第5章 諸国戦争

第1話 三国共同部隊

 1


 三国共同部隊の指揮官となれ、との命令を受けたバルドが最初に行ったのは、ガドゥーシャ辺境侯マードス・アルケイオスとの面談である。

 マードスはこのとき四十九歳。

 ちぢれた黒髪とぐりぐりとした黒目が印象的な、がっしりした体つきの人物だった。


「バルド将軍。

 いや、〈人民の騎士〉殿。

 とうとうお会いできたな。

 わが父デュサンはいつか貴殿に会いたいといいながら果たせなかった」


 と言いながらバルドの両手を握りしめる手には力がこもっている。

 しばらくリンツ伯の話題などで楽しく言葉を交わし、この人物は信頼できるとの印象を深めた。

 二人は対魔獣戦の備えについて話し合った。

 その協議を踏まえ、マードスは、辺境侯にして枢密顧問という立場を存分に利用し王宮から支援を引き出してくれた。


 魔剣十八本。

 槍型の魔剣、すなわち魔槍五本。

 弓と大量の矢。

 小量の毒薬。

 医薬品。

 食料。

 そして資金。


 最も欲しかった兵力は割いてもらえなかったが、これは致し方ない。

 それらの物資を積み込んだ馬車は、辺境侯の付けた護衛に守られ、バルドより一足先にロードヴァン城に向かった。

 辺境侯自身は王都にとどまる。

 彼にはこちらでやることがあるのだ。


 バルドは王宮で忙しく準備を進めた。

 地図や各国の国情をまとめた資料。

 亜人たちについての情報、なかんずくマヌーノについての記録。

 王宮の文官たちは、はっきりした命令を与える限りにおいて極めて優秀で、バルドを満足させた。

 ジュルチャガが例によって驚異的な地理把握能力を発揮し、王宮内を駆け回るバルドを助けた。

 カーズは古い書体や飾り文字まで読みこなし、しかも一度読んだものはどこに何が書いてあるかをよく記憶したので、大いに戦力になった。


 医学博識ゼノスピネンの協力を仰ぎ、毒薬を急ぎ精製してもらった。

 王宮の薬草園には少なからぬ量のズモルバスが育てられており、これを根こそぎ精製させたのだ。

 ピネンは、一緒に暮らしていた孫のような少年を連れてきていた。

 少年の名はトリカという。以前会ったときは孫だと紹介してくれたが、実は血縁ではなく、身寄りのない子を引き取ったのだという。


 また、王宮の外にもバルドのやるべきことはあった。

 工学識士オーロの元に行き、試作品の改良クロスボウを十台調えさせることにした。

 矢は二百本を作るのが精一杯だという。


 一人でも戦力が欲しいバルドは、トード家の騎士の処遇を訊いた。

 王太子暗殺未遂事件の主犯である伯爵は、死刑と決まっていた。

 ただし執行は猶予されており、戴冠にともない恩赦が出されて減封された領地でひっそり暮らすことになるという。

 実行犯である騎士二名とクロスボウを射た九名の従卒は死刑。

 ただし従卒たちは戴冠にともない減刑されて、長期間の苦役が科せられる予定である。

 なぜ騎士二名に減刑がないのかと訊けば、本人たちが強く死刑を望んでいるからだという。

 バルドは担当部署に掛け合い、直接本人たちを説得した。

 どうせ死ぬなら民を守って戦って死に、トード家の名誉に花を添えよ、とのバルドの言葉に二人は感激し、バルドの元で命を捨てると誓った。

 二人の処分は軍役刑という科料に切り替えられることになったが、担当官は恩赦が出るまで連れ出してもらっては困ると言い出した。

 バルドは、人形でも代わりに入れておけ!と怒鳴って無理やり二人を連れ出してしまった。


 戦力確保にバルドが苦心していると耳にしたシャンティリオンは、側近の一人というべき騎士ナッツ・カジュネルを貸してくれた。

 しかも魔槍を持たせて。

 シャンティリオンは下軍正将に昇進し、カッセの街に防衛陣を敷きに出陣することが決まっている。

 騎士ナッツは、先だってバルドやシャンティリオンとともにコルポス砦防衛戦に参加した騎士の一人だ。

 知勇兼備の好漢で、バルドとは気心も知れている。


