第2話 トライの悲劇
1
年が明け一月となって十五日が過ぎた。
今日、一番遠い所に出した偵察が帰って来た。
やはり魔獣もマヌーノも見つけることはできなかったという。
マヌーノは人の女の下半身が蛇になったような奇怪な亜人である。
バルドは実物にお目に掛かったことはないが。
水が豊富な場所からそう長い日にち離れていられない。
もともとオーヴァ上流の湿地や密林に住む亜人なのだ。
だが雨期などには一時的にオーヴァの下流に住み着くこともある。
一昨年の十月ごろ、ロードヴァン城からまっすぐ東に行った辺りのオーヴァ川岸に集落を作っていたという情報がある。
だからそこを始め、オーヴァ沿岸の何か所かに偵察を放ったのだ。
マヌーノが魔獣を操っているという情報が正しいかどうかは別にして、少なくない魔獣がまだいるのは間違いない。
だが対象とすべき地域が広すぎて、しらみつぶしに探すというわけにもいかない。
そんなとき、北から急使が到着した。
2
今部屋の中にいるのは、バルド、ザイフェルト、アーフラバーン、ジョグ、そして各副官たちである。
バルドの副官はシャンティリオンが貸し与えてくれた騎士ナッツが務めている。
軍略や各国情勢に詳しく秘書能力も高いので、大いに重宝しているのである。
カーズが護衛として、ジュルチャガが従者として控えているのはいうまでもない。
扉の近くには、トード家の騎士ニドと騎士フスバンが立っている。
二人はバルドの側近扱いで、伝令その他の雑務をこなしており、各国の騎士たちにずいぶん顔を売った。
ニドはバルドに殴られた鼻がゆがんでいるので〈鼻曲がり〉というあだ名をもらった。
フスバンはいつもこぎれいにしているので〈気取り屋〉というあだ名をもらった。
〈鼻曲がり〉というのはちょっとひどいあだ名だが、当の本人は気に入っているらしく、これはバルド大将軍に殴っていただいたのだと、なぜか自慢していると聞いた。
「先ほど、マイラオ城から急使が到着しました。
ゴリオラ辺境騎士団に所属する従騎士タズロー殿であります。
タズロー殿はトライを偵察して報告したところ、その内容をただちにバルド将軍に伝えるよう命じられたのであります。
ここからは、タズロー殿に報告していただきます」
騎士ナッツのうながしを受けて、相当疲労した様子の若い従騎士が話し始めた。
青年というより、まだ少年と呼びたい面立ちをしている。
「昨年十月以来、東部辺境近辺の通行は制限されており、トライからマイラオ城への商隊の移動は、月に一度騎士隊の護衛つきでのみ行われることになりました。
十日前、自分たち騎士隊は商人数人を連れてトライに向かいました。
トライは全滅しておりました。
すべての人間が、魔獣の餌食となり、死に果てていたのであります」
従騎士タズローは、ここで一度言葉を詰まらせ、ジュルチャガの運んだ水を飲んでから報告を続けた。
「部隊長殿は、その場に長く留まることは危険と判断なさり、われわれはマイラオ城に帰還しました。
四日前のことです。
騎士団長閣下は、このことをすぐにバルド大将軍にお伝えするべきであると判断なさり、ただちに自分を派遣なさったのであります」
マイラオ城は、ゴリオラ皇国最南端の拠点であり、ゴリオラ辺境騎士団の本拠地でもある。
トライの
小さな村だが、これから発展する予感を感じさせる、活気にあふれた場所だった。
バルドは、ご苦労であったのう、トライの人々はまことに気の毒なことじゃ、と声を掛けてから質問をした。
トライでは何人が死んでいたのか、またそれは魔獣によるもので間違いないかと。
「は、はいっ。
トライには約百五十人が住んでおり、また護衛の兵士も二十人ほど詰めておりました。
一時的に滞在していた商人や人夫を加え、およそ百八十人から百九十人ほどではないかと思われます。
死体には剣や槍の傷はなく、獣の爪や牙の跡があり、また家の塀や壁が崩されていることからも、人間の襲撃ではなく魔獣の襲撃であると判断される、というのが部隊長殿のご意見でした」
バルドは、馬や牛はどうだったか、と訊いた。
「は。
馬も牛も、みな殺されておりました」
食われていたか、とバルドは重ねて訊いた。
この質問に従騎士タズローはとまどっているようだったが、明敏なアーフラバーン伯爵はバルドの意図を酌み取ったようで、質問を引き継いだ。
「従騎士タズロー。
一晩の休みも取らず、四日でマイラオ城からここまで来たのか。
見事な馬術だな。
もしや、クイント家の者か」
「は、はっ。
伯爵閣下。
さようであります。
自分はクイント家の支家バークラウド家の長男であります」
「うむ。
お前の父親の見事な馬さばきを見たことがあるぞ。
大切な馬に無理をさせて悪かったな。
だが、この情報の早さがいくつもの命を救うかもしれん。
しっかり思い出して大将軍閣下のご質問に答えてほしいのだ。
まず、馬と牛は何頭ぐらいトライにいたか」
「は。
こ、光栄であります。
おそらく馬は二十頭ほどかと思います。
牛は四頭か五頭ぐらいであったと思います」
