終章 終わりなき旅

第1話 告知

 1


「だからね。

 今度こそおいらを連れてってくれなくちゃだめだよ。

 何て言ったって、絶対ついていくからね!」


 旅について行くと言い張るジュルチャガに、バルドは苦笑した。

 何もない焼け跡でジュルチャガがフューザリオンの設立を宣言したのは、大陸暦四千二百七十四年のことだった。

 今が四千二百八十六年だから、あれから十二年が過ぎたのだ。

 わずか十二年しかたっていないとは思えない。

 それほどに、フューザリオンの歴史は濃密である。


 たった九人の村だったフューザリオンは、今や国と呼んでもよいほどになった。

 そのフューザリオンの発展を、最初は村長として、のちには領主として支えてきたのが、ほかならぬジュルチャガである。

 この放浪好きの男が、十二年間というものは、ほとんど他出せず、フューザリオンの運営に腐心してきたのだ。

 心の底では、ずっと旅へのあこがれが降り積もっていたのだろう。

 そこにバルドが、また旅に出るかのう、などと漏らしてしまったものだから、すっかりその気になってしまったのだ。

 無理もないことである。

 この半年間というもの、フューザリオンは狂乱の大騒ぎだった。

 領主としてこれを乗り切ったジュルチャガは疲れ果て、もう旅に出たくて居ても立ってもいられなくなってしまったのだろう。

 本当に目の回るような半年間だった。


2


 バルドが船長と対決したのは、昨年、つまり大陸暦四千二百八十五年の七月の中旬だった。

 フューザリオンに帰り着くとしばらく床に伏してしまったのだが、起き上がれるようになったころ、セトの騎士叙任が行われた。


 八月も過ぎ、九月となった。

 そろそろ冬の準備をしなくてはならない時期である。

 そんなとき、移民の一団がやって来た。

 豊かなフューザリオンに住みたいと願って流れ着く者はこのところ途絶えていたのだが、今回やって来たのは六十人もの大集団である。

 なんと、もとマジュエスツの領民だったという。

 マジュエスツはエンザイア卿が統治していた街であるが、数年前崩壊して領民は離散してしまった。

 彼らはほそぼそと暮らしていたのだが、最近、噂を聞いた。


 東部辺境の北の果てにあるフューザリオンは近年誕生した豊かな領地だが、このたび神々が瑞祥をお示しになった。

 フューザリオンはこれから国へと発展し、その民は繁栄を謳歌するだろう。


 以前からちらほらとフューザリオンのことは聞いていたが、この噂を聞いてじっとしていられなくなり、思いきって住民皆でやって来たのだという。

 どんなつらい仕事にも耐えるから、ここの民にしてほしい、と移民団の長はバルドたちの足元にひれ伏した。


 バルドは驚いた。

 フューザリオンは東部辺境の北の端にある。

 みなとの街ヒマヤを除けば、最も近いのはヤドバルギ大領主領とボーバードであるが、そこまででもおそらく直線で六十刻里ほど、実際には百刻里近い距離を歩くことになる。

 マジュエスツがあった場所はそこよりさらに何十刻里も南なのである。

 さぞつらく厳しい旅だったに違いない。

 ジュルチャガとドリアテッサに判断を仰いだところ受け入れることになったが、六十人もの人間を一か村では引き受けられない。

 各村に分散して受け入れることになった。


 七日後、今度は百人近い移民団がやって来た。

 彼らを率いている長の顔には見覚えがあった。

 ボーバードの東にあった開拓村の村長である。

 ドリアテッサの護衛をするはずだった騎士たちとバルドたちが戦った村である。

 この村長に乞われ、バルドたちは北の村を襲った盗賊団を討伐したのだった。

 彼らも、フューザリオンが瑞兆を得てこれから発展するという噂を聞いて、今の暮らしに見切りをつけてはるばるやって来たのだ。

 しかも北の村と合同で。


——この者たちも各村に分散して受け入れるしかないじゃろうなあ。


 バルドはそう思った。

 しかし、ドリアテッサは、何事かを考え込んだ。

 そして、住む場所の手配をするからしばらく待てと伝え、数日は領主館の横の倉庫を空けてそこに寝泊まりさせることにし、食事の手配だけをした。

 その夜、ドリアテッサはフューザリオンのすべての騎士を招集した。


「皆、よく集まってくれた。

 礼を言う。

 フューザリオンのこれからを協議したいのだ。

 このたび、二つの移民団がやって来た。

 これは始まりにすぎない、と私は思う。

 東部辺境には貧しい暮らしをしている民が多い。

 彼らは豊かに暮らせ、うまい物が食べられる土地があると聞けば、移住したいと考える。

 しかもエグゼラ大領主領ではいくつも街が離散し、民は散り散りになっているという。

 バルド様が現した奇瑞は、ずいぶん遠くからも目撃されたようだ。

 辺境の民というものは、迷信深い。

 フューザリオンに神の恩寵が降り注いだというこの噂は、またたくまに東部辺境全体に満ちるだろう。

 来るぞ。

 うしおのように移民がやって来る」


 バルドは衝撃を受けた。

 二団体百六十人の移民には驚いたが、それだけのことだろうと思っていた。

 だがドリアテッサは、それは予兆に過ぎないとみた。

 本当だろうか。

 ドリアテッサは神々のささやきを聞き落とさない娘だと、シェルネリア姫は言った。

 今がまさにそうなのかもしれない。


「その大勢の移民を何となさるおつもりか」


 ドリアテッサに訊いたのは、オルガザード家の前家宰である騎士ヘリダンだ。

 ヘリダンは家宰の地位をタランカにゆずり、なかば引退して貴臣として尊ばれている。

 移民をどうするか、というヘリダンの発言は、容易ならぬものを含んでいる。

 いかに発展しているフューザリオンといえど、ただちに提供できる食料や住居には限りがある。

 また、あまりに大勢の移民を一度に受け入れれば、取り返しのつかない混乱を招くかもしれない。

 彼らの中に騒乱を引き起こす者がいないともかぎらないのだ。

 となれば、移民を受け入れない、という選択を考えなくてはならない。

 しかし希望を抱き、捨て身でここまで来た人々が、簡単に諦めてどこかに行くはずもない。

 追い払っても遠くにはいかないだろう。

 その場合、盗賊と化すかもしれない集団が近くに盤踞することになる。

 そんなことにならないためには、彼らを殺すしかない。

 ヘリダンはそこのところを訊いたのである。

 にわかに一同のあいだに緊張が走った。

 しかし、ドリアテッサが発したのは、まったく思いもよらない言葉だった。


「フューザリオンを再編成する」


 一同は、じっとドリアテッサの顔を見た。


「そもそも、フューザリオンは再編しなくてはならない時期に来ている。