 ひょっこりとドリアテッサがやって来た。

 魔獣の大群との戦いに連れて行ってほしいという。

 秘密にされているはずなのにどこで知ったのかと思いながら、おぬしにはおぬしの仕事があろう、と言って断った。

 しかし女武官指導の仕事はまだ始まっていないのだという。

 五人の候補から三人を王が選ぶはずが、急に志願者が殺到し、百人を超える候補ができてしまったらしい。

 遠からずシェルネリア姫が嫁いで来るのであり、その警護はドリアテッサとドリアテッサが指導する女武官たちが担うことになる。

 この王宮以外に今のおぬしの戦場はない、と怒鳴りつけたらしゅんとしていた。

 ふと思い出して、今回のことではシャンティリオン殿がとてもよくしてくれた、と褒めておいた。

 騎士ナッツを貸してくれたことへのせめてもの礼のつもりで、ドリアテッサにシャンティリオンへの好印象を与えようとしたのだ。

 そこで思い出して訊いてみた。

 少し前、後宮に入り込んで恋歌を歌った者があると聞いたが、どんな歌だったのか、と。

 すると、その時間は練武場で鍛錬をしていたので私は聞いていません、という答えだった。


 改良クロスボウを受け取りにオーロの所に行くと、剣匠ゼンダッタが来ていた。

 王都に到着したばかりだという。

 バルドと少し話をしたあと、その任地とやらに鍛冶匠の仕事はありますかな、と訊いてきた。

 何かを察したのだろう。 

 非常に危険な任務であり、王から魔剣十八本、魔槍五本をお貸し頂いたとバルドが言うと、少し目を見開いてから、では私と弟子たちをお連れください、と頭を下げた。

 武具の手入れができる優秀な人材は、正直喉から手が出るほど欲しい。

 ましてゼンダッタは魔剣の研ぎ直しまでもができる剣匠なのである。

 ありがたく申し出を受け、必要な品を調える資金を与えて、急ぎ準備させた。


 あっという間に十日ほどが過ぎた。

 もう出発しなければならない。

 バルドはわずかな人々に見送られて王都をあとにした。

 本来、先王の死から一年のあいだは軍事を行わないのが中原の流儀であるという。

 もはやその通りにしている国などないが、それでもこの時期に大々的にバルドを送り出すのははばかられたのである。

 バルドにつける騎士団もない。

 そもそも、魔獣の大群が襲い来るという話が漏れれば民衆の不安をあおるから、これは極秘の任務なのである。


 ウェンデルラント前王の本葬はまだ行っていない。

 ジュールラントはシンカイ国の中原侵攻が始まってから、前王の死はシンカイの陰謀であると公表し、その戦に勝ってから本葬を行うつもりだ。


 ほどなくメルカノ神殿から神官が到着し、戴冠式が行われる。

 そのすぐあとにはシェルネリア姫との結婚式が行われる。

 そのあと三人の側妃がジュールラント王のもとに輿入れする。

 晴れ姿を見届けられないのは少し残念だが、今はやるべきことをやるだけだ。

 魔獣はもう襲い掛かってきているかもしれないのだ。


 昨夜はカムラーが特別な晩餐を用意してくれた。

 出てくる料理はすべて見たこともないものばかりで、その味の玄妙さにめまいさえした。

 間違いなくこれは、この鬼才が格別に力を込めて用意した献立だ。

 主菜は、外から見ても何であるかが分からない料理だった。

 油ゆでであることは分かるのだが。

 ナイフはすっと入った。

 肉か魚をつぶして壺焼きにしたものに少し手応えが似ていると思ったが、中の様子は違う。

 口に入れた。

 さくっとした歯ごたえである。

 だが中はしっとりと柔らかく、舌の圧力だけでもつぶすことができる。

 口当たりもよい。

 数回かみしめて、食感と味を楽しんだ。

 まったりした奥深い味が口中に広がる。

 口に入れた瞬間はあっさりしていると感じられたのに、かみしめるほどに豊かな味が広がる。

 口の中の味を感じるすべての部分がぞくぞくとするような刺激を受けている。

