第60話再会

 ジンはスラムのある街の南部エリアまで来ていた。


「ここも久しぶりだな」


通りの外からはスラムの奥は見通せないほど暗い。そこはかつてジンが暮らしていた場所であり、彼の世界の全てであった。


「さてと、ちょっと入ってみるか。まだマティスおじさんはいるかな」


そう言って彼はスラムに足を進めて行った。


 その場所はジンの記憶通りの場所だった。鼻の曲がるようなドブ臭い匂いに、みすぼらしい格好をして俯いている人々、薬や酒の常習者たち、娼婦たち、そして真新しい死体に群がる蛆や野良犬ども。


 何もかもが懐かしい光景であったが、ただ一つだけ違う点があった。それは活気である。確かにかつても陰鬱な雰囲気であったがここまで酷くはなかった。そこに疑問を持ちながらも、かつての自分の家を目指して進んで行った。


「おい、そこの坊主、ちょっと待ちな」


「なんだ?物取りか?」


スラムに入って数分で、ジンに3人の男たちが話しかけて来た。


「へっへっへ、わかってるじゃねえか。さっさと金目のものだしな。いや、命だけは助けてやるから着てるもんも全部渡しな」


「おい、こいつ随分高そうな短剣持ってやがるぜ」


「おお、マジだ。これなら結構な値段で売れるんじゃねえか?」


「早くそれよこせよ坊主、死にたくねえだろ?」


 ジンはそれを聞いて溜め息をつく。自分が襲われる側になる可能性があることを失念していたのだ。今のジンは当時のような薄汚い子供ではない。しっかりと栄養を取り、身なりを整え、高価な短剣を所持している。当時の自分でもそれなりの家の者だと勘違いするだろう。


 ふと後ろに殺気のようなものを感じて体を左に動かす。すると彼の頭があったところに木の棒が振り下ろされた。


「こいつ避けやがった!」


「馬鹿なガキだぜ。今ので気絶してれば、命までは取らなかったのによ」


「まったくだ」


 男たちは各々ナイフやら棒切れやらを手にとって、ジンに近づく。ジンはもう一つ大きく溜め息をつくと、襲いかかって来た男たちを、体捌きだけで避け流し、


「ぐほぉっ!」


リーダー格の最初に話しかけて来た男にはみぞおちに膝を打ち込み、


「うぎゃっ!」


後ろから襲いかかって来た男には手刀を首筋に叩き込み、


「ぐふっ!」


ナイフを持った男の顎に掌底を入れた。


 一瞬にして3人の男を行動不能にしたところでようやく、ジンが危険であることを理解した。最後の1人はすぐさま逃げようと、「ひぃ!」と悲鳴をあげながら走り始める。しかしジンは素早く動き出して、男の首を両腕でがっちり確保する。


