レヴィとカミーラ6 喜び

 旅はとても辛くて、でも楽しかった。


 当て所ない旅でも、仇と一緒でも、私は確かにその旅を楽しんだ。


 自分を龍魔と名乗ったあの人は、昔話でおどろおどろしく語られていた存在とは全く違った。無知で、不器用で、でも私を守ろうと頑張ってくれた。何よりも、こんなにも人として終わっている私に優しく接してくれた。


 だからだろうか。本当ならダメなはずなのに、私はいつの間にか彼に惹かれていた。お父様とお母様とオーラムの仇なのに、私はいつまでも彼と一緒にいたいと願うようになっていた。


 そんな私はやっぱり人として終わっている。


 だけど、近頃はそれでもいいと思っている自分がいる。何も知らなかった彼は徐々に旅の中で人間らしさを獲得していった。


 いつだったか、彼は自分の話をしてくれた。それは簡単には信じられない様な話だったけど、自分もその関係者だったからか、受け入れる事が出来た。そして、彼の葛藤を知ってから、不思議な事に私は彼を愛おしく思う様になった。


 彼の歪みを正す事は私にしか出来ない。そして、その過程できっと彼は自分の犯してきた罪に苦しむ事になるだろう。ある意味それが私の、彼への復讐になるのかもしれない。だから私は彼の側に居続けたい。彼が自分の事を龍魔ではなく人間と言える様になるその日まで、ずっと。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 旅を始めてもう一年は経ったか。時間が過ぎるのを早く感じるのは俺がこの旅を楽しんでいるからなんだろう。初めのうちは暗い顔をしていたカミーラも近頃では俺に笑いかけるようになってくれた。それが堪らないほど嬉しく、そしてこんな感情を抱く自分が龍魔である事を思い出し、胸が張り裂けそうになる。


 こんな感情の名前は知らない。だけど俺は徐々に人間に近づいている気がする。もう人は一年以上喰べていない。今までは人を喰べるという欲求が強かった。だが不思議な事にノヴァを殺してから、その欲求が俺を支配する事は無かった。つまりその欲求も俺のものではなく、ノヴァのものだったのだろう。


 なんて人生だ。俺のものだと思っていた想いのほとんどが俺のものではなかった。フィリア様への狂おしいほどの執着も、人に対する飢餓感も憎しみも、命を摘み取る喜びも。全て、全て俺のものではなかった。俺は俺の人生を今まで生きていなかったのだ。


 ある日、ようやく俺は多くの間違いを犯してきた事に気がついた。胸が苦しくなって、突然涙が溢れ、俺は狂ったように泣いた。カミーラはそんな俺を優しく抱きしめてくれた。それからしばらくして、泣き止んだ頃に俺は、人間達がするという罪の告白をカミーラにした。


 今までどんな事をしてきたか。それがどれほど愚かな行いだったのか。今、俺がその事に対して、どんな想いなのか。


 俺が家族を奪った少女に、俺はそんな事を話した。今思い返せば無神経極まりない。だが彼女はそんな化け物を優しく抱きしめてくれた。今まで感じた事のない感情を俺は抱き、彼女はその感情が安心感なのだと名前を教えてくれた。


 それから彼女は一つ一つ、俺に様々な感情の名前を教えてくれた。喜びも悲しみも安堵も後悔も哀愁も愛も、何もかも俺に教えてくれた。その度に俺は化け物から人間になっていく様に感じた。それがとてつもなく嬉しかった。例えこの体が人間を滅ぼすために生み出された、龍魔という存在であったとしても、俺は人間になりたかった。そしてこれが俺自身が初めて抱いた望みである事にようやく俺は気がついた。


 ノヴァではなく俺の願い。つまり俺は自分の生を始める事が出来たのだ。それが分かり、俺は喜びで胸がいっぱいになった。だからこそ、俺はカミーラといつまでも一緒にいたかった。俺を人間にしてくれる唯一の存在。それが彼女だったから。


