第209話魂について

 1日目は触診から始まった。


 身体中、隅から隅まで調べられた。ジンにも触られた事の無いような所まで、隅々と。それが終わると、ディマンは両手足の腱を切った。逃げられないように。そして、痛みを堪える僕を笑いながら拷問した。


 2日目は彼の質問から始まった。


 それは僕の心を酷く掻き乱した。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「人間の感情がどこから起因しているか、知っているか?」


 ディマンは僕の腕から何らかの薬品を注射した。それから急にそんな事を尋ねてきたのだ。彼の質問がよく分からず、僕は怪訝な顔を浮かべた。


「……頭じゃないのか?」


「そう。私もそう思っていたんだ。彼女が現れるまではな」


「彼女?」


 ディマンは徐々に興奮していった。まるで自分の発見を誰かに伝える事がこの上ない喜びであるかのように。


「お前も知っている通り、ナギの事だ。そういえば、まだ見せた事がなかったな」


 そう言うと、ディマンはパチンと指を鳴らした。すると部屋の中にゾロゾロとナギさんと同じ顔の女性が入ってきた。


「こ、これは?」


 彼女達を見て僕は呆然とする。


「ここにいる彼女らに、感情は無い。お前の恋人が殺した彼女と全く同じように造ったというのにな。つまり彼女と、ここにいる彼女らとの間には明確な違いがあったという事だ。そしてそれは簡単な話だった。以前感情を植え付けるための実験を行い、唯一成功したのがあのナギだと私は思っていた。しかし、そうではなかったのだ」


 ディマンは僕を忘れたかのようにブツブツと部屋の中を歩きながら語り出した。


「そう。あの実験は成功したわけではなかった。ただ、肉体に離れていた魂が戻っただけだったのだ。理由は何故か知らないがな。神の介入によるものか、それとも何かの偶然か」


 その時、僕はふと、以前ジンから聞いた、ラグナの力でナギさんと白い空間の中で再会したという話を思い出した。つまり、彼女の魂はラグナの手元にあったという事だ。僕の予想が正しいのなら、やはりラグナは敵だと言える。


「それはさておき、彼女に定着した魂は本物の『ナギ』の魂だった。つまり、彼女の行動も感情も、その魂から発露したものだということだ。魂があるからこそ、人は感情を得て、人として生きる事ができる。そこでふと私に一つ疑問が生まれた。そもそも魂とは一体なんなのか?」


 ディマンの言葉に熱が入っていく。


「話によると、彼女は『ナギ』の記憶を持っていたそうだ。つまり、魂は単なる感情を生み出す装置ではなく、体験した事象を記録する媒体としての役割もあるのではないか? さて、そうなると、私の中にもう一つの疑問が生まれた」


 そこでディマンは僕に血走った目を向けてきた。


「果たして、【生命置換】で融合した魂には何が起こっているのだろうかというね」


 目の前の男が、何を言いたいのか分からない。でも、酷く喉が渇いて、心がザワザワと波立ち始める。よく分からない不安が胸の中で渦巻いていく。


「魂は感情を生み出す装置であり、記憶が刻み込まれた媒体だ。それならば禁術によって、元の魂にそれらの情報が埋め込まれるのではないだろうか。そうと考えたなら、果たしてお前の感情は、本当にお前の魂から発露したものなのか? 『ナギ』が持っていたジンに対する親愛の情を、お前が肉欲を伴った愛情と勘違いしたのではないか?」


 目の前が暗くなり、頭が殴られたようにガンガンと痛む。


「そんな事……」


「本当に無いと言い切れるか? 異様に彼の事を気になったりはしなかったか? 知り合ったばかりの彼に安らぎを感じた事はなかったか? お前の今までの行動と思考に則して彼と接したか?」


 僕は初めてジンと会った時から起きた事を一つ一つ思い出す。いや、思い出したくないのに、思い出してしまう。さっき注射された薬のせいか、頭の中が妙に鮮明だった。


「ぼ、僕は……」


 思わず言葉に詰まる。確かに彼から目を離せない自分がいた。初めは嫌いだった。それなのに、そんなやつのはずなのに、僕は何故かジンの事を目で追っていた。普段の僕ならそんな事、絶対にあり得なかったはずなのに。


「ぼ、僕は!」


 もう一度反論しようとして、やっぱり言葉が出てこない。入試での事、入寮日での事、入学式での事、野外演習での事、武闘祭での事。学校に入る前、男を毛嫌いしていた頃の僕なら、あんなに彼に固執しただろうか。それに何よりも彼が僕の前から去った後の2年間、あれほどまでに心を囚われ続けることなど、普通の人ならあり得るのだろうか。


 分からない。分かりたくない。分かるのが怖い。


「お前も信じられなくなってきたようだな。さてもう一度聞こうか。本当にお前の想いはお前のものなのか?」


 僕はもう口を開く事ができなかった。


「ふむ、少し話が逸れてしまったが、次の段階に移るとしようか」


「……次?」


 弱々しく、僕はディマンを見る。彼は手に新しい注射器を持っていた。


「ああ、お前に素晴らしい体験をさせる事を約束しよう」


 本当に、本当に楽しそうにディマンが嗤う。


「や、やだ……やだ、やめて、やめて!」


 僕は体を動かして逃げようとする。でも体は椅子に固定されていて、首しかまともに動かせなかった。


「何、不安になる事はない。ただもう少し絶望してもらうだけだ」


 僕の腕に針が刺さり、注射器の中の液体が徐々に体の中に入ってくる。


「さあ、夢の世界で存分に楽しんでくるがいい」


 頭の中がフワフワとし始めて、周囲の光景がグニャリと変わり出した。気がつけば僕は、どこかの路地裏にいた。ディマンも、ナギさんの複製体もいなかった。


「ここは?」


 そこは自分が知らないはずの場所だった。なのに僕はそこを知っていた。僕の足が勝手に進んでいく。胸が高揚して、早く会いたいという気持ちに包まれる。いつの間にか僕は駆け出していた。不思議な事に、私はジンに、私の弟にどうしようもなく会いたかった。