 東部や東北部には豊かな岩塩や鉱物資源があるが、今のフューザリオンの街は、そこから少し遠すぎる。

 また五つの村は接近しすぎているし、それぞれ、もう村という規模ではない。

 それぞれ独立して領地を維持できるよう、産業態勢も見直すべきだ」


 そのあと、ドリアテッサは新たなフューザリオンの姿を滔々と語った。

 おそらく前々から考えていたのだ。

 一同は、地図の上に描き出される展望に圧倒された。


「こういう方向で進もうと思うのだが、いかがか」


 一同は、うなずいた。

 バルドもうなずいた。


「意見がまとまった。

 あなた。

 それでよろしいですか」


 ジュルチャガはにっこり笑って答えた。


「うん、もちろんだよ。

 おいらのドーラのすることだもん。

 それでいいともさ」


 それからカムラーの用意した夜食を食べたあと、新たな街の位置や建設計画についての細かな協議が行われた。

 その最後に、ドリアテッサはまたも一同を驚かせた。


「これで街の編成は決まった。

 次にそれぞれの領主を決める」


「お待ちください。

 領主、ですと?」


「うむ、ヘリダン殿。

 今までのような代官制では、臨機応変な判断はできぬ。

 今回、フューザリオンの版図は八倍にも広がり、街と街とのあいだにはかなりの距離ができる。

 街はそれぞれ自立して存立できるようにしてゆく。

 それぞれ領主を任命したほうが、結局発展しやすいと思う。

 フューザリオン全体を統治する者がオルガザード家であることは変わらぬが、領主には大きな裁量権が与えられる。

 もちろん税の上納や兵員の提供には応じてもらうが」


 領主になるということは、法を定められる、ということである。

 極端にいえば、税の額も徴収のしかたも自在といってよい。

 そのような大きな権能を、オルガザード家は家臣たちに与えるつもりなのだ。

 騎士たちの目には、一層強い光がやどった。

 新生フューザリオンの主都および各街区は次のように定められた。


主都「ザリア」……領主ジュルチャガ・オルガザード[租税権/オルガザード家]

第一街区「エガルス」……領主キズメルトル・エイサラ[ローエン家]

第二街区「ホリエス」……領主ノア・ファクト[ローエン家]

第三街区「モルス」……領主タランカ・バンクルード[オルガザード家]

第四街区「ターテス」……領主ツルガトル・エイサラ[オルガザード家]

第五街区「コグス」……領主クインタ・エクトル[オルガザード家]

第六街区「キノス」……領主ダリ・ファクト[オルガザード家]


 要するに、新設のキノス以外は現在の代官が領主に任じられる。

 新たに建てられる都は恩人の名にちなんで、ザリア、と名付けられることになった。

 現状では最も経済力の高い第一街区エガルスと第二街区ホリエスは、それぞれエイサラ家とファクト家が領主となるが、この二つの街区を領有するのはローエン家である。

 すなわちローエン家当主たるバルドとその後嗣カーズの意向のもとに統治が行われ、租税はまずローエン家に納められ、ローエン家から一定比率でオルガザード家に納められることになる。

 第三街区から第六街区までは、オルガザード家が領有する。

 第四街区ターテスの領主はツルガトルが、第五街区キノスの領主はダリが務めるが、彼らはやがて、キズメルトルとノアの跡を継いで第一街区と第二街区の領主になるのであるから、これは暫定的な措置である。

 近い将来、セトとヌーバが領主の座を引き継ぐことになる。

 主都は、今まで領主館があった主街区より、ずっと東のほうに建設されることになった。

 その主都よりさらに東北に作られるのがキノスである。

 これは東部や東北部の鉱物資源を受け入れ、鉄や亜鉛の精錬を始め一次加工を行うための街区である。

 岩塩、鉄鉱石、黒石、銅鉱石、錫、石英などを採掘する作業村は九つに増やす。

 今まで作業村は真冬のあいだは閉ざしていたが、食糧供給を増やして年中稼働できるようにする。

 また採掘した鉱石などを運ぶ休憩所として設けた砦を村に拡張し、五つに増やす。

 主都と第六街区を除く各街区の周辺には、移民の増加状況に応じて農作物を生産するための村を設ける。

 エガルソシアの生産をおもに行っているエガルスだけは現在地に置かれ、周辺に拡張していくが、その他の街区は現在地から相当離れた場所に移動することになる。


 すさまじいまでの大規模な計画である。

 居並ぶ騎士たちの顔は厳しい。

 負わねばならない責任と、こなさねばならない作業量をひしひしと感じているのだ。

 そんな中、涼しい顔をしている者が四人ある。

 ジュルチャガとバルドと騎士バンツレンと騎士ヘリダンである。

 だがドリアテッサには、彼らを安穏とさせておく気はなかった。


「ヘリダン殿。

 非常時ですから、貴殿にも現役に戻っていただく」


「承りました」


「貴殿には、主都ザリアの領主代理として政務一切を取り仕切っていただく」


「なんと?」


「新たな主都ザリアの設計も行っていただく」


 騎士ヘリダンは驚きで目を見開いている。


「また、フューザリオン全体の統括もお願いする。

 あ、主都の領主館には、三百人が食事できる大広間を、それから領主館の前には、一万人、いや二万人が参集できる広場を作っていただきたい」


 もはや騎士ヘリダンには言葉もない。


「バンツレン殿」


「おう」


「貴卿には、兵士三十名を率いて、第六街区キノスの護衛をお願いしたい。

 キノスの建築予定地はまだ野獣の多い場所だから、最初に相当狩り立てておく必要がある」


「了解した」


「申しわけないが、従卒も従騎士も付けられない。

 兵士だけでお願いする」


「その兵士は俺が選んでよいのかな」


「好きな者を選んで騎士ヘリダンにご相談いただきたい」


 騎士バンツレン・ダイエがフューザリオンに身を寄せて九年目であるが、その間していたことといえば、騎士候補の若者に稽古をつけるほかは、見込みのある兵士たちを鍛え上げ、彼らを率いてひたすら野獣を狩っていたのである。

 三十人の顔ぶれは、もうバンツレンの頭に浮かんでいるだろう。


「分かった。

 最初に狩り立てるのはともかく、建築が始まると、三十人で昼夜護衛して回るというのは、なかなか厳しいな」


「いや、護衛だけではない。

 初めのうち食料は、貴卿たちが狩る獣の肉が頼りだ」


 キノスの建築に向かう領民の数は千人近くになるだろう。

 むろん穀物なども供給はされるだろうが、千人に行き渡る肉をたった三十人で獲れという、この乱暴な要求に、騎士バンツレンも目を見開いた。


「ただし馬も三十頭与える。

 また、武器庫の武器も必要なだけ持ち出してよい」


「おお!

