第2話 にせ者
1
カーズ一人を供に連れて出掛けようとしたのだが、ジュルチャガが今度こそついて行くんだと駄々をこねた。
どうしようかと思っていたら、ドリアテッサが文字通り首根っこを押さえて言い聞かせてくれた。
この平民領主の調整力は今こそまさに必要とされていて、とても連れてなど行けない。
フューザリオン全体の人口は一万二千を超え、なおも日に月に増加しているのだ。
ドリアテッサは、「その代わりにセトを連れて行ってください」と頼んできた。
セトは今十九歳ぐらい。
人当たりがよく交渉事が得意で大いにドリアテッサの役に立っているはずだ。
「だからこそです。
セトもいずれこのフューザリオンを背負って立つ人材の一人。
今のうちに広い世界を見せてあげたいのです。
バルド様がこうして旅に出られることが、あと何度あるでしょう。
本当はわたくしがお供したいぐらいなのです。
どうかセトを連れて行ってやってください」
そうまで頼み込まれては断るわけにはいかない。
というわけで、今回の旅はバルドとカーズとセトの三人で出掛けることになった。
カーズは革鎧職人ニテイが新しくあつらえた革鎧を着ている。
バルドはといえば、気楽な着流しの旅人姿だ。
十四年のあいだ愛用した魔獣の革鎧は、仕立て直してクインタに譲った。
むろん、古代剣とヤナの腕輪は身につけている。
今のバルドにはあの革鎧ですら、いささか重いのだ。
セトは普通の旅人風の装いに要所要所に革の防具を着けたいでたちである。
カーラが恨めしそうに見送った。
連れていってやりたいのはやまやまだが、ピネン老人と薬師ザリアが死んで以来、カーラの負担は急に増えた。
いつのころからか、カーラがその技術を惜しみなく使い始めたということもある。
西回りの道を通った。
つまり道の整備されている場所を通った。
最初の野営で、バルドは自分の衰えを思い知った。
地に伏して寝るのが苦痛なのである。
体が痛い。
なんということだろう。
バルドの体は柔らかなベッドでなければ安眠できないようになっていたのだ。
仕方がないので草を刈って敷き詰めて寝た。
すると今度は草の青臭さが鼻についた。
がまんして寝ていたが、なかなか寝付かれない。
やっと眠れたと思ったら、夜明けの風の寒さが関節にこたえて目が覚めた。
バルドは情けなさにため息をついた。
セトも野営慣れしておらず、準備にはまごついていたが、夜になったらすやすや眠っていた。
その気楽さと若さがうらやましかった。
もっとも、周囲への注意を忘れて眠り込んでしまうようでは、旅はできない。
そこはカーズも心得ていて、時々セトを蹴飛ばして起こしていた。
カーズ自身は眠っていても何かが近づけば目が覚めるのだから、夜番は必要ないのだが、これは教育のためである。
一週間ほどたつうちに、少し体もなれてきたが、やはりつらさを感じた。
今回の旅は、できるだけ人家のある道を行くことにした。
寝苦しい夜には、またあの呼び声が聞こえるようになった。
〈バルド・ローエン〉
〈バルド・ローエン〉
今バルドたちがいるのは、ヤドバルギ大領主領の中のココチという独立領だ。
小さな街なのだが、ここにはなぜか腕の良い皮革職人が集まっていて、近隣の街に製品を売ってなかなか繁盛しているらしい。
ガンツがあったので、さっそく宿を取った。
そこでバルドは二度目のため息をつくことになった。
食事がまずいのである。
カムラーの食事に慣らされてしまったバルドは、そこらの店の料理を受け付けなくなっていたのだ。
野営のときは不思議と気にならなかったが、こういう店に入ると、もうがまんならない。
味けのないスープや焼けすぎた肉を恨めしそうに見ながら、バルドはカムラーの絶品料理を思い出した。
カムラーめっ。
カムラーめっ。
くそっ。
くそっ。
まずい料理を酒で流し込んでいると、セトがじっとバルドのほうを見ている。
「確かにここの料理はひどいですね」
まるでバルドの心を読んだかのような物言いである。
バルドはむすっとしたまま、酒をあおった。
「さしものパタラポザ神の食徳の恩寵も、たまにははずれるときもあるのですね」
一瞬聞き逃し掛けたが、心に引っかかるものがあり、バルドはぎろっとセトをにらんだ。
「え?