 喉ごしの気持ちよさも上質である。

 素晴らしい料理だ。

 カムラーが料理の正体を明かした。

 なんとそれは、牛の脳みそだった。

 軽く焼き締めたあと、小麦粉をまぶして油ゆでにしたのだという。

 カムラーによれば、牛の脳みそは昔から〈軍師の妙薬〉といわれ、頭の働きがよくなる効果があると信じられているという。

 勝利へのはなむけのつもりだったのだろう。


 2


 十二日でミスラに着いた。

 荷物と人を積んだ馬車を連れているので、どうしても時間がかかってしまう。

 ミスラが無事であることに、バルドはひどくほっとした。

 あらかじめ早馬を立てて来訪と用件を告げてあったので、ミスラ子爵が待ち構えてくれていた。

 ミスラ子爵は、四か月前のコルポス砦救援についてバルドに手厚く礼を述べると、さっそく六人の従騎士を差し出した。

 彼らは経済的な理由で騎士になれていないが、騎士となるにじゅうぶんな訓練を積んでいる者たちである。

 六人とも先の戦いでバルドの薫陶を受け、バルドに心酔している者たちであるという。

 しかも今回はミスラ子爵が馬と武器と防具を貸し出して、事実上騎士として働けるようにしてくれた。

 ありがたい援兵である。

 バルドはミスラ子爵に厚く礼を述べ、六人の従騎士にこう告げた。


  これからなんじらが向かうのは、極めて厳しい戦場である。

  しかしこの街をはじめ中原東部の人民を守るために避けられぬ戦いである。

  幸い王陛下は多額の報奨金をお約束くださった。

  手柄を立てれば騎士になる資金も得られようぞ。


 六人は雄叫びを上げて奮い立った。

 その夜はミスラに泊まって、子爵に歓待された。

 先のコルポス砦での戦いで得た魔獣の皮の扱いを訊いてきたので、子爵の自由にするよう言った。

 これは一財産になるようで、子爵は大いに驚いていた。

 どこで噂を耳にしたのか、やたらバルドの武勇伝を聞きたがるのに閉口した。

 むげにもできないのでジュルチャガに話させた。

 控えめにせよ、と厳しく注文を付けて。

 座は盛り上がったがバルドは聞き続ける気力がなく、早々に寝室に入った。

 あとで気が付いたのだが、ジュルチャガは自分がバルドと出会う前のことも話していた。

 どこでそれを知ったのだろう。


 3


 ジュルチャガがいると、不意打ちを受ける心配をほとんどしなくてすむ。

 なにしろ、人であろうが獣であろうが、恐ろしく遠くからジュルチャガは発見するのである。

 道案内の能力についてはいうまでもない。

 今進んでいるのはジュルチャガにとって初めての場所のはずなのだ。

 それなのに、人に聞いた情報から正しく位置を把握できているらしく、まったく危なげなく一行を先導してゆく。


「そろそろツガート砦が見えてくるよー」


 と言われて次の丘を越えたところで、確かに砦らしきものが見えた。

 到着してみて、ツガート砦だと確認できた。

 ゼアノス砦とともに魔獣らしきものの襲撃を受けて全滅したという砦である。

 ぜひ見ておきたかったのだ。


 破壊のあとが生々しい。

 扉が破られ防壁そのものも突き崩されている。

 こんな小さな砦に巨大な攻城槌でも用いたかのような惨状だ。

 死体もほとんど片付けられていない。

 むごいことだが、この場合はありがたくもあった。

 損傷の様子から、敵についての情報が得られるからだ。


 獣、それも恐らく魔獣の仕業に違いない。

 何種類かの獣の爪や牙の跡をバルドは確認した。

 また、門を崩したのはシロヅノかそれに近い獣だと思われた。

 死体に砂を掛け、拝礼して立ち去った。

 ゼアノス砦にも行ってみたかったが、少し寄り道になるのでやめた。


 十月三十六日に、ロードヴァン城に着いた。

 集結の日である四十日まで、あと四日しか残っていなかった。


 4


 真っ先に出迎えてくれたのはザイフェルトだった。

 騎士団長みずからお迎えとは恐れ入ることだ。


「バルド大将軍閣下!