 そいつは豪気だ」


 騎士バンツレンは獰猛な笑顔をみせた。


「それから、バルド様」


 うむ、何かな。


「ご体調のすぐれないバルド様にこんなことをお頼みするのは心苦しいのですが」


 できることなら何でもしよう。


「バルド様には、領主館にお詰めいただき、他領や他国からの使者にご応対していただきたいのです」


 分かった。


「それから、あなた」


「なんだい」


「あなたには、やはり領主館に詰めて、やって来る移住希望者たちの面談をしていただきたいのです」


「うん、分かった」


「その者を受け入れるも受け入れないも、あなたのご判断次第です。

 受け入れると決めたら、騎士ヘリダンにどこの街区に回すかを判断させてください。

 従騎士を四人、従卒を四人つけます」


「あいよ」


「キズメルトル殿」


「は、奥方様」


「今後、エガルソシアの取り引きは、オルガザード家を通すに及ばぬ。

 卿のご判断で進めていただき、報告だけをしていただきたい」


「は。

 かしこまりました」


「ノア殿」


「はい」


「第二街区ホリエスは、他の街区の建築が調い、食料の自給ができるようになるまで現在位置で小麦や野菜の生産を続けていただきたい」


「はい。

 承知いたしました」


「第一街区エガルスと第二街区ホリエスは、各開拓地にエガルソシアと小麦粉を届けていただく。

 その代わり、向こう一年間は税の上納は免除する」


「は」


「はい」


「皆様に申し上げる。

 いうまでもなく主都ザリアと六つの街区を始め、作業村も砦村も、すべての土地はフューザリオンに属す。

 すなわち、すべての土地はジュルチャガ・オルガザードのものである。

 このことは必ず領民に徹底されたい。

 すべての土地は領主であるジュルチャガから貸し与えられたものなのだと。

 各領主は、独自の判断で運営と開拓を行っていただきたい。

 全生産の一割を上納していただく。

 ただし、先ほど申したように、エガルスとホリエスは一年間は税の上納を免除する。

 また、第三街区から第五街区までは、生産体制が調うまで約半年をめどに上納免除期間を設ける。

 そうだな。

 来年の下半期の生産の一割を上納することとしておこう。

 領主のかたがたは、これから毎月、一日から三日まで、主都ザリアの領主館にお詰めいただきたい。

 いずれ落ち着いてきたら、各領主は月の前半を領主館にお詰めいただく。

 フューザリオン全体の運営は、領主のかたがたの合議により進める」


「奥方様」


「何か、ヘリダン殿」


「各街区にも領主館ができましょうから、主都ザリアの領主館は何か別の呼称を考えねばまぎらわしいかと存じます」


「なるほど。

 では、主都ザリアの領主館は、総領主館と呼ぶことにする。

 それから兵員については、各街区に分配する。

 今は騎士の数が少ないので、皆の負担は厳しいものがあるが、もう少しの辛抱だ。

 再来年にはヌーバが騎士となる。

 その次の年には三人が、さらに次の年には五人が騎士となる。

 さらにその次の世代の騎士たちも修業を始めている。

 力を合わせて今をしのぎきろう。

 フューザリオンの未来は明るい」


「奥方様。

 主都の領主館を総領主館と呼ぶということは、ご夫君が総領主の座に就かれるということですか」


 騎士ヘリダンの質問は、フューザリオンの制度上の問題点を突いていた。

 ジュルチャガは平民である。

 ゴリオラ皇国から準貴族の身分を与えられ、それによってドリアテッサが爵位を持ったまま嫁ぐことが可能になったが、平民であることに変わりはない。

 だから領主にはなれない。

 内部的にはジュルチャガが領主ということで問題なかった。

 フューザリオンはジュルチャガが作った村であり、ジュルチャガが育てた村であり、そこの領民となる者は、すべてジュルチャガから住むことを許された者だったのだ。

 その成り立ちを知る者は、ジュルチャガを領主と仰ぐことに何の疑問もない。

 ところが対外的にはそうはいかない。

 フューザリオンが小さな村であった時期には、妻のドリアテッサがゴリオラ皇国の子爵であるという事実を前面に出し、他の領土や国との折衝はゴリオラ皇国子爵の名でドリアテッサが行った。

 しかしフューザリオンの規模が拡大してくると、今度はゴリオラ皇国の名が邪魔になった。

 ゴリオラ皇国に属しているとみられれば、ゴリオラ皇国の政治的権威に従うものだとみなされてしまう。

 つまり税の上納の義務も生じるし、ゴリオラ皇国の貴族たちから干渉を受ける可能性が出てくる。

 だから、ある時期からはゴリオラの名は出さなくなった。

 ということは、ジュルチャガが準貴族という身分を持っているという根拠も失われるのだから、なおさら対外的には身分も立場もはっきりしない。

 エガルソシアのことが広く伝わるにつれ、中原の国からも購入申し込みの使者が来るようになった。

 この場合、貴族である使者が平民のジュルチャガに膝を突くというのは、いかにもまずい。

 では今まで外部との交渉はどうしていたのかといえば、騎士を担当者にしてオルガザード家の名で交渉にあたらせていたのである。


 バルドはジュルチャガに、いっそ形ばかりの修業をして騎士になってはどうかと勧めたことがある。

 事実上の領主なのだから、むしろ騎士になるべきなのである。

 ところがジュルチャガはこれを固辞した。


「おいら、騎士から盗むどろぼーなんだよ?