バルド様の誓願なされた神はパタラポザ神。
忠誠を捧げた相手は人民。
そして依って立つ徳は食徳なのでしょう?」
吹いた。
口に含んでいた酒を吹いてしまった。
なぜ。
なぜ長年秘密にしていたそのことを、こんな若者が知っているのか。
バルドが騎士叙任の誓いの際に掲げた徳目が食徳であるということを。
問い詰めると、セトはあっさりと白状した。
なんと、騎士ナッツ・カジュネルから訊いたというのだ。
騎士ナッツ・カジュネルはアーゴライド家の騎士であり、シャンティリオンの側近の一人だ。
ロードヴァン城での魔獣大侵攻の時にはシャンティリオンから借り受けたのだが、副官としてまことに見事な働きをみせてくれた。
竜人たちのパルザム王宮襲撃のあと、移民団の護衛としてフューザリオンに来ていたのだ。
その後風穴への調査にも同行するなど、それなりの期間を辺境で過ごした。
その際、ジュルチャガやドリアテッサや子どもたちにバルドの武勇伝を訊いて回っているのは知っていた。
だがどうしてナッツがそのことを知っているわけがあるのか。
「シーデルモント様ですよ。
王都におられるシーデルモント様から、ナッツ殿はバルド様の昔のことをいろいろ聞き込んだのです。
私たちから、ゴリオサとゲリアドラのこと、火事のこと、その後の村の創設のことなどを聞き出す代わり、これはとっておきの話だ、と聞かせてくださったのです」
シーデルモントか!
そういえばやつが王都にいたのだった。
シーデルモントはバルドの直弟子といってよい男で、バルドに関することはよく知っている。
そしてシーデルモントは主家であるテルシア家の人々と特別に懇意にしていたから、そのことを聞いていても不思議ではない。
違うのだ。
あれはそういうことと違うのだ。
バルドは確かに、食徳をわが徳となし、騎士の誓約を果たさん、と宣言した。
しかしその食徳ということの意味は、どんな食べ物も無駄にせずおいしく食べられる徳のことだ。
決してどこに行ってもうまい物に行き当たりますように、という意味ではない。
しかし同僚や先輩たちは、そのことでバルドをからかい続けた。
くいしんぼう騎士、と。
からかわれれば腹が立つ。
ついにバルドはバルドが誓いを立てたときの徳目が食徳である、と口にする者をさんざんにやり込めるようになった。
それでついには誰もそのことを口にしなくなったのである。
それからもう何十年もの年月がたつ。
知っていた者は死に絶え、もう今では誰も知らないことだと思っていたのに。
シーデルモントが知っていたとは。
やつにはそのことを口止めしたことはない。
そんな必要があるとは思わなかったからだ。
失敗だった。
しかもシーデルモントはナッツ・カジュネルにそのことを話してしまったという。
もしかすると、シャンティリオンが刊行しているというバルドの伝記の最新版には、そのことが書かれるのだろうか。
ああ!
何たる不覚。
2
後ろのほうがにぎやかになってきた。
誰かが何かの語りをやっているようだ。
その語りの中で、「バルド」という言葉を聞いたような気がして、びくりとした。
「いいかい皆の衆。
そんときバルド・ローエン卿は、どうなさったと思う?
こう言いなさったのさ。
わしと魔剣スタボロックが、そんな野盗一味は追い散らしてくれる!
それから七日間、老騎士様はミーメの村にとどまって、山野を探索なさった。
野盗どもはバルド様の気配に震え上がってよう。
風を食らって逃げちまったのさ。
以来十四年、ミーメの村には野盗のやの字も出ねえってえから驚きだ!」
観衆から、おおおっ、という驚きの声が上がる。
「どうだい。
老騎士様のご威徳はてえしたもんじゃねえか。
けどおいらは思うんだ。
老騎士様が七日間も山野を探索なさってさあ。
ほんとに野盗どもが見つからなかったのかってね。
実は何人も、いや何十人もの野盗を討伐なさっておいて、その手柄は黙っておられた。
そんなところじゃねえかと思うのさ!」
観衆から、そうだ、そうだ、と声が上がる。
「まあ、当のご本人が何ともおっしゃらねえから、何がほんとかは分からねえんだけどよ。
とにかくバルド様は、ミーメの村を平和にすると、びた一文謝礼は受け取らず、また旅に戻んなさったってこった。
お供二人を連れてよ」
観衆から、すげえ、たいしたもんだ、と声が上がる。
バルドは背中を冷や汗が流れるのを感じた。
覚えがある。
その村はゴドンと二人で寄った村だ。
ゴドンが盗賊退治を買って出てバルドが付き合わされたのだったが。
この語り手の話している内容は、細かい点では間違いもあるが、おおむね事実に沿っている。
だがミーメの村というのは、ここから南にあるエグゼラ大領主領の、そのまた南にあるのだ。
ここら辺りの住人なら、ミーメ村という名前さえ聞いたことがないだろう。
どうしてこんな場所で、しかもこんなに時間がたったあと、その噂をする人間がいるのか。
「さあさ、皆の衆。
いいかい。
驚いちゃいけない。
実は今夜この店に、バルド・ローエン卿がおみえなんだ!」
うわっ、とバルドは思った。
わしの顔を知っておるとは。