「ちょっと待てよ。聞きたいことがある」


「は、はい。お、俺でよければなんでも答えさせていただきます旦那。だ、だからこの首を…」


男は苦しいのかジンの腕を掴んで必死に引き剥がそうとするが、まったく動く気配がない。


「このスラムにマティスっていう人はいるか?」


「っ!い、いやそんな奴はいねぇ!」


「本当か?嘘ついてたら、このまま力を入れ続けるぞ」


「本当だ、信じてくれ!」


ジンは徐々に力を加え始める。


「ほ、本当にいねえんだよぉ、ぐ、ぐるじい…」


それを無視してさらに締め付けるジンに、ついに男は根をあげた。


「いる、だじがに、マティスっでやづはごごにいるから、は、放してくれぇ!」


それを聞いてジンはパッと手を離す。


「その人は今どこにいるんだ?まだスラムの廃教会に住んでるのか?」


「ごほごほっ、ああ、ここを取り仕切っているお人だがよ、とにかくおっかねえんだよ。下手に噂しようもんならぶっ殺されちまう」


「なんだって!」


「昔は違ったらしいんだがよ。なんか子供が死んじまったとかで、それ以来性格が変わっちまったらしい」


「あんた最近ここに来たのか?」


「4、5年前にな。そん時にはもうひでえもんだったぜ。歯向かった奴はみんな半殺しよ。俺のダチも何人かはぶっ殺されちまった」


「そんな…馬鹿な。あのおじさんが…」


「なあ、もういい加減行っていいだろ。知ってることは全部話したぞ」


「あ、ああ、もう行っていいぞ。」


ジンがそう言うと、男は仲間を置いて1人だけスラムの奥へと逃げ去ってしまった。


『おじさんに一体何があったんだ。あの人がそんな風になるなんて信じられない。とりあえず会ってみよう』


 ジンはそう思って、スラムにある廃教会に向かうことにした。


 教会に着くと、入り口の前に若い2人の男が立っていた。


「なあ、ここにマティスおじさんはいるかい?」


「なんだ坊主。ボスに何の用だ?」


どすの利いた声でジンを睨みつける。


「それにおじさんだと?マティスさんのことを馬鹿にしているのか?」


もう1人もジンに敵意を向けてくる。


「頼むよ、どうしてもおじ…マティスさんに会いたいんだ」


2人は訝しむようにジンを見つめると


「悪いな。そういうやつは山ほどいるんだよ、何せボスには敵が多いからな」


「そうそう、無理だからさっさと帰りな」


「本当に頼むよ。伝言だけでもいいからさ」


 ジンはそっと2人の手に銀貨がそれぞれ10枚ほど入った袋を渡した。


「…まあ、俺たちも鬼じゃねえからな、事と次第によっちゃあ、伝えてやるのもやぶさかじゃねえよ」


袋の中にある銀貨の枚数を数えながら片方の男がそう言った。


「それじゃあおじさんに、『ジンが、俺の家で明日まで待っている。会ってくれるなら来てくれ』って伝えておいてくれるかな。よろしく頼むよ」


ジンは未だに銀貨に集中している男たちのうちの片方の肩を軽く叩いた。


「わかった。ボスには一応伝えておいてやるよ」


それを聞いたジンは一つ頷くと元来た道に歩を進めた。




「なんだったんだ、あいつ。ボスと随分親しい感じらしいが。それにジンって名前どっかで聞いた気がするんだよなぁ」


「さあな、それよりもこの後一杯飲みに行こうぜ」


「おお、いいな。思わぬ臨時収入も入ったしな」


ジンの去った後、2人は今手に入れた銀貨の使い道について話を膨らませた。



 ジンは廃教会を出るとそのまま、自分の家があった場所に向かうことにした。このスラムに来た目的は二つあった。一つはマティスに会うこと。そして家に帰ること。片方はどうなるかわからないが、とにかく家に帰って、家族の弔いをしたかったのだ。ウィルから聞いた話ではジンの家はナギたちとともに燃やしてしまったそうだが。迷うことなく、足が彼をその場所へと連れて行く。


「8年ぶりか」


 ぼそりと呟きながら、家の前で足を止める。あたりの様子は少し変わってはいるが、確かにそこは彼が家族と過ごした場所であった。ただそこにはもはや家の残骸しかなかった。かろうじて積まれているレンガの壁は風化しボロボロに、二階部分は完全に焼け落ちて、一階部分に積み上げられている。


 ナギたちとの思い出の場所は、記憶にある場所はどこにもなかった。ジンの心を怒りと憎しみ、後悔、そして悲しみが埋め尽くす。ぼうっと眺めていると、家の奥、かつて診療所があったあたりに1人の男が座り込んでいるのがわかった。


「誰だ?ここには来るなと言ってあるはずだが…新入りか?そんなら見逃してやるからさっさと消えろ」


強い悲しみを感じさせる懐かしい声だった。ジンにはその男が誰かすぐにわかった。


「帰れって言われてもね。ここが俺の家なわけだし」


「なんだと?テメェ、誰の許可を得てここに住もうって言ってんだ!」


威圧感のある声が響く。


「誰って、そりゃマティスおじさんにさ」


「あぁ?ふざけてんのか!ぶっ殺すぞ!」


「まあまあそんな物騒なことを言わないでよ。俺とおじさんの仲なんだからさ」


「何言ってんだテメェ。まあいい、そっから動くな。ぶっ殺す!」


 そう言ってマティスは立ち上がると近寄ってきた。人相がはっきりわかる距離まで近づくと、ジンはその顔に懐かしさを覚えた。確かにシワが増え、目つきは以前のものと全く違う。だが目の前にいるのは確かにジンを気にかけてくれたマティスであった。


「餓鬼が舐めたこと言ってんじゃね…って、ちょっと待て、お、お前、まさか…まさか…」


ジンの顔を見て、マティスは唖然とする。


「久しぶりおじさん」


ニッコリとジンが笑って言う。


「あ、あ…あ」


「あれ、もしかしてわからない?髪染めてるからかな?これならどう?」


 ジンが小さく『解除』と呟くと、赤茶色の髪が一気に黒髪に変色した。その瞬間マティスがジンに抱きついた。


「ジン坊!生きて…生きていてくれたのか!本当によく…」


 涙交じりの震える声で、ジンをきつく抱きしめる。


「く、苦しいよおじさん」


 ジンが背中をタップするが、マティスは体を震わしながら、しばらく彼を離さなかった。大の男が涙を流すのを見たのはこれが二度目だった。ジンはマティスの背中を優しく叩いた。

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