撫子 3

 三日目の朝。

 目が覚めた蘇芳は、目を擦りぐっと真上に一伸びすると、くぅの枕元で丸くなって寝ている黒い物体に目が留まった。

 一瞬ビクッと肩を震わせたがなんてことはなかった、夜さまだったわけである。

「帰ってたのか……」

 ホーっと緊張を解き、聴こえたか聴こえないかの音量でボソリと呟いたつもりだったが、夜さまは「うむ」とあっさり頷き目を開けた。

 蘇芳は掛け布団を半分に折り畳んだところで、ジト、とした目を向ける。

「ナッゲェこと、どこ行ってたんだ」

「夜間の散策じゃ」

「なんで夜中にわざわざ散策すんだよ」

「昼間、人の目があり入れぬところへ行くのじゃ。儂なら闇に紛れそうして探せるじゃろう?」

 むっと口を尖らせたまま、しかし蘇芳は「なるほどな」と納得してしまう。

「あんま心配かけんなよ。戻れなくなったら困んのは、俺なんだからな」

「うむ」

 直にくぅが目を覚まし、ほどなくして朝食が運ばれると、朝食に箸をつけようとする蘇芳を白木しらきがわざわざ部屋まで訪ね来て告げた。

「城に行く? 俺もっスか?」

 驚きのあまり、目を見開き半ば叫ぶように訊ね返す。白木は何でもないようににこやかに続けた。

「七日に一度米俵をお届けしているんだ。いつもならばそこいらの若い衆に手伝ってもらうんだが、殿に先の捕縛劇をお伝えしたくてな。今日はそちを連れて行きたいのだ」

「はは、なるほど」

 蘇芳は苦笑いを溢しながら「いいっスよ」と承諾した。

 白木が去ると、蘇芳は急いで朝食を片付け、あっという間に御膳を空にし持ち上げる。

「つーことだから! 行ってくるな」

「待て、すぅ」

 お湯でふやかした雑穀を食べていた夜さまは、静かに顔を上げた。

「何だよ」

「今日、ヌシは重要な出逢いをする。ヌシの人生にいて実に重要じゃ」

 キラリとアメジストのような瞳が光る。

 なんだそりゃ、と蘇芳はその言葉を鵜呑みにせず首を捻った。

「へぇ? そら楽しみ」

「よいか。この事はしかと憶えておくのじゃ、心に刻むようにの。この先如何いかなる事があろうとも、決して、絶対に、忘れてはならぬ」

「…………」

 あまりにもその眼が鋭く突き刺さんとしていたため、蘇芳はゴクリと生唾を飲んだ。

「よいな」

「わ、かったよ」

「じゃーねすぅちゃん。『ドア探し』は任せてぇー!」

 くぅは変わらずそうしてヒラヒラと手を振った。

「はいはい」

「いってらっしゃあーい」

 そうして蘇芳は、白木の供とし小さな城へと向かうこととなった。



       ◆



「夜さまぁ」

「なんじゃ」

「すぅちゃん、大丈夫かなぁ」

「あぁ。なに、じきに出逢える。鍵が効いておる」

「うん。そーだった、ね」

「心配か?」

「まぁ、ちょっとだけね」

「蘇芳が終われば、ヌシも出逢えよう。いずれ、必ず」

「そだね……。でも、誰なんだろうねぇ? それ」

「そ、うか」



       ◆



 白木は店先に木製の荷車を用意し既に待っていた。そこへ、両腕で円を作れる程の俵を四つ積み、蘇芳が麻紐で硬めに縛る。

「おやっさん、こんなもんでどうスか」

「ああ、充分だ。ううーん、ちと硬いかな。まぁよしとするか! ガッハハハ」

 荷車を引く仕事は蘇芳が買って出た。白木は道案内も兼ね、後ろへ廻り荷車を支えることとなった。

 城までの道程は、米問屋を出てしばらくまっすぐ進むだけの単調なものであった。想定よりも荷車はズッシリと重く、「おやっさんが引くには大変だろうな」とすぐに汗が流れ始めた。

 一歩、一歩と進む度に、土や砂利の感覚が草鞋を通して足の裏に伝わる。地面に足が沈むような、逆に土が足に吸い付くような、靴を通してではわかり得なかった感触。

(結構足、持ってかれるんだな。そこそこ、疲れる……)

 そうして五分程歩いた先に城の門が見えた。しかし、現代で言うところの「お金持ちの立派な日本家屋」のような、『城』にしてはやや小さめの門であり、蘇芳はなんとなく肩たすかしをくらった気持ちになった。

