撫子 4

 米俵を届け城から戻ってきた蘇芳は、ムッとした面構えのまま顔が元に戻らなくなった。一旦は自己解決したはずの姫との一件が、再び頭の中に霞をモヤモヤとかけ、心を乱し、苛々を募らせる原因となってこびりついていたのである。

 このままで店の中には居られないと思い、帰るなりすぐに用心棒として米問屋の入り口横で一人しゃがみ込むことにした。

「ハァア……」

 行き交う人波に焦点をぼんやりと合せ、時折吹く風が土煙を巻き上げるさまをただ漠然と眺めながら、早く苛々を消せやしないかと眉を寄せた。

 土の匂い、人々の話し声、子どものはしゃぐ音。そして、遠くに聴こえる鳥や動物の声が、蘇芳を徐々に現実から引き離したので、物思いに更けるには丁度良かった。

 やがて近所の漬け物屋に「ちょっと手伝ってくれ」と呼ばれ、本当に用心棒として駆り出されることになってしまった。長い間しゃがんだまますっかり固まっていた体勢を久しぶりに伸ばすと、血の巡りが足の先まで全身に隈無く行き渡るのをじんわりと感じた。それが意識を現実へと引き戻し、漬け物屋の背に続いて小走りにそこへ向かうと再び眉は寄っていた。

「オイオイ、なにぎゃーぎゃーやってんだ? 店先でメーワクだろーがっ」

 漬け物屋の前で、蘇芳よりも二〇は年上であろう男二人が掴み合いつつ言い合いをしていた。こりゃ手を焼くわ、と蘇芳は漬け物屋のオヤジへ苦笑いを向ける。

「何だニーチャン、すっこんでろ」

「ああん?! テメガキ、どこのどいつだ!」

白木しらきのおやっさんとこで世話んなってる蘇芳だ。オッサン達こそこんなとこでダラダラ何やってんだよ。永久に暇なのか?」

「んだとォ?!」

「てめぇも混ざりてぇのかっ!」

「ほーお、いいのかよ? 今の俺かなり機嫌ワリーよ? この前の米問屋に入った盗っ人の件、この辺に住んでんのにアンタたち知らねぇわけ?」

 なかなか終わらないという喧嘩の仲裁にそうして割り込み、なんとかギリギリのところで無事に武力行使せず終息させた。

「こん中でもし鬱憤溜まってて、今みたいに誰かとバチバチやりたいっつー物好きがまだいたら! そん時は俺が付き合ってやるからな!」

「ハッハ! お前にやられたら町中の地面に顔型が残らあ」

「この町の男全員の顔型な!」

「やー、白木さんの言ったとおりさな。ありがとう」

 安堵した様子の漬け物屋は、「礼の品だ」と良さそうな反物を渡してきた。

「ほんとに、ほんとに! 助かったよ」

「そうそう。物言いが中立で、なんだか考えさせられたよ」

 野次馬をしていた乾物屋や茶屋からも、そうして礼の品々が半ば強引に蘇芳へと渡された。

「いや、こういうのいらねぇって。なんか報酬欲しさにやってるみてぇじゃん」

 蘇芳は、そうして礼を言われることを嬉しいながらも素直に受け取れていない自分を発見してしまった。同時に、そんな厄介な自分を初めて疎ましく感じていた。

「まあまあ、そう言わずに」

「恩がありゃ恵もあるってのァ、世の情よ」

 何度か断ったが結局強引に持たされた漬け物屋からの礼の品を左腕に抱え、「じゃあな」と野次馬らに軽く手を振り、米問屋へ戻ろうと足を向けた。

(どんだけズルズル思い悩んでんだよ、俺)

