殿! そのどわあふはもんすたあではございませぬ!

栄織タスク

殿!おおくどもが攻め寄せてござる!

「殿! 敵襲にござる!」

「言われなくても分かっとる。して、数は」

「は! 猪頭おおくが五十、小鬼ごぶりんが百!」


 銅槻あかつき家十二代当主である義堂ぎどうは、慌てることなく伝令に問う。

 齢四十。緩めの着物から除く肉体は、そのものが鎧と勘違いしてしまいそうな分厚い筋肉に覆われており、経験と余裕による凄みを感じさせる。

 スン、と。鼻を鳴らして義堂は呟いた。


猪頭おおくどもにしては少ないな。住処やどを追われたか」

「御意」

「どの方角より来よるな」

大欠原おおかきばらの方面より」

「ち。となれば蜥蜴頭りざあどどもか」


 面妖な風体の化生もんすたあについて考える。

 人の体を持ってはいるが、考え方から言葉まで、何一つ理解できないのが蜥蜴頭りざあどという連中だ。


「なれば、猪頭おおく蜥蜴頭りざあどどもが追って来るやもしれん。辰吾郎たつごろうを起こしておけ」

「その……それが」

「なんぞ?」

「辰吾郎殿には、すでに若様がお乗りに……」


 義堂は口元を楽しげに緩めて、しかし盛大に毒を吐いた。


「あのドたぁけめ。俺の乗騎を使うとは何事か」

「お口元が」

「はっ! まあいい、鬼角おづぬが出たのなら、俺が出るまでもなかろうよ」

「御意」

「さて。猪頭おおくどもが来たとなれば、また何人か『れべる』が上がるか」

「では……?」

「鬼角に伝えておけ。手を出すなら蜥蜴頭りざあどの方にしておけとな」

「直ちに」


 音もなくその場から消える伝令に構うことなく、義堂は窓の外に目をやった。

 喧騒の気配はない。窓から見える向こうには、いつも通りの水田と森とが広がっている。


「この地には神も仏もありゃあせん……か。アレに角亀かっきの城下は狭すぎるのやもしれんなあ」








『なあ、若。やっぱりまずいんじゃありませんかい?』

「お前まで言うのか、辰吾郎」

『おいらは別にどちらもご主君ですから構いませんがね? 一応おいら、義堂様の乗騎なんですがねぇ』

「しょうがねえだろう、辰六しんろく猪頭おおくを食いてえってごねるんだから。なあ、辰六?」

「リュィ、リィッ!」

『ったく、我が甥ながら甘える先をよく分かってやがら。……仕方ありませんや、落ちねえでくださいよ!?』

「わしがそんなタマか。ほれ行け、辰吾郎!」


 ごおん、と空気が震える。

 銅槻鬼角の股の下で、黒い鱗の乗騎が吼えたのだ。

 名を辰吾郎。鬼角の祖父の代から銅槻家に仕える、由緒正しい黒竜ぶらっくどらごんである。

 鬼角の肩には、これまた小さな黒竜ぶらっくどらごんが乗っている。辰吾郎の甥にあたる仔竜で、名を辰六。まだ人の言葉も話せない赤子だが、長じて鬼角の乗騎となると既に決まっている。その為か、鬼角はこの小さな辰六を盛大に甘やかしていた。


「はっはあ、銅槻鬼角が出るぞお! 猪頭おおくども、覚悟せえ!」


 鬼角の言葉を受けて、辰吾郎が地を蹴る。ふわりとその巨体が浮き上がり、鬼角の体に強い力がかかった。


「かかっ、やはり空はええな!」

「若」

「あン? おお、虎遇こぐう


 満足そうに風に身を任せた鬼角の耳に、不思議と声が届く。

 だが鬼角は驚くでもなく、その声の主に答えた。


「大殿からの言伝です。猪頭おおく小鬼ごぶりんは他に任せよと。後から追ってくる――」

蜥蜴頭りざあどをどうにかせえ、じゃろ? 構わんが、辰六が猪頭おおくを所望じゃ。一匹は許せ」

「御意」


 翼をはばたかせるごとに、ぐんぐんと加速していく。鞍を乗せないことが、銅槻家とどらごんの唯一の約定だ。そして、それが原因で振り落とされるようならば銅槻を名乗る資格がないことになる。