 それを素直に彼女に伝えたら、彼女は顔を赤らめて、小さく「私もです」と答えた。それから彼女は自分の唇で、俺の口を塞いだ。初めての行為に、その意味を尋ねたら「内緒です」と言ってきた。だけど不思議な事に、俺はその行為に今までに感じる事がなかった温かさを感じた。そしてこの想いが俺をきっと人間にしてくれるのだと、俺は思った。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「体調は大丈夫なのか?」


 近頃、カミーラの様子がおかしい。頻繁に体調を崩し、まともに食事を摂ることもできない。何を言ってもただ「大丈夫です」としか答えてくれない。


「大丈夫です。多分そういう事なのかもしれないから」


 意味が分からなかった。だが不思議な事に二日おきに起こっていた発作は収まり始めていた。いや、もしかしたら我慢しているのかもしれない。時々苦しそうに唸っていたからな。


 初めは三日おきになった。それが徐々に期間を伸ばしていき、今では1週間おきになった。その上、獣の様に激しく動いていた彼女は、ゆっくりと動くようになった。まるで腹部を気にしているみたいに。


 そんなある日、久々に小さな町に寄った俺達は、病院に行く事になった。そこで医者に告げられた事に、俺は目を丸くした。


「奥さんは妊娠しておりますな」


 カミーラはその言葉を聞いて嬉しそうな顔をして、俺の方を見た。だが、俺は彼女に笑いかける事が出来なかった。なぜなら「妊娠」という言葉の意味を理解したからだ。


 俺は人間ではなく、龍魔。つまり魔人だ。その子供は半魔という事になる。半魔には2種類いるという事を、俺は知っている。というよりもノヴァと一つだった時に、奴の記憶で知った。


 一つは魔人としての側面を強く受け継いだモノ。

 

 一つは魔物としての側面を強く受け継いだモノ。


 前者なら、人の容姿はしているものの、人間を喰らう化け物だ。世界に受け入れられる事はない。後者はそもそも人間の形をしていない。そしてどちらもフィリア様の監視から逃れる事は出来ない。半魔は非常に珍しい存在だからだ。彼女がどの様に俺たちの人生に介入するかは分からない。だがどうせ碌でもない事に決まっている。なぜならあの御方は悲劇が好きだから。誰よりも俺はそれを知っている。


 だからこそ、俺はカミーラが妊娠した事実を容易に受け入れる事が出来なかったのだ。それを彼女に話したら、彼女は「それでも産みたいです」と答えた。どれだけ話し合っても、彼女の決意は変わらなかった。こうして、俺達二人の旅は終わりを告げた。


 俺達はその小さな町で彼女が出産するまで過ごす事になった。1箇所で暮らす事を避けてきたのは、一所に留まればフィリア様に関心を持たれるかもしれなかったからだ。だけど、これ以上身重のカミーラに過酷な旅は無理だった。だから、俺は心の中で恐怖を覚えつつも、その町で暮らしていく事を選んだ。




 それから数ヶ月後、奇跡が起こった。


 子供は確かに半魔だった。だけど、三つ目の可能性が現実になったのだ。それはつまり、人間としての側面が強く出たという事だ。人間を喰らう化け物ではなく、ただ少し他の人間よりも優れただけの普通の子供だった。


 俺は喜びに打ち振るえた。フィリア様が今回は悲劇を望まなかったのかもしれない。そのおかげで、俺達の子供は世界で生きていく事ができる様になったのだ。


 相変わらず、俺もカミーラも破綻している。俺は人間ではないし、カミーラも妊娠中の揺り戻しなのか、また肉欲に溺れている。だけど、そんな俺達の子供は人間として生きていけるのだ。それが堪らなく嬉しかった。


 俺は確かにその短い時間、龍魔ではなく人間だった。呼び出しが来るまでは。

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