第9話 山岳戦
1
翌日、すなわち五月三十五日、バルドは
あわただしく日取りの決まった任命式であるが、文武百官と王軍精鋭とゴリオラ皇国特使らが見守るなか、バルドは連合元帥となった。
このあと、重臣たちはゴリオラ皇国特使たちと、細かい条件を詰める。
軍事同盟自体は大らかな枠組みしか決めておらず、詳細はその都度状況に合わせて協議することになっているのだ。
この場合、パルザムに対してゴリオラが援軍を派遣するという形になる。
それでも重臣たちは、ゴリオラの騎士たちの参戦にこだわった。
実際に共同戦線を組んで軍事行動を行ったという実績を作ることを重視したからである。
協議の内容は広範囲にわたることが予想される。
ゴリオラからの特使も、正使が第一外務卿であるほか、副使として第二軍務卿と第二商務卿がやって来ている。
あちらも本気だということだ。
決着するには相応の日数がかかるだろう。
2
バルドはまず、ブンタイ将軍に会おうとした。
オーバス城攻城戦でザイフェルトが捕虜としたシンカイの将軍だ。
捕らえて二か月になるのだが、名前以外は何もしゃべらないので王宮の地下
地下牢に行ってみると、薄暗く不潔なところで、捕虜も汚れ放題で、とても話のできる状態ではなかった。
バルドは、捕虜の部屋を地上の風通しのよい部屋に変え、湯浴みをさせてちゃんとした食事を与えるよう命じた。
また、散髪もして服も清潔な物を用意せよと命じた。
次に戦況を聞くため、シャンティリオンと軍務官を呼び出した。
王軍が大敗したいわゆるカッセ大平原の戦いがあったのが、四月二十六日だった。
シンカイ軍は相変わらず騎士を捕らえようとせず殺そうとする戦いをした。
その前に征服していたカッセの街では、領主を殺しその一族を追放したほかは、一切残虐なことをしなかったという。
住民たちを安心させ、支配を行き届かせようとしている。
つまり、今度は本気で侵略する気なのだ。
母国から増援も到着しているという。
今はカッセを落ち着かせるとともに、兵を休ませ軍を再編しているのだろう。
とすれば、シンカイ軍が王都に攻め込むまで、まだしばらくの時間がある。
物欲将軍の強さは異常だ。
シンカイ軍に勝てたとしても物欲将軍を倒せなければ、この戦争は負ける。
シャンティリオンには、古参の将兵と協力して王軍の補充再編に力を入れるよう命じた。
工学識士オーロの工房では、改良クロスボウの製作を依頼した。
説明を聞いたオーロの瞳には何かの火が燃えていた。
この種の人間は、やる気になったときにはとんでもない力を発揮するものだ。
また、槍の改造について相談した。
ちょうどゼンダッタがやって来て、一緒に考えてくれた。
「大将軍はこれを鋳型で作るお考えのようだが、この輪になった部分とかぎ状の部分の結合が弱くなります。
これは打ち物で作ったほうが早い。
槍を持ってきてくだされば、こちらではめ込みます。
輪ではなく折り曲げて固定するやり方でいきましょう。
それにたぶん、とがった部分の形と強度が決め手になると思います。
魔獣の革鎧は、案外滑りますぞ。
表面が硬いから切っ先が入らないのです。
これに食い込むように作るには、やはり鍛冶の技に任せるのがよろしいでしょう。
なに。
目的がはっきりしているものは作りやすいのです。
私のつてで鍛冶を十人集めましょう。
三十日で三百の数をそろえることができます。
それと部品ではなく、敵の鎧の完全なものをお貸しください」
鍛冶は何人集めてもよいので十五日で作ってほしいと頼んだ。
残された時間がどれほどあるかは分からないのだ。
3
地下の
王宮の庭のあずまやに連れて来させた。
見張りは遠ざけた。
カーズも付いているのだし、丸腰の人間一人を怖がる必要もない。
ひげをそり調髪したその顔は、驚くほど若かった。
「あんた、この前、地下牢に来た人だな」
そうだと答えて、年はいくつじゃ、と
二十六だという答えが返ってきた。
「体も洗えたし、髪やひげも切ってさっぱりした。
何よりうまい物食えてうれしかったよ。
俺は死刑かい。
うちの国では身代金は払わないからなあ」
死刑にするつもりはないが、身代金を払わないのは家族に金がないからか、と訊いた。
「いや、そう金持ちじゃないけど、貧乏ってわけでもない。
俺が将軍になってからは給金もうんと上がったしな。
うちの国じゃ、敵に捕まるってことが恥なんだ。
女房が身代金を払って俺を助けようとしたら、どこの店でも何も売ってくれなくなっちまうな」
バルドは茶を運ばせ、一緒に飲みながら話をした。
名前以外何も言わないはずだったブンタイは、訊かれたことにはすべて答えた。
謎だといわれていたシンカイ国の様子をずいぶん知ることができた。
中でもバルドを驚かせたのは、〈怒りの谷〉という場所の存在だった。
なんとそこには魔獣がいくらでも湧いて出るのだという。
その魔獣と戦いながら、シンカイの将兵は武を磨くのだ。
バルドが自分はオーヴァ川の東の辺境の騎士で、〈大障壁〉の向こうから来る魔獣と戦って一生を送ってきたのだと言うと、目を輝かせて、
「へえっ。
そんな所にも人が住んでて、国があるんだ。
世界ってのは、広いんだなあ」
と感心した。
ブンタイはルグルゴア・ゲスカス将軍を心から尊敬していた。
何百年も生き続け、国を支え守ってきた生き神のような武人であり、歴代の王からも国の元勲として敬まわれてきた人物なのだ。
貧しいきこりの小せがれだったブンタイを引き立ててくれたのもルグルゴア将軍だ。
ブンタイだけではない。
今の武将たちはみなルグルゴア将軍に見いだされ、育てられてきたのだ。
そのルグルゴア大将軍が、世界を獲る、と言った。
だから俺たちは戦うのだ。
そう口にするブンタイの目にも話し方にも狂信的な香りはない。
若く覇気あふれる武人の匂い以外、何も嗅ぎ取ることができなかった。
すると、今シンカイ軍を率いている物欲将軍というのは、やはりあのルグルゴア・ゲスカスなのだ。
バルドは訊いた。
いったい、ルグルゴア・ゲスカスとは何者か、と。
知らない、とブンタイは答えた。
ルグルゴア将軍はルグルゴア将軍であり、それ以外ではない。
