第2話 狼人王の国

 1


 バルド殿。

 辺境は実に豊かですな。

 何よりも木々の豊かさですよ。

 まったく圧倒されました。


 森ある所には、鳥や動物がおり、そして木の実や果実や水がある。

 人が生きていくための恩寵が、森にはあふれています。


 中原にもかつては緑が満ち満ちていたという言い伝えは、私にはとても信じられませんな。

 なるほど今よりはあったでしょう。

 けれどかつてそれほどの森があったというなら、神々と神々の戦いで中原が荒れ果ててしまったとしても、悠久の時の流れのなかで、もう木々は復活しておらねばなりません。

 結局中原とは、森の恵みの薄い場所なのです。


 え?

 はっはっはっ。

 確かにそうです。

 鉄や、銅や、金銀その他の鉱物資源は、辺境より中原に多いですな。

 それに石も。

 いや私は、辺境には金属類が少ないのでなく、見つけにくいだけなのではないかと思っておるのですがね。

 ともあれ、そんな中原にも、緑豊かな場所がいくつかあります。

 その最大のものは何といってもモルドス山系でしょう。

 ここにいらっしゃるとき、セイオン国を出たあたりで、モルドス山系をごらんになったのではありませんか。


 え?

 はは。

 その通りです。

 モルドス山系に続く道は、けわしい岩山で覆われています。

 しかしその岩山の向こうには、緑の山々も遠望できたのではありませんかな。

 あの連山は、はるか西にまで延びています。

 その大きさを正確に知る者はありませんが、だいたいの想像でいえば、そうですな。

 ロードヴァン城からガイネリアの都までがすっぽり入るほどの大きさでしょうかな。


 はっはっはっはっ。

 話が大きすぎでお信じになれませんか。

 しかし本当にそう思えるほどの巨大さであり、豊かさなのです。

 その豊かさを享受していたのが、ザルバン公国、というわけですよ。

 バルド殿は、もちろん〈狼人王〉をご存じですな。

 狼人王の開いた国がザルバン公国であるということも、ご存じかと思います。


 え?

 ザルバンの名は聞いたことがあるが、狼人王の国が実在する国とは思わなかった、ですと?