 荷車は止まる方が一苦労であった。

「おはようさん」

「ああ、白木しらきのおやっさんか。朝からご苦労だな」

 小さな門の前に立つ門番へ、白木が「届けに来た」と簡単に告げる。門番とは顔馴染みなのであろう、不似合いなギギイーと軋む重厚な音を立て、観音開きにあっさりと門が開けられた。

 再び荷車を引き、蘇芳は「失礼しゃーす」と門番へ一礼し横切る。

 荷車は石畳に沿って城の脇を進み、やがて石畳から砂利になると荷車は一層重くなったような気がした。

「ご苦労であったな蘇芳! ここで少し待っておれ」

「はい」

 白木はそうしてゆったりとした足取りでどこかへと行ってしまった。

「ハァ、疲れた」

 とうとう蘇芳は見知らぬ土地で一人きりになった。町には通行人という人間がちらほら見えたため、少なくとも常時他人の目があり、それなりの緊張感は常に持っていた。

 蘇芳はこの状況で初めて、解放感と少しの焦燥感が心にあることに気が付いた。

「…………」

 抜けるような高い空に顔を向けると、汗がスッと退くようであった。

 思わず目を閉じ、空気の澄み具合を何度も何度も味わうように吸い込む。取り込んだ清浄な空気をゆっくりと吐き出すと、自らが生まれた頃から吸い続けたために蓄積しているであろう汚染された空気が、身体の芯からどんどんと抜け浄化されていくような心持ちになった。

「ハァー……」

 そっと目を開け周りを見渡すと、小さな和室が目に留まった。ぼんやりと、その場に立ったままそちらを眺める。

 それなりに使い古された畳、幻想的な襖の風景画、装飾が雅やかな欄間、ひっそりと置かれた謎の坪。

 そんなひとつひとつが、平静を装っている蘇芳の心を乱暴に掻き乱す。

「ジイちゃん、俺が居ないって発狂してねぇかな」

 蘇芳の実家は日本家屋様式の二世帯暮らしで、祖父と両親と共に暮らしていた。祖父は厳格な人物だが、庭の盆栽の手入れや骨董が趣味で、蘇芳のことを両親以上に目にかけていた。

 一人きりの状況は、考えないよう努めていた事を思い出す引き金となった。まるで堰を切ったように、頭の中であらゆる考えがドッと駆け回る。

 立っている足が、その不安感から突然石のように感じられる。無意識に噛み締めていた奥歯がギリリと音を立てた。

(俺は、これからどうなってくんだ。ずっとこのまま、なんてことになったら……)

 背をゾワアッと鳥肌が駆け降り、目の前がグラングランと揺れた。ぎゅ、と目を閉じるが揺れは治まらない。情けなさに思わず舌打ちをこぼす。

「──何者かっ」

「?!」

 突然、通路の方からそう声をかけられ、蘇芳は目を開けそちらを見上げた。

「あっ俺、米屋のお供で──」

 そう言いかけ、蘇芳は言葉をぽっかりと忘れた。口をあんぐりとだらしなく開け、声にならない音で「あ」と漏らす。

 声をかけた人物の周りに侍女じじょが三人パタパタと現れた。

「姫様っ、お下がりください」

「よい。私が話をする」

「は。御意に」

 美しい薄紅色の羽織を翻し、姫様と呼ばれた彼女はそこから蘇芳を見下ろした。

「そなた、なぜこの城に居る。間者か。刺客か。簡単に立ち入ってはならぬ場ぞ」

 白く透けるような肌、艶やかで滑らかな長い黒髪、濃く長く真横に伸びる凛とした眉、まあるく何事も見透しているかのような黒い瞳。口元をきゅっと結び、利発そうな表情をしている彼女は、前日もその前も町で出逢った『彼女』──撫子と名乗ったあの彼女であった。

