撫子 2

「おやっさーん、これどこ運ぶ?」

「こっちに持ってきてくんな、蕎麦屋へ届けに行く分でな」

「はいよ」

 悪事を働いた盗っ人を呆気なく捕らえた一幕によって、米問屋の主である白木しらきは蘇芳のことを大層気に入った。

「このところ良くないことが横行していてな、うっすらと町中が不安に感じとるんだ。そんな中、そちが現れた! 天からの遣いかと見間違うたわ!」

 そう豪快に白木しらきは笑った。

 その後に蘇芳が「探し物をしているため旅をしている」と簡単に説明すると、白木は「しばらくの間ウチで雇わせてくれないか」と逆に頭を下げてきた。

「もちろん、住み込みで構わんよ。なに、幼い妹御と猫が共に? よいよい! そちは恩人ぞ、遠慮は無用!」

「けど、ただの流れモンが急になんて、俺らのこと怪しくないんスか?」

「仮に化かされていたとて、そちならばそれもまた一興として水に流せよう! ガッハッハ」

 そんなあっさりとした調子で、蘇芳たちはしばらくの間宿と食事を保証された。蘇芳は喜ばしいというよりもむしろ、呆気に取られていた時間の方が長かった。

「すぅちゃんってブトー派で強いんだねェ! くぅ、びっくりしちゃった」

 この時代にしてはそれなりに豪勢な初日の夕飯をつつきながら、くぅは頬を桃色に染めて笑いかけた。

「まぁな、中学ンときちょっと喧嘩とかしてたから。体に動きが染み付いてんだな」

「ふうーん、ブユーデン?」

「んなもんねぇよ。それに、くだらなくなってやめて結構経つんだぞ。今じゃあすっかり大人しくなったもんだ」

 蘇芳は言いながら淡々と雑穀米を掻き込んだ。

「すぅちゃんは、悪い人許せなかったんだねぇ」

「俺、コズルイの嫌いなんだよ。無性に腹が立つ」

「ふぅーん。エライエライ!」

「くぅ、ちょっとバカにしてんだろ」

「ただ褒めただけだもぉん!」

 くすりと笑うくぅの笑みに苦い顔をしていると、浅漬かりのたくあんをボリボリさせ終えた夜さまが静かに口を開いた。

「すぅよ。明日から儂とくぅで町に出て、『ドア探し』をしてこよう」

「いいのかよ? 俺、手伝わなくて」

「ヌシは白木どのの申すとおりにせい。ヌシの撃退劇の恩恵で儂らはこうして屋根も食も与えられておるわけじゃて」

 そうして夕飯の続きに取りかかった夜さまの小さな頭へ、「わかった」とやや釈然としないように呟く。

「夜さまがそう言うんなら、二人に頼むわ」

「怪しまれぬよう、心して臨むことじゃ」

 蘇芳は夕飯の干し芋を含みながらガクガクと頷いた。

「にしても、くぅがすぅちゃんの妹だってぇ!」

「ンだよ、他に誤魔化しようねぇだろ」

「くぅまで野蛮だと思われたらどーしよー、夜さまぁ」

「野蛮てなんだ野蛮て」

「なに、幼子が先のように手を上げるなど想像もできまい」

「フォローしてんの? 貶してんの?」

「さぁの」



       ◆



 そうして早速翌朝から蘇芳は、白木しらきに様々な事を頼まれていた。

 届いた重たい米や穀物を倉や店先へ運んだり、用心棒のように店前に立ったり。近所に配達に行ったりもしたので、チラリと『ドア』らしい物を視界の中に必死に探した。

「すいやせん、おやっさんは?」

 店先で立っていると、ちらほらと町民がこうして買いに来る。皆が白木と話をすることも楽しみのひとつとしていることは簡単にわかった。

「あー奥に居るよ、呼びますね。おやっさーん、お客だぞー」

「へいへい! あーあー、まいどー!」

 無事にお客を白木と引き会わせる。蘇芳は店先で腰に手を当てグッと背を反った。

 見えた広い空、澄んだ空気、白すぎる雲。地元の薄汚れた科学物質混じりの空気とは全く違うことが、蘇芳には清々しささえ感じたさせた。

 米問屋からまっすぐ奥の方に、小さな門が見える。小さいなりに城がある事が、蘇芳の口角を緩く上げさせた。

「蘇芳、腹が減ったら好きに食べに行ってよいからなぁ!」

「ウス! 早速じゃあちょっと行ってきます」

 そうして蘇芳は、昨日の団子が美味かったな、と向かいの甘味処へ数歩進んだ。

「んん?」

 ザリ、と黄土色の地面に埋もれる木肌色の何かを発見した。眉を寄せ、草鞋わらじを履いた左足でそれを少しずつ掘り出す。全体像が見えたところで、「誰かの落し物なのではないか」と丁寧にそれを手にした。

 埋もれていたため汚れも酷く、軽く手で払うくらいではちっとも綺麗にはならない。そっと広げてみると、檜扇ひおうぎであることがわかった。

 檜扇とは、古来日本の宮中で用いられていた木製の扇子のことである。薄い檜板ひのきいたを何枚も重ね、糸で閉じ纏めて使用する。一番有名なところで言うならば、雛人形の扇子であろう。

 先端部分は飾り模様として、何かの花を模した形抜きが繊細に施されている。そんな涼しげな印象と、檜の薫りが優美さを演出するような、決してこの時代の庶民の持ち物ではない。