 はははは。

 なるほど、なるほど。

 辺境のほうには、そのように伝わっておったのですか。

 もちろん実在の国ですとも。

 もっとも、狼人王その人が実在したかといわれたら、お答えに困りますがね。


 巨大な蛇の姿をした名のない魔神。

 その巨体はモルドス山系をぐるりと取り巻くほどであったといいます。

 魔神の怒りによって滅びかけた人々が星神に祈ったところ、夜の闇を斬り裂いて巨大なたくましい狼が現れた。

 神狼は三年のあいだ魔神と戦い続け、ついにこれをくだした。

 神狼は人の姿に変わり、人間の妻をめとって、その地に国を作った。

 これがザルバン公国建国の由来です。

 初代である狼人王をはばかって、代々の君主は王を名乗らず大公を称しておりました。

 ザルバンの君主は大昔から慈悲と誇りにあふれていました。

 その豊かさを無償で他国に分かち与え続けたのですからな。


 待てよ。

 バルド殿。

 狼人王の国のことは伝説だと思っていた、とおっしゃいましたな。

 では、緑炎石リーエ・パーゴーグがモルドス山系でのみ採れる、ということもご存じなかったのですかな。


 そうなのです。

 あの貴重なる石は、ザルバン公国が領有したモルドス山系でのみ採れるのです。

 緑炎樹リーエ・パーオジェというのは、じつに不思議な木でしてな。

 木そのものは燃えやすくもなんともないのです。

 むしろ燃えにくい、といったほうがよいでしょう。

 木の幹に刃物で切り付けると、とろっとした樹液が出てきますが、これも燃えやすくはありません。

 この樹液は取れたてのときは茶色いのに、乾燥させると半透明な緑色になります。

 これが緑炎石です。

 もちろん緑炎石はご存じですな。

 しばらく種火に当てれば発火し、驚くべき長時間、熱を発し続けます。

 暖を取るにも、湯を沸かすにも、これほど優れた燃料はほかにありません。

 大昔より緑炎樹を自分の国で育てたいと考えた君公はたくさんおりました。

 だが、どうやってもだめなのです。

 なぜか緑炎樹はモルドス山系でしか育たないのですな。


 ああ、むろん。

 黒石ネリゴーグは、素晴らしい燃料ですよ。

 発火温度は非常に高く、あれがなければ鋼など作れはしません。

 そうか、そうか。

 辺境では黒石は採れないのでしたな。

 この乳の都も、黒石の採れる山を近くに四つ持っておりますし、国内全体では百を超える採掘場所があります。

 しかし、黒石はね。

 穴を掘って掘り出すのです。

 採れば採るほど深く穴を掘り進めて掘り出さなくてはなりません。

 これがなかなか大変ですし、運搬も手間がかかります。

 使える量にはおのずと限りがあるのです。

 燃料のすべてを黒石でまかなうというのは、まったく無理なことなのです。

 辺境のように緑豊かであれば、何の問題もありません。

 燃料すべてを木や草でまかなえるのですから。

 中原では、そうはいかないのです。

 この国でいえば、ごく南のほうは別として、この王都はじめ北部一帯には人の数に対して木が少なすぎるのです。

 ゴリオラ皇国のように広大な森林地帯があれば、話はちがうのですがね。


 この燃料不足を解決するため、大昔から中原諸国は、ザルバン公国から緑炎石を輸入してきました。

 いえいえ。

 買ったのではありません。

 ただでもらったのです。

 ザルバンの君主は、各国の王に対し、それぞれ範囲を決め、自由に緑炎石を採取することを許してきたのです。

 信じられますか。

 このパルザム王国は、七つの山を与えられていました。


 役所が置かれ、毎日毎日膨大な数の馬車が、緑炎石を運び出しました。

 運搬は大変ですが、採取は簡単この上なく、採っても採ってもなくなる心配がないのですからなあ。

 各国の王は、それを独占管理し、街や村に販売しました。

 緑炎樹はもちろん木材としても使えますが、老木や枯れた木以外の伐採は厳しく禁じられました。

 ある意味、中原の王権の安定はザルバン公国に支えられていたといっても、そう間違いではないと思いますな。


 それほどの恩恵を受けておりながら、なんということか。

 国とは、人間とは、欲深いものです。

 分け与えられるだけでは満足できず、さらに多くを望んで、諸国はザルバンの喉元にかみついたのです。


 2


 あれは、四千二百五十一年のことでした。

 今から、二十一年前になりますか。

 中原諸国に、突然、シンカイ国の王と大将軍の名で、檄文が飛びました。


 ザルバン大公は、けがらわしき亜人と血を混ぜる邪悪な君主である。

 かの国を討ち滅ぼして、正義を立てるべし。