何歳かも正確なところは知らないし、その強さの秘密も知らない。
シンカイの武人が全員で束になってもルグルゴア将軍には勝てない。
世界中の誰であっても、ルグルゴア将軍には勝てない。
それだけを知っていればじゅうぶんだという。
また、シンカイの武器と戦い方について訊いた。
すると昔から今のような戦い方をしたわけではなく、ある時期からルグルゴア将軍の指示によって長柄武器を振り回して使う戦い方をするようになったのだという。
それはいつごろからかと訊けば、十年と少し前だという。
十年と少し前、ルグルゴア将軍は世界を獲ると宣言し、今のような武器と防具を作り、戦い方を教えたのだという。
それだけではない。
人口を増やし、産業を振興し、食料と武器を生産し、この日のために備えたのだという。
それからまた、魔獣の侵攻について訊いた。
それについては、それが起こることをルグルゴア将軍は知っていて、それに合わせて戦争を始めたのだという。
魔獣の侵攻自体はルグルゴア将軍が起こしたことではないが、誰のしわざなのかは知らない。
ケルデバジュ王の槍については、ルグルゴア将軍はどうしてもその槍と使い手が必要だったらしい。
それが何のためであったにせよ、失敗した。
使い手の騎士は殺した。
ただ失敗ではあったけれど、ルグルゴア将軍には大きな利益があったらしい。
謎のような話だが、それ以上のことはブンタイ将軍も知らなかった。
この出来事はブンタイ将軍の生まれるずっと以前のことだが、シンカイの騎士たちのあいだでは有名な話であるという。
ザルバン公国侵攻については、魔剣ヴァン・フルールを得ることが目的だった。
当時の主立った将軍には、そのことははっきり告げられていたらしい。
それは結局得られなかったのだが、ザルバン公国を滅ぼしてから四、五年後、ルグルゴア将軍は、ヴァン・フルールのありかが分かったぞ、と話していた。
このことをブンタイは、大先輩であるバコウ将軍に聞いた。
ゴリオラ皇国の要害コブシ城を落として現在そこを守っている将軍である。
ルグルゴア将軍の部下の中で筆頭格であり、弟のバエン将軍、バトツ将軍とともにシンカイ軍の三傑とみなされている。
ヴァン・フルールのありかが分かったのなら、なぜ奪いに行かなかったのか。
それは俺にも分からん、とブンタイ将軍は言った。
そのことをバコウ将軍がルグルゴア将軍に尋ねたとき、そのことはもういいのだという答えがあったという。
この会話を、カーズは静かに立ったまま表情も変えずに聞いていた。
バルドからの質問が終わると、ブンタイ将軍は、あんた強そうだな、と言った。
わしの後ろの男はもっと強いぞ、とバルドは答えた。
そしてこう付け加えた。
戦ってみるか、と。
いいのかい、とうれしそうな顔をみせたブンタイ将軍に、いいぞ、と答えた。
カーズのほうをみて一つうなずいてみせると、カーズも目を細めて了解の意を示した。
練武場に移動し、ブンタイ将軍の鎧と武器を持ってこさせた。
カーズは練習剣を取った。
そんなんでいいのかい、俺は殺す気でいくぜ、とブンタイ将軍は言った。
もちろんそれでいい、お前がこの男を殺せたら、食料と馬を与えて解放してやる、とバルドは言った。
ブンタイはさすがに驚いた顔をして、
「こりゃ、びっくりだ。
俺が負けたらどうしたらいい」
と訊いてきた。
何もせんでよい、先ほどの話でじゅうぶんじゃ、とバルドは答えた。
ブンタイは恐るべき戦士だった。
長大な斧槍をすさまじい速度と技で振り回した。
カーズはこれをかわし、あるいはさばいていたが、最後に相手の武器を真っ二つに斬って勝負を終わらせた。
牢に帰されるとき、ブンタイ将軍は振り返って訊いた。
俺を倒して捕らえた気取ったひげをした騎士はどうしてる、と。
バルドは、その男ならルグルゴア将軍と戦って死んだ、と答えた。
ブンタイ将軍は、そうかい、とひと言口にして牢に帰った。
ブンタイ将軍が去ったあと、バルドはカーズに、どうじゃった、と訊いた。
「
内股の
馬に乗って戦ったら苦労させられるだろう」
この答えを聞いて、お前でも苦労するのか、と驚きをもらした。
「複数の敵からあれだけ威力と速度がある攻撃半径の大きい武器で狙われるのは厳しい。
それに、あの攻撃のしぶりだと、いざとなったら馬を狙ってくるかもしれない。
なかなか厄介な敵だ」
わざと敵の馬を狙う騎士はあまりいない。
馬を狙うこともためらわない相手であるとすれば、確かに厄介だ。
それ以上に、カーズに厄介だといわせるような相手とまともにぶつかるわけにはいかない。
となるとやはり、戦う場所が問題になる。
4
戦術についてのおよその考えがまとまったので、五月三十九日に戦略決定のための御前会議を開いてもらった。
まず将軍の人事について伺いを立てた。
これは、バルドの裁量権を越えた事案であり、枢密顧問会と重臣会議の議を経て王が判断すべき事項である。
ザイフェルトの死によって空席となった中軍正将に誰を当てるか。
また、これまでは上軍正将はジュールラントが務めていたが、後任をどうするか。
枢密顧問会でもなかなか結論が出なかった。
一部にはシャンティリオンを上軍正将にという声もあったが、アーゴライド公爵が嫌がった。
シャンティリオンは剣士としては優れていても、将としての経験は不足している。
ましてこの状況で上軍正将の座に就けるのは無理だという理由である。
バルドをという声もあったが、上軍正将は王族の血が流れている騎士を充てるのが慣例である。
またこの有事に兼任は避けたいところでもある。
議論が行き詰まっているところに、ジュールラントがとんでもない人物の名を出した。
シーデルモント・エクスペングラーである。
ジュールラントとともにバルドが手塩にかけて育てた騎士である。
なぜこの人物が上軍正将に就き得るのか。
エクスペングラー家といえば、辺境では〈初めの人々〉の一つとして有名であるが、パルザムでは別の意味で知られている。
初代王はエクスペングラー家から分かれて家を立てたとされており、つまり祖先が同じなのである。
しかも偶然にもシャンティリオンが外部から将を招く際の有力候補としてシーデルモントの名を挙げていた。
