第67話「今はなき平穏」
学芸会本番の二日間のうち、初日は生徒鑑賞日、二日目は保護者鑑賞日という位置付けになっていた。
そのため、初日はどのクラスの生徒も、自分たちの出番が近付くまでは客席に座って他クラスの発表を観ることになる。
発表の順序はおおむね学年順で、一年生から順番に学年が上がっていく標準的なスタイルだったが、その年はなぜか五年生と六年生の順番が前後していた。その上どういうわけか、われわれ五年二組はトリになっていたので、出番までの時間はずいぶんとじれったいものだった。途中、数回のトイレ休憩と昼食休憩以外は抜けることができず、仕方がないので発表に意識を向ける。
どれもこれも大げさに芝居じみており――芝居なので当たり前なのだが――、そのくせ変なところで抑揚を付けたりするので、客席でまともに鑑賞させられるのは不快以外の何ものでもなかった。それでも頑張って視線を投じていたが、四年三組の『ごんぎつね』辺りで完全にギブアップし、ついでに食後の眠気も襲ってきて、気付いたら夢を見ていた。
夢の中で、私は図工室にいた。
室内に他に人はおらず、床は、赤や黄色の絵の具が散乱して水びたしになっていた。
その場でぼうっと
後方から衝撃が走り、前方に倒れ込みそうになり目が覚める。
周囲を見ると、皆移動のために起立していた。いつの間にか、五年二組の出番が近づいていたのである。
どうやら、真後ろに座っていた高杉が蹴りを入れたようだった。
今の面子とあと一年以上も過ごさねばならないと考えると、嘆息すれどもしきれない。
せめて首藤が外れてくれればまた状況は変わるのだろうが、今年赴任したところで来年別の学校へということは考えにくい。首藤からいじめられたり――そんなふうに思うのは屈辱的なのでまっぴらごめんだが、客観的に見ればそうに違いない――、他生徒たちから爪弾きにされたりすることが辛くて解放されたいなどと、惨めたらしく感じているつもりはなかった。
しかし、どうせ毎日登校しなければならないなら、そうした面倒な要素はないほうが良いに決まっている。別に、クラスメイトたちと休み時間に仲良くドッジボールやキックベースに興じるような真似がしたいとも思わないが、普通に挨拶をしたら嫌みなく返してくれて、たまに雑談などをかわすような平穏な環境が恋しいと思った。少なくとも、四年生まではそうやって生活していた。
身近にある些細な幸福は、失ってから初めてその大切さを知る。
本番十分前、体育館横の薄汚いトイレの洗面所で勢いよく顔を洗いながら身にしみて感じた。
蛇口から出る水と、小窓から漏れる秋風のそれぞれの冷たさに、手も顔も痛みさえ覚えるほどの刺激を被る。眠気はもう飛んでいたが、首藤やその取り巻きたちから逃げるように、また自分という面倒な
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