 当時のわが国の王宮は困惑しました。

 ザルバン公国は中原でも最も古い国といってよいですから、さまざまな伝説を持っております。

 建国王は実は狼に似た亜人で、今でもその亜人たちの一族がモルドス山系に住んでいる、という話はわりと有名でしたな。

 大公家はその血が薄くならないよう、時々亜人の血を入れるというような風聞もありました。

 人と亜人が子をなすなど、確かにひどく冒瀆ぼうとく的で、おぞましい行いです。

 けれどそんな噂を理由に今さらザルバンに攻め入るというのは、ひどく不自然です。

 そもそも、ザルバンの騎士が精強であることは有名で、また、天険に守られた国でもありました。

 山道のいくつかをふさいでしまえば守ることはたやすいのです。

 道は細く、大軍は通れません。

 力ずくで奪えるような国ではなかったのです。


 ただ、その檄文に一抹の不安を感じたのも事実です。

 なぜなら、シンカイ王と並んで、物欲将軍の署名があったからです。


 いえ。

 聞き間違いではありません。

 物欲将軍グリゴール・エントラです。

 本当の名は、ルグルゴア・ゲスカスというのですがね。

 もともとシンカイの人間ではなかったという噂も聞きます。

 シンカイというのは、まったく謎の国です。

 他国の使節もいっさい受け入れません。

 国に他国の人間が入れば殺してしまうのです。

 資源に恵まれた都市が密集して国を作っており、国力は想像を絶するほどに高いと思われます。


 この国については、王の名や、いつ代替わりしたかさえ、ほとんど伝わってきません。

 中原の大国で戴冠式にメルカノ神殿から神官を迎えない唯一の国ですな。

 そんな中、物欲将軍の名だけが中原にとどろいていました。


 ケルデバジュ王をご存じではありませんかな。

 今はもうないヤンガという国の王です。

 今からおよそ八十年前、ケルデバジュ王は、素晴らしい槍を手に入れましてな。

 騎士たちを招いて、それを自慢する宴を開いたのです。

 自国の騎士たちだけではなく、近隣の著名な騎士も招いたそうです。

 宴で実際にその槍を振るわせたのですな。

 槍を使ったのは親衛隊の騎士だったのですが、何ともすさまじい威力であったそうです。


 宴が終わってしばらくしてルグルゴア将軍から使いが来ました。

 しかるべき対価でその槍を譲ってほしいというのです。

 他国の将軍から王の宝物を寄越せなどと言われるのは、属国扱いされたようなものです。

 相手はまったく国交のなかった国なのですよ。

 王の体面にかけても承諾するわけにはいかなかったでしょう。

 すると二か月後、ルグルゴア大将軍みずから、二百人の騎士を率いてやってきました。

 大きくモルドス山系を迂回し、途中の街やで堂々と宿泊や補給をしながらやってきたのです。


 二百人もの騎士が押し寄せて来たのを知って、ケルデバジュ王は門を堅く閉ざしました。

 門前で物欲将軍は、宝石箱を差し出し、この箱一杯の宝玉を差し上げるゆえ、くだんの槍と騎士を一年だけお貸し願いたい、と申し入れました。

 槍と騎士だけ取られて宝石を手に入れられなければ、ケルデバジュ王の名は地に落ちます。

 ひとたび槍を貸し出したら、それは二度と戻って来ないでしょう。

 そもそも、こんな礼を失した申し出にまともに応対すること自体、王の権威に関わることなのです。

 ケルデバジュ王は、玉石をもってではなく斧鉞ふえつをもって受け取られるがよかろう、と自ら大声たいせいを発したそうです。

 いくら急なことといっても、城内には騎士も兵士もおり、矢玉も兵糧もあるのです。

 一日二日のうちには近隣の騎士たちも駆けつけるでしょう。

 物欲将軍は諦めてすぐに逃げ出さなければ死ぬだけです。

 ケルデバジュ王は、何の不安も持っていませんでした。


 物欲将軍は、かの槍をみごと使いこなしたという騎士の顔をお見せあれ、と言いました。

 ケルデバジュ王の傍らにはべっていた親衛隊の騎士が、われなり、と名乗りました。

 すると物欲将軍は、あの者は殺すな、と部下たちに命じるや、大剣を振りかざして城門を打ち砕いたそうです。


 いや、いや。

 あきれられるのも、ごもっともです。

 実際にそんなことができるわけはありません。

 ただ、そのように見えたのでしょう。

 あるいは、誰かがわざとうそを伝えているのです。

 もっとも、ザイフェルト殿とこの話をしたとき、丸太をくくりあわせた形の門扉なら、留めの金具や革紐がさびたり腐ったりしていた場合、うまく斬ればばらばらにできるかもしれない、とは言っておりましたがな。


