立夏

第4話「団体戦(春)~時の扉」

 春の団体戦は、去年と同じくゴールデンウィーク中の開催だ。

 

 例年どおり渋谷の國學院こくがくいん大学にて、三日間に渡って行われる。

 茶道部と異なり何しろ活動が停滞している部なので、メンバー集めにはそれなりに苦労を要した。定期的に部室で活動している部員が現状私と井俣しかおらず――前年度部長の金村さんもたまに部室に訪れはするものの、理工学部なので授業や研究が忙しく、あまり負担をかけられない――、こういう場合は現部長が動くよりない。


 私と井俣と金村さんで三人。五人一組の大会なので、あと二人必要である。たった五人を揃えるのに難儀する部とはこれ如何いかにと苦い笑いを浮かべそうになるが、予想の範疇だった。

 幸い、普段部室には来ないものの、井俣と同程度の棋力を有すると思われる法学部の四年生と、将棋部の所属だが時折囲碁部の部室に顔を出すことのある経済学部の四年生――将棋は県代表クラス、囲碁も初段前後の実力――がいたため、彼らに依頼して必要人数を揃えた。


 事前にメンバー全員で集まることもなかったため、主将から五将までのオーダーも私が組んだ。

 新入生の井俣は副将、自分は四将に配置する。法学部の四年生と井俣はどちらが強いか微妙なところでもしかしたら井俣かもしれないと思ったが、さすがに入部したばかりの一年生を主将にするのもばつが悪い気がした。


 大会までに井俣とは四局打ったが、いずれも敗れている。


「僕がこの打ち込みを狙って手を掛けたこと、察して欲しかったかなと」

「ここを切れないようでは形にならないですね」


 先日の対局、布石から比較的珍しい立ち上がりとなった。局後の感想戦にて、井俣は詳細で的を射たコメントを、くだんの高めの声で述べる。私ならば容易に持論を展開できないと思われる局面においても彼の説得力豊かな調子は揺るがず、その滑らかな口の動きにいくばくかの絶望感を覚えた。


 私が日ごろ感想戦を行う際は、断定的ではなく柔らかい言い方であったり、こういう考えもある、というニュアンスでコメントすることが多い。たとえ完勝して明らかに実力差があった場合でも、これが正しいというふうにこちらの意見を押し付けるのは、相手の精神衛生を考慮すると好ましくないと感じるし、そもそも自分はそういう柄ではない。

 井俣のような自信に満ちた検討態度は、だから私としては好みではなかったのだが、それでも彼の堂々たる態度は彼がこれまでに蓄積した地道な砥礪切磋しれいせっさの裏返しであることは理解できたため、単純に眉をひそめるわけにもいかなかった。


 四局とも、まったく勝負にならないほど劣悪な内容ではなかったとはいえ、何かひとつ壁を越えなければ勝ち目はない気がした。

 本来、井俣のような人間が部長をやるべきで、自分は部長と言えども有名無実なネームプレート的存在に過ぎないのだろうかと、彼と対局するたびにそう感じざるを得なかった。


 団体戦、通称関東リーグは一部から五部までクラスが分かれているが、昨年の秋季大会の戦績が振るわず降格し、今年、上智大学は三部スタートだった。

 関東リーグは、三日間で七つの大学と当たる。初日は三局で、残り二日は二局ずつだ。昨年度は補欠だったため全局参加することはなかったが、今年は人数ぎりぎりなので全局打たざるを得ない。これまで、大会という環境を特別視したことも軽視したこともなかったが、強制的に打たねばならないという状況に少しばかり気が重くなった。私と同程度の棋力の人がもう数名いれば、自分は補欠登録にしたかもしれない。


 昨年の二部と比べれば劣るとはいえ、三部といえどもそれなりに力のある選手が多く、私は初日の三局を全敗した。

 惜しい対局がないわけではなかったが、総じて相手の勢いに押されており、実力を出し切れなかった感が強く残った。この日は井俣をはじめとした他の部員が比較的善戦し、チーム全体の戦績は二勝一敗とまずまずの滑り出しであった。


 二日目の初戦、序盤で大石たいせきを召し取られ、開始十五分ほどであっけなく投了した。他の部員はそれぞれ対局に傾注しており、名ばかりの部長が早々に負けようが歯牙にもかけない。

 

 チームとしても個人としても、とりあえず参加することに意義があると思い、勝ち負けは特別に意識していなかった。とはいえ、皆が力を発揮して好局を生み出している中、チームを牽引けんいんすべきポジションにある自分が締まりなく黒星を量産しているしなびた現実は、客観的に見てたいそう哀れなものに違いない。

 その現実は、でも私の胸の片隅でくすぶっていた情熱という名の矜持きょうじを呼び覚ますのに作用した。

 部長と言えどもただのネームプレート、もしくはただの雑用係に過ぎないかもしれない。他の部員たちもそう思っているのかもしれないという、何ともネガティヴな思考が生まれてくるのだが、それならばむしろ好都合だ。誰も私の活躍など期待していないのだ。そう考えるとずいぶんと気が楽になった。

 

 碁石を片付けてチームメイトの対局を観戦していた時、先日、しんみち通りのラーメン屋で「セミプロ級でしょ?」と邪気なく言った光蟲の表情をゆくりなく想起した。

 セミプロ。その言葉の狡猾な響きを脳内で発し、少しだけ愉快な気分になる。


「さて……と」


 ぎりぎりまで絞ったヴォリウムでそうつぶやき、会場を出た。

 トイレに行って小用を足し、洗面所で手を洗ったあとにじゃぶじゃぶと顔を洗う。ここまでの四連敗を容易く水に流せるわけではないが、蛇口から流れる水の冷たさに励まされているような心強さを感じた。昼休憩をはさんで、次の対局までにはまだかなり時間がある。


 外へ出て、大学周辺を軽く走ってみることにした。空はすこぶる快晴で暑すぎることもなく、軽い運動にはふさわしいコンディションだ。


 "失うこと 恐れず

 忘れえぬ痛み 笑いとばそう~♪"


 走りながら、ふとWANDSの『時の扉』の歌詞が脳裏に浮かび、私は声を大にして歌う。今の自分にぴったりの言葉だ。

 すれ違ったアベックと老婦人が、それぞれ私に一瞥いちべつをくれた。

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