 あなたの指揮で戦える日が来るとは。

 こんな出来事のさなかに不謹慎ではありますが、私はうれしくてなりません」


 というザイフェルトの横で、副団長のマイタルプも、


「まさに、そうです。

 辺境騎士団一同、大将軍閣下のご着任を心から歓迎申し上げます」


 と、いかつい顔に人懐っこい笑みを浮かべた。

 指揮官室に入ったバルドは、さっそくザイフェルト団長に戦力の確認をした。


 現在の辺境騎士団の戦力は、騎士六十九人、従騎士八十人であるという。

 本来なら騎士三大隊がいるはずなのである。

 ここの編成人数は独特で、三人で小隊、三小隊で中隊、三中隊で大隊となる。

 三大隊なら八十一人いなければならない。

 それが多少の欠員が出ていて、ザイフェルトまで含めて現在数六十九人なのだ。

 ただし従騎士の半分は騎士と遜色ない働きができるという。

 また残りの者も槍も弓も使えるし、後方支援の訓練も積んでいる。

 武具の備蓄もじゅうぶんにある。


 アルケイオス家、つまりガドゥーシャ辺境侯の家臣は、騎士九人と従騎士十五人だ。

 これほどの大身にしては少ない気もするが、外敵との戦いは辺境騎士団が受け持つのだから、しぜんこうなったのだろう。

 辺境侯の家臣のほとんどは生産や内政に従事しているのだ。

 辺境侯の領有する街はここだけではなく、全体には相当の数の騎士を抱えている。

 しかし王の要請に応じて多数の騎士を出しており、この戦力を削らないということが精一杯の協力なのだ。


 十月三十七日、つまりバルドが到着した翌日に、ゴリオラ皇国の部隊が到着した。

 パルザム王都での協議の結果を受けてから部隊を編成してゴリオラの皇都を出発したのでは、この日にちに間に合うわけはない。

 つまり協議の結果を待たず、この部隊は皇都を出発した。

 共同部隊の設立を予測していたのかもしれないし、共同部隊が設立されずとも、単独ででも魔獣の襲撃に対応するつもりだったのかもしれない。

 いずれにしても、今回の魔獣の襲撃をゴリオラは重くみている、ということだ。


 指揮官はアーフラバーン伯爵である。

 そうなる可能性が高いとは聞いていた。

 戦力は、なんとすべてファファーレン家から出したのだという。

 騎士三十人と、従騎士三十人。

 そして全員弓持ちの従卒が六十人。

 従卒は前線には立てないが、弓の訓練はじゅうぶん行っているうえ、武器の整備やけがの治療などの技能を持っている者ばかりだという。

 アーフラバーン伯爵は白銀の鎧を、騎士はおそろいのいぶし銀の鎧を、従騎士たちは黒基調の鎧を、さらに従卒までおそろいの白地の服に紺色の肩覆いと頭巾と兜を着けている。

 その行軍のさまは、華やかそのものである。

 アーフラバーンはバルドの前に進み出ると、上官に対する型通りの礼を取りあいさつしたあと、両手を強くにぎってこう言った。


「国と国とのあいだには思惑も駆け引きもありましょうが、私どもファファーレンの騎士は、ただバルド大将軍の命に従い戦うのみです。

 存分にお使いください」


 見れば麾下きかの顔ぶれも、見覚えのある者ばかりである。

 みなドリアテッサを探索に来て、バルドたちと数日間を共にした武人たちだった。


  困難な戦いにあって、本当に信頼できる味方を得られることほどありがたいものはない。

  伯爵。

  御身が来てくれてよかった。

  ファファーレン家のもののふたちと戦場を共にできるのは、またとない喜びじゃ。

  じゃがのう。

  お聞きじゃと思うが、指揮官は戦いで決めるらしいわい。


 というバルドの言葉をアーフラバーンは笑い飛ばして、


「ははははははっ。

 ジョグ・ウォードとかいう身の程知らずには、存分に思い知らせておやりなされ。

 何なら私がたたき斬って差し上げましょうか。

 カーズ殿に勝つのさえ至難のわざ。

 ましてバルド大将軍に勝とうなどと本気で思っているとしたら、その騎士は頭がおかしい」


 と言った。

 確かにジョグは少しおかしい男だが、アーフラバーンの言うこともちょっと妙だ、とバルドは思った。


 5


 そのジョグ・ウォードがガイネリア勢を連れて到着したのが十月三十九日のことである。

 ガイネリアの勢力範囲はロードヴァン城のすぐ近くまで及んでおり、この辺りはジョグの庭といってよいのだから、集合日の前日にぴたりと現れたのは偶然ではない。

 ガイネリアが出した戦力は、第五騎士団二十四人、第六騎士団二十四人、第七騎士団二十四人と、非戦闘員の従卒十八人である。

 これは外に出せる騎士団のうち第八騎士団以外のすべてであり、国力からいえば破格である。

 この地域を魔獣から守ることがガイネリアにとっていかに切実な問題かを示している。

 それでも、この国は古来、こういう場合には他国に弱音をはいたり協力を求めたりしない。

 今回の共同軍設立は、歴史を知るものからすれば大いに驚くべき出来事なのである。


 そしてガイネリア軍が到着したということは、バルドとジョグの対決の時が来たということでもある。

 バルドは城の外に出てガイネリア軍を迎えたのだが、ジョグはバルドを見つけるなり目を輝かせてにらみつけてきている。

 一晩休んで明日決闘をしようと提案したバルドに対し、ジョグ・ウォードは、


「いや。

 今だ。

 今すぐろうぜ、くそじじい。

 もう一日ぐらい長生きしたって、仕方がないだろう」


 と言った。


 6


「コリーーーーーーン!

