(12)汚泥

 すべて演技だった。


「月瀬さん」


 私はお母さんから手をはなし、振り返った。気配はなかったけれど、彼女が「いる」という確信はあった。


 開け放たれた扉の向こう側に、月瀬さんは立っていた。昼間と同じ、制服姿で。


「よく気づいたね」


 月瀬さんは私と目が合うと、口の端をつり上げた。遠慮ない足取りで病室に入り、後ろ手に扉を閉める。

 私も笑顔で月瀬さんを迎え入れた。


「最初からわかってたんだよ、月瀬さんが隠れてるって。いつも私を尾行してたでしょ」


 仲原を殺したときも。斉木さんに詰め寄られたときも。私が吐きそうになったときも。毎回、月瀬さんに助けられた。しかも、月瀬さんは状況が悪くなってもすぐには飛び出してこないで、私が追い詰められてからようやく姿を現した。


「私がだれかに取りすがざるをえなくなるときを、月瀬さんはずっと待ってるんじゃないかって。そんな気がしたから、お母さんの首を絞めるふりをしてみたんだ。月瀬さんが様子を見ようと、物陰から出てくるようにね」


 そのために病室の扉も開けておいた。

 月瀬さんは「してやられたわ」とうれしそうに笑った。


「そんなことに気づくだなんて。波多野さん、ちゃんと私のことを見ててくれたんだね」

「だって、月瀬さんは私の特別だから」


 私がしれっと言ってのけると、月瀬さんは口をぽかんと開いた。陶酔するように目を細め、「特別……私は波多野さんの特別……」と噛みしめるようにつぶやいた。

 なにがそんなに悦ばしいのか理解に苦しみながらも、私は月瀬さんに歩み寄る。


「ところで、ずっと病院にいたの?」

「ええ。『私は波多野さんの友だちで、付き添ってあげてほしいって家族に頼まれた』って看護師さんに説明して、病院内に残ってたの」

「よく追い払われなかったね」

「夜遅くて危ないから、パパが迎えに来るのを待ってるんですって言ったら、納得してもらえたわ」


 私は「なるほどね」とうなずいた。

 月瀬さんの言うことは不思議と説得力がある。どんなときでも落ち着き払って堂々と嘘をつくからだろう。おまけに毒をはらんだ清楚な美貌は麻薬のようで、月瀬さんにならだまされてもいいような気さえした。今だって、そうだ。


「両親にはなんて言ったの?」


 私は興味本位で訊いてみた。

 月瀬さんは指に手を当て、「うーん」とうなる。


「実はなにも言ってないの。パパは今夜は出張だし、ママは……寝てるんじゃないかな」


 月瀬さんにしてはいやに歯切れの悪い言い回し。

 私が眉をひそめても、月瀬さんは涼しい顔をしていた。発言の意味を問いただしたところで、教えてはくれないだろう。知りたくもなかった。


 月瀬さんは眠るお母さんをちらりと見て、「ねえ、本当は殺したいんじゃないの?」とささやいた。

 私はなにも答えない。今、なにか言ったら負けだと思った。


「ここにたまってるんでしょう?」


 月瀬さんは私の反応を引き出すように、私の胸の谷間に人差し指を突き立てた。そのままみぞおちのあたりまで、つつっと指を滑らせる。

 しびれを伴ったくすぐったさに、ばけものが身をよじった。

 月瀬さんは私に触れた指をくちびるに添え、「怖がらなくても大丈夫」とほほ笑んだ。


「わたしがぜんぶ肩代わりして、自殺してあげるから」


 あっけらかんとした口調とは裏腹に、月瀬さんの目は笑っていなかった。

 呼吸が浅くなる。彼女は本気だ、と直感的に理解した。


「なにを言ってるの?」


 思わず本音が漏れた。

 月瀬さんの提案には、まったく魅力を感じなかった。自殺なんてされてしまったら、たまったものではない。私は月瀬さんで楽しみながら、いい子を殺すつもりなのだから。


 これ以上同じ話題を続けたくなくて、私は窓際に移動する。カーテンをめくり、ガラス越しに夜空を見上げた。

 銀色の満月が高くにあった。都会のけぶった灯りなんてものともせずに、冴え冴えとした光をはなっている。


「私、実はすごくクズなんだ」


 ぽつりとこぼすと、「知ってる」とやさしい声音が返ってきた。


「だって、わたしと波多野さんはよく似てるもの。残酷でおさなくて、ひとでなしで、どうしようもなく色好みで」


 月瀬さんの歯に衣着せぬ言葉選びに、「そうだね」と私は苦笑する。彼女の言葉のひとつひとつが胸に刺さったけれど、異論はまったくなかった。

 私は「でも」と月瀬さんを顧みる。


「私のなかのいい子が、クズであることを認めてくれないんだ。だから、すごく苦しい。乱暴で怒りっぽいばけものだって、私の一部分なのに」


 毅然と話したつもりなのに、声が震えた。


「お願い」


 私はすがるようにこいねがう。


「私のなかにいるいい子を殺すのを手伝って」


 祈るように懇願すると、月瀬さんは暗がりのなかから音もなく歩み寄ってきた。私の両手を取って、「もっと汚れたいの?」と尋ねた。

 私は月瀬さんに支えられた自分の手を見た。月に照らされたてのひらは、汗でうっすらつやめいていた。


「……うん」


 うなずきながら視線を上げる。

 月瀬さんの下まぶたは薄紅色に染まり、瞳は涙がこぼれ落ちそうなほどうるんでいた。まるで、獲物を前にした肉食獣の面。ばけものをはらんだ私を、食い荒らそうとしているかのようだった。