 それが騎士になるなんて、ちゃんちゃらおかしいや」


 どうも譲れないこだわりがあるようなのだ。

 ではドリアテッサが領主になってはどうかという話も出た。

 だが、そうなると外からみたときフューザリオンはやはりゴリオラ皇国に属するとみられる心配もあるし、何よりドリアテッサが、自分が領主になることは絶対に駄目だと拒否した。

 そんなわけで、フューザリオンの統治者は誰でどういう身分なのかという根本的なことがはっきりしていないのである。

 そこのところを、この機会に明らかにするよう、騎士ヘリダンは促したといえる。

 もちろん総領主などという身分はないのだが、新たにそういう身分を作るのかという質問でもある。

 しかしドリアテッサの答えは皆の期待に沿うものではなかった。


「ヘリダン殿。

 今しばらくフューザリオンの領主は平民ジュルチャガということにしておきたい。

 外との折衝は、領主代理がオルガザード家の名で行う。

 わが子アフラエノクシリンは八歳だが、騎士の子として育てている。

 やがてこの子が騎士となり、ジュルチャガのあとを継いで領主となる。

 その日を待っていただけまいか」


「それがご夫君とドリアテッサ様のご意向とあれば、是非もありませぬ。

 皆様がた、ご異存はないか」


 誰からも異存は上がらなかった。


3


 無謀ともいえるフューザリオンの再編拡張計画だったが、始めてみれば予想外に強い追い風が吹いた。


 まずは、フューザリオンの住民たちの気持ちである。

 彼らのあいだでも、光の雲が降り立った奇瑞はずいぶんと評判になっていた。

 これからフューザリオンは偉大な発展をするのだ。

 彼らはそう言い合っていたのである。

 その気持ちの高まったところに再編拡張計画が発表されたのであるから、彼らは奮い立った。

 せっかく落ち着いた住まいや働き場を捨て、土地や家とも離れて新たな開拓をするというこの命令に、領民たちが反発するのではないか、というのが最も大きな懸念であったから、まさに時宜を得た計画であったといえる。


 次には財的な手当である。

 ドリアテッサはゴリオラ皇国の貴族でありコヴリエン領を領有する子爵であった。

 領地を訪れたことは二度しかなく、経営は代官に任せきりであったが、領主であったことに違いはない。

 これをドリアテッサはファファーレン家に返却した。

 ファファーレン侯爵家の当主である兄アーフラバーンには、四千二百七十七年に長男ドリアンバーンが誕生していた。

 このドリアンバーンが五歳になった四千二百八十二年、ドリアテッサは引退届を出し、子爵位をドリアンバーンに譲った。

 そして内々の扱いとして、今後ゴリオラの籍を離れたいという手紙を兄にしたためたのである。

 そうしたところ、アーフラバーンは、息子に子爵位を譲ってもらった礼の使者をよこした。

 ドリアテッサの財産を持たせて。

 つまりそれは、ドリアテッサが領主であった十年のあいだにコヴリエン領で得られた税収の中から、領主の個人的な財産として取り置かれた財貨である。

 コヴリエン領は豊かな土地であるから、その額は莫大なものとなっていた。

 これを開拓の原資としたのである。


 新たに流入してくる移民たちは、食料さえ与えれば喜んで働く。

 開拓の結果得られるものは、自分たちのすみかであり働き場なのであるから、これは当然である。

 ただしその食料の手配にも財貨が要る。

 また、もともとの領民は今までの仕事をやめさせ、家や土地を離れさせ、開拓に従事させるのであるから、やはりなにがしかの補償や報酬がなければ言うことを聞かせられないし、生活が成り立たない。

 そして当然のことながら、工具や機材なども大量に必要となる。

 こうした支出に、ドリアテッサは得られた財貨を惜しげもなく投入したのである。


 また、辺境で開拓を行うとなれば、最大の問題は野獣である。

 ましてフューザリオンの近辺には大型の獣が棲む地域も多い。

 だがフューザリオンは野獣よけとなるエガルソシアを大量に栽培している。

 茎を切ってばらまくだけで野獣は近寄らないのだから、開拓地のすべてとはいわないまでも、居住区の安全を保つうえでは、大きな助けになった。

 開拓にあたる民には、エガルソシアの煮汁に浸したシャツを着せた。

 これだけでも野獣よけには大きな効果を持つ。


 そして何よりも、流れ込んでくる移住者の量と質である。

 移住者は誰も予想しないほどの数にのぼった。

 十人二十人と肩を寄せるようにしてやって来る者たちもいれば、百人近い規模の移住者もいた。

 不思議なことに、みるからに盗賊というような者はあまりいなかった。

 いずれも真剣な移住者たちであり、フューザリオンの領民となり、領主の命に従い働くと誓う者たちだった。

 以前フューザリオンに流れ着いた者たちは、程度の差こそあれ、流民といってよい人々だった。

 健康状態もよいとはいえず、何の職能も持たない人々だった。

 だが今回の移住者たちは違う。

 貧しい人々も多かったが、それなりの財物を携えている人々もあり、農業の知識やなにがしかの職能を持つ人々が多かったのである。

 中には、街に住んでいた職人一家同士が示し合わせて、こっそり街を抜けてきたと思われるような場合もあった。

 領主のもとで暮らしていた農民が、一村を挙げて移住してきたと思われる場合もあった。

 もちろん彼らはどこぞの領主の民であったなどとは言わないが、その様子をみていればおよその見当はつくものである。

 驚いたことに、家族を連れた騎士も三人やって来た。

 彼らは当面オルガザード家の家臣とはせず、家と俸給を与えて雇う形にした。

 そして騎士バンツレンの下に付け、防衛戦力とした。

 むしろ盗賊のたぐいは、フューザリオンを目指す移住者を途中で襲った。

 野獣に襲われる移住者もいた。

 盗賊や野獣に襲われながらもたどり着いた者もいたが、おそらく相当の数の移住者たちが途中で命を落としただろう。

 とにかく途切れることなく移住者は来た。


 バルドは不思議に思った。

 辺境は交通の便がよいとはいえず、離れた地域との交流はほとんどない。

 であるから、噂というものが伝わる速度も速くはない。

 フューザリオンに奇瑞が現れたというような噂が広く伝わっていくとしても、それには長い時間が必要なはずであり、まして移住など思いついてすぐできるものではないのだから、どうしてこんなに早く、しかも大勢の人々がやって来るのか理解できなかったのである。


