑ったように眉を寄せてゆく。

 わずかな呼吸音すら憚られる空気感に、互いに息を潜め合う。浅い呼吸が続く。

 一方的に触れている彼女の手がやや冷たい。ついぎゅ、と力がこもる。

「わっ、私はっ!」

 撫子は目を瞑りその視線から逃れ、手を振りほどこうと慌てた。

「私は一国の姫だっそしてそなたは町民っ。ならぬ、ならぬならぬ」

 勢いよく立ち上がるとスルリと捕まえていた手が離れた。羽織りを翻し、すると花の香りがした。

「やちょっ、待てよ撫子っ」

 追うように蘇芳も立ち上がり、部屋から出ていこうとする撫子の背を呼び止める。

「ならぬのだ、蘇芳」

 畳の縁の側で背を向けヒタと止まる。距離を保ち、蘇芳も止まる。

 撫子は囁きのような小さな声でボソボソと言った。

「私に、何かの想いを抱いてはならぬ。やがてその首が絞まろう」

「全然意味わかんねぇ」

 そうしてぶっきらぼうに吐き捨てる。半ば睨むように撫子の背を見詰めた。蘇芳は話を遮られたことに納得がいかないのである。

「私は『姫』だ、なりたくとも町民に──ただの女には、なれぬのだ」

 震える唇を見せぬよう、撫子は半分も振り返りはしなかったが、長く下がる横毛の隙間からその左目を覗かせた。

「同様にそなたも……」

 そこまで言いかけ、撫子は急に口を閉ざした。

 そして、まるで駆け出すように部屋を左へ立ち去った。

「っあ、撫子!」

 蘇芳は追いかけるため通路へ飛び出し、撫子の背を早足で追う。出た先で更に左へ曲がると、撫子の姿は既に無かった。

「撫子?」

 辺りを見回すが人の気配は無い。

 また何も解決にならぬままとなり、蘇芳の胸の内にモヤモヤが廻る。そうして歯痒さから舌打ちをすると、やがて溜め息に変わり、目を伏せるほか成せることなど何もなかった。



       ◆



 通路脇の一室に逃げ込むように隠れてから、彼がその場を去るのをひたすら待っていた。彼がすっかりその場を離れ去ると、彼女はまるで碎けるように足の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。

 彼女は声を殺し、腹の底からしゃくりあげる呼吸を懸命に抑え、ボロリボロリと大粒の涙を流した。

 手を振りほどく辛さが、なぜかやけに胸を痛ませる。

 顔を合わせる度に感じる安堵や穏やかな心地、しかしそれと同時に悪意なく掻き乱されてゆく心の逆立ちが治らない。むしろどんどん酷く逆立ってゆく。

「なぜ? なぜ、私なのだ……」

 自らの肩を抱くように腕を回す。

 こんなに憎らしいこともないと、彼女は運命じみた何かへそうして孤独に落胆した。




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