ホラーについて

 ホラーを書いたことがなく、たいして読んだこともないのに、なぜホラーについて書こうと思い立ったのか。それは、「視点について」において『或る死体』の告白体について考えたことがきっかけです。これについては後述します。


 まずは、恐怖について考えてみたいと思います。


 私は子供の頃から怖い話が苦手です。でも、嫌いではないのです。むしろ好んで読みたいとすら思っています。でも怖くて勇気が出なかったり。

 このどっちつかずの態度に象徴されるように、私は昔から、「恐怖」とどう付き合えばいいのか、持て余しているところがあるように感じます。


 私にとって恐怖って何なんだろう、と思ったときに、思い出すものが三つあります。「世にも奇妙な物語」、「犬木加奈子」、そして「楳図かずお」です。


「世にも奇妙な物語」がレギュラー放送されていた頃、私は小学生で、毎週楽しみに見ていました。そのときは「不思議で怖い話」をやる番組だと思っていたので、たまに怖くない話が放送されると、「今の怖くなかった。なんで?」と思っていました。

 でも、とにかく好きだった。怖いものは得意じゃなかったはずなのに、面白くてしょうがなかった。今見ても面白いと感じられる名作が多いと思います。

 思うに小学生の私は、「日常につながる非日常」として、これらの恐怖を楽しんでいたのだと思います。


 次に、犬木加奈子。小学校高学年の頃、学校で彼女の漫画が流行ったことがありました。私もいくつか読んだのですが、はっきりトラウマになってしまいました。絵も内容も怖すぎて、おまけに気持ち悪いし胸糞悪い。一時期、あの絵の怖さにとりつかれて眠れなくなったほどです。いまだに「犬木」という文字を見るだけで震えます。

 その後気づいたのですが、私は「怖い絵」とか「怖い映像」にものすごい恐怖を感じるのです。グロも含みます。文字だけなら怖いのもオッケーです。学校の怪談とか。挿絵が怖いと読めませんでしたが。


 最後に、楳図かずお。彼の漫画が私は大好きです。面白いから、というのもありますが、何より「人間」の奥底を描けているからです。それに彼の描く絵は、不思議とそれほど怖くない。例外として、『神の左手悪魔の右手』だけはちょっともう読めませんが。

 彼の言った「恐怖と笑いは似ている」という言葉がとても印象的で、たびたび思い出すのですが、確かに恐怖で叫ぶ顔と笑顔って似てるんですよね。どちらも「狂気」に近いものなんじゃないでしょうか。そしてこの「狂気」の中にこそ人間の本質が見えるのかもしれません。私が楳図かずおの作品に惹かれる理由は、きっとここにあります。


 つまり、ホラーって純文学に近いものなんじゃないかと思うのですよ。「恐怖」ってとても原始的な感情じゃないですか。人間の感情の中でも、動物的なものだと思うのです。

 その恐怖を感じるということは、人間という存在の根っこの部分に触れることと同義なのかもしれません。闇や危険な動物を恐れずともよくなったこの現代社会において、それでも生き残っている恐怖、現代だからこそ起こり得る恐怖、そういうものに作品を通して触れることによって、改めて自分が人間という生き物、ある意味動物の一種なのだと感じられる……そこまで言うと考えすぎでしょうか?




 次に、ホラーというジャンルについてです。ここでは小説だけでなく、映画や漫画、ゲームも含んだホラー全般について考えてみます。

 ホラーにはいくつか条件があるんじゃないかなあ、と勝手に思ってます。


1.主人公は「無印」である


「名もない平凡な人間」が、ある日突然恐怖に巻き込まれる。

 これ、ホラーの定石だと思っているのですが、どうでしょう。何も悪いことをしていないのに、「たまたまそこに行った」とか「たまたま何かを拾った」とか、そういう「偶然」からお話が始まることが多い気がします。「どうしてもその人でなければならない」理由がない。なのに恐ろしい目に遭ってしまう。

 その理不尽さがホラーの一つの魅力だと思うのです。主人公の立場に簡単に感情移入でき、「もしかしたら自分も……」と思えるからです。作品の中から恐怖がこちらに手を伸ばしてくる感覚ですね。

 主人公が巻き込まれる理由が「偶然」ではなく、「必然」の場合もあります。例えば「明らかに怪しい箱を開けてしまった」とか、ちょっと見ただけで「それヤバいだろ」と考えられるような行動をしてしまった場合は、それを自分の身において考える際に「こんなことをしなければ大丈夫」という逃げ道ができてしまいます。だからこのパターンの場合、主人公が子供のことが多いのではないでしょうか。子供は経験が少なく、判断力がない。だから「もし自分が子供のときだったら」とか「自分の子供がこんなことをしてしまったら」というふうに置き換えられる。そうすると、やはり怖い。

 主人公がしるし付きの人物だったら、「この人なら乗り越えられるかもしれない」という期待が生まれてしまうので、恐怖は薄れます。寺生まれのTさん的な展開になるかもしれないわけですから。


 初めに書いた『或る死体』と関係があるのがこれです。あの話の主人公は無印ではなく、巻き込まれるのにはとある理由があります。あの作品がホラーになりきれていないのは、そのせいだと思っています。

 書いている当時、私はホラーを書いているという意識はありませんでした。書き終わって読んでもらったときに「ホラーですか、ミステリーですか」と言われて初めて意識したのであって、自分としては純文学のつもりで書いていたのだと思います。


2.リアリティ


 これはホラーには欠かせません。「本当にありそう」、いや「本当にあるのかも」と思わせることが必要です。でないと恐怖は発動しません。1と2が合わさってようやく、主人公とそれを鑑賞している私たちが同化し、追体験できるのではないでしょうか。


3.説明できない


 これについては必須ではないのかもしれませんが、多くのホラー作品は、恐怖とともに「驚き」「戸惑い」「疑問」を読者あるいは鑑賞者にもたらしているのではないでしょうか。「得体のしれないもの」の怖さというのでしょうか、説明できないからこそ生まれる恐怖というものはあると思います。そんなものには、どうしたって勝てませんから。


 ……と、ここで息切れしてしまいました。やはり私はホラーについて語れるほど造詣が深くなかった。申し訳ないです。


 最後に、私個人の印象的なホラー作品をジャンルごとにひとつ選んでみたいと思います。どれも有名どころばかりですが……。


 【古典】『雨月物語』より「吉備津の釜」

 【小説】貴志祐介『黒い家』(ホラーのくくりで合っているのかな?)

 【漫画】伊藤潤二『うずまき』

 【映画】『リング』

 【ゲーム】『忌火起草』

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