 だが、たぶんそんなことではない。

 そうではないのだ。

 噂というものが、どこかで生まれて徐々に伝わっていくものだとすれば、これは噂などではないのだ。

 光の雲が降り立つ光景は、相当の遠方でも目撃された。

 フューザリオンが神々に祝福されたという話は、各地で同時発生的に突然ささやかれるようになり、熱病のように一気に伝わり、移住への激しい熱意を巻き起こした。

 これはたぶんそんな出来事なのだ。

 だからこそ奇瑞なのだといってもよい。

 とすれば熱病のように突然さめるだろう。


 実際、四千二百八十五年の九月から四千二百八十六年の三月まで半年のあいだ、この突発的な大移住は続き、ぱたりと止まった。

 その間移住してきた人数は一万人を超える。

 つまりほとんど倍近い規模に人口が増えたのである。

 再編計画をもって対応するのでなければ、とても受け入れられる人数ではなかった。

 各街区では中心部への受け入れを停止したあと周辺に村を作っていったが、その数は、エガルスが八、モルスが六、ターテスが三、コグスが四という数になった。

 ホリエスはまだ移転を開始していないので付属村もできていない。

 キノスは食料生産を行わず主都から食料の供給を受ける街区なので付属村も作られなかった。

 位置的に、付属村を作っても安全が確保できないという事情もあった。

 フューザリオンは、中原の小国をしのぐ人口と生産力を持つに至ったのである。


 冬の厳しい時期の開拓ではあったが、三月から四月にかけて、各街区とも一応の居住態勢が調った。

 主都の総領主館も四月には移り住めるようになった。

 かなりの突貫工事ではあったが、これで今年の秋は新街区や新村での収穫が期待できる。

 やはり時を得ていたというべきであろう。


 バルドはただただ感心していた。

 正直なところ、ドリアテッサがフューザリオンの拡張計画を打ち出したとき、


——外側の村から一つずつ移転して街区にしてゆけばよいのにのう。


 と思っていたのである。

 開拓のための労働力は一か所に集めたほうが効率がよいに決まっているし、工具や農具も少なくてすむ。

 例えば一番外側にあった林業の村モルスをまず西に移して第三街区を建設する。

 他の四つの村は食料を供給し、余剰労働力も提供する。

 そしてモルスの移動が終わり、最初の秋が過ぎてから次にコグスの移動を始める。

 冬のあいだの開拓は厳しいので、三月から八月にかけて移動をする。

 そうするとその年の秋には収穫が望めないので、一年おいてから次の街区の建設を始める。

 最後に新設のキノス街区を建設する。

 つまり六つの街区を十一年かけて建設するのが無理のないやり方だと思ったのである。

 ところがドリアテッサは六街区の建設と移住を一気に行うという。

 ホリエスだけは遅れて移転をするが、エガルスの拡張と他の三街区の移住およびキノスの新設は同時に行うというのである。

 並行して作業村の増設と砦村の設置も行うという。

 そんなドリアテッサに騎士ヘリダンも反対しなかった。

 だからバルドは口を挟まなかったのである。

 ドリアテッサや騎士ヘリダンと違い、バルドは政治のことは識らない。

 バルドは戦闘に特化した騎士であり、軍事は分かるが領地経営のことは分からないのである。


 そうしてみたところ、どうか。

 まさにドリアテッサの読みは正しかった。

 バルドの考えていたような方法を採っていたら、押し寄せる移民をさばくのに手一杯で、建築はひどく遅滞しただろう。

 いや、それどころか、移住者たちをさばききれず、フューザリオンは崩壊していたかもしれない。

 ドリアテッサの方法であったればこそ、移住者たちは邪魔者とならず、逐次投入されて頼もしい戦力となったのだ。

 見よ、フューザリオンを。

 もはや以前のフューザリオンとは別物である。

 それぞれの街区は土台のようなものだ。

 この土台の上に巨大な街が築かれてゆくのである。

 しかもそれが、とにもかくにも半年のあいだに調ってしまった。

 まだそれぞれ仮普請の領主館と掘っ立て小屋のような住居が立ち並んでいるばかりであるが、基礎はもうできた。

 あとは発展してゆくだけである。

 そのために必要な民と活力が、フューザリオンにはある。


——まるで魔法のようじゃのう。


 だが考えてみれば、戦でも同じなのだ。

 大勝するために何より大事なのは勢いに乗る、ということである。

 勢いをつかんだ軍には勝てない。

 ドリアテッサは、移住者の大流入という突発事態を奇貨として、普通ではとてもあり得ない発展を実現してみせた。

 まことに見事といわねばならない。


4


 開拓が開始されたのが四千二百八十五年の九月末であるが、この九月の初めにタランカとユグルが、そしてセトとミヤが結婚した。

 十月には、カーズとカーラに待望の長男が誕生し、アドルカーズと名付けられた。

 騎士キズメルトルと騎士ノアの喜びようは大変なものだったが、ジュルチャガとドリアテッサの喜びもそれに劣らない。

 なにしろ、ローエン家に跡継ぎが生まれたのである。

 領民たちの喜びも大きく、バルドはあまり体調のよくない中、途切れることのない祝辞を受け続けなければならなかった。

 とはいえ、アドルカーズの誕生を、バルド以上に喜んだ者もいない。


 ローエン家のあとを継ぐ者が生まれてみると、自分でも驚くほどの安心と喜びを覚えた。

 しょせん人の命など限られている。

 だが家は永遠である。

 自分の生きた証しが自分の滅したあとも続き栄えていくということは、こんなにも喜ばしいことなのだ。

 家こそが実体であり、一人一人の命はうつろい消えゆくかげろうのようなものなのだ。

 端的にいって、アドルカーズさえ無事なら、バルド自身はいつ死んでもよいという気になった。

 そんな自分の心境の変化を面白がりながら、バルドはアドルカーズを愛した。


 折しもゼンダッタの鍛冶場では、ようやく本格的な剣の打ち出しが始まったところだったのだが、その打ち初めの鋼剣を、若君に、と献上してきた。

 細身の直剣で飾り気は少ないのだが、それだけに上質でゆるぎのない鋼の落ち着いた光が美しい。

 剣匠の円熟の境地と、新しいものを生み出したいという挑戦心が見事に調和した逸品である。


 アドルカーズが生まれて、カーズも変わった。

 それまでのカーズは、気配を殺しすぎるところがあった。

 それはおのれの強さを誇示する振る舞いと対極にあるようで、実は似たところもある。

 バルドの後ろに控えているカーズの存在を、客はよく忘れる。

 忘れさせてしまうような力を働かせているわけであり、それだけに、ふとしたはずみにカーズから漏れる手練れの気配は、それと気付く者に必要以上の緊張を強いた。

 だが、アドルカーズが生まれてから、平気で気配をさらすようになった。

 おのれの弱さをみせることを恐れなくなった、といってもよい。

 今のカーズは、よほどの腕の者がみても、なんということもないそこらの剣客、としかみえないだろう。

 だからこそ、


  こやつ。

  融通無碍ゆうずうむげの恐ろしい男になりおった。


 とバルドは思うのである。


 バルドは元気になっていった。

 まるでアドルカーズがバルドに元気を運んできてくれたかのようである。

 この時点ではまだ新たな総領主館はできていないので、バルドもカーズもカーラもアドルカーズも旧領主館で生活していたのであるが、毎日アドルカーズの顔を見るたびに、バルドは自分の健康が回復していくのを感じた。

