戦乱のドア

撫子 1

「すげぇ、本当に時代を巡ってんのか」

 ぽっかりと口を開けてそう呟いた蘇芳の足下で、夜さまは「フン」と鼻を鳴らした。まるで自慢のような、相槌のような鳴らし方である。

 『ドア』を開け出た時代は、土煙の舞う日本の小さな城下町であった。おおよそ一五〇〇年代だろう、と夜さまは小さく言った。

 蘇芳たちは道の真ん中に出たわけではなく、軒と軒の間のような細すぎる小路にひっそりと吐き出された。三人がすっかり『ドア』から出きるなり、『ドア』は音もなく下から上へと、まるでシュレッダーにかけた重要書類のように霧散した。蘇芳は眉を寄せ「やれやれ」と首を振った。

 そこから数歩進むと町の息遣いが感じられる大通りに出るようだが、様子窺いをするとすぐに「引っ込め」と夜さまに咎められたので、蘇芳は渋々とそれに背を向けた。

 町行く人々は皆簡単な着物を着、簡単に髪を結っている。蘇芳もくぅも『狭間』から出るや否やすぐに、そういった時代に馴染む格好になっていた。

「へーえ。服も変わるし、髪も伸びんだな。便利」

 蘇芳の赤茶け硬く尖った地毛は高い位置で結わえ付けられ、白茶しらちゃ色の安っぽい小袖こそでを緩く纏い、薄汚れた濃紺の脚絆きゃはんはまるでレギンスのように感じた。

「あっはははは、なんかすぅちゃん似合ってるぅ! ビンボくさぁい!」

「全然嬉しくない」

 指を指しゲラゲラとお構いなしに笑うくぅも、蘇芳同様に薄汚れていた。白茶の地に紅色の大きく細い格子柄の小袖着物を一枚着、小さな手編みの草鞋わらじを履いている。髪は『狭間』に居たときよりも長くなり、腰の辺りでひとつに結わえられていた。

「すぅ、何か自身に変わったことは無いか」

 唯一変わらない夜さまは、ピョンとくぅの小さな肩に飛び乗り蘇芳を見上げた。

「変わったこと?」

「身なり以外で、異常はないかと訊いておる。ヌシはドアを潜るのは初めて故、何か異状があればすぐに対応せねばならんじゃろうて」

「え、いやー別に。特には無いかな」

 夜さまのアメジストのような眼がきゅっと少しずつ細くなり、まるで蘇芳の心の奥を尖った刃物で刺していくようであった。

「例えば。産まれし地や両親の事など、事細かく憶えておるか」

「うん? まぁ、わかるな、大丈夫」

 蘇芳はなぜそんなことを訊くのだろうと眉を寄せたが、検討もつかない理由のことを考え続けはしなかった。蘇芳は深く物事を考えることが苦手であるためだ。

 ふいっと夜さまのその視線から逃れると、両手を頭の後ろへ持っていき気怠そうに顎を上げた。

「なぁ、とりあえずさっさと次の『ドア』んとこ行かねぇ?」

「何を言うておるんじゃ」

「『ドア』はこれから探すんでしょー」

「はぁ?!」

 頭ごとくぅへ戻す。夜さまの刺すような視線はまだ続いていた。

 夜さまはまるで嘲笑うように鼻をヒクつかせた。

「まさかヌシ。未だ簡単に帰れるとでも考えていたのではあるまいな」

 くぅは「ブッ」と吹き笑いを挟み、にこやかに続ける。

「そんな苦労しないなら、わざわざ『手伝ってぇー』なぁんて頼まないよォ!」

「えーえー、そーですよねっ! 俺の浅はかな考えはもう捨てますよゴメンナサイ!」

 蘇芳はくるりと二人に背を向け、小路から人混みへと一歩踏み出した。

「…………」

 ザワザワとした喧騒や空気感は現代の都会のようでもあり、しかし全く違う匂いがした。自分だけが異物だということがありありと肌で感じられる。

 ここに住まう人々の誰も、蘇芳の事を知らないのだ。

 その事実を改めて思い出したとき、背筋が突然ゾッとした。ゴクリ、と生唾を呑むとじんわりとした恐さをも感じた。引っ越した先の見知らぬ土地での生活に慣れていくものなどとは、全然違う感覚であった。