「その牛と馬の体には、肉は残っていたか」
「いいえ。
骨ばかりに食いあさられていました」
「そうか。
では、人間はどうか」
「は。
に、人間も肉という肉はみな食われていました」
ここで従騎士タズローは
最後にアーフラバーンは、襲ってきた獣の死体はなかったかと聞いたが、見当たらなかったという答えだった。
バルドがそこに、小麦や野菜などの食料はどうなっていたかを訊いた。
すべて食べ尽くされていた、という答えだった。
とりあえずこれ以上の質問はない。
タズローを別室に下がらせると、協議を始めた。
どう思うか、というバルドの質問にまず意見を述べたのはザイフェルトだった。
「兵士もいたのに一方的に
魔獣と考えておいたほうがよいでしょう。
そして、魔獣であるにせよそうでないにせよ、恐ろしい数だと思われます。
逃げる暇も連絡をする間もなく皆殺しにされているのですから」
これにアーフラバーンも同意した。
ジョグは椅子を壁際に引いて眠りこけていたので、コリンが代わりに賛成した。
ともあれ、敵が存在することと、十日前にはトライにいたことが判明したわけである。
協議の結果、翌日から範囲を絞った短距離の偵察を派遣することが決まった。
翌日、すなわち一月十六日、再びマイラオ城からの急使が到着した。
城が魔獣に襲われている、という知らせである。
3
前日と同じ顔ぶれで伝令兵の報告を聞いたあと、対応を協議した。
襲ってきたのは耳長狼の魔獣三十匹。
十二日の夜に襲ってきた。
幸い正門は閉めてあったが、脇門から二匹の侵入を許してしまった。
このため死者三名、けが人十人ほどを出したが、侵入した魔獣は討ち取った。
その後魔獣たちは正門と脇門の前で吠え立てていたが、やがて少し離れた場所でたむろしだした。
少しでも門を開けようとすれば襲い掛かろうとする。
もう一つの門から伝令兵を出したが、気付かれ、危うく追いつかれるところを、馬の速度で逃げ切ったという。
マイラオ城は、城とは名ばかりのこぢんまりした砦だ。
だが造りは堅固で、防壁も高い。
大勢の人間が入ることはできないが、防衛に撤する限り、そうそう落ちない砦である。
辺境騎士団の規模はパルザムより小さいが、今は巡回を中止して全員が中にこもっているという。
戦力は、騎士三十人と従騎士十五人、それに従者が十人ほどである。
辺境騎士団長はタイデ・ノーウィンゲ。
副団長はケーバ・コホウ。
派手さはないが、堅実で無理のない戦いをする騎士たちだという。
「敵の全戦力とは思えませんが、多少の援兵を出せば内と外から無理なく倒せるでしょう。
削れるときに削るのもよいかもしれません」
というザイフェルトに対して、アーフラバーンは、
「食料の備蓄もじゅうぶんだから、よほどのことがなければ城は落ちんでしょう。
確か毒の備蓄はないし、弓の数もそうはないので、ただちに魔獣どもを
討伐するなら大兵力で一気にやるべきかと。
兵力の分散はよくない」
という意見だった。
ジョグは相変わらず壁際だ。
ただし今日は寝ているのではなく、寝ているふりをしている。
機嫌はよくない。
コリンが代弁した。
「うちの騎士たちは、ちょっといらついてます。
俺たちは戦いに来たんじゃないのかって」
そうだ。
士気の維持というのも馬鹿にできない問題だ。
だがさっさと戦いたいという騎士は、この連合軍の危うさを分かっていない。
中型大型を含む魔獣五百匹というのがどれほど恐ろしい戦力なのか、分かっていない。
こちらの戦力は騎士百八十六人と、従騎士百三十一人。
つまり騎馬戦力は合わせて三百人そこそこなのだ。
遭遇戦ではまともな戦いにすらならず蹂躙されるほかない。
本来なら敵の五倍、少なくとも三倍の戦力で戦うべき相手なのだ。
その戦力差を埋めるものがあるとすれば、城壁と毒である。
相手が普通の魔獣であれば、おびき寄せて殲滅戦を行うことができるのだが。
バルドは魔獣に詳しい。
だが今回の敵は、魔獣であるはずなのに魔獣らしくない振る舞いをする。
それがバルドの思考を混乱させる。
バルドは自分の頭の中を整理し、こう考えることにした。
敵は能力において魔獣である。
だが行動においては違う。
本能を抑え、あたかも司令官にしたがう軍隊のように行動する。
だからマイラオ城襲撃は、魔獣の行動と考えてはだめだ。
作戦行動だと考えてみるのだ。
とすれば、何がみえるか。
バルドはわれしらず、作戦行動とすれば陽動を疑うところじゃのう、とつぶやいた。
一同がはっとした様子でバルドのほうを見た。
「陽動。
とすればおびきよせて別の場所をたたくか。
なるほど。
魔獣のやり口だと思っていたから不審だったが、誰かが操っているなら、そちらを考えるべきですな」
「だが、どこを。
どこを襲うための陽動なのです」
アーフラバーンとザイフェルトがそう言った。
バルドは、アーフラバーンのほうを向いて、従騎士タズローが重要な手がかりをくれたではないか、と言った。
アーフラバーンは、しばらく考え込んでから言った。
「そうか。
餌のある所か」
その
「え?