 程なく、眼下に攻め寄せる猪頭おおく小鬼ごぶりんの姿が見えてくる。

 待ち受けるのは黒髪の集団だ。数は猪頭おおくの半分ほどか。義堂を頭目とする彼らは自分たちを角亀藩かっきはんと名乗っている。手には刀や金棒を持ち、堂々と連中を待ち受けていた。

 必死の形相をしているのは猪頭おおく小鬼ごぶりんの方で、待ち受けている角亀藩の面々は特に緊張している様子もない。

 粗末な槍や鉈を手に襲い掛かる敵を、それぞれが得物の一振りで絶命させていることからも力量差は明らかだ。


「おっと、このままでは辰六の分がなくなってしまうわ。辰吾郎、戻ってええぞ」


 そう言い放つや、鬼角は立ち上がって辰吾郎の背中を軽く蹴った。空中に飛び出した体が、地面に引かれて落下する。


『若様! だから危ないですってぇ!』

「リュイ! リュリューイ!」


 辰吾郎の苦言とは裏腹に、肩に掴まる辰六が喜びの声を上げる。

 鬼角は狙い通り、猪頭おおくの集団のど真ん中に飛び込んだ。手近な猪頭おおくの一体の顔面を踏み潰して勢いを殺してから、音もなく着地する。


「プギュルェッ!」

「銅槻鬼角、見参ぞ。さて辰六、どやつを食いたい?」

「リューリュー……リュイッ!」


 鬼角の唐突な出現に、猪頭おおくの群れが割れる。だが、彼らの背後には蜥蜴頭りざあどが迫っており、それ以外の空間は角亀藩の者たちにほぼ塞がれていた。逃げ場はないのだ。

 混乱する猪頭おおく小鬼ごぶりんには構わず、鬼角はきょろきょろと視線を巡らせる辰六に問う。程なく辰六が選んだのは、猪頭おおくの中でも腹がでっぷりと広がった、食いでのありそうな個体だった。


