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公募について・前編
(他の記事で書いたものと内容が重複する箇所があるかと思いますが、ご了承ください)
私が初めて公募の賞に挑戦したのは大学生のときです。それから就職、結婚、育休まで、純文学の賞に何度も応募しました。
正確な数はわからないのですが、確実に十回以上は出しているかと。結果はすべて一次落ちでした。
最初はそれなりにショックでしたが、すぐに「またか」「そりゃそうだよな」と慣れてしまいました。子どもの頃から小説家になりたいと思ってはきたけれど、夢は結局、大多数の人にとっては夢のまま終わるものなのだ……そう思い、「自分は求められていない」「才能がない」と強く思うようになりました。
やがて育児で執筆する時間も取れなくなり、小説を書くのはもうやめよう、と筆を折りました。
けれども子どもが四歳の頃の夏休みに急に書きたくなり、再び書き始めました。小説を書くのは数年ぶりでしたが、なぜかするすると書き上げることができ、それまでにない手応えを感じました。
「これで一次通過できなかったら、今度こそ小説を書くのはやめよう」
そう思って出したところ、初めて雑誌に名前が載りました(ペンネームでしたが)。
一次通過しただけでも本当にうれしかったのですが、二次通過者にも名前があり、本当に驚きました。
「読んでもらえた」という事実に胸が躍り、「読んでくれて、さらに他の作品よりもいいと思ってくれた誰かがいるんだ」と思うと、涙が出そうになりました。
それまでは本当に孤独の中で書いていて、自分が書いているものが一体何なのか、どういうものなのか、どの程度のレベルにあるものなのか、そういったことが全くわからなかったからです。
同時に、「書くのをやめるな」と言われているような気がしました。誰に……と問われたら、「大いなる何か」とでも答えるしかないような、世界とイコールになるような漠然としたもの、そんな存在に背中を押されたような気がしたのです。
「小説家になりたい」という思いが、はっきりと私の胸に刻まれました。やがて職場で配置換えがあり仕事が忙しくなった後も、私は小説を書き続けました。主に金曜から日曜の夜、夫に子どもの寝かしつけを頼んで夜中まで書き続けました。
結局その小説は一次落ちでしたが、三度目の正直とばかりに翌年出したものは三次通過しました。
約1400編の応募作のうちの11作まで残れたのです。最終候補作は、そのうちの5作。
私の出した作品は、残念ながらそこに残ることはできませんでした。
最終にさえ残れば選評がもらえます。でも残らなければ、一次落ちと同じです。何がよくて、何がだめだったのか。どうすればいいのか。そういったことは何もわからず、華々しく掲載された受賞作の前でただただ肩を落とすことしかできませんでした。
このとき、思ったのです。
結局こんなの、ほとんど運じゃないか、と。
11作まで絞られた中に残していただけたことは、本当にありがたくうれしいことです。そこまで残れたということは、何かが評価されたのでしょう。
でも小説の評価って、読んだ人それぞれの主観的なものだし、明確に数値で表せるような基準なんて存在しませんよね。
これは推測でしかないですが、おそらく最終候補として残ることができた作品には、「そのとき求められていた何か」があったんじゃないかな……と。
その中身については、いくら考えたところでわかりようがありません。話題になりそう、とか。時流に乗っている、とか。たくさんあるのかもしれないし、もしくはそんなものすら、ないのかもしれないけれど。
応募して、何段階かでふるい分けられ、でも最終候補者以外には何のフィードバックもない、という制度である以上、こちら側としてはいくら考えたところで「どういう作品が求められているのか」なんてわからない。受賞作の傾向や選評などから推測するしかない。でも、毎年同じものが求められているとは限らない。
だから、受賞できるかどうかは、結局は運でしかない。
でも、運だけとは思いたくない自分もいるのですよ。努力の結果として掴み取ったものだ、と思いたいから。
それに、「求められているものなどわからない。わからないものはいくら考えてもしょうがないから、自分を信じていいものを書くだけだ」……という(少し前までの私の)考え方は、ちょっともったいないかもしれない、と、今は思うのです。
私はずっと、「いい作品を書けば受賞できる」と思い込んでいました。
でも、実際はそうじゃないんじゃないか。
これまで私は、少なくはありますが、自分で納得できる「いい作品」をいくつか書き上げてきました。上述した三次通過した作品も、私にとっては渾身の一作でした。けれども受賞どころか、最終に残ることすらできませんでした。
実際に賞をいただけたのは、自分の中では「そこまでの出来ではない」作品でした。
この受賞を通して、ふと思ったのです。
これまで私は、自分にとっての「いい作品」を目指すことに固執しすぎていたんじゃないかな、と。
よく「公募はお見合いのようなもの」だと言いますが、本当にそうだと思います。
「いい作品を書こうとする」のは書き手として当然の態度ですが、公募というお見合いに臨むには、そこに出版社という「相手」がいることを忘れてはいけないと思うのです。
「いい作品を書けば受賞できる」、という思い込み。さらにその「いい作品」の定義がひとりよがりになってしまうこと。そこが落とし穴なのかもしれません。
長くなってしまったので、一旦ここで終わりにします。
次回は、私が個人的に考える「通過率が少しでも上がるかもしれない方法」について書いてみようと思います。
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