「夜さまっ」

 そっと振り返ると夜さまは居た。くぅも居た。

「なんじゃ」

「あ……えと」

 それだけの事で、現実感が手足から順にじわりじわりゆっくりと戻ってくる。

「そんっなに時間かかんの? 『ドア』探すの。なんかヒント的なのくらいあんだろ?」

「そうじゃのォ」

 夜さまはひょいとくぅの肩から降り、空を仰ぎ目を閉じた。まるで吹く風の方向や匂いなどを嗅ぎ、気配でも察知しているように蘇芳には見えた。

「潜り出た位置より程近いところには在る──ということしか、わかっとらん」

「今やってたその夜さまの超能力的なので、ピーンときたりはしねぇの?!」

 目を開き見上げてくるアメジストのような眼へ、今度は蘇芳が頬を緩ませて弾むように訊いた。

「…………」

「…………」

 気まずい沈黙に、夜さまは顔を歪ませ、くぅはその柔らかそうな頬を染め肩を震わせた。

「……すぅちゃん何言ってんの?」

「うっ、るせぇな。ちょっと、願望だよ」

 蘇芳はくるりと背を向け上半身を真っ赤に染めた。

「足で稼ぐしか方法はない。心して精進せい」

「うぃーす」

「でもラッキーだったよ、すぅちゃん」

「ラッキー? どこが」

「古い日本に出た、ってのが最っ高だよ!」

 再び振り返り、そう言うくぅを見おろす。目をキラッキラと輝かせてにっこりと笑った。

「だってこの時代の扉、ドアじゃないもん!」

「あ、そうか……」

 なるほど、と蘇芳は頭の中がクリアになった心地に包まれる。

「この時代に、洋風扉ドアがあんのは異常なんだ!」

 くぅと同じようにパッと口角を上げると、夜さまがニタリと笑った。

「ヌシも、探せるな?」

「あぁ、そうだな! さっきよりは希望が持──」

 ドン、と突然後ろから蘇芳はぶつかられ、言葉が遮られる。

「あっ、すんませんっ」

 咄嗟に詫びる文言が飛び出したが既に遅かった。少し土煙を立て尻もちをつき地面に転がる人影に、蘇芳は慌てて屈んだ。

「大丈──ん?」

 手を貸そうかと考えていたが、反射的に戸惑ってしまった。

 一見、転んだ人間は男性のような身なりをしているが、はだけた裾から見えた足首がいやに白く細い。頭から砥粉とのこ色の小袖着物を一枚被り、まるで隠れるようにこそこそとして見える。

