龍の章

生存戦略

 僕にとって闘いとは生きる事と同義だった。一つの体に二つの魂が共存する状態。それが僕だった。生まれる前から僕は奴を認識し、奴を通してあらゆる事を学んだ。しかし同時にその時から、僕は生き残る為の奴との生存競争が始まった。


 ノヴァ。奴は僕の教師であり、最も親しい友であり、そして最も憎い存在でもあった。


 僕が生きる上で必要な術は全て奴から学んだ。奴は僕に優しく接してくれたし、父さんと母さんから逃げ出した僕に親身になってくれた。だけど、今なら分かる。その優しさは全て奴の打算から来ていたという事を。


 僕は今この時も奴に魂を少しずつ喰われている。徐々にではあるが、僕の記憶に空白の時間が増えているのだ。その間、誰が僕の肉体を支配しているのかは考えるまでもないだろう。


 なぜ今更なのかと投げやりに聞いてみたら、四魔は共鳴するように魂が強固になるそうだ。他の四魔が目覚めるほどに魂はより強くなるのだ。つまり今までは乗っ取る事ができるほどの力はなかったらしい。何よりも僕はノヴァとの魂の結びつきが弱く、奪いにくかったらしい。だがこの前全ての四魔が現れた。もう何もノヴァを止める力を持つ者はいない。


「必ずお前の全てを奪う」


 そう何度も告げる僕を奴は嘲笑う。フィリア様も求めているのは僕ではなくノヴァだ。僕に生きる事を望む者も、愛してくれる者もいない。それが狂いそうになる程怖い。そんな気持ちを見透かしてか、精一杯強がる僕の言葉をノヴァは羽虫の囀りだとでも言うように嗤った。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「この任務を達成したら、僕のお願いを聞いてもらえますか?」


 小間使いのように、フィリア様の命で僕は今様々な所に向かい、そこで任務を実行する。普段はノヴァがあの御方と接するのだが、その日はなぜか僕に譲ってくれた。多分、間も無く僕を喰い尽くせると考えているのだろう。最後の情けという訳だ。


『ああ、私のかわいいレヴィ。いいでしょう。あなたの願いを叶えてあげましょう。それで、何をして欲しいの?』


 優しそうにフィリア様は言った。その真意がなんなのか分からない。フィリア様はとても気まぐれだ。だから今そう言っていても、数分後にはもう考えを変えているかもしれない。それでもその言葉を信じる以外に僕にはもう道がない。


「僕を……僕を息子のように愛してください。誰よりも、ノヴァよりも!」


 彼女のお気に入りになる事が今の僕にできる唯一の生存戦略だった。こんな醜く哀れなところをフィリア様に見せたくはなかった。だけど、それが生き残るために必要ならば、僕は喜んで彼女が望む道化を演じよう。ノヴァよりも上手く、長く愛でてもらえるように。


『ふふふ、面白い事を言うのね。私は今もあなたを愛していますよ。ノヴァとあなたに優劣をつけるだなんて、そんな事はしていないわ』


 多分フィリア様の言葉は正しいのだろう。この御方にとって、下界に住まう者は須く彼女を楽しませるためのおもちゃだ。その中には当然僕も含まれている。それを理解してから時々、僕は僕が殺した母さんを思い出すようになった。僕を無償で愛してくれた存在を。それから父さんも。


 だけどそれ不敬だ。そんな考えを抱く事自体が、彼女の愉悦のために生み出された存在として間違えている。ノヴァもレトも同じようにフィリア様のためだけに行動している。だけど、僕だけは奴らとどこか違う。それがなぜかは分からない。


「確かにあなたの愛は万人に等しく降り注がれています。だけど、僕はあなたの唯一でありたい。ノヴァ達四魔よりも特別な存在として見て欲しい!」


 殺されるかもしれないと覚悟しながらも、僕は叫んだ。その言葉にフィリア様は目を丸くする。


『……いいでしょう。あなたが私の期待に沿う働きをしてみせたら、その時はあなたを私の息子として認めてあげる』


 彼女が何を意図しているのかは分からない。だけどこれで、僕が生き残る術が見つかった。それに安心した。


「ありがとうございます。必ず成功させます!」


『ええ。行ってらっしゃい』


 フィリア様の言葉を背に、僕の意識は肉体へと戻っていった。


〜〜〜〜〜〜〜〜


『良かったのかい? あんな約束しちゃって』


『あら、来ていたの。まあ別にいいのよ。それにレトちゃんにも子供が出来たじゃない。私も一度くらい子供がどんなものか体験してみようかと思ってね』


『ふーん、でもあの子を子供にするんなら、ノヴァはどうするの?』


『別にどうもしないわよ。どうせノヴァには勝てないだろうから。取り込まれる僅かな時間だけでも一緒にいてあげようと思うの。どう思う?』


『いいんじゃない。おばさんがそれでいいならさ』


 無邪気な笑顔でそう言う彼女を見て、僕は思わず苦笑した。


『それで、与えた任務って何?』


『ああ、アカツキの結界を壊してってお願いしたの』


 彼女の言葉を聞いて僕は思わず目を丸くした。


『正気かい? あれは万全な状態の四魔でも壊せないほど強力なものだよ。何よりも、強い奴が攻撃すればその力が倍になって返ってくるっていう嫌らしい設計だ。何せあれはカムイが僕の権能を用いて張ったもので、僕の力の一部、つまり本物の神の力による結界だからね。神に創られたただの存在が、簡単に神の力を超えられる訳がないだろ』


