第156話人として

 アイザックの攻撃を回避したジンは一気に迫ると思いっきり腹に拳を叩き込む。何かが破裂したような音とともにアイザックが空中に浮かんだ。そこに回し蹴りを決めて吹き飛ばす。


 アイラが慌ててアイザックを支援しようと光法術を放とうとすると、それを止めるためにクロウが間に入り、ミコトが彼女に向かって炎弾を何発も放った。一方、ハンゾーはジンの援護のために、アイザックに追撃を加えようとしているジンを追いかける。


 ジンは吹き飛んで壁に叩きつけられたアイザックの前に現れると、もう一度力を込めた拳を彼の腹に放つ。アイザックの口から酸の血液が飛び散る。おそらく内臓が破裂したのだろう。そう考えたジンはミコトの結界を信頼して、自分に向かってくる血液を無視して何度も何度も拳を放つ。ズンッ、ズンッ、という音が周囲に響き渡り、アイザックの体がメリメリと壁に沈んでいった。


 だが激しい痛みの中で、うまく合わせてアイザックはジンの右拳を捕まえると、顔を歪ませながら強引に片手で投げ飛ばした。ジンは空中でうまく回転するとそのまま着地する。ハンゾーが慌ててジンに駆け寄ってきた。


「ジン様!」


「俺はいい。どうやらあいつはだいぶ弱っているみたいだ。それよりもあの子の援護がアイザックに飛んでくる方がきつい。お前はクロウを手伝ってまずあの子から倒してくれ。その間俺はあいつの気を引きつけて、可能なら殺す」


「はっ、了解致しました。しかしあまり無茶はせぬようにお願いいたします」


「わかってるって」


 ジンの言葉にハンゾーは一礼すると、すぐ様クロウの元へと駆けた。


「さてと、これで俺とお前の一対一だ」


 壁から出てきたアイザックにジンが話しかける。アイザックは口に溜まっていた血を吐き出してから、右腕で口を拭い、ジンを睨みつけた。


「ぶっ殺す」


「ああ、来いよ」


 ジンは右手の人差し指を動かして、アイザックに向かってくるよう挑発した。


「どこまでもムカつく野郎だ!」


 アイザックは地面を蹴ると、ジンに突撃する。ジンの想定通り、アイザックはかなり疲労している。分裂する際に多くの力をアイラに捧げた。その上彼女を守ろうと、迫り来る攻撃にいくつもの大技を放っている。魔人になって人間の時よりも、身体面も当然であるが法術面でも、威力も使用できる限界値も大きく向上している。しかしだからと言って肉体面に大きく負荷をかけていることには変わりなく、限界は近い。


『無駄撃ちはできない』


 ジンの速さを考えれば、無策で放てば確実に避けられるだろう。それに大技はその分だけ隙が大きい。その上どうやらジンは『自己紹介』の時には言っていなかった未知の力を有しているようだ。目の前の少年の能力が分からない以上、距離をとって戦うことは下策であるようにアイザックには思えた。


 両者は高速で接近し、殴り合いを始める。手数は圧倒的にジンが多い。元から神術よりも体術の方が彼は得意だ。突然使えるようになった無神術とは違い、身体コントロールは小さい頃から慣れ親しんでいる。さらにエデンにいた時に、ウィル達に徹底的に体術も叩き込まれていた。一方、貴族として、一応騎士になるために法剣術は納めてきたものの、アイザックは元から持っていた法術の才能にかまけて体術の修練をおろそかにしていた。両者の技量の差は歴然としている。


 だからこそ、アイザックが拳を一発ジンに放つ間に、ジンは無数にアイザックの体に拳を、蹴りを放った。しかし一撃の重さはアイザックの方が圧倒的に上であり、またジンの強化した拳よりも、アイザックの肉体の方が硬い。先ほどダメージを与えられたのは、アイザックが疲労していた上に、法術で戦おうとしていたため、防御が疎かになっていたからである。つまり接近戦で戦う覚悟を決めた彼には、生半可な攻撃ではまともにダメージを与えることも出来ない。


 ジンの顔を目掛けて放たれた拳を、彼はわずかに首を動かして回避すると、一歩大きく踏み込んで、アイザックの顎に向かって拳を振るう。その一撃で脳が揺れ、張り詰めていた意識を一瞬失う。ぐらりと崩れ落ちたアイザックに追撃として膝蹴りをその顔面に思いっきり食らわせた。


「がはっ」


 防御に力を回せず、隙だらけのアイザックは、首がちぎれ飛ぶのではないかと思うほどに体ごと浮き上がった。そこでさらにジンは素早く足を地面に戻すと、しっかりと大地を踏みしめて回し蹴りを首目掛けて放つ。アイザックは骨が折れたのではないかと思えるほどに首を曲げながら吹き飛ばされ、地面に転がった。


 ジンはゆっくりと近づく。その右拳に黒い光が集束していった。遠距離からの神術では避けられる可能性がある。それならば直接拳で魔核を破壊した方が確実である。幸いなことに先ほどの殴り合いで、ジンにはアイザックの魔核のおおよその位置は見当がついている。