「な、でし──」「答えられぬのか」

「あっ違う! 違うって! 俺は米屋の白木のおやっさんのお供で米俵……コレ! コレ運んできたんだ」

「無礼な! 姫様へそのような言葉遣いを!」

「口出し無用。下がっておれ」

「はっ」

 姫は簡単に侍女らを三歩分下がらせると、眉間の緊張を緩く解き、声を抑えた。

「白木の家の者であったか。で? その白木はどうした」

「あ、えっと。ど、どっか行っちゃって」

 蘇芳が苦笑いを浮かべると、姫は「ふむ」と侍女を振り返る。

「誰か、白木を探して参れ」

「おおーい、蘇芳! それこっちに運んでく──ああっ?! 姫様ぁ!」

 見計らったかのようなタイミングで、白木はゆったりとした足取りで戻ってきた。ヘコリと姫へ一礼すると、昔馴染みのように親しげに話を始めた。

「おお、白木! 暫くだな。息災であったか」

「もちろん、もちろん! 姫様も、相変わらずのお美しさにございますな」

「世辞など、よい」

 そう言った姫は、しかし頬を可愛らしく赤く染めた。

 蘇芳のやや見開いた目は力がこもり、無意識のうちに視線はそれに釘付けとなる。

「それよりも。の者はそなたのところの者に違いないか」

 姫はチラリと蘇芳へ視線を移し、白木へ訊ねていった。

「へぇ、先日から手を借りております。蘇芳にございます」

「ふむ、覚えておこう」

 きゅ、とほんの一瞬広角が上がったその笑い方が、やはり前日に蘇芳へ向けられたものと合致するような気がした。檜扇を受け取り微笑むあの柔らかな日向のような空気感を思い出し、ゴキュ、と生唾を呑む。

「しかしな、見馴れぬ顔が単独で居ると城の者が騒ぐ。暫し、彼の者はそなたの近くにおくよう頼みます」

 その言葉にハッと我にかえる。姫の表情も先程のように険しく戻る。そして、ごもっともだな、と蘇芳は姫から視線を逸らした。

 白木は膝に手を付きペコーッと深く頭を下げた。

「へぇ! 申し訳ございません」

「す、すんません」

 蘇芳もつられて頭を下げる。しかし、撫子の足元だけはじっと睨むように見続けていた。

「私は素性がわかればそれでよい。米俵、頼んだぞ」

「へぇ!」

 そうして木板を踏み行く音がどんどん遠退いていった。不調なのかなと勘ぐってしまうような「タ、タン、タ、タン」の静かな足音。

「あのさ!」

 蘇芳は我慢ならずに顔を上げ、姫の背中へと叫ぶようにして呼び止める。

「何だ」

 やや驚いたように足を止めた彼女は、蘇芳を半身だけ振り返った。

 蘇芳はぎゅ、と眉を寄せ半信半疑で問いかける。

「昨日も会ったよな、俺たち。忘れた?」

「こ、これ蘇芳! 止めぬか!」

「貴様、未だ無礼を続ける気か!」

「よいっ」

 ピシャリと、白木と侍女の静止を打ち消す。くるりと再びその身体ごと蘇芳へ向き直る。

「蘇芳よ。それは他人の空似、というものであろう。町にはおなごも多く居る。それに、私はそなたと会うのは初めてだ」

「はァ? あ、いや、でも扇──」「くどい」

 ドスン、と重たい一言。蘇芳はその気迫に負けたようにぎゅ、と口を塞いだ。

「それ以上無駄口をたたくと、たとえ白木の家の者といえど許さぬ」

「は、『ハイ』」

(いや。どう考えても他人の空似なんかじゃない。これは『撫子』だ。でも、にしても、この態度って……)

 姫は再びふわりと羽織を翻し、その場から静かに立ち去った。

 やがてすっかり足音が聴こえなくなると、白木は冷や汗を拭ってボサボサした白髪眉をハの字にした。

「いやあ、驚いたぞ蘇芳。あんなに姫様へ話しかけて」

「すんません、つい」

 蘇芳は口を尖らせその鼻筋にまでシワを寄せた。

釈然としないモヤモヤが廻る。

「まぁ済んだことはもうよい! 倉は向こうだ。今一度頼むぞ、蘇芳!」

「ウス」

 言われたとおり、米俵を今度は倉の方へと再び引いて進む。踏ん張る足をゆっくりと確実に前に出しつつ舌打ちをした。

「チッ、クソ。んだよあの言い方。せっかく美人だと思ってたのに……」

 ガラガラガラ、と木製車輪が転がる音に紛れ、蘇芳はこっそりとそう悪態を吐いた。幸い白木には聴こえない。

「夜さまも夜さまだな。なぁにが『重要な出逢い』だっつーの、アホくせ」

 口をへの字に曲げると、自分がなぜいかっているのかが少しだけ明確になった。

(俺の予想では──)



「ん? 蘇芳ではないか! こんなところで何を……ああ、米を運んでくれたのか! 昨日に引き続きありがとう、ふふ。そなたには感謝ばかりだな。何か礼をしたい。どうだ、これから私の部屋へ来ぬか」



(──なァんてな)

 そこまで考えたところで蘇芳は口元がぐんにゃりとだらしなく緩み、首や耳が熱くなった。

「っ! いやいやいや」

(ったく! バカか俺はっ!)

 わざわざ深呼吸をし、その妄想を瞬く間に打ち消す。

「…………」

 しかし、あんな美人は後にも先にもきっと見ないだろう、と蘇芳は眉間の力を抜く。

 そして、惚れた心はなんて弱いんだ、と天を仰ぐ。

「俺の負け、か」

 爽やかさしか感じられないこの空に、蘇芳はこれ以上の悪態を止めた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます