ドア

佑佳

そしてドアは開かれた

   ◆   ◆   ◆



 誰かを、ずっと前から捜している気がする――。



   ◆   ◆   ◆



 まず、猫が鳴いた。実にか細い声だ。

「――起きろ、若造」

「う、うーん……」

 少年は、眠たい目を乱雑にこすりながら、言われるままにムクリと起き上がる。なぜかズキンとする後頭部にそっと触れ、すると舌打ちがひとつ出てしまう。指先にたんこぶのような突起を確認し、どうやらなぐられたようだ、と瞬時に理解した。

「っテェな、なんな――」

 目を開けるとそこは、ただ闇のみが広がる空間であった。前も後ろも左も右も奥行きすらもわからない。不思議なことに、少年自身の身体だけは薄ぼんやりと光って見えている。

「ここ、どこだ?」

 まばたきを多めに眉を寄せ、かすれた声で少年がそう呟くと、再び猫が鳴いた。

「はざまじゃ」

「は、はァ?」

 言葉の意味がわからないままその鳴き声を振り返る。そこには、線の細い黒猫がポツンと居た。

 暗闇に黒猫など、何も見えなくてもおかしくはないのに、その黒猫は彼同様に薄ぼんやりと不可思議に発光している。


 ビロードのように短く滑らかな毛艶けづや

 まるでアメジストのような美しさを伴う紫色の瞳。

 尖った三角形の耳。

 ほんのりとピンク色の小さな鼻に、一本一本がピンとしたアンテナのように長い髭。

 眉の辺りからも長く真っ直ぐな毛が二本ずつ飛び出していることまでハッキリと見える。


「ヌシの力を貸せ」

「猫。ヒトの言葉、喋ってる」

 少年はボソリと低い声で呟いたが、黒猫は目をわずかに細めた後で、もう一度同じことを繰り返した。

「若造、ヌシの力を貸せ」

「あ……あぁ、ははっ、あぁこれアレか。流行りのAIの猫か! なるほどなっ」

 極めて明るくなるよう、少年は口の左端をきゅきゅと持ち上げ、まるで自らに言い聞かせるように笑い飛ばしている。

「すげー高性能だなぁ、いやー、この技術の進歩はさすが日本人っつーかな! すげーリアル、マジで生きてるみたいに造るなぁ!」

 少年は「あっはっは」と高笑いしながら、アグラ座りにした自らの膝をバシバシと叩く。

 しかしすぐに、その頭を抱え憤慨しはじめた。

「――ンなワケねぇよ! 何なんだよマジで! ここどこだ、テメー何なんだっ!」

 少年のそんな激しい喜怒を一切無視するように、黒猫は涼しい顔で淡々と言葉を彼へ投げ続ける。

ワシはヌシに力を貸せと言っておるのじゃ。その返事を待っておる」

 あおりをくらったかのように、少年は頭を掻きむしり、負けじと食ってかかる。

「あのなっ、いきなり意味わかんねぇんだよ全部がわかんねぇ! しかもそれ、人にモノ頼む態度じゃねぇっつーの。頼むんならせめて頭下げ……」

 少年がそこまでを口に出したところで、黒猫の後方から滲むように現れ出でた人影がぼんやりとその視界に入った。目を疑うようにまばたきを多くし眉を寄せ、少年は口をつぐむ。

「駄目だよ、夜さまぁ。訊いてきてるんだから、説明してあげなくっちゃ」

 少年は口をあんぐりとだらしなく開けた。

「ガっ、ガキもいんのか!」

「ああーっ、ヒドイ! くぅ、ガキじゃないもぉん!」

 額の真ん中で分けた色素の薄い髪の毛をフワリと散らし、練りたてのパン生地のように柔らかそうな頬を両方ぷっくりと膨らませる少女。彼女は明らかに幼女であり、大人に見積もっても七才が限界であろう、と少年は思った。

 彼女は淡く薄い栗色の瞳をしている。アイボリーのセーターはぼったりと膝下まで着てワンピース様にし、小さなその足にはつつじ色とたんぽぽ色の派手なボーダー柄靴下を履いている。その先端の真っ赤なエナメルの靴が、少年の印象によく残った。

「いーい? まず落ち着くためにも自己紹介からね。あたしは『くぅ』。こっちは『夜さま』。王様と同じイントネーションじゃないと、夜さま怒っちゃうから」

 幼女――くぅは、そうして夜さまと呼ばれる黒猫の小さな小さな肩に手を置いた。

「それで、おにーさんは?」

 くぅは彼を、今にも溢れ落ちそうなまあるい瞳で見上げると、ほんのり首を傾げながら口角を上げた。

「俺は、蘇芳すおう。道端に倒れてたそいつを助けたら、なんか気ィ失って」

 顎でグイと夜さまを指す。同時に両手を広げ肩をすくめ、「それで、こんなザマ」という言葉をそこへ含ませる。

 バツが悪そうにする場面であるはずなのに、反して夜さまはにやりと不敵に笑った。

「やはり。アタリじゃったな」

「は?」

「やったねぇ! じゃあ今から『すぅちゃん』だねっ!」

「はぁっ?!」


       ◆


 古い工場地帯のベッドタウンに生まれ育った蘇芳は、地元の工業高校の二年生。

 市内のアスファルトのほとんどは、工場から延々と無秩序に降り注がれている鉄粉てっぷんで薄汚れている。しかし金属であるがゆえに、それが付着したアスファルトはキラキラと光って見えるのだ。子供のうちは綺麗だねなどと興奮するが、大人になるにつれそれが公害でしかない事に気がついていく。

 市内を走り回る大型トラックは、何十台と列なるようにして、鉄粉を降り撒く元凶である工場へ毎日毎晩続々と入っていく。しかし、市そのものが工場の恩恵で成り立っている現状が、鉄粉を非難の的には決してさせない。

 公害はそうして、長く改善されぬままであった。


 長く、冷たい雨が降っていた晩秋のその夕刻。蘇芳はいつもの道を、ゆったりとした歩みで下校中であった。工場の煙突がデカデカと見えるその国道沿いは、こんな雨の日ですら嫌気がさすほどキラキラと光る。

「この鉄粉も、いっそ雨に流されればいいのに」

 そうぼんやりとひとりごちた折、蘇芳の数歩先で黒猫が一匹ぐったりと倒れているのを目にする。

 国道を行くどんな車も、速度を上げて横を通り過ぎるばかりで停まる気配はない。歩いているのは天気のこともあり、後にも先にも蘇芳しか居ない。

 初めは「猫の死骸か、縁起ワリーな」と、なるべく目に入れないよう努めていた蘇芳であったが、すれ違う間際に微かにうめくような苦しげな声を聴いてしまった。

「…………」

 義務感から、ピタリとその足を止める蘇芳。

 自らに差していた透明のビニル傘を黒猫へ差し掛け、しゃがみ覗く。ビクリビクリ、と手足を痙攣けいれんさせているかに見えた。蘇芳は咄嗟に黒猫を抱えた。その身体は雨に湿り、冷えきっている。なんとかしてやらなければと、走り出したその時。

「――ヌシを待っておったぞ」

 突然、そうして黒猫はぱっちりとその双眸そうぼうを見開き、蘇芳を見上げた。「えっ」と漏らす間もなく、蘇芳の視界は明かりを失った。


       ◆


「はあっ?! 演技ィ?!」

 夜さまが倒れていた理由。それは、ただ蘇芳を捕まえるためという腹の立つほどシンプルなものであった。そのために雨の中で行き倒れたフリをしていたのだと、夜さまは開き直るような態度で言った。

「寒かったでしょ夜さまぁ。もう大丈夫ぅ? 震え止まったぁ?」

「これしきのこと、大事ない」

「で?!」

 二人ののんびりとした空気に呑まれまいと、蘇芳は眉を寄せ鼻筋にいくつもの筋を浮かべ、二人へ凄む。

「いい加減ここがどこなのか、ハッキリさせろよ!」

「ドアとドアとの境じゃ。儂らは『狭間はざま』と呼んでおる」 

 実に淡白に答える夜さま。圧倒されてしまったように、蘇芳はぐっと言葉に詰まる。

「ちょっ、待て待て。その『ドア』って何だ。ドアっつーのは、開けたら別の部屋なり外に繋がる扉のことだろーが」

 蘇芳は声を低く、慎重になった。夜さまの薄いアメジストのような瞳を睨み続ける。

「時代を巡る扉、それが儂らの今言っておる『ドア』じゃ」


 『時代の門』と呼ばれる、一方通行のドアがこの世に存在するという。ただし、各年代にひとつきり。この場合の『年代』とは、おおよそ五年間から一〇年間が目安となっているらしい。

 その『ドア』は、一度開けてしまうと強制的にその中へと引き込まれ、無情にも勝手に閉まる。入ってきた『ドア』へ戻ることはできない。閉まると同時に、くぐった『ドア』は同じ年代の全く別の場所へと移動してしまう。

 『ドア』の中に引き込まれた生物は、一旦『狭間』へと飛ばされ、その後に出口となる『ドア』が出現。しかしどの時代のどの国に繋がるのかまでは、出るまで全くわからない。


「っつーことは」

 つまり、蘇芳が今『狭間』に居るということは、既に『ドア』を潜ってしまった後、ということになる。

「すぐには家に帰れねぇっつーことか?!」

「然様。物わかりが良いのは良いことじゃぞ、すぅ」

「『すぅ』って呼ぶなっ」

 夜さまはにやりと不穏な笑みを浮かべる。

「儂らはサガシモノをしておる。その手伝いを、ヌシに頼みたいと言っておるんじゃ」

「なんで俺だよ」

「今は答えられん」

「はぁ?」

「まだ時ではないゆえ」

「時ィ?! 俺の自由奪っといて『答えらんねぇ』ってなんだ、ありえねぇだろ!」

「訪れし好機にまた答えてやろうぞ」

「すぅちゃん。あんまり急にたくさん訊きすぎると頭パアンってなるよ」

「んだそりゃ、ギャグ漫画かっ」

「いやわかんないけど」

 そんなくだらないやり取りの最中、ふと左側が仄かに明るくなったのが目の端に映り込んだ。全員でそちらへ顔を向ける。

「あーっ! 見て見て、夜さまぁ!」

「あれが……」


 まるで板状チョコレートのような形状。

 左側に黒色の丸ノブ。

 高さはおおよそ二メートル二〇センチ。

 幅は大人が二人並んで通れる程に見える。

 蘇芳らがしゃがみこんでいる場所から三メートル程離れた位置に、ぼんやりと浮かんで見える様は、まるで蜃気楼である。


「次の『ドア』!」

「ふむ。行くかの」

 蘇芳の目の前をくぅがタタっと駆けて行く。その後を、夜さまのシュルリと長い尻尾がひるがえる。

「おい待てよ! まだ話は終わってねぇ!」

 蘇芳が舌打ちを混ぜながら、その声量で夜さまを振り向かせる。

「この場で話せることはこれまでじゃ。故に続きは外へ出てからぞ」

「『ドア』潜り続けてればいつかは帰れるんだよ、すぅちゃん!」

 くぅがそうしてにっこりと無垢に微笑む。かなり楽観的だな、と蘇芳は溜め息をついた。

「ヌシは、儂らに付き従う以外身動きひとつとれぬのじゃ。ここで今儂らとはぐれると、ヌシは死ねぬまま『狭間』でたった一人、生き続けることになるんじゃからの」

「マ、ジでェ?」

「嘘をついても得にはならん」

 生唾を呑み、冷汗を流した後で、蘇芳はゆっくりと立ち上がり呟く。

「アンタを手伝えば、絶対に帰れんだな?」

「ああ。必ず帰してやろうぞ」

 夜さまの薄い妖艶ようえんな笑みを見るだけで、蘇芳は不思議と心の底から納得させられていた。

「しゃあねぇな……」

 蘇芳は学ランのパンツポケットに手を突っ込み、ゆったりと歩き始めた。

「一緒に行くしか、自分の時代に帰る方法はねぇんだな?」

「然様」

 そうして頷く夜さまの薄いアメジストのような双眸そうぼうが、一瞬だけキラリと光ったように蘇芳には見えた。

「いいよ、アンタを手伝ってやる。ただし、なるべく俺の質問には答えてくれよ。わかんねぇままってのはモヤモヤすっから」

「ああ。構わぬぞ、すぅ」

「だからっ。すぅって言うなっつーの」

「わーい! よろしくね、すぅちゃん!」

「だーかーらー、やめろっての!」


 そうして蘇芳がノブに手をかけ、『ドア』を押し開け三者が歩み進む。すると運命の歯車が、カチッと音を立てて回り始めた。


 駒は、全て揃った。



   ◆   ◆   ◆



 誰かを、ずっと前から捜している気がする――。

 眠りに落ちる直前にいつもふと思い浮かべる誰かを、ずっと。



   ◆   ◆   ◆



 ――バタン。



       ◆


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