シャンティリオンはまさか上軍正将にと思ったわけではないだろうが、アーゴライド家の推薦は重い。
実のところシャンティリオンがシーデルモントの名を知っていたのはバルドのせいなのだ。
バルドは余計なことを言うのではなかったと、大いに後悔することになった。
こうした経緯があり、バルドが連合元帥に就任した直後にシーデルモントは王都に到着した。
一定以上の身分職位を持つ騎士は、指印を登録しなければならない。
シーデルモントの指印を取った紋章官は仰天した。
初代王にそっくりな指印だったのである。
そういえば、シーデルモントとジュールラントは、髪や目の色や顔立ちまでどこか似ている。
血がつながっているのではないかと冗談を飛ばす者も多かったのだが、本当にそうだったのだ。
このことが反対意見を述べていた人たちの気持ちを変えた。
かくしてシーデルモント・エクスペングラーは、上軍正将に就くことになったのである。
彼がパルザムに来ていることさえ知らなかったバルドは、御前会議の直前これを教えられ大いに驚いた。
バルドが連合元帥などという地位を得たことを知ったシーデルモントも相当に驚いたであろうが。
テルシア家の筆頭騎士である彼を引き抜くなど言語道断の振る舞いなのであるが、代わりに優秀な騎士二名を差し向けたからと、悪びれもせずジュールラントは言った。
中軍正将はシャンティリオンに、他の将軍はいずれも王軍の古参騎士に決まった。
こうして王軍の将軍人事はやっと調ったのである。
5
バルドはシーデルモントに、王軍の再編成状況を尋ねた。
王直轄軍は本来なら騎馬隊、弓兵隊、槍兵隊、装甲歩兵隊各百名の軍六つから成る。
つまり総兵力二千四百である。
しかしカッセ大平原で多くの将兵を失い、その後補充と訓練に努めたものの、現在やっと千八百に届いたところである。
特殊な訓練を要するので、人数だけを合わせてもあまり意味がない。
各部隊の人数を減らしてしまうと、防御の重厚さも攻撃の浸透力も失われるため、一時的に下軍を廃止し、上軍と中軍のそれぞれ正副軍をもって編成しなおした。
このシーデルモントの報告を、バルドはうなずいて聞いた。
次にバルドはゴリオラ皇国の援軍について、担当の重臣に報告を求めた。
バルドが連合元帥に就任した翌日、つまり五月三十五日、ゴリオラ皇国に対し援軍派遣が要請された。
ただしその条件はこれから話し合うという前提でである。
最速の場合、つまりただちに援軍派遣の手続きがなされあらゆる条件が最良のものであった場合、五十日後に、つまり七月初めに到着する。
実際には七月の半ばか終わりごろになるだろう。
王都防衛戦に間に合うかどうかは微妙だ。
その次に、テューラとセイオンの現況について報告を求めた。
担当する重臣は官吏に説明をするよう合図した。
テューラとセイオンそれぞれの都には、断続的にシンカイ軍への糧食の提供が求められている。
まったく無償というわけではないが、それぞれの王宮の蓄えは減ってゆくわけで、臣下の不満も募っていった。
そうすると両国の王は有力諸侯に協力を求めた。
これに応じた諸侯は、いずれも黒い大きな馬車に入った人々である。
その食料提供も不満を呼んでおり、各有力都市は不穏な状況にあるという。
それが終わると、ゴリオラとシンカイの戦いはどうなっているかの報告を求めた。
シンカイは開戦早々にゴリオラ南部の都市コブシを制圧した。
この街はゴリオラ皇都と中原諸国を結ぶ最大最短の街道を抑える要害である。
ゴリオラは当初の力攻めをやめ、補給や補充を遮断してコブシを干上がらせようとした。
しかしコブシを守るシンカイのバコウ将軍は驚くべき戦上手で、絶妙の呼吸で打って出てゴリオラの動きを邪魔している。
ゴリオラの古強者たる有力騎士たちがよってたかって手玉に取られている状況であり、累積損害の大きさは、南部における軍事活動をいったん収束させざるを得ないほどになっているという。
したがって、パルザムに派遣する百五十騎の援軍の移動費、維持費、褒賞はパルザム側に求めてくるのは必定である、ということだった。
この点が問題である。
ゴリオラの援軍に対してパルザムは何を支払うのか。
金か領地か。
その内容は直接戦略に影響を与える可能性がある。
ここまで重臣会議でもかの国の特使たちと協議に協議を重ねて合意に至っていなかったのであるが、ここでジュールラント王が、とんでもない案を出した。
ロードヴァン城をゴリオラ皇国に譲る。
御前会議に出席している枢密顧問たちも重臣たちも、そろって口をあんぐりと開けた。
いや。
ガドゥーシャ辺境侯とバリ・トード上級司祭は平然としている。
ロードヴァン城は、パルザムの辺境経営の要であるとともに、その版図の広さと国力の高さを証明する街といってよい。
それをゴリオラに譲り渡すとは、辺境全体を譲るという意思表示に取られるだろう。
少なくとも中原諸国は、東部辺境の覇者はパルザムからゴリオラに代わったのだと受け止める。
ここで通商担当の重臣が説明を始めた。
ロードヴァン城は軍事拠点であると同時に一つの街であり、水も食料も自給が可能で半永久的に維持できる辺境最大の拠点である。
これをわが国から勝ち取ることはゴリオラ皇王にとり巨大な成果となる。
つまり受けないという選択肢はなく、受け取った以上は兵を込め民を入れて街を経営し、周囲を巡回して治安を守ることになる。
実は今回パルザムとゴリオラのあいだで商業交流を盛んにすることで合意し、当面の通商品目もすでに決定した。
テューラ、セイオンを避けるとすれば、その中継地点となるものはロードヴァン城以外にない。
ということは、ロードヴァン城をゴリオラに譲り渡しても、こちらは通商拠点として利用し続けられる。
維持費用はゴリオラに押し付けて。
魔獣の襲撃により崩れた北門の補修には相当の労力と時間と費用がかかるが、当然ゴリオラの負担となる。
近年ではガイネリアが付近の地域で勢力圏を広げているため、ロードヴァン城と王都の行き来が困難になってきていた。
この際ガイネリアとも通商協定を結び、通行税を払う代わりに道中の安全を保護してもらえばよい。