「若!」

「おう、洸次郎こうじろう! 猪頭おおくの一匹は辰六にもらうぞ!」

「了解、一匹だけにしといてやぁ」


 角亀藩の中でも若い一人が、呆れたように頷く。

 鬼角は手を振って了解の意を伝えると、辰六が欲しがった猪頭おおくの方に歩み寄る。


「さて、辰六。狩りの練習ぜ。わしは手ぇ貸さんから、ひとりでやれよ」

「リュイッ!」


 普段は甘い鬼角だが、こと戦うことに関しては辰六にも極めて厳しい。

 辰六もそれは理解していて、鬼角の肩を蹴ると一直線に猪頭おおくに飛びかかった。


「プギッ!? プギャアッ!」

「リュイッ! リュリュイァッ!」


 まだまだ幼い辰六では、猪頭おおくを瞬く間に食い殺すとまではいかない。

 たちまち乱闘になり、鋭い爪と牙で引き裂こうとする辰六を猪頭おおくが引き剥がそうと暴れる様相となった。


「ぎぁっ、ぎぎっ!」


 それを見守る鬼角の足に、何かがぶつかってきた。

 見ると、刃のぼろぼろになった鉈で、小鬼ごぶりんが斬りかかってきたのだ。


「ふむ。隙をつくのは悪くねえ。……じゃが、ちいと足りんな」


 錆びた鉈で出来る傷は、きわめて危険なものだ。だが、鬼角の足には傷ひとつない。来ている着物の質も良いのだが、根本的に鬼角の体がつよいのだ。


小鬼ごぶ公、貴様キサン『れべる』はいくつぞ」


 鬼角は獰猛に笑うと、小鬼ごぶりんの頭を左手で掴んだ。それだけでみしりと音がして、小鬼ごぶりんは痛みにぎゃあぎゃあと喚く。

 そのまま握り潰しても良かったのだが、洸次郎との約束もある。鬼角は軽々と小鬼ごぶりんの体を持ち上げ、洸次郎の方に放り投げた。


「行ったぜ、洸次郎」

「雑やで、若!?」


 洸次郎は悲鳴を上げながらも、飛んできた小鬼ごぶりんを手に持った金棒のひと振りで仕留める。

 ぐぺりという断末魔ともとれない音を立てて、小鬼ごぶりんの体が四散した。


「いけん、小鬼ごぶりんの血肉は臭っせえんじゃ!」


 ばちゃりと返り血やら破片やらをまともに浴びた洸次郎が悲鳴を上げるが、その辺りは無視する。

 鬼角が見守る中、辰六はようやく押さえつけた猪頭おおくの喉笛を噛み千切ったところなのだ。


「よし、辰六! ようやった!」

「リュイイイッ!」


 勝利の雄叫びを上げる辰六。完全に事切れた猪頭おおくの腕を持ち上げて、ぱたぱたと寄ってくる。自然と猪頭おおくの死体は地面に擦られてざりざりと音を立てるが、辰六も鬼角も気にしない。


「おう、ようやったようやった。そしたら洸次郎のところに持っていけ。向こうで焼いてくれるじゃろ。わしはこれから一仕事じゃ」

「リュ……リュイ?」


 一緒に食べよう? と首を傾げる辰六の首筋を優しく撫でながら、鬼角は首を振った。


「先に食っとけ。わしはこっちに来とる蜥蜴頭りざあどどもを斬らんとならねえ」


 猪頭おおく小鬼ごぶりんの群れは散々に討ち果たされ、既にほとんど生きていない。

 だが、鬼角は更に向こうからやってくる気配と、何より蜥蜴頭りざあど特有の磯臭い体臭を敏感に感じ取っていた。


「リュイ。リュリュ」

「おう、任せておけい」


 武運を祈ると告げる辰六に胸を叩いて見せると、鬼角は背中にくくりつけてある刀を抜く。

 刃渡り七尺五寸、およそ鬼角の体と同じほどの大太刀である。血の赤色に染まった刃は、日光を浴びてなお妖しく煌めく。

 見た目より軽いのではなく、むしろ重い。そのぶん柄が長いが、鬼角は特に気にせず肩に担いだ。


大瀬戸おおせと條右衛門じょうえもん斬鱗刀ざんりんとう灼刃拵やきばこしらえ


 じりじりと近づいてくる蜥蜴頭りざあどの殺気を感じながら、鬼角はにやりと口角を上げる。蜥蜴頭りざあどの群れはこちらを包囲した形で止まり、その奥からひときわ大きな巨体がのっそりと歩いてくる。


「ぎむじざざえるかとれみおす」

「ふうむ。やはり蜥蜴頭りざあどの言葉は分からん」


 喉の奥から漏れてくる聞き取りづらい音。どうやら彼らにとっての言葉らしいのだが、その意図は分からない。

 大きな蜥蜴頭りざあどは頭を振って何やら構えを取る。


「がらめどそそそあえりのぐ!」

「まあ、何がしたいのかは分かった」


 過たず突進してきた蜥蜴頭りざあどに向けて、鬼角もまた無造作に太刀を振り下ろした。

 辰吾郎の祖父である黒竜ぶらっくどらごんの、鋼より硬い鱗をも斬った大太刀だ。蜥蜴頭りざあどは頭部から股間までを真っ二つに両断されて、そのまま地面に叩きつけられた。即死だ。他の蜥蜴頭が反応する暇もない。

 ほぼ同時に、鬼角の体の内部で異変が起きる。


「おぅ。『れべる』が上がったか」


 全身の筋肉と骨、それぞれがわずかずつ蠢きながら発達する感覚。体内からぼきぼき、みちみちと音がするのだ。そのすぐ後にやってくるのは他に例えようのない爽快感。

 鬼角は、軽く肩を回しながら蜥蜴頭たちを見回した。蜥蜴頭は見えているだけで二十から三十はいるだろうか。それらすべてを平らげれば、もうひとつくらいはれべるが上がるのではないか。