 その時、はらりと頭から掛けていた着物がずり落ちた。

「あっ」

 そう漏れ出た声も、あらわになった艶やかで長い黒髪も、蘇芳を見詰めるまなざしの強さも潤んだ深い黒色も、確実に男性のものではない。

「ちょ──」

 (超美人っ!)と言いかけた言葉をギリギリで飲み込み、蘇芳も彼女と同じように目を丸くした。

 パッと視線を逸らした彼女は、そそくさと布を被り直し立ち上がろうと慌てる。今度こそ手を貸そう、と右手を差し出す蘇芳。

「っあ、怪我して──」「よい」

 差し出された手には見向きもせず、彼女は簡単にすっくと立ち上がった。地面の土で汚れたであろう腰回りを軽く叩き、蘇芳へ一瞬視線を移す。

「すまなかった。先を急いでいる故、失礼する」

 蘇芳の右脇を抜け、しかし左足をやや引摺りながら後方へ消えていった。

 ゆっくりと立ち上り、彼女の足首の細さと引摺り方へ首を捻りながら、蘇芳はモヤモヤとした気持ちを抱えた。

「すぅちゃんこそ大丈夫?」

 そう下から溢れ落ちそうなまあるい瞳でくぅが見上げたので、蘇芳はフッと頬を緩めた。

「あぁ、俺は別に。あの人の方が怪我してたから、手貸そうかと思っただけ」

「すぅちゃんって、怒った顔してるわりにはケッコー優しいんだねぇ?」

「怒った顔ってなんだ、賢そうって言えよ」

「賢くはなかろう」

「うん、賢くはなさそう」

「うるせぇな……」

 フッと鼻で笑った夜さまは、もう一度静かに「行くぞ」と声を掛けた。



       ◆



 蘇芳らはそれからしばらくの間、町の中をぐるぐると歩き回った。蘇芳の体感時間で一時間程度ではあったが、しかし『ドア』らしい茶色い一枚板は見当たらない。

 くぅが「お腹空いたーあ」とダラけた声を上げたため、間近に見えた茶屋へ入った。

 入ったと言えど、店先に長椅子のような腰掛けが並んであったためそこへ座っている。団子や雑炊のようなものを少し出してもらい、三人で分けようとしたが、「二人で食せ」とだけ言った夜さまは地面にうずくまってしまった。

「なぁ、夜とかどうすんだ?」

「お宿か野宿かなぁー。多分今日はお宿になるかもォ。くぅ、さっきみつけたし、空いてるのかも訊いてきた」

「へぇ、さすが。慣れてんな、チビのくせに」

「ふっふうーん! くぅね、ただの子どもじゃないからねぇ!」

 小さくやや肉付きの良い小さな手で、店から出された簡素な箸を綺麗に持っている。蘇芳はその箸使いに感心していた。

「盗っ人だーっ! 誰か捕まえてくれェー!」

 突然、蘇芳らの前方からそんな叫び声が上がる。

 向かいの米問屋からタッと駆け出す人影に、蘇芳は目を凝らした。

「わあー。物騒だね、すぅち──」

 くぅがそう蘇芳に話しかけ見上げたが、しかし蘇芳はそこから姿を消していた。

「す、すぅちゃん?!」

 驚き辺りを見渡したところで、先の米問屋前から「わあっ」と歓声があがる。しかし砂埃が舞っていて様子がよく見えない。

 くぅは間近で見てこようと長椅子からポンと降りたが、夜さまの方がやや早く「そこに居れ」と残し先へ駆けて行った。

「イデデデデ! 放せよっ、ちくしょう!」

「黙れ。盗む方がワリー」

 風に散りやがて落ち着くと、うつ伏せに倒された痩せこけた年配男の上に、蘇芳がどっかとのし掛かっていた。右腕を捻り上げ、痩せこけた年配男自身の後頭部に今にも届きそうである。

 苦しそうにもがいているのは蘇芳ではなく年配男であった。野次馬の外側から夜さまは静かに肩を下げた。

「米屋のオヤジ、コイツで合ってる?」

「ああ、間違いねぇっ!」

 たっぷりとした体格の米問屋の主は、地面に突っ伏す年配男に睨みかかる。

「痛いって! 悪かったよ降参降参! もう離してくれ!」

「でー、どうするコイツ? 警察──じゃねぇや、何だ、役所? トノサマ? そーいうなんかお偉いさんとこに突き出すか?」

 蘇芳は、年配男の両手首を捕まえながらゆっくりと立たせると、米問屋の主へ首を傾げ問いかける。

「いんや、とりあえずこっちで話聞かしてもらう。捕まえてくれた兄さん、ワリィけどそのまま押さえててくんな。まァた逃げられちまう」

「あいよ。なぁロープ──じゃなくて紐! 紐あったらそれで縛った方がいい」

「そうだな、こっちにあるから見てくんな」

 そうして蘇芳は年配男を捻り上げたまま、米問屋の主について行ってしまった。

「ほう!」

 始終を見ていた夜さまは尻尾を翻しくぅの元へと戻る。

「夜さま、どうだったのォ?」

「すぅの奴め、盗っ人を捕縛した挙げ句、尋問に付き合うそうじゃ」

 くぅは目を丸くし驚いた。

「へぇ! すぅちゃん強いんだぁ?」

「そのようじゃな」

「夜さま、あたしらも行く?」

 ポンと長椅子を再び降り、夜さまへニィと笑いかけるくぅ。アメジストのような瞳をぐるうりと回し考えたところで、「そうするかの」と夜さまはふっとその小さな頬を持ち上げた。



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