 頭にかかったモヤモヤはそれでもまだ消えなかった。救いを求めるように、歩きながら清々しいこの空を仰ぎ見る。

 鉄粉に薄汚れ続け、くだらないことにいちいち乱される弱い心を、この澄み渡る空の美しさで流しきりたい。

 自らに流れる錆鉄色の感情を、そんな風に再び溜め息として繰り返し吐き出していた。

「──蘇芳」

「あん?」

 ふと後ろから声をかけられた。立ち止まるやいなや、ギュッと眉を寄せたまま睨み見るようにその半身を捻る。

「あ」

 砥粉色の小袖を頭から被り、男のような身なりをした彼女、撫子であった。申し訳なさそうに眉尻を下げ、顎を引き蘇芳へ真っ直ぐな視線を向けている。

「あぁ、アンタか」

 蘇芳の心臓はバクバクと激しく動き出してはいたが、向けた眼力を抑えふいっと進路方向へ向き直る。その昂りを読み取られぬように、蘇芳は素っ気なく吐き捨てたわけだ。

「会えて良かった、あの──」

 蘇芳の冷徹な振る舞いにも折れることなく、撫子は蘇芳の前方へ小走りで回り込み、真正面から顔を覗きこんできた。

「先はその、すまなかった。どうしてもそなたに謝りたくて……捜していた」

「へ、へぇ。そう、かよ」

 案外勇気があるな、と蘇芳は奥歯を噛み締めた。

 わざわざ冷やかな態度や返事が返ってくるかもしれない相手にも、怯えず怖じけず立ち向かうことは容易くはない。

「てことは、やっぱアンタは城の姫さんだったんだ?」

「そうだ。あの場では、私があんな態度でなければ、侍女たちに怪しまれてしまうからな」

「あ? どゆこと?」

 蘇芳は片眉を上げ首を傾げる。

 申し訳なさそうにするしおらしい彼女の表情をもっとじっくり見たい、という欲求も沸々と小さく沸き始める。

 撫子は声を小さく潜めて話し始めた。

「私は、昔から城をこっそり抜け出し町を見て廻るのが好きなのだ。今こうしてここに居ることは、城はおろか町民の誰も知らない」

 撫子は、被る小袖の端の方をきゅうと握っている。細く美しい白い指は、その華奢で気品ある雰囲気までは隠せていない。頭からそれを被る理由がその顔や素性を隠すためだったか、と理解し蘇芳は小さく頷いた。

「ふぅん。オヒメサマにしちゃ、かなり大胆だな」

「ああ。これは私だけの秘密、なのだ」

「ヒ、ミツ……」

 撫子の言葉をなぞると、彼女は急にその頬を真っ赤に染めた。困ったように小袖の端で顔を隠す。

「へーえ。だからそんな、男みたいな格好してたわけデスか」

「ま、まぁ。そうだな」 

 小袖の奥からチラリ窺える、まるで大粒の黒真珠のような瞳がキョロキョロと落ち着かない。少し潤んでいる様子から、彼女はどうやら激しく照れているようだとわかってしまった。