 彼の接近に気がついたアイザックはよろよろと立ち上がる。既に満身創痍だ。そんな彼はすぐ近くに落ちているものに気がつき、すぐにそれから目を背けてジンの方に目を向けた。魔人の肉体はすぐにダメージを回復してくれる。おかげで揺れた脳もなんとか元に戻り、首も痛みはあるが耐えられないほどではない。ただ全身が猛烈に痛み、ダメージの回復と比例して、自分の命がガリガリと削られていくのが分かった。肉体は修復しているはずなのに、なぜか酷く怠かった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 アイラは遠くで殴られているアイザックを見て酷く焦れる。今すぐにでも彼を助けに行きたい。しかし目の前にいる彼らにそれを防がれる。


『早く、早く助けなきゃ、アイザックが死んじゃう!』


 クロウとハンゾーの攻撃を躱し、遠くから飛んでくるミコトの法術を回避しながら、どうにかして目の前の障害を排除しようと考えを巡らせる。アイザックは分裂する際に、かなりの力を彼女に費やしてくれた。正直に言えば、素の能力はアイラの方が上であるはずだ。実際にハンゾーもクロウもかなりの達人であるのに攻撃を当てることすらできない。それなのに、彼を助けたいのに、彼女は目の前にいる3人を殺すことが怖い。魔人であっても、心はまだ人間でいたい。例えそれが自分を殺そうとしている人間であったとしてもだ。


 だが次の瞬間、彼女は自分の決断が遅れたことを深く後悔した。


「いや、いやああああああああああああああああ!!」


 悲痛な叫び声が周囲に木霊し、彼女から突如衝撃波のようなものが放たれ、半径20メートル以内にあったもの全てを吹き飛ばした。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 自分の前でなんとか立ち上がったアイザックは弱々しい突きを放つ。しかしそれはジンに当たることなく、バランスを崩してよろめき倒れた。ジンはそんな彼を見下ろした。


「なあ、1つ聞いていいか?」


「……なんだよ?」


「どうして喰わなかったんだ?」


 ジンの言葉の意味をすぐに理解する。先ほど足元に落ちていた『モノ』を喰べていれば、今とはきっと状況が異なっているだろう。


「……だって、お前が言ったんだろ?俺を人間として殺してくれるって」


「……ああ、そうだった。そうだったな」


 アイザックはジンの予想通り魔人としてではなく、人間として死にたかった。意識が混濁していた時、確かに人間を喰べたことを薄らと覚えている。その甘美な味わいは今まで食してきた美食という美食が霞む程のものだった。しかし、彼は心のどこかでまだ人間でありたいと願っていた。そんな彼をジンは人間だと言ってくれたのだ。


 過去との決別だとか、魔人として生きる覚悟を決めるだとか、そんなのはただの取り繕った言い訳でしかなかった。諦念による言葉でしかなかった。自分を納得させる戯言でしかなかった。本当は、最後まで人間として、戦いたかった。人間として、死にたかった。


「何か言い残すことはあるか?」


 ジンの言葉にアイザックが一瞬考える。


「……俺が死んだら、アイラはどうなるんだ?」


 縋るような、祈るような表情を浮かべて尋ねた彼に、ジンは静かに首を横に振った。


「あの子も魔人である以上殺すしかない。ここで見逃せば多くの人が死ぬことになる」


「あいつは……あいつは優しいやつなんだ。誰も殺したくないって、魔物の時からずっと……」


「悪いな」


「……あいつは、俺を救ってくれたんだ。あの地獄のような実験の日々から俺を」


「すまない。それでも無理なんだ」


 ジンの確固たる意志を見てアイザックは静かに目を閉じ弱々しく笑った。


「……そうか、そうだよな。無理を言って悪かった」


「ああ、本当にすまない」


「……なあ、学校ってどうなった?」


「俺も途中で辞めたから分からねえ。でもみんな必死でお前を探していたよ。もちろん俺たちも。ルースだって」


 いけ好かない野郎だと言いながらも、ルースがアイザックを真剣に探していたことを彼に伝えた。


「はっ、あの田舎臭い庶民か。全くもってムカつく野郎だ」


「ああ」


 アイザックは力なくふっ、と鼻で笑ってから、真面目な顔を浮かべた。


「……2年後、学園で大規模な実験が行われるらしい。俺とアイラを魔物にした男が生徒たちを使って巨大な実験をすると言っていた。こんなことを頼めた義理じゃねえが、どうか俺たちに変わってあいつに復讐をしてくれ。そして皆を守ってくれ」


 地獄のような実験の中で白衣の男とその助手であった少女が話していたことを思い出し、アイザックはジンに伝えた。


「ああ、わかった」


 ジンは深く頷き、了承の意を示した。それを見て再度アイザックがふっ、鼻で笑う。


「じゃあな」


「ああ、ありがとう……アイラ、先に行ってるからな」


 アイザックの言葉は彼女には届かない。ジンは黒く光った拳をそのままアイザックの鳩尾に突き立てる。拳は皮膚を、肉を、消失させ、魔核にたどり着き、そしてそれを消し去った。


 アイザックの体は徐々に砂へと変化していき、やがて風に舞い上がって空へと消えた。


 その瞬間、少女の悲痛な叫びとともに、莫大な力の奔流が周囲一帯を吹き飛ばした。

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