 とにかく物欲将軍と部下は城内に侵入しました。

 城の騎士も兵士もまたたくまに打ち倒され、槍は奪われ、使い手の騎士は捕らわれました。

 城の財宝もごっそりと奪われました。

 物欲将軍は、ケルデバジュ王の生首を髪をつかんで持ち上げると、約束通り宝玉は置いていくが槍は返さぬ、と言い、首を放り投げてそれに宝箱をたたきつけ、帰国しました。


 ここがまた不思議なのです。

 王城を落としたのです。

 これを売りつければ莫大な富が得られましょう。

 また、王や騎士たちを殺したりしますか。

 生かしておけばやはり億万の身代金が得られましょうに。

 こんなやり方では恨みと不名誉だけが残るではありませんか。

 しかも、殺した王に槍の代金を払うとは。


 結局このあと周りの国々から攻め込まれ、ヤンガの国は滅びてしまいました。

 王城の生き残りがこの話を伝えたのですがな。


 物欲将軍は、行きと帰りの街や村でも暴虐を働きました。

 地方領主の館に乗り込んでいきなり宿泊の世話を強要もしました。

 気に入った武具や調度があれば無理やりに自分のものとしたそうです。

 美しい女性には目もくれず、欲しがるのは品物ばかり。

 うまい酒と食べ物には大変興味を示したそうですがね。

 それなりの財貨を置いて立ち去るのだそうです。


 こうした話がいくつもあるのです。

 噂によれば、物欲将軍は自国においても、たとえ他の騎士のものであろうが王のものであろうが、欲しいと思ったものは必ず手に入れなければすまない騎士だといいます。

 その一方で、金惜しみはせず、部下の功績をたたえることも手厚い、という噂も聞こえてきました。

 誰いうともなく、この奇怪な騎士のことを物欲将軍と呼ぶようになったのです。


 その物欲将軍の名が、ザルバン公国への攻め入りを呼び掛ける檄文の中にあったのです。

 何かが起きる。

 そんな不安を感じずにはいられませんでした。


 3


 わが国ではさっそく、諸国の様子を探りました。

 すると驚いたことに、とうに戦端は開かれ、各国の軍はザルバンの都を目指して攻め進んでいるというではありませんか。

 どうも、テューラ、セイオン、カリザウの三国は、シンカイと密約があったようです。

 いずれも緑炎石にひどく依存し、より多くの緑炎石が欲しくてしかたなかった国です。

 いつのころからか魔獣の数が減り野獣もおとなしくなり、長距離の大量輸送は大昔に比べればはかどるようになっていました。

 どこの国でも人口は増加傾向にあり、それを支えるための燃料を必要としていたのですな。


 シンカイ、テューラ、セイオン、カリザウのやり口は、卑怯極まるものでした。

 宣戦もせずにいきなりザルバン国に襲い掛かったのです。

 盗賊のやり口であって、およそ名誉ある騎士の戦い方ではありません。

 しかしザルバンは、緒戦で大きな被害を受けながらも、五か所しかない岩山の通路をふさぐことに成功しました。

 ところがどうやったのかはいまだに不明ですが、シンカイは西の通路を抜いたのです。

 ザルバンの側に裏切りでもあったのか、あるいは秘密の道のようなものでも知っていたのか。

 ザルバンの防御陣は崩れ、テューラ、セイオン、カリザウもモルドス山系に突入しました。

 つまり西と北と東から四国の軍団が津波のように攻め寄せたのです。


 ザルバン公国は、そもそも人口の少ない国でした。

 モルドス山系に囲まれた小さな盆地に、ザルバンの都はありました。