 よろいだっ。

 俺の鎧と剣を持って来いっ」


 ジョグが後ろも見ずに叫んだ。


「分かったっ」


 と大声で返事した騎士が従卒たちに何事かを命じている。

 あれは確かジョグ・ウォードの側近で、コリン・クルザーとかいう騎士だ。

 バルドはかたわらのザイフェルト団長に、立会人をアーフラバーン伯爵に頼んでくだされ、と告げた。

 そしてジュルチャガを目で探した。

 いた。

 まだ命令もしていないのに城門の中に駆け込んでいた。

 察しのよい男である。


 ザイフェルトが呼ぶまでもなく、アーフラバーン伯爵が城から出て来た。

 ザイフェルトの頼みを聞いてうなずき、ジョグの前に進み出て、


「貴公がジョグ・ウォード卿か。

 私はティルゲリ伯爵アーフラバーン・ファファーレン。

 ゴリオラ派遣軍の軍杖を預かる者だ。

 この決闘の見届け人をさせていただくが、よろしいか」


 と言った。

 ジョグはアーフラバーンのほうを見もせず、あいかわらずぎらぎらした目でバルドのほうをにらみつけながら、


「ああ」


 とだけ答えた。

 コリンと従卒がジョグの鎧を運んできて、着せ付けを始めた。

 といっても、下着部分や胴の部分はそのままである。

 アーフラバーンが城の中の闘技場に移動するよう勧めても、ジョグの答えは、


「ここでいい」


 というものであり、決闘の方法と決着の付け方、勝利者の権利について確認しようとしても、


「好きな得物で相手を殴り、負けたほうが勝ったほうの言うことを聞く。

 それだけだ」


 と返すばかりだった。

 バルドから目線をそらそうとしない。

 まるで目を離せばいなくなってしまうとでもいうかのように。

 ジョグがほとんど鎧を装着し終えるころ、ジュルチャガがユエイタンを引っ張って現れた。

 その後ろから騎士ナッツと騎士ニドと騎士フスバンが、バルドの鎧と剣を持ってやって来る。

 コリン・クルザーは、ジョグの馬の馬具やひづめの具合を確認すると首をなで、耳元でダストしっかりな、と声を掛けた。

 そして、従者と一緒にジョグを馬に乗せた。


 ジョグが馬上から見つめる前で、バルドは落ち着きはらって革鎧を脱いだ。

 胴、腰、両足、両手、そして頭に鎖かたびらを着ける。

 その上に順番に金属鎧を着けていく。

 王からの下賜品で、職人たちが突貫作業で調整してくれたものだ。

 バルドが支度を終えると、ユエイタンがすぐ横に歩いてきて、そして足をたたんで腹を地につけた。


 おおっ、というざわめきが広がる。

 もうこのころには城の中にいたパルザム、ゴリオラの騎士たちも城の外に出て、二人を取り巻いて様子を見ていた。

 ざわめきは、よくもここまで馬を訓練したものだという感嘆と、あんな状態から重装備の騎士を持ち上げられるのか、という危惧の混ざったものだった。

 実は一番驚いたのはバルドだ。

 ユエイタンがこんなことをするとは思いもしなかった。

 が、驚いていないふうを装って、この巨大な愛馬にまたがった。

 ユエイタンは、バルドを乗せたまますうっと立ち上がった。

 もう一度ざわめきが起こった。

 助けも借りず馬に乗ったバルドと、事もなげに立ち上がったユエイタンへの感嘆である。

 と、ジュルチャガがユエイタンに近づいて、よくやった、あとでうまい野菜食わしてやるぞ、と話し掛けている。

 そして、硬い鎧に包まれたバルドの両の足をしっかりとあぶみにくくりつけた。


 こうして二人は馬上からお互いを見つめた。


 7


 ジョグ・ウォードの乗馬ダストは漆黒の美しい毛並みを持った巨馬で、目と目のあいだに白い毛が一筋生えている。

 ジョグの鎧も全身黒い。

 髪もひげも目も黒いから、まさに全身黒ずくめで、その場所だけが陽光を吸い込んでいるかのようである。