何?
俺にも教えてくれませんか」
「騎士コリン。
こういうことだ。
魔獣の数が非常に多いから、当然たくさんの食料が要る。
したがって、たくさんの食料がある場所を襲うのだ」
それからアーフラバーンは、少しかみ砕いて説明した。
獣が人間を襲うときは、腹がふくれればそれ以上は殺さない。
逆に魔獣が人間を襲うときは、腹が減っていなくても殺す。
だが、トライを襲った魔獣たちは人も馬も牛もむさぼり食った。
なぜか。
食いだめだ。
五百匹もの魔獣の腹を満たす食料は、どこにでもあるものではない。
オーヴァの川辺に沿っては草木も生え動物も多くいろいろな食料もあるが、いったん離れればそうはいかない。
「バルド将軍。
草や木を食う獣は魔獣になっても草や木を食うのですか」
と質問したのは騎士ナッツだ。
バルドは答えた。
そうじゃ、魔獣になったからといって急に人間を食うようにはならん。
噛み殺しはするがの。
シロヅノやフクロザルの魔獣がおったなら、小麦や野菜が根こそぎ食われたのも分かる。
うなずいたアーフラバーンが地図の上を指さした。
トライが襲われたのが発見されたのが十一日前。
乾ききっていない血もあったというから、襲撃自体は十二日から十四日前だろう。
魔獣たちには足の速いものもそうでないものもある。
十数日かけて、それもたぶん比較的草の多い地域を通って、たどり着ける、五百匹分の食料がある場所といえば、どこか。
ここだ。
アーフラバーンの指は、まっすぐにロードヴァン城を指していた。
バルドは地図をにらみつけた。
ロードヴァン城には、非戦闘員だけで五百人以上の人間がいる。
騎士団とその随員を入れれば九百人近い。
さらに豊富な水、多数の馬、牛、豚、羊、穀物、野菜などなど。
魔獣の群れにとって、最高の餌場だ。
そしてここを押さえれば、その西側にはガイネリアの街や村がある。
いや、ここからガイネリアの都までの距離は、トライからここまでの距離にほぼ等しい。
つまり、トライで腹をふくらせてここまで来られるのなら、ここで腹をふくらませてガイネリアの都を直撃することも可能なのである。
ガイネリアの都からテューラやセイオンの都までの距離は、それよりずっと短い。
もしもここが抜かれるようなことがあれば、中原の豊かな国々が、そのままやつらの餌場になってしまう。
トライとロードヴァン城を結ぶ直線上には、人間が足を踏み入れない地域がある。
当然偵察もそこには入っていない。
ゲルカストの居住地が散在する地域だ。
そこには草も木も水もあり、獣もいる。
ジャミーンの勇者イエミテは、魔獣が凶暴になるのは人間に対してだけで、亜人は襲わない、と言った。
魔獣の群れがここを通過しても、ゲルカストとの争いにはならないのだろう。
ロードヴァン城は、中原の東側で最も防衛力が高い軍事施設であるから、ここが襲われるかもしれないとは、まったく考えてもいなかった。
だが、人間の国々を襲うとすれば、まずはここを落とすのが一番合理的だ。
それ以外の選択肢はないとさえいえる。
バルドは、ぎりっと歯をかみしめ、それから言葉を発した。
マヌーノは人には想像もできないほど遠方から、生き物の気配を感知できるという。
この城はやつらにとって、最高の餌場にみえるじゃろう。
多数の魔獣がまとまって行動していることが分かった以上、今やつらはここに向かっていると考えるべきじゃ。
先ほど、マイラオ城襲撃が陽動かもしれんと言ったのは取り消す。
餌は一所にまとまっておったほうが、やつらには好都合じゃろうからのう。
マイラオ城も有力な餌場の一つだということじゃろう。
ここがやつらの手に落ちるようなことがあれば、中原の街や村はなすすべもなく
ただちに迎撃戦の準備を始めよ!
4
斥候はすぐに呼び戻させた。
北門の前には石を積み広げた。
南門と東西の門の前にも、足止めを施した。
毒壺と油壺と弓かごを城壁に上げ、担当する弓兵を決め、決まった印の矢以外には塗布しないよう徹底させた。
夜に襲われてもいいように交替で休み、いつでも戦闘態勢に移れるようにした。
その夜は何事もなく過ぎた。
翌日、すなわち一月十七日の昼さがり。
日が陰り寒風が吹き寄せるロードヴァン城に、約五百匹の魔獣が襲い掛かった。
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