 その周囲を取り巻くように、いくつかの街がありました。

 いかにザルバンの騎士が強くても、あまりにも敵の数は多く、とても抵抗できないと思われました。

 そのうえ、メルカノ神殿騎士団と、ガイネリア軍が参戦しました。

 ザルバンの敗北は必定とみて、分け前を欲しがったのでしょうな。


 ところが、諸国の兵はここで勢いを失います。

 各部隊の将が次々と討ち取られ、混乱に陥っていったのです。

 ザルバン公国の切り札というべき〈王の剣〉の働きによるものでした。


 ザルバン公国には、〈王の剣〉と呼ばれる騎士がいて、国難の際に姿を現し外敵を退ける。

 ただの言い伝えかと思っていましたが、本当にそんな騎士がいたのです。

 いうまでもなく軍団の指揮をする有力騎士は手厚く守られています。

 その警護の騎士たちの剣や槍を魔術じみた動きでかわし、あっという間に目的の騎士に致命傷を負わせて去って行く、黒い鎧の騎士。

 その活動範囲の広さと移動時間の短さから考えて、〈王の剣〉、当時は黒騎士と呼ばれておりましたがね、黒騎士は一人ではなかったのではないかと思えるのですがね。


 けれども、ザルバン公国の抵抗もそこまででした。

 物欲将軍グリゴール・エントラが前線に姿を現し、あれほど手強かった黒騎士をいとも簡単にたたき伏せたのです。

 勢いづいたシンカイ軍は、ついにザルバンの都に侵入し、人という人を殺し始めました。

 騎士を倒しても捕らえようとせず殺し、戦えない民衆も無差別に殺されました。

 ふつう戦争では騎士は捕らえて身代金を取り、民は奴隷にするものです。

 けれどこの場合は違いました。

 この領地と緑炎石に所有権を主張できる者を一人残さず殺し尽くそうとしたのです。

 そのとき、けがを押して黒騎士が再び出陣しましたが、やはり物欲将軍に倒されました。

 黒騎士だけではありません。

 物欲将軍は怪物じみた戦闘力で、ザルバンの軍勢を蹴散らしました。

 巨大剣の一振りで十人の騎士が吹き飛ぶというのですからな。

 最初聞いたときは、どうしてこんなあり得ない話をみんなが本気で信じるのか分かりませんでした。

 ザルバンの君主を始め、王族ことごとくが殺されました。


 このときパルザムの軍はすでにモルドス山系深く進んでいましたが、どちらの味方もしていませんでした。

 ザルバン公国が防衛に成功するようなら、そのまま軍を引くつもりだったのです。

 それどころか、戦争で傷ついたザルバン公国への贈り物にすべく、大量の薬と食料を用意しておりました。

 私も医療救護隊の一員として同行していました。

 少なくともパルザム王とその臣下は、長年にわたるザルバン公国の恩義を忘れていなかったのです。

 かといって、圧倒的に優勢な侵攻軍に正面から戦いを挑む決断はできませんでした。

 というより、はっきり状況もつかめないまま事態はどんどん進んでいたのです。


 当時、パルザム軍の総指揮を執っていたのはライド伯爵バッケンボルグ・シード様でした。

 ライドの街はパルザム王国の中で最もザルバン公国に近く、シード家は王家と縁戚でもあり、王の信頼の厚いかたでした。

 ライド伯は、途切れ途切れに入って来る情報から、もはやザルバン公国の滅亡はまぬがれないと判断し、大胆極まる行動に出ました。


 実は、ザルバン大公エニシリトルグ様はすでに物欲将軍の凶刃にお倒れでしたが、その奥様のトリエンタ様とお子様のスワハルトルグ様は、ザルバンの最後の抵抗拠点となったファロムの街に落ちのびておられたのです。

