レヴィとカミーラ5 護り方

レヴィにとってカミーラの存在はありがたかった。一応貴族の家ではあったが、弱小貴族であったため、彼女は市井での生活を理解していたのだ。今まで龍魔として生きてきた彼は、人間社会に混じるにはあまりにも一般常識が欠けていた。例えば金の概念について理解はしているが、硬貨の違いを知らなかったり、そもそもその金を生み出す方法を知らなかったり、支払いの仕方を知らなかったりと、彼一人だけではまともに人間社会で生活する事すら出来なかっただろう。


 あてどなく始めた旅ではあったが、彼らはすぐに互いが互いにとって必要な存在である事を理解した。加害者と被害者という関係ではあるが、彼らは同時に共依存関係にあったのだ。


 レヴィにとってカミーラは生きる術を教え、意味を与えてくれる存在である。ではカミーラにとってはどんな存在なのか。彼女はレヴィを仇として見てはいたが、勝てない事も理解していた。そのため、彼女の怒りは諦念に包まれており、鎮火はせずとも下火になっていた。それよりも彼女がレヴィに依存したのは肉体的な事だった。


 旅を始めて二日目の晩、レヴィが違和感を感じて目覚めると、自分の下半身に顔を埋めるカミーラがいた。初めての感覚に混乱していると、カミーラは恍惚とした表情でレヴィを見つめた。そして困惑するレヴィに身を差し出して、快楽を求めた。


 翌朝、レヴィがその事を尋ねると、カミーラにその記憶はなかった。だがそれはその後も二日おきに行われた。流石に不気味に思ったレヴィは、最中にカミーラの意識を起こさせた。自分が何をしているのか理解したカミーラは絶望した。


「な、なんで……」


 意識なく自分から男を求め、しかも家族の仇である相手すら性欲を満たす為の対象に用いていたのだ。そこにはもはや純だった彼女の姿は無かった。コーションの屋敷での事ならば、仕方ないと割り切れた。性に意欲的でなければ生きられなかったのだから。


 しかし、今は違う。彼女には性行為に対して何の義務もないし、その行為は生存する為の手段でもなかった。それなのに肉体が彼女の意識を越えて、情欲にかられていた。それは彼女にとって受け入れ難いものだった。醜い自分を認める事など、まだ15歳の少女である彼女には到底受け止めきれない現実だった。


 その後、二人は近くの村にいる薬師に会いに行き、そこで彼らは薬師から彼女の状態についての説明を受けた。彼女はいわば薬物中毒に近い状態だったのだ。2年間毎日のように嗅いでいたコーションの部屋のお香には性的興奮を高める作用と同時に一種の麻薬のように体を蝕む作用があった。


 彼女のように長時間それを吸引し続けた場合、体が性欲を満たさないと精神が崩壊する恐れがあるのだと薬師は言った。つまり彼女は一定の間隔で性行為をしなければもはや生きていけないのだ。その事実を知り、カミーラは泣き崩れた。レヴィはそんな彼女を改めて支える事を誓った。


 ちなみにその晩、薬師は何者かに殺害された。彼は鋭利な刃物で体を上下に切り裂かれていた。悲鳴を聞いた者が現場に駆けつけた時、既に犯人は消え去っていたという。


〜〜〜〜〜〜〜〜


 旅を始めた彼らが最初に向かったのは、カミーラの故郷であるカフマン領にある彼女の家だった。2年という月日が経っても、崩壊した建物はそのままだった。


「ここで何をするんだ?」


 レヴィの問いには答えずに、カミーラは青白い顔をして記憶を頼りに、ある場所に向かった。そしてそこに着くと膝から崩れ落ちて、何かに縋り付いて泣き出した。


「ど、どうしたんだ?」


 慌てて尋ねる彼に、子供のように首を振りながら、彼女は泣き続けた。そのためレヴィは横から彼女がしがみついたそれをチラリと覗き込んだ。


「……」


 彼女が抱えるものは墓標のように置かれた簡素な岩だった。誰かが置いたのか花が添えられている。


「これは?」


「……お父様とオーラムのお墓です」


「……そうか」


 カミーラはレヴィに恨み言一つ溢さず、ただシクシクと泣き続けた。


「そちらにいらっしゃるのは……もしやカミーラお嬢様!?」


 その声にレヴィとカミーラは振り向く。そこには右足が義足で、右側の顔を黒い布で覆った初老の男性が立っていた。顔は布で覆っているものの僅かに火傷の跡が見えていた。


「ハルディン! 生きていたのね!」


 カミーラは老人に駆け寄り、抱きついた。


「ああ、よかった。お嬢様だけでも生きていらっしゃった」


「うん。私も、ハルディンが生きてて嬉しいわ。それにしても、その足と顔はどうしたの?」


 彼女の記憶の中のハルディンはこのような怪我を負っていなかった。


「あの日、わしは街に用事で出ていたんです。その時にアレに巻き込まれて、気がつけばこんな体でした。幸運にもわしはなんとか生き延びてリュカ王国の騎士隊に保護されましたが、1年ほどまともに動く事も出来ませんでした。最近になって漸く歩けるようになったので、こうして近くに戻ってきたのです。幸いな事にわしの家は少し離れているおかげで無事でしたので。それでたまにこの屋敷に誰か戻ってきていないかを見にきていたのです」