こんな場所でさらし者になったのでは、たまったものでない。
「さあ、ご紹介しようじゃねえか。
辺境の老騎士、英雄バルド・ローエン卿様だあっ」
バルドは目を閉じた。
拍手喝采が浴びせられる。
と、セトがバルドの腕をつついた。
目を開けてセトを見ると、背中のほうを指している。
振り返って見てみると、拍手の中心にはまるで別の男がいる。
「やあ、困ったのう。
ここにはお忍びで来ておるというのに。
はっはっは。
まあ、どうか、そっとしておいてくれぬか」
満座の注目を浴びながらそう言って笑ったのは、五十をいくつも超えていないように見える大柄な男だ。
革鎧にやたらぴかぴかする金属飾りをごてごてと付けている。
見るからに安物で、また防御力の低そうな代物なのだが、物を知らない人間には立派な鎧にみえるかもしれない。
頭やひげに白いものが混じっているが、とても十四年前には老騎士と呼ばれるような年齢ではなかったろう。
ただし、そんなことを指摘する者はここにはいなかった。
もっとも、男はたぶん騎士ではある。
体格もそうだし、物腰やただよう雰囲気からそう感じる。
剣も持っている。
流れの騎士なのだろう。
「すげえ!
バルド・ローエン卿様とお会いできるなんて。
女房に自慢できるぜ」
「バルド様。
おいらの杯を受けてくだせえや」
「おいっ、亭主。
バルド・ローエン様に、一番高い料理を持って来い!」
にせ者はすっかり人気者となり、周りのもてなしを受けている。
バルドの功績を紹介した男も、ちゃっかり相伴にあずかっている。
男はそのまま、次から次へとバルドの武勇譚を語った。
誇張やでまかせも混じっているが、六割がたは事実に基づいている。
いったいこれはどういうことなのだろう。
宵の口に始まった、この時ならぬ宴会は、ずいぶん夜更けまで続いた。
バルドといえば、何が話されるのか恐ろしくて、初めのうちは耳を傾けていたが、そのうち話題が繰り返しになったので、部屋に上がって寝た。
カーズもバルドと一緒に二階に上がった。
セトは階下に残っていた。
3
〈バルド・ローエン〉
〈バルド・ローエン〉
「バルド様。
バルド様」
セトに起こされて目が覚めた。
人が近寄ったというのに、体を揺すぶられるまで目覚めないとは、なんという油断か。
だがこれも老いというものなのだろう。
それにしても、ひどく早い時間だ。
何があったのだろう。
「昨夜遅く、領主の使いと名乗る者が現れ、バルド様のにせ者を領主館に招待しました」
そんな遅くに突然の招待とは妙な話である。
「今朝流れてきた噂によると、昨夜領主が殺されたそうです。
その犯人はバルド・ローエン卿であるというのです。
領主代理は近接領の領主を呼んで、公開裁判を行うとのことです」
公開裁判とは、重要な案件について、その処置の正しさを周知せしめるため、人民に広く公開して行う裁判のことだ。
たいていは、ひどく芝居がかったやり方で、為政者の判断を人民に納得させる。
あるいは、極めて悪らつな罪人を口汚く裁くことで、人民のうっぷんを晴らさせる。
ある種娯楽めいた匂いのする仕置きである。
だが、近接領の領主までを呼ぶ、というのがよく分からない。
そこにきな臭さをバルドは感じた。
それにしても、セトはこんなに早朝からよくそれだけの情報を得たものだ。
バルドはセトの手際を褒め、引き続き情報収集にあたるよう命じた。
特に注意すべきは、領主の死によって利益を得る者は誰かということと、急に羽振りがよくなったり、妙な振る舞いをする者がないかじゃ。
事が済むまではこの街に滞在する。
セトはうなずいて部屋を出た。
バルドはもう一度寝ることにした。
バルドが遅めの朝食を終えて茶を飲んでいるところにセトが帰って来た。
「公開裁判を開こうとしているのは、領主代理ですね。
領主代理は、領主の奥方の弟です。
領主の引き立てで騎士になり、領主代理におさまったんです。
奥方のほうはもう亡くなっています。
それで領主には年の離れた息子がいて、今クラースクで騎士修業をしてます。
来年ぐらいには帰って来て領主を継ぐんじゃないかって、もっぱらの噂だったみたいですね」
当面の情報はその程度だった。
引き続きセトには探索を続けさせ、バルドは昼寝した。
夕方、ガンツに集まった客は、領主殺しの話題で持ちきりだった。
「バルド様が領主を殺しなさったんだってなあ」
「最近、ひでえ税の上げ方だったからなあ。
たぶん、あれだぜ。
老騎士様は領主様に税金を下げろ、とか何とか談判してくださったんだぜ」
「おうおう。
それでキレた領主が襲い掛かって返り討ちか。
ありそうな話だぜ」
勝手な憶測で場が盛り上がる中、一人隅のほうで沈んでいる男がいた。
バルドの武勇伝を語った男である。
バルドは酒を持って男の向かいに座った。
おぬし、元気を出せ。
まあ、一杯やれ。
「お、俺。
どうしたらいいのか」
まあまあ、まずは飲め。
男はバルドがつぐ酒を飲んだ。
よほど不安だったのだろう。
杯を重ねるうち、酩酊してしまった。
これでは相談にもならんのう。
おい、おぬし!
