第228話選択

 シオンはマルシェの腹部から手を引き抜くと、ペロリと手に付いた血を舐めた。支えを失ったマルシェの足から力が抜けてずしゃりと倒れた。


「マルシェエエエエ!!!」


ルースがマルシェの名を叫びながら彼女の下に駆け寄る。


「ル……ス……」


 血を吐き出しながらマルシェがか細い声で彼の名を呼ぶ。アルトワールがそのタイミングでシオンとルースの間に岩の壁を生み出した。薄い壁が出来上がったと認識した瞬間、シオンの側にだけ棘が伸び始め、彼女に襲いかかる。シオンは薄ら笑いを浮かべながら軽く後ろに飛んで距離をとった。


「なんで……?」


 ジンは呆然とする。テレサもグルードも状況を理解できず足が止まっている。


「マルシェ! マルシェ!」


 ルースの悲痛な叫びが耳に届く。


【ここは狭いな】


 レトがそう呟くと、彼女の体を光が覆った。


「まずっ!?」


 アルトワールが何を意図しているのかを咄嗟に想像し、自分の周囲にいたマルシェとルースとテレサを覆う球状の『岩牢』を何層も作り出す。少し離れていたグルードとジンを残して、レトの体から光の波動が周囲に広がった。


〜〜〜〜〜〜〜〜


「ぐっ!」


 ジンが目を覚ますと体が圧迫されていて身動きできなかった。体を強化して、無理矢理に自分の上に乗っている重い物体を右手でどかす。ようやく上体を起こした彼の目に飛び込んできたのは、治療院の残骸とそこかしこに転がる無数の死体だった。さらに耳に苦痛に嘆く声も届いてくる。どこかで火事が起こっているのか煙も漂ってくる。


「なんだよこれ……」


 ふと痛みを感じ、左腕を見てみると、二の腕あたりから下が岩に潰されたようにぐちゃぐちゃになっていた。さらに右の太ももにはとても簡単には抜けないぐらい深々と大きなガラスが突き刺さっていた。たらりと血が目に入ってきた事から、頭も切っているようだった。


「シオンは……みんなは……」


 痛みを堪えながら周囲を見回す。少し離れたところにボロボロに崩れた岩の球体があった。ジンはなんとか立ち上がるとよろよろと足を引きずりながら、それに近づく。それに手をつくとボロリと岩が一部崩れて中が見えるようになった。その中を覗き込むと、ルース、マルシェ、テレサ、そしてアルトワールがそこかしこから血を流して目を閉じていた。


「み、みんな……」


 吐き気がするほど緊張しながら、恐る恐る彼らの状態を確認しようと手を伸ばす。


【生きておるか?】


 声がした方を振り向くとクスクスと笑いながら、瓦礫の山の上に優雅に足を組んでレトがジンを見下ろしていた。


「……なぜこんな事をしたんだ」


【ふむ、なぜかと問われたら、この方が面白そうだったからとしか言えんな】


「面白い? これが?」


【ああ、きっとフィリア様も御喜びになるだろう】


「……けんな」


【うむ?】


「ふざけんな!」


 何もかも自分から奪おうとする存在を前に、ジンは奮い立つ。手が血だらけになるのも無視してガラスを掴むと強引に引き抜いた。血が吹き出すが、すぐに術を使って修復する。だが腕にまで掛ける時間はない。すぐに空中に短剣を一本作り出すと、それを掴んで駆け出した。


