第二十七話 晴幸と、藤三郎

 「……胸糞が悪い、貴様からじゃ。

  貴様を殺してから、ゆっくりと甚振ってやろう」


 藤三郎は鬼の様な形相を浮かべる。

 俺は顎を引き、彼に向けこう口にした。

 「あぁ、南部殿より先に、儂を殺してみよ

  ただ、真剣一本で御頼み申す」


 藤三郎は驚く。

 (こやつ、他に武器を持って居る事を知って居るのか?)

 藤三郎は懐に手を入れ、次々に忍び具を取り出しては、地に落とす。


 予想はしていたが、やはり此の男は忍びだったか。

 其れを悟りつつも、俺は冷静だった。

 今回ばかりは、〈異物〉の助けは必要無い

 頼むから、出てくれるな。


 藤三郎はぐっと刀を握る。


 「……一つだけ聞かせよ、

  何を企んでおる」

 「まさか、豈図らんや」


 俺は冗談めいた口調で言う。

 恰好をつけるつもりは無い。

 そもそも元から、そんな柄では無かったからな。



 俺は脳裏で、ある書物に書かれた内容を掘り起こす。


 山本晴幸の持つ書物の中に、忍びについて書かれた部分がある。

 参謀には、戦術や築城等の幅広い知識が必要不可欠な為、

 晴幸も其の様な書物を所有していたのだろう。


 其処に書かれていたのは、忍びの特性について。

 特性、其れは〈頭よりも先に身体が動く〉事。


 全てにおいて通じる訳ではないが、藤三郎のステータス

 戦闘力のみが超過して居る。ならば、その可能性は高い。

 つまり、相手を見て行動するという方法では、間に合わない。


 一見厄介だ、しかし、付け入る隙はある。





 藤三郎は低姿勢のまま、刀に手をかけた。

 「いざ、参る」

 そう言って、彼が一歩踏み出した、その瞬間である。




 木の葉が宙を舞う。

 藤三郎は一瞬のうちに、俺の目の前に立っていた。





 (……!)

 「隙だらけじゃ」



 藤三郎の振る刃先が、俺の肩をかすめた。



 俺は直ぐ様三歩、退く。

 成程、刃先が見えない。

 しかし、やはり想像通りだ。


 「避けたか……」

 藤三郎は舌を打った。

 

 血がぽたぽたと滴り落ちる。

 俺は肩を押さえながら微笑む。

 藤三郎このおとこの動きは速い。

 しかし、速いからこそ、他の者よりも圧倒的に疎い部分がある。



 藤三郎、御前は何かを勘違いして居る。

 俺は、〈避けてなど居ない〉。




 俺はゆっくりと一歩、踏み出す。

 「……?」

 藤三郎は俺の様子を伺いながら、再び刀を構える。


 済まないな、藤三郎。

 御前にはちと、卑怯な手を使わせてもらうぞ。



 俺は警策を持つ右腕を、勢いよく彼に向け振り下ろした。


 「此のうつけがっ!」

 其れを易々と避ける藤三郎は、刀を横に構えた。

 (もらった……!)

 藤三郎が勝利を確信した、その瞬間である。


 藤三郎の顔に向け伸ばされた左手が、彼の視界を奪う。

 「!?」

 動きが止まった。

 俺は其のまま左腕で、刀を持つ手を思い切り弾く。

 不意に、刀が彼の手から離れた。


 がしゃっ

 木の葉の上に、軽い金属音が響く。

 「ぐ……っ!」

 藤三郎は落ちた刀の方に目線を向けようとするが、

 俺は彼と刀の間に警策を出し、道を塞いだ。

 

 「行かせぬぞ」

 俺は警策を彼の顔面に向けて振った。

 藤三郎は一歩下がろうとするが、気付く。

 足が、動かない。

 (なん……っ!?)

 静から動の動きの際は、第一歩が遅くなる。

 藤三郎は其れを瞬時に理解し、上半身を間一髪反らせ、避けた。



 藤三郎の重心は下がっている。

 そう悟った俺は、左手で彼を押した。





 どさっ


 気付けば、藤三郎は地面に尻餅をつき、俺は彼を見下ろしていた。




 「終わりだな」


 呆然と座る藤三郎は、何が起こったのか、直ぐには理解が出来なかった。

 徐々に己の置かれた状況を理解し始めた藤三郎は、歯を食いしばる。


 敗北。藤三郎かれには信じられない様だ。

 俺は息を吐き、掌を見る。

 


 (武道、習ってて本当に良かった……)

 俺は内心、ほっとしていた。

 幼少期に嫌々続けて居た習い事が、初めて役に立ったと思った。

 