今までのような小都市との通商ではなく、国と国との通商が始まるのだから、通行税も大きな金額になる。
同時にロードヴァンの南側はガイネリアの勢力圏であると公式に認めることになる。
ガイネリアにとっても利は大きいだろう。
パルザムは大きな兵力を東部辺境に常駐させる必要もなくなる。
その上、ゴリオラがそこから南に前進基地を作ろうとしても、ガイネリアが許さない。
あの辺りにはロードヴァン城を除いて人間が大きな街を作れるような場所はない。
あの地方にそそいできた費用は、もっと別の有効な場所に使うべきである。
そう説明されてみて、一同はこの案の
名を捨てて実を取るを地でいくやり方だ。
だが。
事前に相談を受けていたのだろうが、何をもってガドゥーシャ辺境侯を納得させたのか。
ロードヴァンは、何といってもガドゥーシャ辺境侯の領地なのだ。
バルドはじっと地図をにらみつけた。
そして理解した。
ファーゴとエジテ。
今回の戦に勝利したなら、この有力な二都市が完全にパルザムのものになる。
しなければならない。
そしてこの二都市は西方への押さえの要となるのだから、格別に信用が置けて強大な力を持つ騎士を置かねばならない。
長年にわたり利益にもならない東部辺境を守り通したガドゥーシャ辺境侯は、まさに適任である。
なるほど。
これならロードヴァンを譲り渡しても、父祖に対して言い訳が立つ。
言い訳が立つどころか、素晴らしい栄誉だ。
ジュールラントは大した王になったものだ、とバルドは感心した。
いや、そうではない。
なったのではなく、この危難が今まさにジュールラントを成長させているのだ。
最後にシンカイ軍の動静について報告を求めた。
現在のところ、シンカイ軍がカッセをたったという連絡はまだないという。
ルグルゴア将軍は劇を見、絵画や音楽を鑑賞し、珍しい景色を眺め、工房を見学し、貴族たちを招いて夜会を開き、まるで王侯のように毎日を過ごしている。
街の人々はすっかりこの異様な外見の征服者に慣れ親しみ、巨人族か神族の末裔なのだろうと言い合っている。
要するに物欲将軍は、本気でこの国を盗りにきている。
軍の再編と補給が終わり、街を落ち着かせ、拠点としての機能がじゅうぶんに調ったとき、シンカイ軍は王都への進撃を始める。
それは、いつか。
6
バルドはこれら諸条件を踏まえ、戦略の大要を語った。
といっても実際に説明するのは、またもやアーゴライド家から借り受けた騎士ナッツ・カジュネルだ。
この男をおいて副官は考えられない。
まず、カッセと王都のあいだにあるいくつもの有力都市に、シンカイ軍の足止めを行うよう命じる。
ただし進軍を遅らせるのが目的であり、大きな被害を受けないよう適宜撤退して街を守る。
カッセという有用な拠点を得た以上、途中の有力都市を片端から攻略するようなことはしないだろう。
といっても有力都市を無傷のままにして王都まで来れば、退路と補給路をふさがれてしまう。
それは絶対に避けたいはずだ。
そこで、住民のない砦や城をいくつか取らせてやる。
そうすれば安心して王都まで軍を進めるだろうから、有力都市の被害を抑えることができる。
カッセから王都までは百二十刻里ほどある。
馬車なら十二日で走れる距離だ。
ここを歩兵を連れて行軍した場合、三十日はかかる。
これに足止めで稼げる日数を加算し、今日つまり五月三十九日にカッセを出発したとすると、シンカイ軍の到着はいつになるか。
最も早くて七月一日、最も遅くて七月二十日。
そうめどを立て、情報が入るに従い修正することにする。
次に戦略上の目的を設定する。
敵の勝利条件は疑いもなくジュールラント王の捕獲であり、さもなければ殺害だ。
王軍を撃滅し王都を支配したとしても、ジュールラントが健在である限りパルザム王国は健在なのであり、有力諸侯を集めて再起できる。
逆にジュールラントさえ捕らえれば、どのようにでも有利に交渉を進められる。
それどころか、いまだ詳細は分からないが、黒い大きな馬車とやらで本当に人の心が操れるなら、王権の譲渡をさせることもできるかもしれない。
現にテューラやセイオンの君公は、心を操られたとしか思えない振る舞いをしているのだ。
では、パルザム側の勝利条件は何か。
それはシンカイ軍を打ち破り、その勢いのままカッセを奪い返すことはもちろん、ファーゴとエジテを完全支配下に置くことである。
そのための必要条件は何かといえば、ルグルゴア将軍を捕らえ、あるいは殺害することである。
バルドはブンタイ将軍との対話からそのことを確信した。
どれほどシンカイの将兵を倒しても、ルグルゴア将軍が健在であるうちは、いくらでも立て直しがきく。
逆にルグルゴア将軍さえ倒せば、シンカイは継戦の力と理由を失う。
要するにこの戦争は、ジュールラントを守りきってルグルゴア将軍を倒すことを目指すのだ。
作戦上の分かれ目となるのは、ルグルゴア将軍が先陣を切って進撃してくるか、部下の将軍に緒戦を預けてカッセにとどまるかである。
これはそのときになってみないと分からない。
共に来るなら軍と将軍を引き離し、来ないなら先鋒の将たちを破って誘い出す。
その両面で作戦を進めることとし、対ルグルゴア将軍用の戦術は、ルグルゴア将軍が出陣してくるまでは秘匿する。
軍編成については、王直轄軍はそのままシーデルモントとシャンティリオンに預けることにした。
直轄軍はまとめて運用してこそ真価を発揮するし、平地における集団戦が真骨頂だ。
バルドは今回別の部隊を率いる。
諸侯の兵からバルド率いる別動隊を編成してもらうことにする。
別動隊の主力は騎馬兵力ではない。
平民でよいから山野を走り回れる屈強で
バルドが考えた戦術を説明すると、一同は非常に驚いた。
反対意見が続出したが、シーデルモントとシャンティリオン、それにガドゥーシャ辺境侯とバリ・トードが賛成し、王の決裁で採用が決定された。
偶然とはいえシーデルモントが来てくれたことで、この作戦の成功率は大いに高まった。
そのあとは細目の調整に入った。
具体的な部隊編成や指揮連絡の方法。
訓練日程や配備の段取り。