 いつのまにか目のぎらついた光は消え、夢見るような柔らかい視線をバルドに向けている。

 目線はバルドに向けたまま、右手を開いて斜め後ろに突き出した。

 コリン・クルザーが従卒に手伝わせてジョグの剣を運んできた。

 ジョグが柄を持つと、二人はさやを抜いていく。

 黒みがかった長大な剣身が姿を現していく。

 ゴリオラの騎士たちが、引きつった目でそのあまりに巨大な鋼の塊を見ている。

 鞘が抜けきると、剣先はどさりと地を打った。

 まったく考えられないほどの長さである。

 幅も広くさぞ重かろうその剣を、ジョグは右手一本でぐいと持ち上げ、左手を添えて軌道を修正すると、右肩の上に乗せた。


 対するユエイタンは、わずかに薄墨を混ぜたような白馬である。

 バルドは、紺色の地に細かくたたき込まれた黒銀の金属板を張り付けた鎧を着ている。

 左胸には王国の紋章が浮かび上がり、これが将軍だけに許される装備であることを教える。

 ジュルチャガと騎士ニドが、バルドの剣を左側から差し出した。

 バルドはそれをユエイタンの首の上で受け取った。

 二人が鞘を抜いていくと、いぶした銀色の剣身が現れていく。

 今度は声に出して驚きを表す者もいた。

 ジョグ・ウォードの剣にも負けない長大な剣である。

 宮殿の武器庫をあさって見つけたのだ。

 長さはジョグの黒剣とほぼ同じか、もしかすると少し長い。

 ただし、ジョグの剣が根本から先までが幅広であるのに対して、バルドの剣は幅はそれほどでなく先にいくほど細い。

 その代わり、厚みはジョグの剣に勝っている。


 ジョグの剣にせよバルドの剣にせよ、ここまで長く重い剣は、ふつう馬上では使わない。

 馬上の騎士をたたき落とすために使う。

 ここまでの巨大さだと、膂力りよりよくで振り回すことは不可能だ。

 もっともジョグ・ウォードにはその常識は通じないのだが。


 ジョグが馬を反転させ、バルドから遠ざかって行き、百歩少々離れると振り返った。

 ジョグは剣を右肩にかついだまま、手綱をくらに巻き付け、左手で面頬を下げた。

 バルドも、剣を右肩に預けて手綱の余りを結わえると、左手で面頬を下げた。

 二人とも手甲は鉄でなく革のものを使っている。

 でなければこの剣を握り込めないからだ。


 バルドには、古代剣で闘うという選択肢もあった。

 古代剣の扱いに慣れてきた今のバルドなら、ジョグの初撃さえかわせば一撃で勝負を決めることができるだろう。

 しかしそれはどうしても、策を用いた戦い方になる。

 この決闘は、それではだめだ。

 正面から正々堂々と雌雄を決するのでなければ、全軍の信頼は得られない。

 その結果ジョグが勝つとしても、虚を突くような勝ち方をするよりジョグに指揮権を与えたほうがましだ。

 体力も気力も若返っているとはいえ、筋力もしなやかさも、今のジョグのほうが上だろう。

 それでもこの一番は正面から闘う、とバルドは決めたのだ。


 ジョグの馬が走り始めた。

 まったく同時にユエイタンも走り始めた。

 兜の中でジョグの瞳は炎のように燃えさかっているだろう。


 走る、走る。

 特別な馬だけが持つ驚異的な加速を見せつけて二頭の巨馬が走り寄る。

 大地を踏み割らんばかりの爆発的な足音は、馬はそれ自体が怪物的な生き物であることを雄弁に語っている。


 二人の騎士は圧倒的な重量感を持つ大剣を振り上げた。

 またたく間に二人はお互いを射程にとらえ。

 両の手で大きく振り上げた大剣を。

 お互いの頭上に振り下ろした。

 剣と剣とが正面からぶつかり合い。

 天と地が砕けるような激突音が鳴り響いた。


 8


 雷神ポール=ボーが、森の神ウバヌ=ドドの美しき妻イーサ=ルーサを奪わんとして〈雷槌〉をウバヌ=ドドに振り下ろしたとき、ウバヌ=ドドとイーサ=ルーサの息子キドがこれを〈大地の剣〉ではじいた。