 俺は再び、藤三郎に目を移す。

 彼は俯いたまま、言葉を発する事はなかった、




 藤三郎が抱える、疎い部分

 其れは、〈標的への命中率〉である。

 人間の動体視力というものは、通常の視力よりも落ちる。

 其の者の動き、いわば視点移動が速い程、狙いが定まりにくくなる。


 あの時、肩をかすめた一撃。

 あれは俺が避けたのでは無い、

 藤三郎が、意図せず外したのだ。




 「藤三郎、一つ提案が有る」

 俺は屈み、藤三郎と同じ目線に立つ。



 「其方は今直ぐ、此処から逃げよ。

  其方の事を誰も知らぬ、遥か遠くの地へ逃げるのじゃ。

  御前の力は、誰かの為に使わねば勿体のうござる。

  新たな地で、弱き人を助ける為に、其方の力を使え」



 藤三郎は顔を上げる。

 幾分の沈黙の後、彼は俺の鋭い眼光に、溜め息を吐く。


 「……優しいものだな。

  俺は其方の命を奪おうとしたというのに」

 

 「此度の討ち合いで分かった、其方は悪い男では無い、

  主君への忠義を尽くす、誠実な男じゃ。

  儂は其方には生きて貰いたいと、そう思って居るのだ」


 俺は再び立ち上がり、手を差し伸べる。


 

 藤三郎はもとより、そのつもりだったのだ。

 南部も、藤三郎自身も、誰も死ぬこと無く事を済ませる。

 斬り合いの末に、南部を致死の三歩手前まで追い込んだ後、自ずから自身の耳でも削ぎ落とし、此れを晴信に渡せとでも言うつもりだったのだろう。

 そして、自分は追われない様に、何処かへ逃げ去る。

 二度と、互いが会うことの無い様に。



 恐らく此れが、藤三郎が最も望んでいた事。

 藤三郎は、南部の事を本心から慕って居た。


 其れは、彼の優しさが招く、悲しき〈演技〉。

 

 




 「馬鹿者だ、其方も、儂も」

 藤三郎は微笑む。


 彼は、俺を本気で殺そうとした。

 当然だ、俺は二人とは全く関係の無い、

 只の部外者なのだから。


 しかし、今になって彼は気付く。

 俺が、その真意に辿り着いていた事に。

 だから、敵では無いと判断し、俺を許した。

 

 南部、此れで良いんだろう。

 最善の道だと、御前は知っている筈だ。



 藤三郎は俺に向け、

 ゆっくりと手を差し伸べる。








 其の時










 ぐしゃ









 生々しい音と共に、藤三郎の瞳孔が開く。



 彼の背中に、一本の刀が刺さっていた。


 「あ......が......っ」

 

 突然の出来事に、頭が真白になる。






 藤三郎は血を吐き、その場に倒れる。

 其処に立っていたのは紛れも無い、南部宗秀。




 「くそっ、くそっ、くそっくそっくそっ!!」





 南部は、何度も何度も藤三郎の身体に、刀を振り下ろす。

 生々しい音と共に、傷口から血が噴き出してゆく。

 俺は呆然と、其の光景を見ていた。

 




 恐らく、三十回以上は刺した。

 辺りは血の海となり、南部は大量の返り血を浴びていた。

 原型が分からなくなるほど、

 藤三郎の身体はぐちゃぐちゃになった。




 遂に疲れ果てたように、南部は刀を落とす。



 「......なんぶ、どの」

 「来るな!!!」

 突然の大声に、俺は立ち止まる。



 「……御前、何故儂を助けた?

  手柄を横取りしようと、そう思ったのか」

 「違う、わしは……!」


 弱弱しい声に、俺は言葉を詰まらせる。

 暫く経ち、何も言わない俺を見かねたのか、南部はゆっくりと立ち上がる。



 「やはり、御前は恵まれておるのじゃな」

 南部は俺を睨む。

 まるで敵を見るような、鋭い目だった。


 「賢く、儂よりも強く、おまけに殿にも好かれて居る。

  決して其れが悪いとは言わぬが、

  そんな奴の助けなど、儂は欲しくなかった。


  なあ晴幸殿、一つ言って置く。

  儂は、恵まれた御前の事が、心底大嫌いじゃ

  故に二度と、儂の事はかまうでない」




 其のまま南部は足を引きずりながら、

 元の道を引き返す。

 俺は何も言えずに、其の背中を見ていた。



 愚かである。

 気付けば俺は、誰かを救う事に誇りを感じていた。

 救う事に理由など無いと、そう思っていた。

 俺は、己が身を恥じた。



 そうだ、何時から俺は

 〈彼〉のことを理解して居ると、

 勘違いして居たのだろうか。




 俺は虫の集る、藤三郎の死体の側で立ち尽くす。

 次に我に返った頃には、

 辺りはすっかり暗くなってしまっていた。

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