「よく誰か生きてるって分かったわね」


「墓がありましたからな。それがあるという事はお屋敷に勤めていた誰かか、あるいはお嬢様か奥様が生きていると想像できました」


「そっか」


「それよりも、お嬢様は今までどちらにいらっしゃったのですか?」


 ハルディンの言葉に、カミーラはビクリと体を振るわせる。右手で左の二の腕を掴み、その爪が肌に食い込んだ。


「わ、私は……」


 顔が真っ青になり、口籠る。その様子を見て、ハルディンは今まで彼女に、自分が想像も出来ないほど途轍もない苦労があったのだと理解した。


「と、とにかく、再び会えて光栄です。お時間がございましたら、ぜひ家に来てください。家内も喜びますので」


「モリーエも無事だったの?」


「はい。幸いな事に体調を崩していたおかげで免れました」


 カミーラはチラリとレヴィを見る。彼女の視線に気づいたレヴィは小さく頷いた。


「分かったわ。ぜひお邪魔させてもらえるかしら」


「ほっほっほ、それでは行きましょうぞ。お連れの方もぜひご一緒に」


 杖をつきながら、先頭を進み始めたハルディンの後をカミーラとレヴィは付いて行った。


〜〜〜〜〜〜〜


 夜中、ハルディンとモリーエは大きな声に目を覚ました。それはレヴィの部屋から聞こえてきた。ハルディンが恐る恐る部屋に近づくと、ドアが僅かに開いていた。そこからこっそりと中を覗くと、そこにはレヴィの上で喘ぐカミーラがいた。そこには昔の面影は一つもなく、ただ肉欲に駆られた獣にしか見えなかった。


 驚愕で思わず息を呑む。小さい音のはずなのに、ドアの向こうにいるレヴィはハルディンの方に顔を向けてきた。その目の瞳には蛇のような黒い線が一本入っている。まるで獲物を見るようなその眼を見てハルディンは思わず腰を抜かした。杖を取り落とし、音が鳴るも、カミーラはそれに全く気づかず、快楽を味わい続けていた。気味が悪くなってハルディンは急いでその場を離れた。


〜〜〜〜〜〜


「それじゃあ、私達はこれで」


「……どちらに行かれるのですか?」


 昨日の晩の不気味さは無く、今のカミーラはハルディン達がよく知る彼女と同じだった。


「分かりません。でもどこか遠い場所に行きたいと思っています」


「また会えるでしょうか?」


「はい。きっと、また会いに行きます。だからそれまで二人ともお元気で」


 カミーラはモリーエとハルディンを抱きしめる。


「レヴィ殿、どうかカミーラお嬢様をよろしくお願いいたします」


 ハルディンはそれからレヴィに深く頭を下げた。レヴィは答えずに小さく頷いた。


〜〜〜〜〜〜〜


「な、なぜこのような事を!?」


 ハルディンはすでに事切れたモリーエを抱きながら目の前にいるレヴィに叫ぶ。闇の中で金色に光るその眼は昨日見た時以上に不気味だった。


「俺はあいつをあらゆるものから護る。お前は……お前達に会えばあいつの心はまた傷つくかもしれない。だからそうなる前に消す……消さなければならない」


 その行いが歪んでいる事にレヴィも気がついている。何よりもその論理で考えるならば、真っ先に消されるべきは自分のはずだ。しかし、彼は自己の存在を維持する為に、その矛盾を無視しなければならなかった。そうしなければ生きる意味を新たに探す必要がある。


 あくまでもラグナの依頼であるジンを鍛えるのは義務であり、それを全うするには彼が彼である必要はない。誰にでも出来る事をただ自分がやっているのだ。だがカミーラを助ける事は違う。カミーラはレヴィを求めており、彼女を護るのはレヴィにしか出来ない。


 だからこそ彼は、矛盾に気が付いていないふりをした。そうしなければレヴィは新たに生きる意味を探さなければならず、それは彼にとって酷く心を摩耗させるものだからだ。


「恨みはない。だが死ね」


 レヴィはハルディンに向かって黒炎を放つ。悲鳴とともにハルディンの体はどんどん燃えていき、すぐに倒れ、やがて炎は家に飛び火した。瞬く間に家中黒い炎に覆われた。その様子を見届けた後、レヴィはカミーラが寝ている野営地に向かって飛び去った。

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