 はじかれた〈雷槌〉のすさまじい破壊の力は大地を大きくえぐった。

 このとき出来た裂け目が、現在テューラからメルカノ神殿自治領にかけて大地を走る〈大亀裂〉であり、少年キドこそのちの戦神マダ=ヴェリである。


 見守る誰もがこの神話を思い出した。

 ジョグ・ウォードは、この長大な剣を半日でも振り回し続けられる男である。

 その男が、ただの一振りに半日分の精力を注ぎ込んだ。

 それに対抗できるだけの気迫の斬撃を老騎士も繰り出した。

 この二人の巨軀の騎士が巨馬にまたがり渾身の力を込めて突進した、その突撃力がただ一点でぶつかり合ったのである。

 鳴り響いた轟音に、さしもの歴戦の勇士たちも魂を削られたかと思った。


 互角。


 二つの破壊の力は互角だったのだろう。

 大剣は二人の騎士の顔と顔の前で激しく競り合っている。

 と、二人は同時に剣を引いた。

 二頭の馬も、一歩ずつ後ろに引いた。

 そして二人は高々と剣を持ち上げ、相手の頭上に振り下ろした。

 再び金属同士がぶつかり合って火花と激突音を発した。


 これも居並ぶ騎士たちの度肝を抜く光景であったろう。

 両手大剣というものは、振り回して加速をつけて使うものである。

 馬に乗って振るとすれば、馬の突進力を利用して剣に威力を乗せる。

 腕の力で振り回して使えるような剣ではないのである。

 二人の膂力りよりよくは、およそ人間の常識を飛び越えたものだ。

 それは、戦慣れした騎士たちであるからこそ分かる。


 二度目の激突は、バルドの腰に悲鳴を上げさせた。

 右肩の後ろも鋭い痛みを発している。

 バルドの闘志は炎のように燃えさかり、その痛みをかき消した。

 バルドの全身から吹き上がる闘気は離れて見守る騎士たちの顔を焼いた。

 それはバルドの精一杯のあがきである。

 瞬発力ではジョグのほうがまさっている。

 持久力ではジョグのほうがはるかにまさっている。

 そのジョグの斬撃に数撃だけでも対抗するには、ただ気力をもってするしかない。


 バルドはもう一度剣を引き上げた。

 腕の筋肉が、みしみしと悲鳴を上げている。

 だが無理やりに、高々と振り上げた剣に腕力うでぢからで加速を与え、ジョグの頭に振り下ろした。

 ジョグはといえば、剣をぐいと右後ろに引き、激しく腰を回転させながら黒剣を振った。

 剣先が落ち込みもせず、そのまま真横に剣は振り抜かれた。

 驚異的な筋力であり、バルドにもこれはまねができない。

 そしておそらくジョグ・ウォードは、何度でも繰り返してこれができる。


 バルドの剣はジョグの左肩を打った。

 ジョグの剣はバルドの胴体の左に食い込んだ。

 衝撃に目がかすむ。

 だが強引に意識の手綱を握りしめ、足の動きでユエイタンに指示を出した。

 ユエイタンはバルドの意図をあやまたず酌み取り、後ろに数歩下がった。


 ジョグは兜の中でどんな顔をしているだろうか。

 苦痛に顔をゆがめているのか。

 宿敵を今にも殺せる予感に笑みを浮かべているのか。


 ままよ!


