第3話 騎士志願の少年

 1


 思わぬ偶然で古代剣を手に入れたバルドだが、朝食を済ませたころには興奮がすっかり冷めていた。

 明るい陽光の下で見る古代剣は、無骨な安っぽい金属の塊で、色もひどくくすんでいるし、刀身のごつごつしたみみず腫れもそのままである。

 とてもではないが、昨夜神秘的な輝きを放ち、魔獣をたやすく葬った魔剣にはみえない。


 あれは夢だったのだ、とバルドは思うことにした。

 なるほど、これは古代の魔剣、あるいはそれと似たような物だったのかもしれない。

 だが、その力はずっと昔に失われたのだ。

 でなければ、辺境の田舎の村の雑貨屋に、売れ残ってつるされているはずもない。


 昨日は、その残った最後の力を振り絞ってくれたのではなかろうか。

 それで魔獣一匹と野獣三匹を片付けてくれたのだから、まったくよく働いてくれた。

 今はもう、ただの剣もどきそのもので、何の特別な力もあるようにみえない。


 だが、金属としてはなかなか丈夫な品のようだし、当面の護身用としては、棍棒こんぼうよりはるかにましだ。

 振り心地も気に入った。

 腰に提げた感触も、しっくりくる。

 いずれにしても、今度大きな街で剣を手に入れるまでは、これが頼りなのだ。


  いや。

  この剣もどきは、案外使えるわい。

  ちゃんとした剣を買ったところで、宝の持ち腐れだしの。

  当分はこいつを腰に旅を続けることにしようかの。


 今夜は村人が集まって宴会があるので、ぜひもう一泊するよういわれている。

 荷物は持っていけないので、川熊ドウァーヴァの毛皮と肉は置いていく、とバルドが言ったことも、村長の妻の上機嫌に一役買っているかもしれない。

 ただし、魔獣キージェルの毛皮は持って行く。

 革鎧の補強材として、魔獣の毛皮以上のものはない。

 しかも川熊の毛皮だ。

 加工しにくいため奇麗な鎧には仕上がらないが、うまく裁断して鎧の上に貼り付ければ格段に強度を上げることができる。

 いつか大きな街に寄ったとき、仕立てを頼むつもりだ。


 2


 やはり馬車に乗せてもらえばよかったかのう。


 と、バルドは後悔し始めていた。

 村を出るとき、次の村まで送りましょうかと、さんざん言われたのだが、断った。

 壊れた家やら柵やらを直すのに、一人でも人手のいるときだ。

 それなのに、何人もの男たちがけがをしているのだから、このうえ人手を奪うわけにはいかなかった。

 そうでなくても、魔獣の毛皮をはがして洗う作業には、ずいぶん手間をかけさせたのだ。


 荷物を持って徒歩での山越えは、やはり厳しい。

 二日程度の休養では魔獣一匹と川熊三匹と戦った疲れは取れない。

 特に右肩と右肘の痛みはひどい。

 ずっとオーヴァ川沿いに北上すれば、もっと楽な旅だったろう。

 何なら、舟を雇ってもよかった。

 金はあったのだから。


 だが、いかに大いなるオーヴァも、ひと月も続けて見ていれば、飽きる。

 やはり景色が変化に富んでいるのは山だ。

 同じ風景も、坂の途中で見るのと、登りきって見るのでは、まったく違ったりする。

 同じ山に生えている同じ木の葉が、南側と北側では、別物のような色味の差をみせもする。

 一つ一つの山に個性があり、峠を越えるたびに別の風景が待っている。

 とはいえ、さすがに荷物を担いで三日目になると、風景を楽しむ余裕もなくなってきた。


 バルドが、荷物を置いて、ふう、と一息ついたとき。

 前方から物音が聞こえてきた。

 争いの音だ。

 荷物を置いたまま、バルドは走った。


 いた。

 農夫らしい男が、木の槍を武器に、獣と戦っている。

 そばには馬をつないだ荷車があり、少年が上に乗っている。

 獣は縞狸ジエーヴリだ。

 ひどく興奮して、男に飛び掛かろうとしている。

 小さな獣だが、爪も牙も鋭い。

 押さえ損ねて体を攻撃されたら、その威力は馬鹿にならない。

 少年を荷車の上に避難させて、何とか追い払おうと奮闘しているのだ。


 バルドが走り寄るのに気付いた男が、


「あんた!