明け渡す城や砦の選択。
不自然でない明け渡し方の検討。
ここでの調整が済めば、あとは各部署でそれを具体化するための方途を立ててもらう。
会議が終わったのは夜中を越えて明け方に近かった。
皆は疲労していたはずだが、その表情は明るかった。
バルドは最後にこう述べた。
物欲将軍を倒す。
すべてはこの一点に集約される。
かの将軍は人の二倍の身長を持ち、大剣を一振りすれば三十歩先の騎士をまとめてなぎ払うという。
聞けば聞くほど信じがたい化け物である。
しかしそれでも心の臓が脈打ち血の流れる生き物であることには違いない。
耐えきれぬほどの傷を与えれば、倒れもするし死にもするのだ。
人間と思うから恐ろしい。
騎士と騎士の戦いだと思うからあてが狂う。
魔獣と思え。
人に似た姿をした巨大な獣に妖魔が取り憑いているのだと考えろ。
けだものを殺すように、取り囲んで殺すのだ。
それからバルドはジュールラントのほうを見た。
締めくくりのあいさつは、王がするべきだ。
「みな、長時間にわたり、ご苦労であった。
バルド元帥にかかれば、さしものルグルゴア将軍も獣と変わりないらしい。
愉快ではないか。
さあ、みな。
狩りに
7
しゃりん。
ちゃらん。
右手には三個の金輪。
左手には三枚の銀板。
それを交互にすり合わせて音を立てながら。
しゃりん。
ちゃらん。
鳴らすごとに足を踏み出す。
右足を左足にすりつけるようにして上げる。
左膝の高さまで上げてから下ろす。
そして地面をこするように前に突き出す。
今度は左足を同じようにして前に進む。
巫女は素足である。
身にまとうのは薄桃色のゆったりとした
風にふかれて長い袖がそよぐ。
八歩進むと、腰にくくりつけた壺の一つを取って地にまく。
そして八歩戻って、今度は東に向かって歩を進める。
北には水を。
東には土を。
南には塩を。
西にはワインを。
中央には
儀式を見守る幾千の人々は、それが王であることを知っている。
〈四謝の舞い〉による祝福を受けることができるのは王だけなのだから。
先々代の王は、親征の際好んでこの儀式を行った。
この儀式は戦争に先だって行えば、この地の恵みはわがものなりと宣言する、つまり必勝祈願の意味になるからである。
そしてその通りになってきた。
儀式が終わり、王が両手を上げると民衆から歓声が上がった。
シンカイの大軍がもうそこまで迫っているということは、すでに周知のことである。
不安や流言も広がる中で、この儀式に
王軍、諸侯、貴族、官吏ら、立ち並ぶ人々もその表情は明るい。
役目を終えた巫女は脇に下がって汗をぬぐっている。
ドリアテッサである。
本来は神殿の巫女が行うはずだったのだが、直前になってその巫女は恐慌状態になった。
この舞いを行う者は
死にたくないとわめいていたから、その点に心当たりがあったのだろう。
そんな状態では踊らせられないし、資格がないと分かった者を使うわけにはいかない。
代わりの者など用意していなかったので、どうしたらよいかということになった。
それを聞きつけたシェルネリア王妃が、ドリアテッサを推薦したのである。
幼い日二人は五日に一度神殿で教育を受けた。
そのとき奉納舞いの歩法も学んだことがあり、ドリアテッサは筋がよいと評判だった。
この〈四謝の舞い〉におけるドリアテッサの美しさは評判になり、〈巫女騎士〉という呼び名を奉られることになる。
8
六月一日、シンカイ軍はカッセを出た。
わずか五日後にその知らせは王都に届いた。
さらに三日後に続報が届き、物欲将軍はカッセに残ったことが分かった。
進路上にある最初の大きな街トボシには、足止めだけでよいという指示がまだ届いていなかったため、騎士団を繰り出して少しでも敵軍を削ろうとした。
そのため大きな被害が出てしまったが、期待以上の日数を稼いでくれた。
王はあとで手厚く報いるだろう。
また、明け渡してよい城や砦では逆に思いきりのよい戦い方ができたため、時間稼ぎとしてはよい効果が得られた。
こうして稼いだ時間の一日一日が勝機を高めてくれる。
バルドは将兵の訓練に力をそそいだ。
シンカイ軍の到着予想日は漸次修正され、王都西の平原に到着する最終予想日は七月二十八日となった。
当初の最速到着予想日より二十七日も稼げた計算である。
おかげで改良クロスボウと改造槍の数も増やせ、訓練も進んだ。
山野の地形もじゅうぶん記憶できた。
ジョグ・ウォードが来た。
副官のコリン・クルザーと渉外担当の大臣を連れて。
援軍に来た、それとゴリオラとの協定に一枚かませろ、と。
たった二人の援軍だがジョグ・ウォードなら戦力になる。
ゴリオラよりも早く真っ先に駆けつけた、ということの外交的意味は大きい。
また、通商体制が出来上がってから参加するのと出来る前に参加するのとでは、交渉できる幅が全然違う。
パルザムの重臣たちは舌を巻いた。
ガイネリアはいつからこんな外交上手になったのか、と。
だが事実は違った。
先の御前会議の結果を受け、パルザムからガイネリアに特使が向かった。
ゴリオラの援軍が無事速やかに到着できるよう国内通過の許可を求めたのだ。
それを聞いたジョグが勝手に飛び出したので、あわてて渉外担当大臣がついてきた、というのが実際のところだった。
事実は違ったのだが、結果は同じである。
ジョグは、招いてもいないのにバルドの宿舎、つまりトード家に押しかけた。
カムラーの料理がえらく気に入ったようで、大声で褒めちぎった。
やつは牛肉が好きだと教えると、カムラーはあの手この手の牛肉料理を出した。
感激したジョグは、俺はもうここを動かん、と宣言した。
カムラーも料理を褒められて悪い気がするはずもなく、毎日技のさえを見せつけたのである。
出番がまだまだ先と聞いて、毎日肉を食っては酒を飲んで過ごした。
何をしに来たのかと思わせる振る舞いだが、これで山岳戦の大駒が一枚増えたと思えば腹も立たない。
ある日、変形槍部隊の訓練を終えたバルドが帰宅すると、シーデルモント・エクスペングラーが訪ねて来ていた。
「バルド様。
ごあいさつが遅くなり、申しわけございません」
おお、シーデルモント!