〜〜〜〜〜〜〜〜


「ただいま!」


 家で夕飯を作っていた僕の耳に幼い男の子達と女の子の声が聞こえてくる。三人は僕が会った事も無いが、一人は忘れるはずもない。僕の記憶よりも幼いけど、私の弟のジンだ。


「どこに行ってたの? ジンも、ザックも、レイも、ミシェルも、泥だらけじゃない。まずは汚れを外で落としてきなさいな」


 意識していないのに勝手に言葉が口から出てくる。「はーい」と言って体を綺麗にするために外に出ていった四人の後ろ姿を微笑みながら、私は見つめていた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「今日はどんな事をして遊ぼうか?」


 突然場面が変わって、今度は随分と豪華で、見覚えのある部屋のベッドに寝ている可愛らしい銀髪の女の子に、私は話しかけていた。


「あ、あのね。ご本を読んで欲しいの」


 僕がそう答えると、私は優しく僕の頭を撫でた。


「いいよ。何の本を読んで欲しいのかな?」


「えっとね……」


 私の言葉に、僕は嬉しそうに笑いながら、ベッドのそばに置いてあった本を私に手渡した。


「おほん、それじゃあ読むね……」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 また場面が変わる。今度は私の前に、魔物になり始めたせいで苦しそうな顔をしたお母さんが、粗末なベッドの上で横になっていた。ジンは私に抱っこされて寝ていた。


「お母さん……お母さん、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


「いい……のよ、ナギ。その子の為……なら、私の命なん……て惜しくない。ごめ……んね。あなたに、辛い事……お願いして」


「ううん、そんな事ない。そんな事ないから死なないで! 死んじゃやだよ、お母さん!」


「ごめん……ね。愛……してる。ジンを……お願いね」


 お母さんはそう言うと、殺して欲しいとお願いしてきたお母さんのために私がお母さんから習って作った毒薬を服毒した。少し苦しんだ後、お母さんは眠るように息を引き取った。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「なんで! どうしてそんなことしたんだよ!? 俺のせいで姉ちゃんが死んじゃうのかよ! 意味わかんないよ! なんで今まで言ってくれなかったんだよ。どうしてあと少しで死んじゃうのに、その原因を作った俺なんかに優しくしてんだよ!」


私の目の前で、ジンは泣き喚きながら叫んだ。そんなジンを見て私は優しく抱きしめながら何度も謝る。


「ごめんね。本当にごめん」


「どうして姉ちゃんが謝るんだよ……姉ちゃんのためにって一生懸命修行だって、手伝いだってしてきたのに、なんで俺が姉ちゃんが生きる邪魔になってんるだよ。こんなことなら助けてくれないほうがよかった。姉ちゃんが生きられるならそのときに死んだほうが……」


 その言葉を全て言わせる前に、そんな気はなかったのに、私はジンの頬を叩いていた。


「私はあんたのせいで死ぬんじゃない! 私がそうしたいって思ったからだ。それにあんたは知らないかもしれないけど、オルフェンシアに罹った人はすぐに魔物になっちゃうんだ。だから私はジンとお母さんを助けるためにできることをしたんだ。ジンとお母さんがいなかったら私だって死のうと思ってた!」


 私はジンに、私の想いが伝わって欲しくて叫んだ。


「お母さんは助けられなかった。でもジンは助けられた。私はそれを誇りに思っているし、今でもその判断は間違っていないと思ってる。だからジンが死にたいなんて言うのは腹が立つ。それはあんたに生きて欲しいと思ったお母さんと私を侮辱する言葉だから! お母さんも私もあんたには笑いながらずっと生きて欲しいって、あんたに幸せになって欲しいと思ったから!!」


「っ、それでも俺は姉ちゃんに生きて欲しい! 姉ちゃんが死んじゃうのは嫌だ!」


 でもジンはそう言って空き地から飛び出した。その後ろ姿を見て、私は呼び止めようと名前を呼んだ。


「ジン!!」


 だけどジンは止まる事なく逃げて行った。私もジンを追いかけようとして、突然強烈な眩暈に襲われた。心臓が早鐘を打ち、胃がひっくり返るような吐き気に襲われ、さっき食べた夕食を全て戻した。喉がひどく乾く。割れるような頭痛が意識を朦朧とさせ、そのまま地面に倒れこみ蹲る。次第に途切れかける意識の中で何かが私に呼びかけてきた。


『さあ殺し狂え。憎い奴を殺せ。愛しい奴を引き裂け。愚か者は喰ってしまえ。思うがままに殺しなさい。楽しみながら殺しなさい。悲しみながら殺しなさい。君は何をしてもいい。君は完全に自由なのだから。』


 そんな声が頭の中で鳴り響き、どんどん強くなる。初めは抵抗感を覚えていたはずなのに、いつの間にかその声はどんどん甘美な声に、絶対的に逆らえない声のように聞こえてきた。だから私はその声に従うことにした。


【だって、じぶんはなにをころしてもいいんだから……】

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