 ファロムの領主は、ハドル・ゾルアルス伯爵でした。

 おそらく、ハドル様とライド伯は親交がおありだったのではないかと思います。


 スワハルトルグ様はわずか十三歳でしたが、ハドル様が先達となって宣誓を行って騎士となられました。

 そしてスワハルトルグ様は大公位に就くことを宣言なさり、ハドル様がこれを承認なさいました。

 ただちにライド伯はザルバン公国への宣戦を布告されました。

 承諾の文書が発せられ、騎士一名同士による決闘が行われ、パルザムが勝利しました。 

 そしてスワハルトルグ大公と摂政ハドル様はパルザム王国に降伏なさったのです。


 この奇術のようなやり方を、むろん物欲将軍が認めるはずはありません。

 しかしライド伯は弁論の限りを尽くして物欲将軍を論破してゆきました。

 物欲将軍には正式の宣戦布告をしていないという弱みがあり、対してライド伯には大義名分はありましたが、そのやり口は人からみれば火事場泥棒にひとしいものです。

 遅れて到着したパルザム王太子、すなわち先王陛下がライド伯を全面的に支援なさいました。


 諸国の代表も加わり、論戦は混迷の様相を呈し始めました。

 ここで諸国はパルザムの主張を半ば認める態度を取ったのです。

 諸国は、シンカイだけがうまみをすべて持っていくことを恐れたのですな。

 パルザムの主張を認め恩を売ることで、自分たちも取り分を得ようとしたのです。

 また、パルザムは確かに戦争の手続きを踏んでおりましたから、これを認めれば宣戦もせずに他国に攻め入った非道を繕うことができます。


 物欲将軍は結論が長引くのを嫌い、大幅な譲歩をしました。

 その結果、貴重な山々は、侵攻に参加した国のあいだで分けることになりました。

 ザルバンの大公一族は残らず死なねばならぬことになりました。

 生き残ったザルバンの民は、国を捨てて去ることになりました。


 ここでライド伯が強硬に要求を出されました。

 大公位を継いだスワハルトルグ様の死は避けられぬとして、妃であるトリエンタ様は何としてもお助けしたいと思われたのです。

 物欲将軍は、けがれきった大公一族はどうしても滅ぼさねばならないと言ってゆずらなかったそうです。

 しかし、トリエンタ様は大公一族の出ではありません。

 ついに物欲将軍も折れ、奇妙な要求を突き付けて、トリエンタ様の助命に同意しました。

 それは、黒騎士の死とその剣の引き渡しでした。

 黒騎士は宮殿を守って死んだと思われていましたが、大けがをしながらもファロムの街に落ちのびていたのです。


 各国代表の見守るなか、スワハルトルグ大公様は毒の杯でご自害なさり、黒騎士、つまり〈王の剣〉は、自らの喉を斬り裂きました。

 黒騎士の剣は物欲将軍が持ち去りました。


 各国の代表はほっとしていました。

 正直なところ、物欲将軍が素直に山々を分けるとは思っていなかったのですな。

 緑炎石の採れる山々はまるごとシンカイのものにして、採取する権利だけを売るのではないか、と心配していたのです。

 下手をすれば、ザルバン公国時代に得ていただけの緑炎石さえ得られなくなるのではないか、と思ったのです。

 中原の諸国はもっともっと多くの緑炎石が欲しい状況になっていました。

 諸国をザルバンに攻め込ませたのは、緑炎石を得られなくなる恐怖だったのですな。


 山々の配分については物欲将軍は鷹揚でした。

 もっとも、おそらくシンカイの国にとっては、緑炎石はなくてはならないものではなかったはずです。

 自国には山も森もふんだんにあるのですからな。

 こうなってみると、なぜ急にシンカイがザルバン公国に攻め込まねばならなかったかが分からないほどです。


 もちろん狼人などという亜人は発見されませんでした。

 いえ、シンカイは、狼人の集落を発見して全滅させたと言っておるのですがね。

 検分に向かった騎士の話では、見せられた死体はモルドス山系に住んでいた別の亜人だったということです。

 とにかくこうして狼人王の国は滅びました。

 各国の歴史官は、四千二百五十一年にパルザム王国がザルバン公国を滅ぼした、と記録したでしょうな。

 その不名誉と引き換えに、わずかな人々を助けることはできたのです。


 さて、各国代表が去ったあと、血相を変えた物欲将軍が戻って来ました。

 私はそのとき、けが人の手当をしておりましてな。

 この目で物欲将軍を見たのです。


 バルド殿。

 数々の恐ろしい噂は、ただのでたらめではなかったのです。

 あれは人間ではありません。

 身の丈は、そう、ちょうどあなたの倍ほど。

 腰に提げた剣の刃渡りだけでも、あなたの背丈を超えましょう。

 巨人族などというものが、この世にまだあったのかと思わずにはいられませんでした。


 その巨人が、目を血走らせ、真っ白い髪を逆立てて怒っているのです。

 耳が破れるかと思うほどの大声で、物欲将軍は言いました。

 剣はどこにやった。

 あれは偽物だ、と。


 王太子殿下と、バッケンボルグ伯と、ハドル様のお三方が、あの剣は確かに黒騎士が持っていたもので、われらは隠し立てをしていない、と答えました。

 物欲将軍は納得せず、誓いを立てよと言いました。

 手近な神官ということで私が呼ばれ、それぞれの守護神に誓言をしたのです。

 最後に物欲将軍は、お三方にこう誓わせました。


 その剣が、〈ヴァン・フルール〉が見つかったら、必ず物欲将軍に届ける、と。


 4


 バルド殿?