『ええ、そうでしょうね。でもあの子は必ず成し遂げてみせると誓ってくれたわ。子供を信じるのが親の務めなのでしょう?』


『まあ、そうだね。でも下手したらノヴァも死んじゃうよ?』


『その時はノヴァの魂を持った別の子を創り出せばいいだけじゃない』


 不思議そうに僕の質問に彼女は答えた。


『本当に、あなたは人が悪い』


〜〜〜〜〜〜〜〜


 結論から言えば、僕は失敗した。眼前にあるアカツキの結界はあらゆる攻撃を跳ね返した。弱った僕と交代する形でノヴァが肉体の占有権を得た。そして僕に代わってノヴァがアカツキの結界を破壊しようと試み始めた。


 次に僕が意識を取り戻した時、僕の体はボロボロになり、もはやまともに動く事も出来なかった。どうやらノヴァも失敗したらしい。首を少し動かすと、視界の端に結界が映った。


 だんだん気が遠くなる気がして、僕は目を閉じて、近づいてくる終わりを待った。


〜〜〜〜〜〜〜〜


 真っ白い空間にレヴィは立っていた。あたり一面には何もない。


「どこだ、ここは?」


 レヴィは呟く。それはノヴァへの質問だった。しかし、答えは返って来なかった。


「どういう事だ? おい、ノヴァ! いるんだろう!」


 いつもノヴァと対面する時とは全く異なる空間ではあるが、それが超越した者に創られたものだという事をレヴィは肌で感じて理解していた。そしてこんな事が出来るのは女神フィリアを除いて、彼が知る限りではノヴァか、法魔しかいない。フィリアも法魔もわざわざこんな事をするとは思えないので、消去法的にはノヴァしかいないと彼は考えた。


『残念! 彼はこの空間にはいないよ』


 後ろから声をかけられた事以上に、レヴィはその存在が自分の背後に突然現れた事に驚愕し、咄嗟に距離をとった。レヴィが声のした方を睨むと、そこにはこの世のものとは思えない程美しい青年がいた。そして、それはノヴァの記憶を見せてもらった時に見た顔だった。


「あんたは……?」


『僕かい? 僕はラグナだ。フィリアおばさんの甥っ子で、ジン君の飼い主のさ。なんてね』


 ラグナが敵対している神だとレヴィは聞いていた。それで彼はすぐに構え、爪を伸ばそうとした。しかしいくら力を使おうとしても、体には何の変化も現れなかった。


『ああ、無駄無駄。この世界は僕が創ったものだから。ルールは僕が決められるんだ。君に僕を攻撃する事は出来ないよ。あ、それとこの空間にはノヴァも入り込めないから、今この瞬間はまさに君一人だけだ』


「……それならあんたの目的はなんだ」


 レヴィは警戒したようにラグナを睨む。


『いやー、君とおばさんの会話を偶然聞いちゃってさ。あ、僕とおばさんはお茶友なんだけど聞いてる?』


「いや」


 突然の真実にレヴィは混乱する。それならばジンは一体何のために闘っているのか。そして自分の本当の両親は何のために命を落としたのか。レヴィは自分の存在の根底を揺るがされた気がした。


『あ、そうなの。まあでも、ノヴァも知らない事だし仕方ないか』


「……僕に何の用だ?」


 何とか持ち堪えて、話を進めないラグナにもう一度尋ねる。すると、ラグナは人懐っこそうな笑みを浮かべてレヴィに提案した。


『君、今ノヴァに取り込まれそうでやばいんだろ。ノヴァに勝つ方法を教えてあげるよ』


「あんたがそれをするメリットは?」


『メリットか、特にはないけど、強いて言えばそろそろ配役に飽きてきたって所かな。おばさんはお気に入りを転生させて何度も使いたがるんだけどさ。僕はやっぱり転生させるのって邪道だと思うんだ。だってそいつにだけ何回もチャンスがあるんだぜ? 万人を愛するなんて標榜してるくせにずるいじゃん。保守的なくせに新しい物語が見たいとか図々しいよね。まあ、だからそろそろ配役も交代かなと思ってさ。レトの方もそうしてみようとしたんだけど、ジン君がドジ踏んで失敗しちゃったよ。いやぁ、参った参った』


 胡散臭さを隠そうともしていないラグナを、レヴィはとてもではないが信じられなかった。


『あ、僕を信じられない? まあ、それはそうだろうけどさ。いいのかい? 君、このまま生き延びたとしても、ノヴァに魂を取り込まれて終わりだぜ?』


 だがラグナの言う事もまた事実だった。その上、任務に失敗したレヴィを、フィリアが愛しはしないであろうという事は彼にも容易に想像できた。つまり結界を破壊出来なかった時点で彼の命運は尽きていたのだ。そんな状況にに今一筋の光が差した。ならば差し出された手を掴む以外の選択肢は、彼にはなかった。

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