 健康が回復したといっても、体力が戻ったわけではない。

 年齢のわりには元気だというにすぎず、もう重い剣を振り回したり、馬上で戦闘の指揮を執ることはできない。

 だが来客の応接をするぐらいのことはできる。

 移住希望者は次々と訪れたが、これはジュルチャガの担当であり、バルドの出番はない。


 アギスのテンペルエイドがフューザリオンに来る頻度が上がった。

 フューザリオン再編のことを聞き、大量の干し魚を持って訪れるようになったのである。

 この応対もバルドの仕事だった。

 アギスにも移住者が増えているという。


「フューザリオンに行こうとして、アギスののんびりした空気が気に入ったのでしょうね」


 アギスの版図がオーヴァに届く日は、意外に近いのかもしれない。


 四千二百八十五年の暮れに辺境の領主からの使いが三人あったが、いずれもエガルソシアの購入を希望する用件であったので、一晩接待したあとキズメルトルのもとに送った。

 年明け早々に、パルザム王国代王シャンティリオンから友好の使者が来た。

 使者は喧噪に驚いたようだが、バルドはカムラーの料理でねんごろに使者をもてなした。

 答礼の使者は当然出すが、今は開拓移転のまっ最中で余裕がないため、答礼はしばらくのちになるとバルドは述べて謝った。

 実際のところ、この使者は、バルドが無事かどうか、また健康かどうかを確かめるのが主な目的だったようで、バルドがはつらつとして健啖なのをみて、


「代王陛下によい報告ができます」


 と喜んでいた。


 それから、辺境各地の領主たちから使いが来るようになった。

 用件は、領民を返せ、というものである。

 エガルソシアの取り引きなどで付き合いのある領主からの使者もあったし、そうでない領主からの使者もあった。

 こんなに多くの領地があったのじゃなと感心するほど大勢の使者が来た。

 バルドは彼らをカムラーの料理でもてなしたあと、こう言った。


 フューザリオンに逃げ込んだという領民の名簿はお持ちか。

 およそいつごろここに来たかはお分かりか。

 こちらの名簿と突き合わせ、本人たちとお会いになるとよい。

 作業を止めるわけにはいかぬから、作業現場にご案内する。

 間違いなく本人であると確認できれば、説得して連れ帰られるもよし。

 本人たちに帰参の意志がないとなれば、こちらで買い取りいたそう。


 これはずいぶん丁寧な対応である。

 丁寧であるところに罠がある。

 領主の使いとして派遣されるような貴族がいちいち領民の顔を覚えているわけもないし、ほとんどの場合、逃げだした領民の名簿さえ携えてはいなかった。


 無論、他領の領民を盗むというのは、恥ずべきことだ。

 他領から領民が逃げ込んで来たとしても、捕らえて送り返すのが礼儀といえる。

 そのようにすれば、他領で罪を犯して逃げ込んで来るような危険な者たちを排除できるということもある。


 ただしそれは隣接領の場合である。

 フューザリオンには隣接領などない。

 はるばる危険な旅を続けてここにたどり着いた者たちをむげに追い払うつもりは、バルドにはなかった。


 そもそも、使者たちも本気で領民を取り返そうと思っているわけではない。

 一人二人の領民を取り返しても何の足しにもならないし、何十人という領民を自領まで護送するには、それだけの兵士を連れて来なくてはならない。

 そこまでして連れ帰っても、途中で再び逃げ出される心配もある。

 要するに、こんな遠方まで来て領民を取り返しても、引き合わないのである。


 では彼らは何をしに来ているのか。

 フューザリオンのことが気になってしかたがないのである。

 大陸東部辺境に、今までなかった勢いで勃興しつつある領地がある。

 それを見定めたいのだ。


 使者たちの中には、あからさまに補償を要求する者も多い。

 領民を奪った代わりに物か金をよこせ、というのだ。

 取り引きの上で優位に立ちたいという思惑も見え隠れする。

 バルドはこうした要求を毅然とはねつけた。

 領民を奪ったという確かな証拠がないかぎり、それは言いがかりにすぎない。

 彼らが嫌気を差すまで開拓地を連れ回した。

 いくつもの開拓地を回るうちに、本当に領民を発見した使者もいたが、その場合には約束通り買い取った。

 痛い出費ではあるが、フューザリオンの未来のためだ。


 また、使者たちの多くは、フューザリオンの騎士と兵士の数や装備などを知りたがった。

 中には妖しい目の光をみせる者もいた。

 その全部がというわけではないが、彼らの幾分かは戦争を考えている、とバルドはみて取った。

 つまり、戦力をフューザリオンに派遣して財貨を強奪し、民を奴隷として引き立ててゆけば大きな利となる。

 その可能性を探るため、フューザリオンの防衛戦力を確かめたいのだ。

 領民を奪った不正を糺す、という名分を立てれば、侵略戦争も名誉の戦いとなる。


 そういう者たちは、騎士バンツレンに引き合わせた。

 騎士バンツレンはバルドをしのぐ身長と豹のような筋肉を持つ豪傑であり、巨馬にまたがり長大な魔槍を振り回すさまは、人の姿をした魔獣といってよい迫力を持つ。

 従える三十人の兵士も、平民とはいえ選ばれ鍛え抜かれた者たちであり、バンツレンのはく息吹を浴びてたけだけしい。

 また、武器庫も見せた。

 そこには将来を見据えてドリアテッサがゴリオラの皇都から取り寄せた武具の数々が並んでいる。

 辺境ではめったに見ることのできない優良な武具が所狭しと並ぶさまは壮観そのものである。

 そしてさらに、開拓の様子を見せる。

 開拓にあたる民はいざとなれば兵士となるのだが、フューザリオンの民は栄養が充分であるから体格もよく、気力も高い。

 こうしたものを見せられれば、はるばるフューザリオンに遠征してきたとしても、容易には富を切り取れないことが分かるのである。


 そのように、なかなかに忙しい日々をバルドは送っていた。

 津波のような移住希望者たちを面接したジュルチャガの忙しさはそんなものではなかった。

 人柄を見抜く力というものを、ジュルチャガは持っている。

 名前や出身地、技能などを聞き取り、従騎士に書き取らせているあいだ、ジュルチャガは移住希望者をその話術でくつろがせながら、じっと観察している。

 そして、どういう方面の仕事が向いているか、どういう注意点が必要かを書き付けて、騎士ヘリダンに回すのである。

 おちゃらけ者のジュルチャガであるが、実にまじめに仕事をした。