「こんなん、絶対持ち主必死ンなって探してるだろ!」

 蘇芳は驚きつつ周りを見渡し、それをとりあえずと懐へしまおうとした。

「──もし!」

「わあっ?! ぬ、盗んでません預かるだけっス!」

 突然後ろからそう声をかけられ、飛び上がるように驚いた蘇芳は、転びそうになるくらいの勢いで振り返った。

「あ……」

 目深に頭から小袖を被り、その襟を両手で軽く持ち上げ、透けるような白い肌の小さな顔を覗かせていた。

 前日に蘇芳にぶつかった、男性のようななりをしたあの女性であった。

「アンタ、昨日の……」

 しかし、女性と言うにはやや幼さが残っている。同じ歳くらいであろうかと蘇芳は息を呑んだ。

 物言いたげにうっすらと開いた鮮やかな紅い唇、濃く長く真横に伸びる凛とした眉、白く細いヒヤリとした印象の指先や首筋。そして、まあるく真っ直ぐなその黒い瞳に見据えられると、蘇芳は緊張で動けなくなった。

「え、あーっとォ」

「今そなたの手にあるその扇。預かるだけ、と申しておったな」

「は、うん」

「私が昨日無くしたものとよく似ているのだ。見せてはもらえぬか」

 彼女は真横に伸びた眉を困ったように少しだけハの字にすると、蘇芳はその表情に胸の奥の方がゾワゾワっとした。

「もも、も、もちろんっ」

「すまない」

 蘇芳は慌ててずいっと檜扇を彼女へ手渡すと、瞬間手と手が軽く触れた。一秒もなかったかもしれない。それなのに蘇芳は雷に打たれたかのような衝撃を受けていた。

 檜扇を見詰める真剣なまなざし、必死な表情。彼女の一挙手一投足に、蘇芳はつい見入ってしまう。

「ああ、よかった……。汚れてはいるが、確かにこれは私が昨日落としてしまった扇子だ。預かっていてくれたこと、感謝する」

 ホッとしたように、彼女は白いその頬をぽっと薄紅に染めた。そうして口角が上がり、目尻が優しげに細くなると、彼女はその表情を蘇芳へと向けた。

「大切な形見であったのだ。本当にありがとう」

「いっ、いえっ!」

 心臓の鼓動が耳のすぐ側で聴こえるようであった。心の底から沸々と沸き立つこの桃色の感情にきちんとした名前が付いていることを、蘇芳は嫌というほど知っている。

「気を悪くしていなければ、そなたの名を教えてはくれまいか」

「すす、ンンっ! えと……」

 一目惚れ、とはこれのことかと、蘇芳はその瞳孔を開いたままつい棒立ちになってしまった。

「蘇芳、といいます」

「蘇芳、か。良き、雅やかな名だ」

 名前を褒められたことなど、後にも先にもあるだろうかと蘇芳は天にも昇る気持ちになった。

「私は撫子だ」

「な、なでしこ……さん」

 言いなぞるだけで蘇芳の背筋がゾワゾワとする。重症である。

「では失礼する。礼を言うぞ、蘇芳」

 そうして撫子は頭から被っていた小袖着物を翻し甘味処の横を抜けていった。蘇芳はしばらくその背を眺めていた。



       ◆



「すぅちゃん脱け殻みたい。どぉしたの?」

 陽が暮れる頃、寝泊まりしている部屋へ当たり前に夕飯が運ばれてきた。それをつつきながら、虚ろな目をする蘇芳へくぅは首を傾げる。

「タイプすぎた……」

「はァ?」

「オコチャマにはわっかんねぇよ」

「むぅっ! くぅオコチャマじゃないもぉん!」

「ンなことより。夜さま、『ドア』はどうだったんだ?」

 訊き終え雑穀米をよく噛んで待つ。夜さまは目を伏せたままボソリと答えた。

「まだ、じゃ」

「なんだよ。やっぱり俺が手伝った方がいいんじゃねぇ? 二人でじゃ探しきれねぇんだろ?」

「ダメダメ。すぅちゃんは米屋さんのお手伝い!  それを大人しくやってるのが、夜さまのお手伝い!」

 眉を寄せ「ちっ」と口を尖らせると、夜さまは目を伏せたまま黙々と夕飯にありついていた。

「…………」

 向かいのくぅにそっと身を乗り出しこそこそと訊く。

「なぁくぅ、夜さま怒ってんの?」

「ううん。夜さま怒らないよ」

 くぁは声の音量をそのままにケロッとして答えた。蘇芳は「ばか!」と口に人指し指を当て「シーっ!」と伝えるが既に時遅し。夜さまに始終をバッチリ見られていた。

「歩き回り疲れたのじゃ。また明日もあるでの」

 そうして、夜さまは夕飯を綺麗に無くし四つ足で静かに歩き始めた。

「って、どこ行くんだよ?」

「水飲みじゃ」

「夜さまぁー、気を付けてねぇー?」

「うむ」

 振り返りもせずに、そうして夜さまは部屋を出ていった。蘇芳は少しだけ肩を落とすと、くぅに再び訊ねる。

「夜さま、どっか調子ワリーの?」

「すぅちゃん、ホンットに優しいねぇ! でも」

 くぅはニッコーとくしゃくしゃに微笑んだが、声色はどうやら笑ってはいない。蘇芳は頭に疑問符ばかりが浮かぶ。

「でりかしー、っての無いよね!」

「ンだとォ?」

 夜さまは、その夜帰っては来なかった。



   ◆   ◆   ◆



 誰かをずっと前から探している気がする。

 初めてそれが、ぼんやりと形になって見えた。


 男性のような身なりの上、深い寒色を纏っているため先入観が先走る。


 誰なんだ、アンタ。

 わかっている、答えてなんてもらえないんだと。


 そんな誰かを、ずっと前から探している気がするんだ。



   ◆   ◆   ◆



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