「…………」

 蘇芳は真顔を徹すことが限界になった。瞬間、「ぶふっ!」と吹き笑いで発散すると、ほんの数分前までぐちゃぐちゃと悩み続けていたことが全て馬鹿らしく思えた。

「フッ! ははっ、アっハハハハ!」

「わ、笑うな」

「ハハハ、ごめ──いや、スミマセンっ」

 クスクスと撫子も肩を柔らかく揺らし、その頬がゆっくりと上がった。

「けど良かった。ちゃんと普通なとこあんだ──デスね」

「普通、とは?」

「あ、えーっと、その歳なりの感覚っていうか、人間らしいっていうか?」

 蘇芳は撫子の隣へ並び立ち、ほんの少しだけ──彼女が気が付かない程の距離分だけ近付いてみる。

「とにかく、アンタが最初の印象となんにも変わらなくて良かったって思ったわけ──デス」

 そうして、蘇芳はようやく頬を緩やかに持ち上げることができた。

「な、歩きながらちょっと話そ。今から米屋帰るとこなんだよ」

「よいのか?」

「もちろん」

 そうしてその澄んだ大粒の黒真珠に見上げられると、この時代の空よりももっと深く、鉄粉にまみれた心を深く浄化してもらえたような心地になった。

 一人で考え込んでいた霞は既に綺麗さっぱり消え去っていた。

「でも誰かに見つかったらアンタが困るだろ? だからちょっとだけ、な──デス」

「ふふっ、そうだな」

 その時。

 胸の奥の方でカチリ、と何かがハマる音が聴こえた。しかしその正体は、蘇芳には何だかわからなかった。

 蘇芳はゆっくりと彼女の歩幅に合わせるように気を付けて歩き始めた。

「堂々と外出らんないんスか?」

「可能だが、侍女が付くのが嫌なのだ。私は一人きりで気儘に歩きたい。自由が多少利く内は、自由に様々体感したいと常に思っている」

「ふぅん! 好奇心探求心はめちゃめちゃいいことだ──っデス」

「フフッ! 蘇芳よ、どうか自然に話してはくれまいか。先程からそなたが話す度に笑ってしまう……フフフフッ」

 撫子はそうして目を細めて小刻みに笑った。

 蘇芳はぎゅう、とその笑顔に突然心を締め付けられた。無意識的に耳が首筋が熱くなる。

「じ、じゃあ、お言葉に甘えて。あ、もちろん、町中でだけで、にする」

「ああ、フフフッ」

 変な汗が滲む。彼女を直視することが突然憚られる。

 やっぱり、と蘇芳は自らの心を確かめると後頭部へ右手をやった。

「あのな、蘇芳。もう一度確と聞いてほしい」

「ん?」

「先の城での高慢な態度、本当にすまなかった。これだけはきちんと言いたかったのだ。大切な扇を拾ってくれた恩人にあんな態度をとってしまった。どうか、許してほしい」

 チラリ隣を窺うと、撫子は俯きながら砥粉色の小袖に隠れていた。

「いいよ。もう気にしてない」

 フッと口の端を緩める。

 まことか、とでも言いたげに、撫子は砥粉色の小袖からその小さく白い顔を覗かせた。ゆっくりと小袖が後頭部へずり下がる。

「あぁほら、ちゃんと被ってねぇとバレるぞ」

 どんどんとずり下がるそれを右手に掴まえ立ち止まり、きちんともう一度深く被せてやる。

「あっ、す、すまない!」

「ハハ、謝ってばっか」

「い、言うな」

 赤というよりも紅色に頬を染めて、撫子はかけ直された首元の小袖のをぎゅうと両手で握った。(照れてる)と、蘇芳はますます口元がへにゃへにゃに緩む。それを隠すように慌てて右手で口元を覆った。

「俺も、ちゃんとまた話ができて良かった。アンタを勘違いしなくて済んだ」

「冷徹すぎたからな、『姫』の私は」

「んじゃ普段の『撫子』は?」

「さあ、どうであろうな。己が眼にて確かめてみよ」

 ふふ、と撫子は目を細め挑戦的に蘇芳を見据えた。

 蘇芳の背がゾクゾクとする。心音が速い。反射的に「ヤバい」と頭の中でサイレンや赤色灯が響く。

「──なんてな。安心しろ、私はただの女だ」

 砥粉色の小袖がふわりと翻る。

「いつまでも姫という鎧を脱げぬ、ただのつまらん女なのだ。皆が期待をしているような大層な者ではないのだ、決してな」

 寂しそうな、嘲笑のような横顔が蘇芳を釘付けにする。

「…………」

 「そんなことない」「撫子は素敵だ」などと、蘇芳は言えなかった。今言ってしまうと軽々しく聞こえるのではと、意味が上滑りをして彼女へ伝わることが嫌だった。

「けど、姫サマだろうとなんだろうと、撫子は撫子だろ」

 蘇芳は違う切り口で、撫子をもう一度振り向かせることにした。

 案の定撫子は足を止め、首を傾げ小袖の隙間から蘇芳を見上げる。

「ちゃんと出逢ってまだ少ししか経ってない俺が言っても意味ないかもしんないけど、アンタは、俺の心を簡単に操るスゲェヤツだよ。つまんないとか言うな。もっと話してぇよ。す、少なくとも、俺は」

 撫子は顎を引き、ぐっと下から蘇芳の眼の奥を見ようと努めていた。その真意は何だ、と問うようなまなざしが蘇芳に真っ直ぐ刺さり痛い。

 鼻からスッと息を吸い込み、もうひと押し。

「正直で、好奇心あって自分でちゃんと探索行って、で配慮とか気配りとか……尊重の気持ちも忘れない。そんな撫子は『唯一』で、ちゃんと『特別』な一人だと、俺は思う」

 言い切ったコンマ何秒の後に突然(恥ずかしい文言をべらべらと……)と恥かしさに襲われ、蘇芳はつい明後日の方へ顔を向けた。反面、期待や不安を混ぜその反応を待ってしまう。

「…………」

「…………」

 頭上を風が吹いた。ザアザアとやけに音が響く。

 その音にわざわざ混ぜるように、撫子は小声でぽつりと何かを呟き、俯いていた顔を上げた。

「──……だな」

「え?」

 蘇芳も顔を戻し、撫子を窺う。

 撫子は笑顔であったが、蘇芳にはそこに沢山の意味が含まれているような気がした。

「ごめん、聞き取れなかった」

「あぁいや、よいのだ。なんでもない」

 撫子は小袖の端をきゅっと握り直し、一歩二歩と前へ進んだ。蘇芳も後を追うように足を向ける。

「そろそろ城へ戻らねば」

「ああ、そっか! そうだな」

「米屋で今日は別れるとしよう」

「城の近くまで送ってくけど」

「よい。いつも早足で戻っている、大丈夫だ」

「そーか?」

 撫子は凛とした表情を蘇芳へ向けた。そこに隙はなく、蘇芳は強引になるべきではないなと肩を竦めた。

「遅くなると騒ぎになるから、ちゃんと周りに気ィ付けんだぞ」

 そうだな、と撫子は溜め息のように言った。

 米問屋と茶屋の間に到着したため、どちらからともなく足が止まる。向き合うような位置でそっと互いに微笑み合った。

「その、蘇芳。また、会いに来てもよいか」

「いっ! き、来てくれんの?」

「なぜかそなたと話していると気が休まるのだ。限られた時間を、暫しそなたと過ごしたい」

「マっ、ジ、で?」

「ふふっ、まことだ」

 蘇芳は「俺もそうだ」などと喉の奥まで出かかっていたが、ギリギリのところで言葉に詰まった。喜びで顔がくしゃくしゃになりそうなところを堪えていると、自らの本心を曝け出すことが恥ずかしさを纏って蘇芳の胃の辺りで留まってしまった。

 わざと深呼吸をし、用意していたものとは違う言葉を吐き出してゆく。

「俺も米俵運ぶときはおやっさんに着いて行くようにするから。俺からも、撫子に会いに行くよ」

 相変わらず顔が熱い。だらしなくなっていく表情をなんとか保ち続けたい。

 撫子は溢れ落ちそうな黒真珠のような瞳をまんまるく見開き、口をぽっかりと開けた。

「まことか! 嬉しい!」

 蘇芳の心はもうそれによってわし掴まれていた。グラリと目の前が桃色に霞む。

「ではまた明日! 明日も話そうぞ、蘇芳!」

 小袖の端をしっかりと握り、撫子はくるりと背を向け小走りで城へと駆けていった。

「…………」

 蘇芳は砥粉色の小袖がすっかり見えなくなるまでそこに立ち竦んでいた。人と人の間から砥粉色が見えると、転ばないだろうかと目を見張った。

「あーもう……ハァー」

 頭を項垂れ道の真ん中であるのにしゃがみこむ。道行く数名がじろじろと蘇芳を見下ろし去って行く。

「ムリ、好き……」

 そう呟くと、眉間は再びきゅっと詰まった。



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