明日もこの場に来るのじゃ。
分かったのう。
「あ、ああ」
セトは、夜遅く帰って来て報告をした。
もともとこの街は景気もよくお上の仕置きも過不足なく、過ごしやすい街だった。
ところが数年前から税が上がり、しかも急に思いついたように徴集するようになった。
それで領主の評判はこのところ悪い。
ただし調べたところ、税が上がったのは領主代理が実権をふるうようになってからだった。
公開裁判は三日後に領主館の前の広場で行われるという。
4
一日目はさしたる成果がなかった。
バルドは武勇伝を語った男と酒を飲み、事情を聞き出した。
男はバルドのにせ者と、リンツで知り合ったという。
三年ほど前のことだ。
二人とも噂に聞くバルド・ローエン卿を尊敬していて話が合った。
リンツではいろいろとバルド・ローエン卿の逸話が聞けたが、メイジア領に行くとさらに詳しい話が聞けるという。
二人は物好きにもメイジア領まで足を伸ばした。
泊めてもらった村人にバルド・ローエン卿の名を出すと、人が変わったように饒舌になり、〈旅語りの夜宴〉の話をとうとうと聞かせてくれた。
どういうわけか、バルドの話を聞きにわざわざやって来た男たちがいる、という話が領主に伝わった。
二人は呼び出され、領主ゴドン・ザルコスの語るバルド伝に耳を傾け、二晩も泊めてもらった。
そのあげく小遣いまでもらって送り出されたというのだから、メイジア領主のバルド好きは一通りではない。
二人もますますバルドが好きになった。
二人は賃仕事などをしながら、ゴドンから聞いたバルドの旅路をたどった。
そしてあちこちで、当事者が話すなまなましいバルドの活躍ぶりを聞いた。
ある日泊まったガンツで、二人は酔いに任せて居並ぶ人々にバルドの話を語った。
座は大いに盛り上がった。
バルドの噂をそれとなく聞いている人も多かったのである。
二人は酒と食事をおごってもらったばかりか、人々から講釈料を奉られた。
これは商売になる、と二人は気付いた。
それで旅を続けながら、泊まる先々でバルドの物語を語るようになったのである。
語るうちに、大男はバルドの役柄になって、バルドの台詞やしぐさを演じるようになった。
それは本物になりすますということではなく、ただ演じたのである。
それに対して、「いよっ、バルド様!」などとはやし立てられるのも心地よかった。
二人はトゥオリム領にも立ち寄った。
両親を殺された三人の子どもが苦労に苦労を重ねて残虐な前領主を討ち果たした街だ。
最初のうちは、バルドと三人の子どもの関わりについて、二人の話を信じない人も多かった。
だが実のところ、三人の子どものうち末の妹が残した言葉が謎だった。
「干しぶどう、おいしかった。ありがとう」というその言葉が。
三人は野人同様に嫌われていたから、干しぶどうをやる者などなかったはずなのだ。
いったい誰から干しぶどうをもらったのだろうと、この十数年ずっと話題になっていたのだという。
そこにこの二人の証言である。
それはメイジア領のザルコス家から出た干しぶどうなのだという。
メイジア領といえば、干しぶどうの名産地として有名だ。
しかもその領主ゴドン・ザルコスがその場に居合わせて見聞きし、それをゴドン本人から聞いたというのである。
そういえば、三兄妹と最後の晩に出会った行商人も、自分が三人と別れたとき二人の武士らしい旅人がいた、と証言している。
そうだったのか。
三人の子どもたちに干しぶどうを上げたのは、噂に聞く辺境の老騎士バルド・ローエン卿だったのか。
しかも干しぶどうだけでなく、酒やいろいろな料理をふるまったのだという。
なんと優しいおかたなのか。
人々は涙し、これから三人の塚に参拝するときには、辺境の老騎士様にも拝礼すると言った。
そこまではよかったのだ。
クラースクの街で、演出のため、鎧に飾りを付けた。
クラースクでもローエン卿の冒険譚は受けた。
そしてヤドバルギ大領主領に来た。
二人はどちらからともなく言い合った。
バルド様を演じるだけで、あんなに喜んでもらえる。
本人が来たということになったら、みんなどんなに喜んでくれるだろうか。
そこでバルド・ローエン卿になりすましたところ、領主館に呼び出され、領主殺しだといわれて捕らえられてしまった。
「
やっぱりにせ者には、なっちゃいけなかったんだ」
