何のために書くのか
私は長年純文学を書いてきました。長年、といってもブランクがあるので、書いていた期間は実質七年間くらいでしょうか。
そもそも純文学を書き始めたのは「私には物語を作る才能がない」から、という消極的な思い込みによるものでした。面白い設定が思いつかないし、世界を作るのも難しいからファンタジーは無理。恋愛とかこっぱずかしくて書けないし、ミステリーなんてもってのほか。
けれども純文学といえど、小説です。小説には筋があります。始めたら終わらせなければなりません。
最初は長編の書き方がさっぱりわからず、短いものばかり書いていました。とにかく文章力がなければお話にならないと思い、「小説たりうる文体」を手に入れるため、がむしゃらに文豪の作品を読みあさったりもしました。
で、書いていくうちにふと思ったのです。
私は一体、なんでこんなものを書いているんだろう、と。
選考に通過するようになっていくうちに、この疑問はだんだんと大きくなっていきました。
今はわかるのです。私はきっと、「自分を知るため」に純文学を書いていたのだと。
私は子供の頃から、自分という人間がよくわかりませんでした。周囲から浮くことが多かったし、人間関係を築くのも苦手。いわゆる「普通」というものにあこがれ、どうふるまえば「普通」なのかを観察し、表面的に盗む日々。
そんな中で、本来の「自分」がどんどん霞み、「世間」にぐちゃぐちゃにされて溶けていくような恐怖を覚えていました。
書くという行為は面白いもので、自分が認識していなかった思考や感情を文字という形で目の当たりにすることができます。
私は書くことを通して、自分という人間を知り、世間に霧散することのないよう、その形を維持していたんだと思います。
そんな私が児童向け小説を書こうと思い立った背景には、やはり自分の子供の存在がありました。
本を読んでもらうことが好きだった娘。寝る前に絵本や児童向けの本を読み聞かせしていく中で、物語を通じてたくさんの子供たちにメッセージを伝えるということに興味を持ちました。
児童向けの小説は、純文学というよりもエンタメです。作者から読者へのメッセージを載せた、はっきりとした形の物語です。
私もこういう形で、自分のためではなく、誰かのための小説を書けるんじゃないだろうか。
その可能性に気づいたとき、目の前に新しい道が開けた気がしました。
初めのうちは、本当に苦労しました。何しろ、物語の書き方がわからない。文体もどの程度易しくするべきなのか、どこまで書き込めばいいのかもわからない。
けれども対象を「子供」にしたことで、自分の中に眠っていたメッセージが次々と目を覚ましていくような感覚を覚えました。
この世界は、敵じゃない。
敵がいるとしたら、それは自分。
答えはいつも、自分の中にある。
これまでの人生で経験を通じて得てきた、こうしたメッセージの数々。本当は、子供の頃に知りたかった言葉たちです。
私は今、「子供」に向けて物語を書いています。そこにはやはり、「子供だった自分」が含まれています。
自分を知らなければ、人に何かを訴えるのは難しい。
「自分を知る」から「自分を含めた誰かを癒やす」へ。
母親になった時点である意味必然だったかもしれないこの変化を、今喜ばしく思います。
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