第103話それぞれの三回戦3
「どういうつもりだ!」
ジンは控え室に戻ろうとしていたカイウスに掴みかかった。周囲が何事かと彼らに関心の目を向けてくる。だが激昂しているジンはそれに気がつかなかった。
「ど、どういうつもりって……」
訳がわからないという表情を浮かべるカイウスにより一層腹が立った。
「お前、シオンを殺すつもりだったのか!」
先ほどの試合中に見せた禍々しい笑みに残酷な術。シオンが抜け出せなかったら、少なくともひどい怪我を負っていただろう。そう感じさせる空気を彼は醸し出していた。
だがジンに詰め寄られたカイウスはひどく困惑していた。
「そ、そんな殺すつもりなんて……」
「お前!」
「落ち着きなって」
その言葉に、ジンはさらに問い詰めようとしたところでシオンが後ろから彼の頭をポンと叩いた。振り向くとリングから降りて来ていた彼女がいつのまにか背後に立っていた。見るからに不満そうな顔をしている。
「大丈夫か?」
「ああ、大したことないよ。それより、ものすっっっっっごく不完全燃焼だ!」
目がギラギラとしている。どうやら体に何かしらの異常はなさそうだ。その様子に少し安堵する。
「本当にごめんなさい!」
カイウスが突然シオンに向かって頭を勢いよく下げた。
「僕、たまに戦っていると、なんていうか歯止めが効かなくなっちゃうんだ。本当はあんな術を使う気は無かったんだけど……だから本当にごめんなさい」
ジンはその言葉を訝しむ。彼のクラスメイトが言っていたのはこのことなのだろうか。
「そんな気にしなくていいって。まあ、もう少し君と闘ってみたかったから、すっごく残念だけどね」
カイウスの様子に気持ちが落ち着いてきたらしい。それからしばらく頭を何度も下げ続ける彼を却って励ますと、ジンの試合が近づいてきたからということでカイウスに別れを告げ、リングへとジンとともに向かった。二人の背をカイウスはジッと見つめていた。
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リングには既に大男がジンを待ち受けていた。どうやら彼が次の対戦相手のようだ。常に鍛えているジンもそこまで細身ではない。鍛えられたそこそこ厚い胸板や上腕二頭筋、大腿四頭筋などは彼の密かな自慢の一つだ。だが相手は2メートルを超える長身に、腕の筋肉はジンの太腿ほどもあるのではないかと思えるほど隆起している。
「うわぁ、グラン先輩だ」
シオンが嫌そうな顔を浮かべる。
「グラン?」
「そう。グラン・ラジュル先輩。1個上で、見ての通りガタイを武器にした攻撃が得意だ」
「ふぅん。有名なのか?」
「一応はAクラスだからね。でも強くはないよ、【あの人】と比べればね」
シオンの言葉に誰を指しているかジンは気がつき、その苦い記憶が呼び起こされる。だが確かに【彼女】に比べれば相手はでかいだけで、何段階も見劣りする。
「もちろん、【あの人】に勝ったんだからまさか負けるわけないよね?じゃないと【あの人】がかわいそうだ…」
シオンの言葉に言葉が詰まる。ここで負けることが何を意味するか。この程度の相手に負けるということは、ある意味で【彼女】に対しての侮辱になるだろう。ジンはそのことを今になって初めて気がついた。【彼女】の生きた価値を証明するためにも、彼は簡単に敗北してはいけないのだ。
「そう…だな。ああ、その通りだ」
ジンの言葉にシオンは機嫌を良くする。
「よし!それじゃあ負けたら許さないからな」
「ああ、わかってるって。そんじゃあ行ってくる」
ジンはリングに向けて歩き出す。後ろから聞こえてくる彼女の声に、不思議と腹の底から力が湧いてくる気がした。
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「ふむ、君が私の相手か。随分鍛えてるみたいだが…まだまだ甘いな。むふん!」
そう言うとグランは突如上着を脱いでポージングを始めた。サイド・チェストやフロント・ダブル・バイセップスなどなど、妙に肌が光っているのも不気味さを助長している。さらにはキラリと光る白い歯を見せながらジンに笑いかけてくる。シオンが嫌そうな声をあげたはずだ。なんと言うか暑苦しい。
「残念ながら君はここまでだ!なぜならこの試合は私が勝たせてもらうからな!」
野太く大きい声をあげて筋肉を見せつけてくるグランを見て、思わずジンは顔をしかめる。何がしたいのか胸筋が動くところを観客に見せつけ始めた。女生徒たちが顔をヒクつかせながらリングから距離をとった。ジンの応援に来てくれたシオンでさえ、だ。
「さあ審判、開始の合図を!」
「あ、ああ。グラン・ラジュル、試合中は関係のないことをしないように。それでは試合開始!」
ジンは審判の謎の発言を不思議に思いつつも、開始の声に二人は5メートル程距離をとって構える。グランは両腕にガントレット、両脚にグリーヴを装備している。どうやらシオンの言う通り、近接戦が得意なようだ。
「さあ、かかってきなさい!」
白い歯を煌めかせながら、眩しい笑顔をジンに向けてくる。ジンはどことなく近寄りがたく感じつつも一歩踏み出した。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