そう肩を落とす男に、バルドは、そうじゃのう、にせ者はやめておけばよかったのう、と言った。
四、五年前のバルドなら、バルドの武勇伝を語って歩くなどという行い自体をひどく責め、ただちにやめさせようとしただろう。
だが体調の変化が心情にも変化をもたらした。
どうせわし自身は、もう人々を助けて歩くようなまねはできん。
辺境の暮らしは厳しい。
せめてわしの物語で慰められるなら、それはそれでよいではないか。
そんなふうに考えるようになってきていたのである。
〈バルド・ローエン〉
〈バルド・ローエン〉
5
二日目になって、いくつもの情報が入ってきた。
まず、領主が死んでいることを確かめたのはこの街の薬師なのだが、その薬師は致命傷となった傷とローエン卿が持っていた剣の大きさが合わないと、ひそかに漏らしている。
次に、領主館の小間使いで当日夜に領主代理の世話をしていた娘が、翌日から無断で仕事を休んでいる。
バルドはセトに命じて、薬師とその娘のもとに行かせた。
その結果得られた情報は、事件の真相を推理するにじゅうぶんなものだった。
さらにバルドは、カーズにあることを命じた。
そしてその夜、語り部の男にバルドは言った。
おぬし、一世一代の語りをやってみる気はないか、と。
6
「正義と真実の神ヤンエロの名のもとに宣言する!
この公開裁判の場では、いっさいの嘘や隠し事は許されない。
誓いを破る者は、ポール=ボーの
さて、ではルマナ領主オルダー卿の立ち会いのもと、審理を開始する。
最初の証人、前へ」
と大きな声を張り上げているのは領主代理その人である。
「はい。
私は、領主様のお館で執事をいたしておりますヤーウェスでございます。
四日前のことでございます。
領主様と領主代理様は夜遅くまでお酒を召しておられました。
私はふと、出入り者から聞いた話をお伝えしたのです。
バルド・ローエン卿が今夜この街のガンツにお越しであると。
領主様は大変お喜びになって、すぐにお連れするよう命じられました。
夜遅くですからご迷惑でしょうと、私はお止めしたのです。
しかし明日にはお立ちかもしれないからと領主様は申され、私が使いに立ってバルド様をお迎えしました。
その後私は下がらせていただいたのですが、大きな物音がしたので起きました。
領主様のお部屋に行ってみますと、なんとしたことでしょう。
領主様とバルド様が、それぞれ手に剣を持ってお倒れになっておられました。
その場には領主代理様もおられ、私に薬師を呼んで来るようにと命じられました」
ここで領主代理が話を引き取った。
「うむ。
その間のことは、私が補足する。
領主様とバルド殿の酒宴は続いたので、私は先に休んだのだ。
だが争う気配がするのでガウンを羽織って駆けつけたところ、領主様が血を流して倒れていた。
バルド殿の右手に握った剣は血まみれだった。
私は事情を察し、バルド殿を後ろから花瓶で殴って気絶させたのだ。
そこに執事がやって来たので、薬師を呼ぶように命じた。
そのあとのことは薬師から証言せよ」
「は、はい。
薬師のエイシスです。
駆けつけて診察しましたところ、領主様はすでに事切れておられました。
心の臓へのひと突きが死因と思われます。
バルド様は気を失っておられましたが、命に別状はありませんでした」
「薬師エイシス」
「は、はい」
「領主様の手には剣が握られていたな」
「は、はい」
「その剣に血は付いていたか」
「いえ。
付いておりませんでした」
「バルド殿の手には剣が握られていたな」
「はい。
バルド様は剣を握っておられました」
「その剣に血は付いていたか」
「剣の先にべっとりと血が付いておりました。
しかし」
「もうよい。
以上の証言から、領主様を殺したのはこのバルド・ローエン卿と名乗る男だと考えられる。
では当人の言い分を聞こう。
猿ぐつわをはずせ」
「お、俺は。
俺は、殺してない。
領主様と話をしてたら、突然頭をがんとやられて。
気が付いたら剣を握らされて、領主様が死んでたんだ」
「いいや、お前だ。
よいか。
お前の頭を殴ったのは私で、そのときにはもう領主様は倒れていたのだ」
「う、嘘だっ」
「嘘だと。
貴様こそ嘘のかたまりではないか。
では訊こう。
バルド・ローエンと名乗る男よ。
貴様の騎士叙任の導き手は誰だ。
そのとき、どの神のもとに誓いを立てた。
そして何に忠誠をささげた。
さあ!