 バルドの気持ちが攻撃に向かった瞬間、ユエイタンは突如前進した。

 先ほどと逆側、つまりジョグとその馬を左に見ながらの突進である。

 バルドは残った力を振り絞って大剣を持ち上げた。

 左から右へとジョグをなぎ払う剣筋だが、もう振り回すほどの力はない。

 馬の突進力を借りて剣を相手にたたき付けるのが精一杯である。


 ジョグは上から押さえ込むような形でバルドの剣を受け止めた。

 ぎり、ぎりと、大剣同士がつばぜり合う世にも珍しい光景を、観戦する騎士たちは目にすることになった。

 ここじゃ!とバルドが思うと同時に、ユエイタンが体を持ち上げた。

 ジョグの体が持ち上がる。

 態勢をくずされかけたジョグは、逆にぐいと伸び上がり、思い切り体重をかけてバルドの剣を押し返そうとした。

 腰は完全にくらから離れ、あぶみに掛けた足と太ももの挟む力で自らを支えている。


 バルドは手首を返して剣をねじった。

 その剣の上をジョグの剣が火花を立てながら滑っていく。

 渾身の力で押し返そうとしたその相手に、力をそらされてしまったのである。

 ジョグは完全に態勢を崩し、その右足が鐙からはずれた。


 すかさずユエイタンは一歩下がり、跳躍した。

 バルドは体全体で大剣を支えながら角度を調整した。

 剣はジョグの顔をとらえた。

 大剣の重量とユエイタンの跳躍から生まれた衝撃力がジョグの顔に炸裂したのである。

 ジョグは吹き飛ばされるように落馬した。


 勢いのまま数歩を走ってから、ユエイタンは反転して静止した。

 バルドには、もう攻撃を繰り出す力は残されていない。

 ジョグは倒れたまま起き上がろうとしなかった。


 9


「勝者、バルド・ローエン卿!」


 アーフラバーンの宣告が、ひどく遠い。

 騎士ナッツが駆け寄って剣を受け取ってくれた。

 剣先は地に付き、今にも取り落とすところだったのだ。

 またもユエイタンが腹ばいになり、騎士ニドと騎士フスバンに支えられながらバルドは下馬した。

 ジュルチャガが驚くべき手早さで兜を脱がし、頭部の鎖かたびらをはずしてくれた。


 バルドは荒い息をついた。

 胸が空気を激しく求めてけいれんしている。

 汗は噴き出し、髪はべっとりとひっつき、足元はふらつく。

 このわずかな時間にまるで体重が半分に減ってしまったかのように自分の体が頼りない。

 当然である。

 ふつうの人間が何日もかけて使う力を、ほんの一瞬のあいだに使い切ってしまったのである。

 すべての筋肉は力を失ってしまったようで、立っていることさえ難しい。

 それでもバルドはおのれの足に命じて、ジョグに歩み寄って行った。


「ジョ、ジョグ!」


 金縛りが解けたようにコリン・クルザーがジョグに駆け寄った。

 そして、寝たままのジョグの兜を器用にはずした。

 ジョグもまた汗まみれである。

 と、ジョグが右手を上げて差し出した。

 バルドに。


 バルドはまだおぼつかない足を進め、ジョグの手をつかんで引き起こした。

 といっても立ち上がらせたわけではない。

 それは無理だ。

 バルドの精一杯の力は、ジョグの上半身を何とか引き起こせたのみである。


 ジュルチャガがバルドに、コリンがジョグに、水筒を差し出した。

 二人はこの命の甘露をごくごくと飲み干した。

 汗がぶわりと噴き出してくる。

 水が体に入って、こわばっていた体がやっと動き始めた。

 しばらく呼吸を調えたあと、ジョグはバルドに言った。


「化け物じじいめ」


 その目にはもう獣のような猛々たけだけしさはなかった。

 ジョグはなんと自分一人で立ち上がってみせた。

 いつもながら驚くべき男である。

 ジョグは自身の部下たちを見回し、こぶしを突き出し、大声で宣言した。


「この戦が終わるまで、俺たちの指揮は」


 ここで息を吸い込み、さらに大きな声で続けた。


「バルド・ローエンがとるっ!!」


 ジョグの部下たちは、口々に応諾の声を発した。

 二人はその場で鎧を脱いだ。

 脱がせてもらった、というべきか。


「おい、バルド」


 にこりともせず、ジョグが話し掛けた。

 バルドが、なんじゃと答えると、ジョグは、


「酒、飲ませろ」


 と言った。

 バルドは、おお、うまい牛肉も腹一杯食わせてやろう、と返事を返した。

 あとで知ったのだが、ガイネリアには牛は少なく、ジョグといえどもそうたくさんは食べられない。

 だから、このときジョグが舌なめずりをしたのも無理はなかったのである。

 実のところ、酒と肉を欲しかったのはバルド自身だ。

 もうへたりこんでしまいたいほど、消耗していた。

 バルドの体こそが、酒と肉を欲していた。

 バルドはジョグとともに歩き始め、アーフラバーンも酒席に誘った。

 そしてザイフェルトに、あることを命じた。

 うなずいたザイフェルトは、居並ぶ三国の騎士たち全員に響き渡る大声で叫んだ。


「ただ今、三国連合軍総指揮官バルド・ローエン大将軍から命令が下った。

 今日の夕食では、酒保しゆほが開かれ、全員に一杯ずつ酒が支給される!」


 もちろんこの場合の酒とは、いつも食事に添えられる水で薄めたワインのことではない。

 酒精のたっぷり入った大ひしゃく一杯の蒸留酒のことである。

 全員から大きな歓声が上がったのはいうまでもない。


 門の脇に、剣匠ゼンダッタが立っている。

 ゼンダッタはコリン・クルザーをつかまえ、


「そのジョグ・ウォード将軍の剣はこちらに」


 と指示を出した。


「え?

 お前、誰だ」


「私はバルド大将軍直属の剣匠だ。

 それはジョグ将軍の主武器とお見受けする。

 今の決闘で相当に痛んだはず。

 ただちに研いでおかなければならん。

 こちらにお運びいただきたい」


「え?

 いや。

 バルド将軍の剣が先じゃないのか」


「バルド将軍の剣はあとでよい。

 まずはジョグ将軍の剣だ。

 さあ、急がれよ」


「お、おう」


 ちょっとばかりうれしそうな表情で、コリン・クルザーは従者たちに命じて剣を鍛冶場に持って行かせた。

 ゼンダッタがバルドの剣はあとでいいと言ったのは、バルドがもうそれを使わないことを知っていたからなのであるが、それをわざわざ言うこともない。

 ふと振り返ると、ジュルチャガがユエイタンを引いてきている。

 考えれば、今日の殊勲者はこの馬だというのが正しい。

 筋肉の力でも素早さでもジョグに劣り、耐久力では比べるべくもないバルドにとって、唯一まさっていると思えたのが、馬である。

 ユエイタンの体の大きさと強さ。

 そしてバルドの意を酌み取って動く利発さと素早さ。

 これがなければ勝利はなかったのである。


 ユエイタンにたっぷりとうまい物を食わせてやってくれ、というバルドの言葉に、ジュルチャガは片目をつぶって返事した。

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