その瞬間、ジンは既にグランの胸元に潜り込んでいた。だがグランは腐ってもAクラスだ。その動きにはしっかりと反応していた。ジンの右拳をしっかりと腹筋に力を込めて受け止める。分厚いそれは、殴ったジンが痛みを感じるほどだ。だが痛がっている暇はない。ジンを捕まえようと両腕が伸びてくる。すぐさまそれを掻い潜って距離をとった。飛び散った水がジンの頬をカスる。
「……なあ先輩。そんなに濡れてたっけ?」
いつのまにか水が滴り落ちているグランに尋ねる。水法術を使った様子はなかったはずだが。
「おっとこれは失敬。私はなぜか昔から代謝が良くてね。少し動いただけですぐに発汗してしまうのだよ」
ジンはその言葉に顔をヒクつかせる。確かにこれは女性には色々ときつい。
「……………行きますよ!」
ジンは覚悟を決めて駆け出す。だが想像以上に相手の動きのキレがいい。ジンの短剣による攻撃を難なく回避し、カウンターを放ってくる。ジンがそれを避けると追撃とばかりに下から拳を打ち上げる。
「むふん!!」
しかしそんな攻撃はジンに届かない。小さい頃、彼と同じぐらいの体格の相手と散々訓練したのだから。だが想定外にも飛び散った汗がジンの右目に跳ねた。
「くっ!」
途端に片目が塞がれてジンは動きを悪くする。そしてその隙をグランが見逃すはずがない。
「ふむん!!!」
巨大な拳がジンの腹部に叩き込まれた。
「がはっ」
その凶悪な威力はそのままジンを吹き飛ばし、リングの端まで追いやった。体を貫いたダメージに起き上がることも辛い。だが敗因が『汗』などたまったものじゃない。
「むん、どうしたのかね?まさかこの程度ということはないだろう?」
「と、当然!」
グランの煽りを受けて、腹部を抑えながらなんとか起き上がる。だがその足は明確に震えている。
「きゃー、グラン様頑張って!」
突如背後から聞こえてきた声援にジンは思わず耳を疑う。他の女性の観客が全員(汗が飛んでくるので)距離をとっている中で、ただ一人だけがリングの近くで観戦しているのだ。
「エミリーよ、そこで見ていてくれ。君にこの勝利を捧ごう!」
再びジンの前で謎のポージングを始めたグランは、ジンを挟んでエミリーという少女に語りかけている。そっとジンは後ろを見る。そこにはジンが今まで見てきた中でも5本指には入るほどの美少女が立っていた。
「………あの、先輩。もしかしてこの人は」
あまりのことに腹部の痛みも忘れて思わず尋ねてしまう。
「ふむ?ああ、私の愛しい許嫁だ」
「まあ、愛しいだなんてそんな」
「むふん、何を言う?愛しい者に愛しいと言って何が悪い?」
「もう、グラン様ったら」
やけに男らしいグランの言葉に、エミリーは頬を染めてクネクネと体を揺らし、熱い視線を送る。グランもそれを返すようにジッと彼女を見つめる。二人はジンを放置して完全に彼らだけの世界に入って行った。
「ああ、私の愛しいエミリー、今すぐ君を抱きしめたい!」
「ああ、私の凛々しいグラン様、今すぐあなたの汗を拭って差し上げたいわ」
「……………」
ジンは目の前の光景に言葉を失う。一応今は試合中のはずだが、自分は一体何を見ているのだろうか。自分を挟んで甘い言葉を語らい合う二人に頭痛がしてくる。審判も疲れたかのように、目の付け根を揉んでいる。どうやら試合前に言っていたのはこのことらしい。
「ジン!何してるんだ、チャンスだぞ!」
なんとなく動くに動けないジンだったが、シオンの(かなり遠くからの)声にハッとする。まさに今、相手は絶賛隙だらけだ。この機会を逃すのは勿体なさすぎる。
「ああ、エミリー」
「ああ、グラン様」
「エミリー」
「グラン様」
「エミ」「はあああ!」「リぐはっ」
「きゃああああ、グラン様ぁぁぁぁぁぁ!!!」
ジンの渾身の右拳がグランに突き刺さる。全身を覆っていた闘気を一点に集中させたその威力は凄まじい。決して二人の光景を見せつけられてムカついていたわけではない。猛烈な勢いでグランは吹き飛び、リング外に落ちて何度もバウンドしてから止まった。完全に気絶しているのか動く気配はない。エミリーがグランの名を叫びながら駆け寄って行った。
「…………勝者、ジン・アカツキ!」
もの凄く渋い顔を浮かべた審判がそう宣言した。
「………本当にお疲れ様だな」
「………そちらもですね」
ぼそりと呟いた審判の言葉にジンは迷わず首肯した。
「なんか、どっと疲れました」
「ああ、俺もだよ」
ジンと審判は、言葉は少ないが互いに互いを同情し合った。エミリーの泣き声は未だに辺りに響いていた。それを聞き流しながら、ジンはリングを降りてシオンの元に向かう。案の定、彼女は彼に憐れみの目を向けてきた。
「………大変だったね」
「ああ………あの人とはいろんな意味でもう二度と闘いたくねえな」
「それ、先輩と闘った人はみんな言うよ」
「………なんで事前に言ってくれないんだよ?」
シオンの言葉にジンは思わず拗ねた声を上げる。知っていれば何かしらの対処ができたかもしれないのだから。
「だって、言ったら棄権するかもしれないじゃない」
「……………」
確かに否定は出来なかった。
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