お前がバルド・ローエンだというなら答えてみよ」
「そ、それは……」
「答えられまい。
にせ者め。
おおかた、にせ者であることを見抜かれて殺害に及んだのだろう。
さて!
以上の審理により、領主様殺害の犯人は明らかとなった。
だが、今日の裁きを公開としたのは、このことのためだけではない。
これからの領主をどうするかが問題だ。
周知のように、前領主のご子息はクラースクで騎士修業中である。
その騎士修業を中断させるわけにはいかない。
だからこの私が臨時の領主に就くのがよいと思う。
もちろん、ご子息が騎士となって帰られ、しかるべき経験を積まれたら領主の座は譲り渡す。
この点について、この街の人民と、近接領の領主であられるオルダー卿にご承認いただくため、この裁判を公開としたのだ!」
7
なるほど。
そんなたくらみがあったのか。
だから公開にしたのか。
人民に問う、というのは建前としては非常に筋が通っている。
また、この街にはこのことを承認できる有力な騎士がいないとなれば、隣接領主を呼んだのも分かる。
お笑いぐさの裁判ではある。
なにしろ、状況からすれば当事者ともいうべき領主代理が審理を執り進めて裁定まで下すのだ。
なんとでも自分の都合のよいように裁判を組み立てられるだろう。
ここに詰めかけた民衆のほとんどが、審理の内容にいぶかしさを感じているはずだ。
だがそのいっぽうで、はっきりと領主代理が犯人だろう、ともいえない。
そういう証拠はないからだ。
また、この審理に不満や批判を漏らしたら、その者はひどい目に遭わされるだろう。
領主代理は今まさに領主になろうとしている。
この街で暮らしていく以上、その権力からは逃げられない。
となれば、この場で反対意見など出せるものではない。
ああ、そうか。
それで領主殺害事件の審理と次期領主選定を抱き合わせにしたのか。
なるほど。
うまいやり方だ。
恣意的で力ずくの裁判だが、辺境の独立領で権力者が行う裁判など、こんなものだ。
そこでは貴族による無法無道がまかり通る。
大陸中央と違い、辺境では独立領というのは本当に独立独歩だ。
小さな街であっても領主は最高権力者で、その上には何もない。
そんな状態で長年過ごせば、こんな力ずくの裁判も当たり前に思えるのだろう。
ただしこんなやり方をすれば、民衆の信頼は失う。
民衆の信頼を失えば、徐々に腐っていくほかない。
この男はそんな将来のことなど気にもしていないのだ。
当面を乗り越えられさえすれば、それでよいのだ。
この男はそれほど追い詰められている。
8
「オルダー卿。
ご異存がおありですか」
「……いや。
ない」
いささか渋そうに、隣接領主が答えた。
それはそうだろう。
この場のいかがわしさは感じられたはずだ。
だが裁定をひっくり返すほどの材料はない。
となれば、隣接領との関係を壊さないためにも、ここは承認しておくしかない。
「では参集した者たちに訊く!
この裁定に異存のある者は申し出よ」
場がしんとした。
声を発する者はない。
「ないな。
では……」
「異存あり!」
裏返りそうな甲高い声を発して、語り部の男が手を上げた。
皆の視線が集中する。
語り部の男は、震える足で前に進み出た。
「なんだ貴様は。
この街の者ではないな。
では裁定に口を挟む筋合いは」
「あるぜ!
公開裁判は、天下万民に正邪を問うものじゃねえか。
たとえ通りがかりの旅人にだって、正義を口にする資格はあらあな!
真実の神の名のもとによう」
おお。
なかなかよい滑り出しだ。
「だいたい、何だってんだい?、
さっきから聞いてりゃあよう。
バルド様の導き手だとう。
そんなのはパクラのエルゼラ・テルシア様に決まってるじゃねえか。
誓った神さんだとう。
そんなのはパタラポザ様に決まってるじゃねえか。
忠誠を捧げた相手だとう。
おうおうおう!
バルド・ローエン卿といえば〈人民の騎士〉。
忠誠を捧げた相手は人民さね。
そんなこたあ、子どもでも知ってるってことよ。
ただ猿ぐつわを長いことかまされてたのと、いきなり訊かれて動転なさったから答えに詰まっただけじゃあねえか。
そもそもそのおかたがにせ者だったからって、それで領主様を殺したってことになんのか?