忙しいじゃろうのう。
よう来てくれた。
バルドとしても、自分が旅に出たあとのパクラの様子などを聞きたかったから、この訪問はうれしかった。
筆頭騎士であるシーデルモントを貸してもらえないかという打診がジュールラントからあったときには、さすがに現テルシア家当主ガリエラも断ったという。
しかし再度申し入れがあり、今度はシーデルモントの貸し出し期間を三年と区切り、しかも能力の高い騎士二名を代わりに差し向けるという条件までつけられては、断るわけにいかなかった。
二度にわたる申し出を拒否すれば、大国の王であるジュールラントに恥をかかせることになるからである。
それに何より、ガリエラにとりジュールラントは年の離れた弟そのものであり、かわいくてしかたがない。
また、テルシア家出身の騎士がパルザム王国の王位についたといううれしさ晴れがましさはたとえようもなく、何としても応援してやりたいところではあるのだ。
幸い、今はコエンデラ家の策動を気にする必要がない。
そのことは、騎士の配備のうえで非常なゆとりをもたらしていた。
ガリエラはこの機会に中堅騎士数名を指揮官として訓練する心づもりだという。
シーデルモントは妻も子たちも置いて、従者一人を連れて本当に身一つでやってきた。
いきなり最高位の指揮官に任じられ、パルザム王直轄軍独特の戦い方を大急ぎで学びつつ、未知の戦い方をするシンカイ軍と戦わねばならないのだ。
その苦労と重圧は大変なものだろうが、態度は悠々としている。
実にたいした騎士になってくれたのう、とバルドは心うれしく思った。
考えてみれば、パクラの三人の騎士が、今のパルザムの屋台骨となっている。
愉快なことではないか。
この夜の食卓はにぎやかだった。
バルドとシーデルモントに加え、ジョグ・ウォードとコリン・クルザーがおり、さらにシャンティリオンとドリアテッサが訪ねてきたからである。
メイン料理は生後二年の雄牛の背骨の脇の肉を、大きなかたまりのまま蒸し焼きにしたものだった。
これに蒸し焼きにするときに染み出した汁に香辛料や塩を加えたソースをかけて食すのである。
料理はかたまりのまま食堂に運ばれ、一枚一枚カムラーが切り分ける。
湯気の出る熱々の肉が薄く切り取られ皿に盛られ、すうっとソースがかけられるのを見ていれば、思わずよだれも出るというものだ。
切り分けられた断面をみれば、生のままではないかというほど鮮やかに赤い。
けれども切り分けて口に入れてみれば、過不足なく火が通って柔らかい。
柔らかいのだけれど、しっかりした歯ごたえもあって、実に食べごたえ満点の肉だ。
「カムラー。
今度は三枚いっぺんに切ってくれ。
ソースをじゃぶじゃぶかけてな」
「あ、俺ももう一枚お願いします」
しかもこの料理、何枚でも好きなだけおかわりができるのだ。
ジョグとコリンは喜々として次々に追加を頼んだ。
シャンティリオンとドリアテッサは、シーデルモントからパクラ時代のバルドの武勇伝を聞き出していた。
七月五日に、ゴリオラからの援軍が到着した。
騎士八十と従騎士八十、そして従卒が百二十の、合わせて二百八十人である。
総指揮官はバッタ・ゴッタール将軍。
うれしいことに、アーフラバーンとキリー・ハリファルスの顔があった。
ファファーレン家は先の三国連合軍に参加し大きな被害を出したので、今回の援軍からは外された。
アーフラバーンは個人として参加したのである。
目的の半分は愛する妹の顔を見ることであったかもしれないが。
キリーは辺境競武会のあと近衛武術師範の職を辞して修行三昧の生活をしていたが、アーフラバーンに声を掛けられ参加したのだという。
バルドはバッタ将軍に掛け合い、この二人をバルドの直属にしてもらった。
また、従卒、すなわち弓兵を待ち伏せ部隊に借り受けた。
結局、アーフラバーンとキリーは従者ともどもバルドの所で宿泊することになった。
トード邸はいっそうにぎやかになったのである。
七月二十四日、準備を終えた連合軍は、王都の西のはずれで〈四謝の舞い〉を終え、西方に一日移動して陣を構えた。
そして、二十八日、王都西の平原においてシンカイ軍と連合軍は激突したのである。
9
シンカイ軍は、実に騎馬一千の大軍である。
その後ろに八百ほどの歩兵がいる。
これに対して連合軍は、先陣に王軍を、後陣に諸侯軍を、遊軍として少し離れた丘の上にゴリオラ軍を置く配置を取った。
王は先陣と後陣のあいだで近衛に守られている。
後陣の両翼が前にせり出しており、いざというときには王の盾ともなる。
王軍は中央前面に盾持ちの重歩兵四百と槍兵四百を、その後ろに弓兵四百を、右翼に騎士二百、左翼に騎士二百を置いている。
先陣の指揮をとっているのはシャンティリオンである。
バルドとシーデルモントは王のそばにいる。
騎馬戦力だけでみれば、連合軍は、王軍四百、ゴリオラ軍百六十、近衛八十、諸侯軍二百三十ほどで、計八百七十ほどとなる。
騎士と従騎士を合わせての人数であり、練度や武具の質には相当の幅がある。
弓の射程に達する少し前、シンカイの騎馬軍団のうち四百騎が突撃を開始した。
シャンティリオンの号令が飛び、弓隊が攻撃を開始する。
パルザム王直轄軍の弓隊は、一定の空間に大量の矢を撃ち込むよう訓練されており、連射速度は非常に優れている。
しかしシンカイの騎士の鎧は魔獣の皮で出来ている。
集団の先頭を走る騎士は、馬の頭と首にも矢よけを掛けてあるが、これもおそらく魔獣の皮だ。
矢の雨をものともせず、シンカイ騎馬軍団は進む。