 どうなされた。

 ご気分が悪いのですかな。

 はは、湯あたりですか。

 少し湯から上がって、あずまやで冷たい水でも飲みましょうか。


 さて、どこまでお話ししましたかな。

 そうそう。

 〈ヴァン・フルール〉でしたな。

 いやいや。

 物欲将軍の口からその名が出たときは、耳を疑いましたな。


 〈地を這うものヴァン・フルール〉を知らない者はいないでしょう。

 何しろ有名なおとぎ話です。

 山々を巻き取るほどの大蛇が、狼人王に破れ、しもべとなることを誓って、剣の姿に身を変えた。

 これが魔剣〈地を這うものヴァン・フルール〉です。

 大陸中の子どもが耳にするお話でしょうな。


 あの物欲将軍は、本気でそんな剣が実在すると思っていたのでしょうか。

 そしてそれが狼人王の国、すなわちザルバン公国にあると。

 まったく信じられないことですが、あの剣幕を見た私としては、もしやその剣が欲しいがためにザルバン公国に攻め入ったのではないか、とさえ思えるのですよ。

 いや、ごとを申しましたな。

 そんな妄想のために殺され滅ぼされたとあっては、かの国の騎士と民が浮かばれませんわい。


 さて、これでザルバン公国の滅亡については終わりです。

 そのあと、生き残った民を連れてハドル・ゾルアルス伯爵が辺境に渡り、クラースクの街を作ったのです。

 あなたから、クラースクの発展ぶりをお聞きし、伯のご健在をお聞きして、どうしてもこのお話をしておきたいと思ったのですよ。

 もっとも、これで話が終わりではありません。

 もう一つ、ひどく奇妙な後日譚をお話ししておきたいのです。

 そして、もしもいつかもう一度クラースクに行かれることがあれば、しかるべきかたにこの話をお伝えいただきたいのです。

 下僕たちは下がらせましょう。

 気心の知れた者たちではありますが、さすがにこの話は聞かせられませんのでな。


 5


 ささ。

 もう一杯ワインをどうぞ。


 ああ。

 持ち込んだ食べ物が多すぎるとお思いですか。

 はは。

 これは持っては帰りません。

 余った食べ物は、地に捨ててくださいませんか。

 まあ地べたといっても乳練石ですし、よく湯に洗われていますから、汚いということもありません。


 皿に残った物は、決して下僕たちが手を出してはいけないのです。

 しかし地に捨てた食べかすは、掃除しなければなりませんからな。

 彼らが腰に付けている袋には、木の葉が入っておりましてな。

 その食べかすを包んで腰の袋に入れるのですよ。

 私が今日温泉に来たことを知れば、あの者たちの家族は、うまい食べ物を期待するでしょう。


 はっはっは。

 いやいや。

 わざと残されるには及びませんよ。

 じゅうぶんにお召し上がりになって、それでも残ったら、下に捨ててくださればよいのです。


 それで、お話の続きですがな。

 ゾルアルス卿が民を連れて旅立ったあと、大公妃トリエンタ様は、ライド伯のもとにとどまりました。

 ライド伯が監視するという約定でしたし、ひどく体調を崩しておられたのですな。

 再婚は許されず、死ぬまで城の奥で静かにお暮らしになるはずでした。


 ところが、トリエンタ様は、エニシリトルグ様のお子を宿しておられたのです。

 それが分かったとき、トリエンタ様は生き返ったようにお喜びだったと聞きます。

 ライド伯は困惑なさいました。

 王太子ともご協議なさり、生まれた子が男であったら殺さねばならないが、女であれば死ぬまで幽閉すれば誓いを破ったことにはならないだろう、と結論なさったのです。

 腹の中の子は新たに生まれたのではなく誓約以前に身ごもっていたからです。


 果たして生まれたのは女のお子でした。

 トリエンタ様はささやかな幸せを味わいながらご帰幽になられました。

 この姫のことは秘密にされ、ライド伯の居城の奥深くで静かに暮らすことになったのです。


 そして時が流れ、姫は二十歳になりました。

 母上様に似られたとすれば、大変な美姫にお育ちだったでしょう。

 困ったことが起こりました。

 ライド伯のご長男ツバイボルグ殿が、どうしてもこの姫と結婚したいと言い出したのです。

 ライド伯はなかなか子どもができず、四十歳になって迎えた若い側室にやっと生まれたのがツバイボルグ殿とその弟でした。

 姫が十五歳のとき髪上げの儀が行われたのですが、そのとき見かけて以来、ツバイボルグ殿は姫に恋い焦がれ、やがてひそかに会う間柄になっていたというのです。


 実のところ、結婚は不可能ではありません。

 ただし、絶対に子どもを作ることは許されないのです。

 形ばかりの側室にして済むのならそれでもよいのですが、どうしても正室にしたいというのです。

 これは許すわけにはいきません。

 他の側室から生まれた子でも正室の子として扱われるのですから、周りからみれば姫の子と同じです。

 かの大公家の血を絶やすために幽閉したはずが長男の正室としたのでは、あまりに不誠実なやりようであり、ライド伯の名誉は失われてしまいます。


 しかしどうしても諦めないツバイボルグ殿に、ライド伯は条件を出しました。

 一年のあいだに一万ゲイルを百万ゲイルに増やすことができたら結婚を許す、と。