ちょっとばかし話が飛んじゃあいませんか、ってんだ」
うむ。
しゃべりだすと調子に乗るたちのようだ。
足の震えも止まっているではないか。
「おいよ、ご一同様!
この裁判、おかしいとは思わねえかい。
第一、一番肝心の証人が呼ばれてねえや!」
「なにっ?
一番肝心な証人だと。
それは誰だ」
「嬢ちゃん。
出て来な!」
バルドの後ろに隠れていた少女が姿を現した。
そして前に進み出ていく。
その足は震えているが、すぐ後ろに付き従うバルドの存在が勇気を与えている。
少女に気付いた領主代理が目を見開いた。
そして何かを口にしようとしたが、その機先を語り部が制した。
「この嬢ちゃんは領主館の小間使いさ。
四日前の夜は、領主代理様の世話係だった。
嬢ちゃん。
あの夜何があったか、言ってみな!」
「あ、あの。
領主様のお館で小間使いをしていますコリルです。
あの夜、大騒ぎになって、薬師様とかも来られて。
それで薬師様がお帰りになったあと、領主代理様が部屋にお戻りでした。
ガウンを脱いだその下の服は、ち、血まみれになっていて。
その、その血まみれになった服を領主代理様はあたしに渡して、人に知られず処分しておけって。
このことについては絶対秘密だ。
しゃべったら、こ、殺すって。
それから領主代理様は懐から短刀を出して、机の引き出しにしまわれました」
「よく言ってくれた、お嬢ちゃん。
さて、もう一人、話を聞かなくっちゃならない人がいる。
薬師の先生!」
「何かな」
「先生、さっき言いかけなさったよね。
バルド様の剣では、何だってんだい?」
「うむ。
バルド様の剣はあの傷を作るには大きすぎる。
もっと細い剣で刺された傷のように思うのだ」
「そうかい。
その刺した剣てのは、これくらいの太さじゃねえかい」
と言いながら語り部は懐から鞘付きの短剣を出した。
立派な飾りのついた短剣だ。
そしてその短剣を抜いた。
近寄ってみれば、その剣身に赤みがかった黒色のしみが付いているのが分かるだろう。
「うむ。
その細さなら納得できる」
「ありがとよ、先生。
さあ、ご一同!
お聞きの通りだ。
この短剣はどこにあったと思う?
この立派な飾りは何の飾りだと思う?
これは領主家の家紋だよ。
領主代理様の机の中から出てきたんだよ!」
ここは、どうして領主代理様の机の中にあった物をお前が持っているのか、という指摘が欲しいところじゃがのう、とバルドは思った。
だが居合わせた人々は、もうそんな細かいことは気にしていないようだ。
ちなみに短剣を盗み出してきたのはカーズだ。
警戒厳重なライド伯の城にさえやすやす忍び入ったほどの男だ。
田舎の領主館に侵入するなど造作もない。
「き、貴様!
まさかわしが犯人だとでもいうのか。
わしが領主様を、
「よくぞお訊きくださいました、ってね。
ここで最後の証人ご登場、っとくらあっ」
語り部が調子よく二度手を打ち合わせた。
カーズが自分の前の男の頭巾を外した。
その男はカーズに押し出されるように前に歩いて行く。
マントの上からでは分からないが、上半身はぐるりと縄で縛られている。
捕まるとき、よほどカーズに恐ろしい目にあわされたのだろう。
おとなしいものだ。
領主代理の顔が真っ青になった。
「お、お前は」
「このおかたは徴税官殿さ。
領主代理様は税金を使い込んじまった。
その穴埋めに徴税官殿とぐるになって、ありもしねえ税金を勝手に集めてた、って寸法よ。
けれど来年になって領主のご子息が騎士になって帰って来て、領主になったらどうなる。
悪事がばれちまう。
そこでいっそ自分が領主になっちまえ、と考えたわけさね。
てやんでえ!
これがこの事件の真相ってやつよ。
恐れ入ったかい、こんちくしょう!」
「り、領主代理様。
駄目です。
帳簿を押さえられました」
「く、くそっ。
衛視隊!