 移住を認めなかった相手はほとんどない。

 これほど大規模な開発計画が進んでいると、荒くれ者は荒くれ者で、それなりの使い方があるのだ。


 四月になると移住者は途絶えた。

 オルガザード家もローエン家も新たな総領主館に移った。

 バルドの暮らしも落ち着いたが、そこで疲れを感じた。

 それほど忙しいというわけでもなかったのだが、何しろ押し寄せる移住者たちの人数と勢いにあてられて、ひどく気疲れがした。

 キズメルトルとノアが領地経営の状況についてこまめに報告してくるのにも、いささか閉口した。

 気疲れしたのと健康が回復したのとで、バルドは、また旅にでも出るかの、とぽつりと漏らしてしまい、そこから、ジュルチャガが旅に連れて行けとしきりにねだるようになったのである。

 子どもがかわいくてしかたのないジュルチャガが子どもを置いて旅に出たがるのは少し妙だな、とバルドは思ったが、すっかり旅にご無沙汰で、もうがまんできないのだろうと思った。


 カムラーにも跡継ぎができた。

 喜々として仕込んでいる。

 この男、名をボルローという。

 大男である。

 カムラーも身長は高いほうだが、さらに頭二つ分高い。

 しかもがっしりとした、というよりどっしりとした体つきである。

 今は亡き北征将軍ガッサラ・ユーディエルを思わせる雄偉な体格だ。

 体格が似ているだけでなく、すさまじい筋肉の力も似ている。


 ボルローは、最初期にフューザリオンに流れ着いた移民の一人だ。

 到着したとき五歳か六歳ぐらいだと親は言っていたが、年齢のわりには背の高い子どもだった。

 その幼さできつい放浪生活に耐えて生き延びたのだから、生命力と体力が高いことは間違いなかった。

 それから見る見るボルローは成長した。

 力がひどく強かったので、周りは兵士になることを期待した。

 だが、だめだった。

 確かにボルローは強力な兵士であったが、あまりに危険すぎた。

 味方にとって。

 ボルローがはじき飛ばした獣が味方に当たって重傷を負わせたことは一度や二度ではない。

 彼が獲物に向かって武器を振り回すとき、その振り回した武器が味方にも当たるかもしれない、ということは考えつかないようだ。

 言われたことはできるが応用が利かず、自分のとった行動がどんな結果をもたらすかを思い描く想像力がない。

 獣が襲いかかってきても、命令されなければ迎撃も防御もしようとしないのだから、危なくてしかたがない。

 誰かがボルローのそばにつきっきりで、いちいち行動を指示すればよいのだが、それも面倒だし疲れるし、いざというときには間に合わない。

 しかもボルローの近くにいれば、彼に打ち倒される危険がある。


 ボルローは戦いからはずされた。

 かといって、塀を建てさせれば塀を壊し、家を直させれば家を壊す不器用者なのだから、使いようがない。

 輸送部隊に組み入れられて鉱石の掘り出しや運搬を手伝っていたのだが、そんなボルローにカムラーが目を付けた。


「バルド様。

 ボルローのやつ、実に使えます」


 それはよかった、とバルドは思ったが、少し不思議でもあった。

 料理というのは応用のかたまりのようなものであるとバルドは思っていたから、およそ応用力のないボルローには向かないと考えていたからである。


「いえ、バルド様。

 それは違います。

 料理の基本は、馬鹿正直に言われた通りにすることなのです。

 ある野菜を親指の大きさに切れといわれたら、その通りの大きさで野菜を刻み続けねばなりません。

 そこをおろそかにしては味に響くのです。

 また、ソースやスープの味を決めるのは調味料と薬味の配合です。

 一定量の水に対して使われる塩の量がいくらか。

 それを指示された通りの配合で作るのが味を安定させることなのであり、その場の思いつきで味を調えるような料理人は大成しません。

 あの男の馬鹿正直さは料理人にとって宝物です」


 しかもボルローは舌の感覚が鋭いのだという。

 バルドも様子を見にいったことがあるが、ボルローはなんと五十人の食材が入った大鍋を軽々と振り回していた。

 そもそもカムラーの料理では、よく鍋を動かす。

 その鍋の動かし方に料理の秘訣があるようなのだが、それをしっかりとボルローは受け継いでいるようだ。

 ボルローは今、十八歳ぐらいだろう。

 近頃、重たい鍋は振れなくなってきたカムラーには、まことによい時期に自分の手足となる者ができたわけである。


5


 ある日、カーラがバルドの所に来た。

 顔色が悪い。

 やっとのことで切り出した話を聞いて、バルドは呆然とした。

 ジュルチャガが死病に取りつかれているというのである。


 ことの起こりはドリアテッサがジュルチャガの小便の色の異常に気付いたことにある。

 真っ赤だったのだ。

 及び腰のジュルチャガを、ドリアテッサはようやくカーラのもとに引きずっていった。

 カーラは、アドルカーズから手が放せず、それでいてカーズの身の回りのこともしていたので、診療は休止中だった。

 ジュルチャガを診察したカーラは発見した事実に愕然とし、さらにトリカの診察も受けさせた。

 トリカの所見も同じだった。

 その結果をドリアテッサやジュルチャガに伝えてよいものかどうか迷い、バルドの所に相談に来たのだった。


「肝の臓に腐りの病が出来てる。

 ううん。

 肝の臓だけじゃない。

 あちこちに飛び火しているみたい。

 もう手の打ちようがないの」


 もっともこの病は、少々早く気付いたからといって、格別に効くという治療方法もない。

 メルカノ神殿の大聖殿で、特別な聖具を用い、高位の神官がまじないを行い続ければ効果もあるが、それももう少し早い段階での話で、ここまで進んではもう命を助けるすべはないという。


「ごめん。

 ザリアだったら、それともピネンだったら、もっと早くに見つけられたかもしれない。

 ごめん」


 バルドはドリアテッサを呼び出して、カーラの診察結果を伝えた。

 余命は一日かもしれないし、半年かもしれない。

 呆然とするドリアテッサに、バルドは、最近ジュルチャガがしきりに旅に連れていけとせがんでくることを伝えた。

 ひょっとしたら死期を悟って、旅の空で身を隠して死にたがっておるのかもしれん、と言った。

 やせ細り衰えていく自分の姿を愛する者に見せたくないのじゃろうなあ、と。

 ドリアテッサの反応は激烈だった。


「バルド様!