速い、速い。
あまりに速い。
先を走る馬が倒れようがそれをあざやかにかわし、少しもひるむことなく突き進んでくる。
重歩兵と槍兵による防御陣に突入する寸前、騎馬隊は左右に分かれた。
両翼に配した騎馬のさらに外側に向かっている。
左右から回り込んで中陣の王を襲おうというのだ。
それは無傷なままのこちらの先陣両翼の騎馬隊に横腹を見せる危険な進撃である。
王軍両翼の騎馬隊は遠慮なく迎撃にかかった。
しかし、敵騎馬隊の練度と速度はすさまじいもので、特に先頭を行く数騎の強さは尋常ではなかった。
こちらの武器の届かない距離から長柄の武器で王軍騎士をはじきとばし、しゃにむに王旗を目指す。
王軍両翼の騎馬隊が敵先鋒と戦闘状態になったとき、シンカイ軍の残る騎馬六百が突撃を始めた。
シャンティリオンは落ち着いてよくこれに対応したが、敵の侵攻速度が速すぎて歩兵の展開は間に合わない。
六百騎は左右に三百騎ずつ分かれ、先発の四百騎が横腹を食い破らせているその外側を大回りして中陣に迫った。
こんなむちゃな攻撃をすれば、せり出した諸侯軍にすりつぶされてしまう。
ところがシンカイ騎馬軍団の突撃速度は諸侯軍の予想したそれをはるかに上回るものであった。
そもそも諸侯軍の先頭にあるのは厚い全身鎧をまとい盾を持った防御力の高い騎士たちである。
この重量を乗せて走る馬と、革鎧の騎士を乗せて走る馬では速度が違って当然である。
しかもシンカイの馬たちは野生馬同然の
馬の体型も鈍重ではなく、しなやかであり、この目で見ても信じがたいほどの侵攻速度だ。
見る見る本陣に迫るシンカイの騎馬軍団だが、王の周りは手練れ揃いの近衛の騎士たちが重厚な防御陣を敷いており、これを抜けなければ前後からすりつぶされるほかない。
さて、ここをどう抜くつもりかとバルドが見ていると、先頭を走る騎士たちが何かを投げつけてきた。
投げ斧である。
小振りながらたっぷりの重量を持ったそれは、近衛の騎士たちの盾をはじき飛ばし、あるいは破壊して、騎士たちに被害を与えていく。
こんな手を隠しておったかと、バルドは感心した。
ブンタイ将軍は、投げ斧のことなどひと言も言わなかった。
頃合いとみて、バルドは王に退却をうながした。
王とバルドとシーデルモントとカーズが馬首をひるがえして逃走に移る。
その後を王旗を持った騎士が追う。
シンカイの騎馬隊がこれを猛追するが、近衛騎士が時間を稼ぐ。
シンカイの騎馬軍団は犠牲が出るのも構わず、ただ王を追う。
王の真後ろにいた諸侯軍も前進してきてさらに時間を稼ぐ。
これともまともに戦おうとせず、シンカイ軍はひたすら王を追う。
無論彼らはこれが偽りの敗走だと知っている。
わざと攻め込ませて王が逃げ、彼らをおびき出す
バルドは王宮内にシンカイの密偵がいることを確信していた。
でなければ、ゼンブルジ伯爵を
確認したところ、トード家をバルドの宿舎に指定し、顔見知りであるバリ・トードを接待役に指名したのはウェンデルラント王だった。
そこにジュールラントが訪ねていけば、王宮と違ってくつろいで話もできる、という配慮だった。
これは大勢の臣下の前で語ったことらしい。
それは辺境競武会以前のことであり、ウェンデルラント王の健康にも問題がなかったから、ジュールラントの行幸についてさほど神経をとがらせるような状況ではなかったのだ。
密偵はその時点でその王の言葉を聞くことができる地位にいた、と考えられる。
その密偵は、今回バルドが王をおとりにする案を立てて押し通したことを、シンカイ側に伝えているはずだ。
それを知ったシンカイ軍は、わざわざ防御陣の内側に飛び込ませてくれるのだから、これを利用しない手はない、と考える。
罠であっても
彼らはそういう考え方をする。
ブンタイ将軍と話してみて、バルドはそう確信した。
だがそこにもう一つの罠があることは、ほんの一握りの人間しか知らない。
今王の馬に乗り、聖鎧をまとい、黄金の兜をかぶって逃げているのは王ではない。
シーデルモントなのである。
二人は髪や目の色が同じで、背格好や面立ちもよく似ている。
現に顔や髪は露出しているのに、王軍将兵も諸侯も王その人だと思い込んでいる。
シーデルモントが王の影武者となることで、より際どいタイミングで逃走を行うことができた。
わずかな違いなのだが、そのわずかな違いが大きい。
シンカイの将兵は、目の色を変えて偽王を追っている。
山に入ってからも、シーデルモントはぎりぎりの逃走ぶりをみせ、敵を網に引き込むだろう。
といってもシンカイ軍の追撃はすさまじい速度であり、油断すればたちまち捕らえられてしまう。
王の馬は素晴らしい名馬であり、聖鎧は軽いから、速度は速い。
バルドも盾は持っているものの鎧は川熊の魔獣の革鎧である。
重い鎧を着けるのはロードヴァン城の戦いで懲りた。
ユエイタンの脚力はいうまでもない。
カーズもいつものように身軽な服装で、盾さえ持っていない。
愛馬のサトラの脚も並ではない。
旗持ちの騎士は近衛で最も馬術の巧みな者であり、疾走ぶりは美しささえ感じさせる。
全身鎧と顔を覆う兜を着けて馬脚の遅いシーデルモントの影武者を取り残して、四人はひた走った。
四人は平野を避けて山岳地帯に向かった。
王都の西から北にかけて伸びるゆるやかな山である。
高速で迫るシンカイの騎馬軍団から逃げるのに、追いつかれてしまう平地でなく山を目指すのは自然なことだ。
山には槍を持った兵が伏せてあることも、シンカイの将たちは知っているに違いない。