このくせ者どもを捕まえよっ。
い、いや。
殺してしまえっ」
逆上してくれたようで助かった。
実のところ冷静に対応されたら詰めに困ったところだったのだ。
衛視隊が二十人ほどいるうちの半数ほどが領主代理の命令に従った。
つまり半数ほどが領主代理の息が掛かっていたわけだ。
剣を抜いて殺到する衛視たち。
語り部の男は、先ほどまでの威勢の良さはどこへやら。
ひいっ、と悲鳴を上げて両手で頭を押さえてうずくまった。
だが何の心配がいるだろう。
こちらにはカーズ・ローエンがいるのだ。
襲い掛かってきた衛視たちの剣すべてを、目にも止まらぬ速さでカーズは打ち落とした。
いや。
斬り落とした。
十人の衛視たちを一瞬で手玉に取った神速と、剣で剣を斬るという前代未聞の神業に、誰もが声を失った。
沈黙を破ったのは年配の衛視の声だった。
この男が衛視長なのだろう。
「領主代理殿を取り押さえよ」
その命令に従って二人の衛視が領主代理を取り押さえた。
領主代理はわめいたが、すぐにおとなしくなった。
領主代理にとっても、事は一世一代の大ばくちだったのであり、それが敗れて呆然としているのだろう。
この人物ならと見込んだのか、セトがつかつかと走り出て、衛視長に裏帳簿の束を渡した。
衛視長は、隣接領主に頭を下げて言った。
「オルダー卿。
衛視長のガンクルド・ヤバンであります。
このたびは、まことにお見苦しいところをお見せし、申し訳ございません。
当家は、ただちにクラースク領に連絡を取ります。
おそらくは、若の修行年限を短縮して騎士叙任を済ませ、早急に領主にお立ちいただくことになるかと思います。
今回の事件につきましては、新領主がご就任になられてから、その判断のもとであらためて審理することになるかと思います。
そのむね、ご承認いただきたくぞんじます」
「うむ。
ガンクルド殿。
それがよいな。
それならわしも納得できる」
「ありがとうございます。
別室にお食事の準備ができておりますので、どうかご移動ください」
ここで語り部が口を挟んだ。
「ちょ、ちょっと。
ちょっとだけお待ちください、オルダー卿様!
あなた様に、一つお願い事がございますんで」
「おう、おぬし。
なかなかの活躍じゃったな。
見事じゃ。
願いとは何か」
「はい。
この嬢ちゃんなんでございやす。
この嬢ちゃん、身寄りがなく、一人で働いて身を立ててるんですが、今回のことで領主代理様に恨みを買っちまいました。
領主館には、領主代理様の息のかかった野郎どもも、たくさんいると思うんでさ。
このお嬢ちゃんを、当分のあいだオルダー卿様の所で預かっていただくわけにはいきませんでやしょうか」
「……ほう。
うむ! 見事。
それは行き届いておる。
よいとも。
娘よ。
この街に友達縁者もあろうから、ずっととはいわぬ。
新領主が決まり、今回の結末が付くまででも、わしの所に来ぬか。
ガンクルド殿。
それでよいだろうか」
「はっ。
これはこちらも気が付かないことで失礼しました。
娘。
それでよいか」
「は、はいっ。
お、お願いしますっ」
こうしたやり取りを聞きながら、バルドたちは静かに退散していた。
そのあと隣接領主が語り部に何か質問をしていたようだが、それは聞き取れなかった。
9
三人は再びメイジア領に向けて馬を進めていた。
バルドは考えていた。
実にひどい裁判だった。
証拠も理屈も正義も何もあったものではない。
だが、あれで通用するのが辺境の独立領というものなのだ。
あれが大きな国の中の一都市ということになれば、周囲の目もあるし、国からの監視もあるから、あそこまでのむちゃはできない。
では大きな国になれば不正や無道はなくなるかといえば、そうもいえない。
国が大きくなれば腐敗も進む。
強い権力を持った者は、自分の縄張りの中では好き勝手をするようになる。
いったい、公平な裁判、などということが可能なのだろうか。
クラースクの街では、それに近いことが行われている。
しかしそれも、領主や役人という強い権力が庶民の罪を裁くという限りにとどまる。
もしも大きな役所の長や領主その人が悪意をもって無道を行えば、それをただす道はない。
今まで、法とか裁判というものはそういうものだと、バルドは思っていた。
つまり上に立つ者の心の正しさに依存するものなのだと。
だが、そうなのだろうか。
今回の茶番劇を見て思った。
誰がみても明らかにおかしいことが行われているとき。
発せられてよい当然の質問さえ封じられているとき。
そのゆがみをただすための方途というものは、まったくないものなのだろうか。
「法を作り、上も下もがそれに従う、ということが公正の基なのかもしれませんね」
バルドの思いを酌み取ったかのように、セトがぽつりとつぶやいた。
「そしてそれが正しく行われているかを監視する役職を作る。
今すぐにはとてもできませんが、いつかフューザリオンに、法と法を守る役職を作りましょう」
バルドは静かにうなずいた。
そしてバルドたちは旅を続けた。
旅のあいだじゅう、あの不気味な声が聞こえては消えた。
〈バルド・ローエン〉
〈バルド・ローエン〉
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