 ジュルチャガは、この私の夫なのだぞ!

 アフラ、シルキー、トリルの父親なのだぞ。

 まぬがれない死であるとしても、家族が看取る。

 そんな体で旅に出るなど、そんなとんでもない話はしないでいただきたい!」


 そう言い捨てて、あとも振り返らず飛び出して行ったのだ。

 以後このことについて、バルドのほうからは何もしなかった。

 ドリアテッサは、ジュルチャガと自分自身ができるだけ子どもたちと過ごせるようにした。

 そのため、オルガザード家の若き家宰であるタランカには大きな負担を掛けた。

 また、いったんは現役を退いていた騎士ヘリダンも、領主代理として繁忙な日々を送っている。

 長男アフラは九歳。

 長女シルキーは六歳。

 次男トリルは四歳である。

 子どもたちは存分にジュルチャガに甘え、ドリアテッサ自らの教育を受けた。

 ジュルチャガも衝動が収まったのか、旅に出たいという口癖はやんだようだ。


 八月、バンツレン・ダイエが妻を娶った。

 相手は移住してきた騎士の娘である。


 秋になって、クリルヅーカがユエイタンの子を産んだ。

 今までも何度か妊んではいたのだが、死産で終わったり、出産して間もなく死んだりしていた。

 二頭ともすでに老齢であり、おそらくこれが最後の子になるだろう。

 今度の子は非常に丈夫そうである。


 ドリアテッサは狂喜して、いつのまにか勝手に〈飛空魚クリルタン〉という名を付けていた。

 そして、


「バルド様っ。

 この子はアフラエノクの馬にします。

 いいですね!

 いいですね!

 いいですね!」


 と、反論をする隙も与えず、かっさらっていった。

 そうこうしながら何のことはなく平和な年が終わった。


 ジュルチャガのことは心配しつつも、相変わらずフューザリオンは発展の混乱の中にあり、バルドも気ぜわしく日々を過ごしていた。

 またアドルカーズの成長ぶりが楽しくてたまらず、毎日何度も様子を見に足を運ぶバルドだった。

 だんだんと言葉らしきものもしゃべるようになってきた。

 カーラは、


「アドルが最初にしゃべったのは〈母様ミーメ〉だったわよ!

 カーズには悪いけど、〈父様イーメ〉じゃなかったんだからね」


 と言い張っている。

 そして、


「アドルはね。

 お乳が欲しいときも、うんちのときも、寒いときも、いっつも〈母様ミーメ〉を呼んでくれるんだから」


 と言う。

 だがバルドにいわせれば、イーメもミーメも似たようなもので、アドルも区別してしゃべっているかどうか、分かったものではない。

 だが、〈爺じローア〉と言うときには、誰が何と言おうとバルドのことを呼んでいるのに決まっているのであって、アドルカーズはひどくバルドに懐いている。

 これは間違いのないところなのだとバルドは思っている。


 十月、タランカとユグルのあいだに女の子が生まれ、シャルカと名付けられた。

 同じく十月、ガリ家の家宰ガルクス・ラゴラスが、あるじのテンペルエイド・ガリを伴って総領主館を訪れ、あらたまった様子でバルドに頭を下げた。


「バルド殿。

 わが主君テンペルエイドの妃をお世話願いたい」


 テンペルエイドは今年二十七歳であり、年が明ければ二十八歳となる。

 数年前からガルクスは妻を娶るよう促してきたのだが、もはや待てないと考えた。

 とはいうものの、テンペルエイド自身には嫁の心当たりがなく、ガルクスにも、どうもこれはという娘は見当たらない。

 二人で相談の末、バルド殿のお勧めくださる相手ならということで、頼みに来たのだ。

 バルドは、では主立った者たちと相談のうえ何とかしよう、と引き受けて二人を帰した。

 そこで、ジュルチャガとドリアテッサ、それにヘリダンとタランカに相談をかけたが、これはという女性がフューザリオンに見当たらない。


 そうこうするうちに年が明けた。

 新年の祝賀会をしているところに、アーフラバーンから使者が来た。

 およそ二年に一度程度、アーフラバーンはご機嫌伺いの使者をよこすのだ。


「バルド様。

 テンペルエイド殿の妃のことですが、このぶんではフューザリオンでは見つからないでしょう。

 手紙を書いて使者にことづけ、カリエム侯爵夫人にお世話を頼もうかと思うのですが、いかがでしょうか」


 ドリアテッサの提案に、バルドは、それはよい、とうなずいた。


 春を待ち遠しく思うころになると、またもジュルチャガが旅に出たいと駄々をこねるようになった。

 このころにはジュルチャガは目に見えて痩せてきていた。

 二月に入ったある日、ドリアテッサがバルドを訪ねて来た。


「毎晩、ジュルチャガが言うのです。

 旅に行きたいなあ、旅に行きたいなあ、と。

 旅で見るものの珍しさ、旅で食べるもののおいしさを、せつなそうに語るのです。

 なにしろバルドの旦那との旅は最高なんだから、と。

 ジュルチャガの言うことは、よく分かるのです。

 私も同じなのですから。

 バルド様たちとの旅は、本当に楽しかった。

 でも、今のジュルチャガを旅立たせるなんて。

 バルド様。

 私はどうしたらいいのでしょうか」


 さらに十日後、ドリアテッサはバルドの所に来て、消え入るような声で、ジュルチャガを旅に連れて行ってください、と頼んだ。

 泣きながら。

 バルドは、うむ、と答えた。

 出発は四月三日と決まった。

 だが三月三十八日に思わぬ来客があり、出発は延びることになる。

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