「はあああああああ!」


 渾身の力を込めて、ジンは上段からレトを切り裂こうとする。


【愚かな】


 しかしその攻撃はレトには届かない。透明な膜が彼女を覆い、攻撃を遮断する。続けて指を合わせた彼女は一言呟く。


【『烈波』】


 激しい波が押し寄せるようにジンは吹き飛ばされた。瓦礫の中を転がり、そこかしこに落ちている石やガラスや木片に体を切り裂かれる。痛みに耐えながらも立ち上がる。


【腹が減ったな】


 そんな事を言いながら、レトはゆっくりと立って周囲を見回し、ある方向で目を止めた。


【あそこか】


 彼女の視線の先に何があるかをジンはすぐに思い出せなかった。それから彼女はさらに顔を動かしてもう1方向に目を向けた。


【それと、あそこもか】


 その方向に何があるのか、今度はすぐに想像できた。ミコトやゴウテン、コウランたちアカツキの人々が泊まっている宿があるのだ。


「行かせねぇ!」


 ジンは足を奮い立たせてレトに向かって怒鳴る。


【ふっ、やってみよ】


 そんな彼をレトは鼻で笑った。


〜〜〜〜〜〜〜〜


【なるほど、まだお前は残っていたのか。いや、これも禁術のおかげか】


 闇の中で、レトはナギと向かい合っていた。


【つくづく『生命置換』は面白い。あるべき姿を歪めるとはな。おかげで気付くのが遅れたわ】


「……あなたは私が止める」


【出来るとでも?】


「ええ、だって私があなたの一部であるように、あなただって私の一部なのだから。私はあなたの持つ知識も力も使う事ができる!」


 そう言うと、ナギはレトがいつも術を行使する際にするポーズをし、叫ぶ。


「『境界』! 『封結』!」


 瞬時にレトを覆うように空間が生み出され、さらにそれを覆うように結界が作り出された。


「『吸印』!」


 そしてそれがナギの体に吸収された。


【ほう、なかなかやるではないか】


 ナギの頭の中でレトの声が響く。


「あなたにあの子達の邪魔はさせない!」


【涙ぐましい覚悟だ。本当に愚かで哀れで、そいで愛おしいうつけ者よ】


 ナギはその言葉を無視して、さらに術を発動する。


「『滅魂』!」


 魂すらも消滅させる術である。つまり未来永劫転生する事なく、地獄にも天国にも行かず、ただ虚無となる術だ。法魔を永久に葬るためには最適な術であるといえよう。


【『滅魂』か。いい術を選ぶな。確かにそれは我にとって致死の一撃と言えるだろう。だがそんな事をすれば、お前もどうなるか分かっているのか?】


 対して緊張した様子もなく、覚悟を揺さぶるような事を尋ねてくる法魔に苛立ちながらも、ナギは答える。


「そんな事分かってる! でも私は、私があの子の為に最後にできる事をするだけよ!」


 ナギの心に迷いはない。法魔に混じっていた『ナギ』の魂と融合し、完全に一つの魂となった彼女は、『ナギ』の記憶と決意も継承していた。つまり、あの地獄での出来事も、そして誓った覚悟も持っていたのだ。だからこそ、彼女は最愛の弟とその恋人、そして自分の姪である彼らの子供を救う為ならば全てを犠牲にするつもりだった。


【そうか。その精神、本当に頭が下がるわ。だがすまんな。まだ死んでやることはできん】


 その言葉の意味を理解する前にナギの体が上書きされ始めた。


「こ、これは!?」


 体がどんどん法魔になっていくのを止められない。記憶が浸食され、自我が食い潰されていく。


【お主は我であり、我はお主だ。そう言ったな。ならばお主とこうして入れ替わるのも可能であろう? それに、お主は所詮我の一部でしかない。たった一人が何十人もの人間を乗っ取ってきた我に叶うわけなかろう】


「そ、そんな……」


【もう眠れ】


 その言葉を聞く前に、ナギの全ては完全に法魔に喰われた。


【さてと、表の様子はどうなっているか】


 法魔はそう言いながら、シオンの目を通して外を見る。丁度シオンがジンに馬乗りになっているところだった。


【ふむ、少し隠れて様子を見るか】


 喜びが強いほど、悲しみは大きい。陳腐だとは思うけれど結局の所、そんな使い古されたテンプレートな話は面白いしおばさんも満足する。僕はつまらないと思うけどね。だって、ありきたりの話はいくらでも生み出せる。僕たち神が態々介入しなくたって、勝手に人間は繰り広げるんだ。それなら僕たちの存在意義はないじゃないか。