 ただし、身に着けている物も含め、城の物はいっさい売ってはならない。

 人から金を借りたりもらったりしてもいけない。

 また、ツバイボルグ殿自身は城から一歩も出てはならない。

 ひどいにもほどのある条件ですな。


 騎士としての能力はあっても商売などしたこともないツバイボルグ殿には、この条件で百万ゲイルを得ることはとても無理です。

 ところがツバイボルグ殿には親譲りの戦略の才がありました。

 出入りの商人を呼び出すと、一万ゲイルの半分を与え、知識を買いたいと申し出ました。

 投資についての知識です。

 そしてその場で得た知識に基づいて、残りの半分で投資を命じました。

 むろん、適正な手数料を払ってのことです。

 その投資は成功しました。


 その後、時にはもうけ、時には損をしながら、着実に金を増やしていきました。

 約束の一年が近づくころ、ツバイボルグ殿は、南方の国から来た高級な茶葉を大量に買い込みました。

 非常に高額で売れるもので、それが全部売れたら百万ゲイルを超える金が手元に残るはずでした。

 最後の最後は、人の商売に投資するのでなく、自分自身で商品を買って売ろうとしたのですな。

 宣伝のしかたがうまかったこともあり、茶は飛ぶように売れました。


 ここでライド伯は、いささか卑怯な振る舞いに出ました。

 同じような茶葉を買い込み、ツバイボルグ殿が茶葉を売らせていた店の隣の店で相場より安く売り出させたのです。

 ツバイボルグ殿の茶は、ぴたりと売れなくなりました。


 いよいよ日が迫ってきました。

 ツバイボルグ殿の手元には九十万ゲイルを超えるお金が入ってきていましたが、あと十万足らずの利益を得るのは絶望的でした。

 くだんの商人は自分で買いたかったようですが、これはあらかじめ禁止されておりました。

 そんなとき、姫がおっしゃったのですね。

 残りの茶葉は私が買います、と。

 姫は九万ゲイルを差し出されました。

 それでツバイボルグ殿の持ち金は、ぴったり百万ゲイルになったのです。


 ライド伯は憤慨して、姫に金を渡したのは誰だ、とわめいたそうです。

 姫は金などまったく持っていなかったのです。

 赤ん坊のころから面倒をみてきたのですから、それは間違いないのです。

 だから、誰かが姫に金を渡したに違いないのです。

 でも、家族親族や使用人たちを徹底的に調べても、誰も城主の言いつけには背いていませんでした。

 しかし妙な事件があったことが分かりました。

 ちょうどそのことがある数日前、姫の部屋近くを警護していた兵士がごく短い時間気を失っていたようなのです。

 警護兵を気絶させ誰かが城に入り込んだのではないか、とライド伯は考えました。

 さらに調べると、数か月前にも警備中の兵士が眠りこけていました。

 姫は外部に協力者がいるのではないかと考えたライド伯は、姫に問いただしました。

 すると姫は、ザルバン大公家に恩義のあるというかたからお金を頂きました、と認めたのですな。


 最後の売り上げは無効だ、とライド伯はおっしゃいました。

 ツバイボルグ殿は、こう言ったそうです。

 姫に売った金額は相場通りであり、どこに問題があるのか。

 まったくその通りでした。

 姫がどこから金を得たのかは別の問題です。

 取引自体はまったくルールに反していないのです。

 ライド伯は、城中の人々に茶を買うことを禁じましたが、姫にだけは禁じていませんでした。

 禁じる必要があるなどとは夢にも思っておられなかったからですがね。

 勝負は、ご長男の勝ちでした。


 ついにライド伯は覚悟を決め、二人に祝福を与えて結婚させました。

 そのあとでツバイボルグ殿を廃嫡し、一生子どもを作らないことを誓わせました。

 街の人々には、息子が得た妻は跡継ぎを産むにはふさわしくないため、廃嫡したと知らせました。

 しかしたった数日間とはいえ、姫はいったんライド伯爵家後嗣の正室であったことになります。

 ツバイボルグ殿に万一のことがあったとき姫をわずかでも守るための、ライド伯のご配慮ですな。


 それが去年のことなのですがね。

 バルド殿もライドの街でご宿泊なさったのですな。

 今でもあの街では、この噂がずいぶん盛んなのではありませんかな。

 恋を取って身分を捨てたご長男は領民から慕われ、商売の手腕をめきめきと発揮し始めておるそうですぞ。

 やがてはご次男の補佐として、ご領地の経営を支えていくに違いありませんな。


 え?

 私がどうしてこんなことまで知っているか、不思議ですか。

 ふむ、む。

 私も不思議です。


 たぶんこういうことではないですかな。

 真実は誰かが知っていなければならないのです。

 でないと、いつか事が起きたときに対応できませんからな。

 秘密にしておかなければならないことだけれども、誰かが知っていないといけない。

 その誰かに、たまたま私が選ばれたのでしょう。


 私があなたにこのことをお話しするのもそうなのです。

 誰かが真実を知っていなければならない。

 あなたこそがこれを知るべき人だと、私には感じられたのです。

 さあ、もうずいぶん遅くなりました。

 ひと眠りしませんか。

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