 鬼角が期待に胸を躍らせながら大太刀を持つ手に力を込めたところで――


「カッキハン、ぬらしきおけのむ」

「あん?」

「カッキハン、ぬらしきおけのむ」


 残った蜥蜴頭りざあどたちが跪いた。

 困ったのは鬼角である。敵意のある蜥蜴頭りざあどはともかく、跪いてきた者の首を刎ねることは出来かねた。


「じゃから、貴様キサンらの言葉は分からんのじゃ! おい、洸次郎! 歩武山ほぶやまモンは近くにおるか!」

「おるで! 鉄之進、若がお呼びじゃ、いけえ!」

「へぇ! 若様、何か御用でごじゃいますかぁ」

「おう鉄! この蜥蜴頭りざあど共の言葉を教えてくれ!」


 小柄で耳と鼻の長い若者がひょこひょこと出てきて、鬼角に頭を下げた。

 歩武山鉄之進。何代か前に角亀藩に保護された善良な小鬼ごぶりんの血を引く歩武山家の若者で、歩武山家の中には不思議なことに蜥蜴頭りざあど豚面おおくの言葉を生まれつき操れる者が生まれることがあった。

 鉄之進はその中でも特にその力が優れており、こういった時には重宝しているのだ。


「カッキハン、ぬらしきおけのむ」

「若様、こやつらはそこの蜥蜴頭りざあどを討ち果たした若様に許しを求めてごじゃいますだ」

「許し、だと?」

「へい。ゆぶふふうしえからりりけ?」

「にりししみえるら? あかがらこれちぢひ」

「えめけれ」

「ひもんすおくらおおけ、えれれけれれけれ」


 鉄之進と蜥蜴頭りざあどの会話の言葉は、鬼角にはまったく理解できない。しかし、鉄之進が特に困った様子ではないので、大きく問題のある内容ではないらしい。

 程なく鉄之進がこちらに向き直り、首を傾げる。


「どうやら先ほどの猪頭おおくどもは、この蜥蜴頭りざあどどもが食事用に狩り立てていたようでごじゃいます」

「ほう」

「それがこちらに逃げてきてしまったので、角亀藩に入る前に狩るつもりだったのだと言っております」

「んで、さっきのでかいのが突っかかってきた理由わけは?」

「ゆじらいえけけえ?」

「いじみっじりりうあ。じゃりじゃかえめっそ」

「……自分たちの獲物を横取りされたと。強そうなのを倒せば他は逃げ散るだろうと」

「あぁ……」


 狩りの途中であるならば、そういう考えも分からなくはない。

 悪知恵の働く猪頭おおくのことだから、角亀藩の者と蜥蜴頭りざあどとをぶつけて逃げようとしたとも考えられる。彼らの誤算は、角亀藩の領地に入り込む前に備えを済まされていたことだろう。

 小鬼ごぶりんはこの土地では他の獣頭どもの奴隷のような扱いであるので、猪頭おおくと共に現れたことは不思議でもなんでもない。何せ、鉄之進の祖先はどこかから逃げてきた善小鬼ほぶごぶりんの一体だったのだから。


「そうか。……洸次郎! 猪頭おおくどもの骸をこいつらにくれてやれ」

「ええんか? 若」


 驚いた顔の洸次郎に、鬼角は苦笑いで返した。

 角亀藩の者には、そもそも人の体をした生き物を食べる文化はない。猪頭おおくについてもそうだ。例外は辰六をはじめとした黒龍ぶらっくどらごんだけで、辰六は炙られた猪頭おおくに豪快にかぶりついてご機嫌だ。

 洸次郎の懸念は、猪頭おおくの死体を渡すことではなく、鬼角が蜥蜴頭りざあど一匹で満足なのかという点だろう。


「まあ、『れべる』が上がったから構わんさ。どうせ埋めて弔うだけのもの、食いたいというならくれてやるのもよかろうよ」

「また上がったんか!? 一体何度目なん?」

「さあてなあ……」


 蜥蜴頭りざあどたちに猪頭おおくの骸を譲ると伝える鉄之進を眺めながら、鬼角は苦笑した。

 顔を見合わせて喜び合う蜥蜴頭りざあどたちに、もう殺意は沸かない。


「三百あたりからはもう数えとらんわ」

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