 たぶん、私の浅はかな悪巧みなんて、月瀬さんにはすべてお見通しなのだろう。

 あるいは、最初からずっと、月瀬さんのてのひらの上で転がされていたのかもしれない。


「いいよ、波多野さん」


 月瀬さんが舌なめずりする。


「わたしを殺しても、いいよ」


 割れたざくろのような色のくちびるから、甘ったるい腐臭が漏れた。




 私は月瀬さんを連れて、病院の隣にある公園に行く。夜間は入り口が封鎖されていて、でも、出入りはたやすい。監視カメラもないようだった。

 歩行者専用のツツジの小路を途中で逸れて、林へと足を踏み入れる。林といっても整備はされていて、下草は刈られているし地面は固くて平らだった。


 ひときわ大きな広葉樹の前で足を止めた。太い幹に絡みついた蔦をたどり、頭上を見やる。

 奔放に広がった黒い枝葉。その隙間から、青白い月がのぞいている。

 風が吹くたびに、潮騒のように木々が鳴った。

 立ちのぼる草いきれ。

 絶え間ない虫の音。

 ここはふたりきりの空間だ。これから行う悪事を邪魔するもの、見咎めるものはいない。夏虫だけが、光を求めてさまよっている。


 私は深く息を吸ってから、おもむろに月瀬さんを突き飛ばした。

 月瀬さんはあっさりと地面に尻もちをついた。私の動きを見て、なにが起こるか予測していたのかもしれない。そしてきっと、これからの展開も。


「手荒ね」


 月瀬さんは立てていた膝をくっつけて、優雅に座りこんだ。脚の付け根まで巻き上がったスカートをそのままに、期待に満ちた目で私を見上げてくる。

 顔立ちも身体つきも楚々としているからこそ際立つ、しどけない姿態。私を煽るためにわざとやっているのだ。


 だったら、乗ってやろうではないか。


 私は月瀬さんの前にしゃがみこんだ。震える手指で眼鏡をはずして、ブラウスの胸ポケットにしまう。

 月瀬さんが怪訝そうな顔をした。


「波多野さん?」

「眼鏡、邪魔になるから」


 私は月瀬さんの首もとを凝視する。血管の色が透けた頚部が、時折ひくひくと脈打っていた。

 ああ、と熱い吐息が漏れる。

 このたおやかな首に触れてみたい。咬みついてみたい。絞めてみたい。

 次々とわき上がる欲望にめまいを覚えながらも、月瀬さんの喉ではなく襟に手を伸ばした。赤いリボンをほどいて、引き抜く。


「淫行って悪いことなんでしょ?」


 突拍子もない私の言動に、月瀬さんは「ええ、犯罪よ」と戸惑いのにじむ返事をした。

 私は月瀬さんのブラウスのボタンを、上から順にはずしてゆく。


「子ども同士でいかがわしい行為をするのも淫行で、実はいけないことなんだね」


 斉木さんの件がなければ、一生調べることはなかっただろう知識。いい子の私は暴力と人殺し以外に「いけないこと」を知らなかった。


「月瀬さんは私のことを『色好み』って言ったよね。実際そのとおりなんだと思う。ばけものはなにかを殺すときだけしか高揚しないわけじゃない」


 私は月瀬さんの首筋に触れた。ミルクをいたような滑らかな手触りに、私のなかのばけものが乱れ崩れそうになる。


「たとえば、月瀬さんに触れたとき。月瀬さんのにおいをかいだとき。月瀬さんの裸を思い浮かべたとき。頭がおかしくなりそうなくらい、胸が掻き立てられた」


 私は月瀬さんのブラウスの肩を軽く引っぱった。今夜の月と同じ色の胸があらわになる。


「ばけものが興奮すれば、いい子は消える」


 泉の水を飲むように月瀬さんの鎖骨にくちびるを当ててみた。低い体温が口の粘膜に伝わってくる。身体の芯が異様に熱く、ばけものはすでに爆発寸前だった。

 月瀬さんはくすぐったそうに鼻を鳴らし、私の背中に腕を回した。そのままぎゅっと抱きしめてくる。


「みだらね」


 からかうような声が、耳をくすぐった。

 私はなんだかむしょうに泣きたくなって、相手の首筋に顔をうずめる。

 ぬるくてやさしい汚水の感触。腐った花々は水底に沈殿し、やがて新しい命を育む泥となるのだろう。


「……月瀬さんは、私が望むならなんでもしてくれるんでしょ?」


 蓮の花は泥のなかで生まれる。月瀬さんに根を下ろせば、私も蓮のように凛と立つことができるのだろうか。


「ええ」


 私の耳に湿った吐息がかかった。


「あなたを手に入れるためなら、わたしはなんでもする」


 その声がこそばゆくて、月瀬さんから身をはなした。

 同じ目の高さで、ふたり向かい合う。暗闇のような月瀬さんの瞳を、今はもう怖いとは思わなかった。


「だったら、キスして」


 ばけものが笑った。


「そして、汚して」


 いい子の私が消えてゆく。

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花と死体 @nat_zki

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