 なんてね。


〜〜〜〜〜〜〜〜


「うおおおおお!」


 ジンは剣を全力で振るった。法魔に効果がないとしても、時間を稼げば誰か増援が来てくれると信じていた。だからそれが起こった時、彼は止める事ができなかった。


 突然法魔を包む膜が消えたのだ。法魔自身想定外だったのか目を見開いた。ジンの短剣は法魔の左肩に入り、そのまま勢いを止めずに、彼女の胸部を斬り裂き、そのまま行けば腹部へと達しようとした。ジンは咄嗟に剣を手放す。横隔膜の辺りで勢いが止まった。


「……シオンなのか?」


 ジンは思わず尋ねる。


「うん」


 その質問にシオンは頷いた。


「多分少ししか保たないけど、なんとか意識を取り戻せたみたいだ」


「俺は……俺はどうすればいい? どうすればお前を救える?」


 ジンは悲痛な声でシオンに聞く。彼女はそんな彼を見て少し困った顔を浮かべる。


「僕にも分かんないよ。でも、多分法魔を抑えるには今死ぬしかないと思う」


 その言葉に言葉が詰まる。必死になって頭を働かせた。そして気がついた。


「……そうだ。ラグナだ。ラグナが言っていた。お前を救うにはキスすればいいって」


 縋るようにジンは言う。


「ラグナ……か。なあジン。僕はその言葉信じない方が良いと思う。よく考えてみて欲しい。ラグナがお前に話したことと今の状況は本当に合っているのか?」


「そんな事、今どうでもいいだろ!」


「聞いてくれ。お前はこの世界でフィリアの監視から逃れた存在だとラグナは言ったんだよな?」


「……ああ」


「それならなんで四魔はお前の事をフィリアへの『贄』だって認識しているんだ?」


「それは……」


 ジンは言葉に詰まる。根底が覆されるような予感がした。


「他にもある。なんでお前に関係する人間は悉く魔人や魔物になったんだ? それになんで大きな事件に必ず巻き込まれるんだ?」


「そんなわけ……」


「そうやって考えるのを止めずに、よく考えてくれ。もう僕には時間がないんだ。僕の言っている事に矛盾はあるか? ラグナが言ったことに違和感を感じた事はないか?」


「……俺は」


 ジンは必死になって過去を思い出す。しかし腕の痛みのせいか頭が働かない。


「ジン、時間がない。決断してくれ。ラグナの言う事を聞くか。僕の願いを叶えるか」


「お前を殺すなんて俺に出来るわけ……」


「それでも、だ。それでも僕の事が本当に大切だと思っているなら、後生だから僕の頼みを聞いてくれ」


「……お前を殺すくらいなら、俺は俺を殺す!」


 ジンは叫んだ。シオンは困った顔でポロポロと両目の端から涙を流し始めた。


「だめだよ。ジンには役目があるだろ。この世界を邪悪な神達から守るんだ」


「お前がいない世界に意味なんかない!」


「大丈夫、きっと新しい意味が出来るよ。だから、僕よりも素敵な人を、今度は最後まで守ってあげてよ」


「そんな……そんな最後みたいな事、言わないでくれ」


「うん、ごめん。でもお願いだ。僕とこの子を人を喰らう悪魔にはしないで欲しい」


 その言葉に、ジンは耐えられず泣き出して蹲る。そんな彼をシオンは上から抱きしめた。


「本当に……それしか道はないのか?」


「うん」


「……分かった」


 やがてジンは立ち上がり、少し距離を取ってから短剣を作り出してシオンに向けた。


「簡単な攻撃だと、多分法魔は回復してしまうと思う。だから、狙うなら首を」


 シオンの言う通り、ジンは彼女の首に狙いを定めて踏み出した。シオンは目を瞑り最後の瞬間を待った。しかしそれはいくら待っても来なかった。恐る恐る目を開けると喉元には剣が触れるか触れないかというところで止まっていた。


「なんで……」


「出来る訳がねえだろ!」


 ジンは吐き捨てるように叫ぶ。


「もういい。お前はラグナを信じられないかもしれないが、あいつはこれがお前を救える方法だって言ったんだ。疑わしくてもお前が一緒にいられる方法がそれしかないなら俺はあいつを信じる!」


「ジ……っ」


 シオンがジンを嗜めようとする前に、ジンは彼女の口を口で塞いだ。


『あーあ、やっちゃった』


 そんな声が聞こえた気がした。

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