それが諸侯からかき集めた従者であり、戦闘経験には乏しいことも。
いずれにしても馬術に絶対の自信を持つ彼らは、山にあってもパルザムの騎士たちに後れを取るなど思いもしない。
こうしてバルドはシンカイの騎馬部隊を山岳戦に引き込むことに成功した。
大軍のあいだを無理にすり抜けて追撃してくるのだから、王軍と諸侯軍は存分に横腹を削ってくれるだろう。
10
「そこをどけ」
「そうはいかねえなあ。
肉食った分は働かねえとな。
お前、名前は」
「シンカイの将ラドウ。
貴様は」
「ラドウね。
覚えた。
俺はジョグ・ウォード」
ラドウはなかなかの猛将で、ジョグとの一騎打ちは見応えがあった。
だがジョグの黒剣の長さと重さと速さはラドウの想定を超えており、ほどなく武器をへしおられて馬からたたき落とされた。
そこをすかさず変形槍部隊がよってたかって取り押さえる。
御前会議では古い槍を補修して使わせるとしか説明していないが、正確には槍ではない。
槍の柄に先のとがったかぎ爪が取りつけてある。
鎧のすき間に食い込ませて捕獲するための武器なのだ。
名工ゼンダッタの指揮のもと、シンカイの鎧を参考に作られたものだけあって、注文通りの威力を発揮している。
屈強な従者たちに大勢で取り押さえられ、ラドウ将軍は身動きもできない。
「あああ。
ラドウ将軍をお助けしろ!」
ラドウの部下たちが飛び込んで来ようとするが、足場が悪くて一度に大勢は進めない。
そこにゴリオラ皇国の弓兵が矢を撃ち込む。
狩りで鍛えた彼らの弓術は中近距離では精密射撃が可能であり、動く標的をも正確に捉える。
装甲の弱い部分を的確に撃ち抜かれ、ばたばたとシンカイの将兵が倒れる。
たまらず彼らは退却していった。
「よし、これで二人目な。
じじい。
何とかって名前の将軍を倒したぞ。
屋敷に帰ったらうまいもの食わせろよ」
今までに食べた肉の分を働くと言っていなかったか。
それに名前を覚えておらんではないか。
しょうのない男だ。
だが頼りになる。
バルドはカーズを連れて次の拠点に向かった。
11
じゅうぶんな時間をかけて準備をすることができたので、この山に詳しい下層平民を雇って走り回り、各部隊に道を覚えさせておくことができた。
バルド自身、平野で大人数同士がぶつかる戦のやり方はよく知らないが、山野での少人数同士の遭遇戦は得意であり、知らない山でも少し走ればすぐに地理がつかめる。
ジュルチャガの助言を得て待ち伏せ拠点を決めていった。
シンカイの騎馬軍団では、先を走っているものほど位が高いと見てよい。
というより、先頭に走り出て誰よりも敵を倒したものが高い地位に昇れるのだ。
極端な実力主義の軍なのである。
戦法も、個人の武勇を中核にしたものになっている。
逆にいえば、指揮官級を取り押さえていけば、彼らの機動力は大きく低下する。
山岳地帯は大軍では進めないから、どうしても小さな部隊に分かれることになる。
悪路では馬足の速さも生かせない。
誘い込みやすい場所を見つけ、木陰や草むらに兵を隠し、先頭を走る指揮官級を捕獲する作戦を立てた。
うまく拠点に近づかない敵は、ジュルチャガがシーデルモントと旗持ちに連絡して誘い込んでいく。
およそ中原における騎士同士の戦争の作法には外れるやり方だ。
だが相手が常道を無視してくるのだから、こちらも常道にこだわる必要はない。
バルドはこの戦では一切遠慮をするつもりはなかった。
この日の戦いでは、リュウカイ、ラドウ、ソンキを始め、実に九人の将軍の捕獲に成功した。
ジョグとアーフラバーンとキリーは、大いに活躍してくれた。
そして指揮官を失った敵兵たちは、平原で待ち構える諸侯軍の餌食となった。
バッタ将軍率いるゴリオラ軍もたくさんの敵を討った。
逃げ去った将兵の数は、おそらく三分の一に満たない。
空前の大勝利である。
「じい。
見事」
集結場所に、女物の豪奢な馬車が入って来た。
パルザム王家の馬車であり、扉には小さくソリエスピの花の紋章が刻まれている。
正妃シェルネリアの馬車である。
正妃とともにジュールラント王が乗っている。
今朝正妃と三人の側妃が慰問に来たとき、ジュールラントは正妃の馬車に乗ってしばらく時間を過ごした。
王と正妃の仲が睦まじいことは周知の事実であるから、誰もそれを怪しまなかった。
そのときシーデルモントと入れ替わったのであるが、そのままずっとこの馬車に乗っていたのだろうか。
一日中馬車の中で何をしていたのか。
「では、頼むぞ」
バルドは胸に手を当て、はい、と答えた。
翌朝早々移動を開始する。
戦には勢いというものが重要であり、大きな勝利を得たこの勢いをしぼませてはならない。
また国と国との戦争には形というものがある。
シンカイはパルザムに攻め込み、北西の拠点といってよいカッセの街をわがものとした。
そのうえで王都のすぐ近くまで軍を進めたのである。
物欲将軍と戦うには王城の近くまでおびき寄せたほうが戦いやすいかもしれないが、そのような戦術は取れない。
最低でも王都とカッセの中間地点まで、できればカッセにまで攻め寄せて戦うのでなければ、国としての体面が保てないからである。
王を王都に残し、連合元帥たるバルドが軍を率いて物欲将軍を討つ。
これでやっと互角の形になる。
有力都市が大きな被害を受けずに残っているから、食料などの確保は問題ない。
いよいよ決戦である。
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