 武器持ちか。

 助けてくれ!」


 と言った。

 バルドは、態度で返事をした。

 つまり、武器を抜いたのである。

 そして、男の槍に夢中で襲い掛かっている縞狸の後ろから、首に一撃を浴びせた。

 このとき、バルドは、


  もうこの剣もどきは、四日前の夜のような、強力な武器ではなかろうのう。


 と考えていた。

 その通りだった。

 小さな縞狸の首を落とすどころか、悲鳴は上げさせたものの、大けがさえさせてはいない。

 ただのなまくらな鉄の板切れ相応の威力、というべきである。


 だが、それでじゅうぶんだった。

 思わぬ傷を受けた縞狸は、そのまま茂みの中に飛び込み、音をさせながら遠ざかっていった。

 もともと、縞狸にとって人間は大きすぎる獲物だ。

 かなわないとみれば、すぐに逃げ出す。

 野生の獣は、生き延びるための感覚に優れているものなのだ。


「いやあ、あんた。

 助かったよ。

 なんだか、いやにしつこいやつだった。

 この道は、あんまり野獣は出ないんだけどなあ」


 男は、息子を連れて、東の村に野菜を売って帰る途中だったという。

 途中、道端にいた縞狸に、息子が、弁当の残りをやった。

 すると縞狸は、もっとたくさんの餌を得ようと襲い掛かってきたのだ。


 勧められるままに、男の家に泊まらせてもらうことになった。


 3


 男は、山の中に家を建て、妻と息子とともに住み、農業をやっていた。

 自家用には、いろいろな作物を作るが、売るのは青巻菜という野菜だという。

 非常に美味で、栄養豊富なのだが、土地になじまないと、すぐ枯れてしまう。

 だから、不便な土地だが、ここで青巻菜を作って、東の村と西の村に売りに行くということだった。

 バルドは、青巻菜という野菜を見せられ、少し考えてから、


  これは、エガルソシアという薬草ではないかのう。


 と訊いた。


「ああっ、そうそう。

 いつだったか、街に来た薬師の先生が、そんなふうに呼んでたな。

 あんた、物知りだなあ」


 と男は感心した。

 エガルソシアは、臓の腑の働きをよくする。

 体調がすぐれないとき、疲れているとき、エガルソシアは、大きな効果をみせる。

 エガルソシアを食べると、いろいろな食べ物を身の内に取り込む力が強くなる。

 健康増進の万能薬ともいえるのだ。


 だから、どんな病気にも効く薬草だといわれる。

 実際、それ自体が栄養豊富であるうえ副作用がないから、理想的な薬草の一つなのである。

 この薬草をあらゆる治療の基本にする薬師の一派もあるらしい。


 しかも、この薬草は美味だ。

 生でも、煮ても、焼いても、うまいし、熱を通しても薬効は消えない。

 よく陰干しして水気を抜いたものは、煎じて飲めば、生で食べる以上の薬効を現す。

 などと、薬師の老婆から教えられたことを話すと、男と妻は、感心して聞いてくれた。


 エガルソシアのよい所は、それだけではない。

 この薬草の匂いは、野獣たちを遠ざけるのだ。

 なぜそうなのかは分からない。

 今は滅びてしまった太古の神獣に匂いが似ているからだ、という説を唱える学者もいるらしい。


 とにかく、収穫後のエガルソシアの茎をぶつ切りにしてまいておけば、野獣は近寄って来ない。

 茎を湯で煮出した汁を、マントや馬具に染み込ませておけば、旅の途中で野獣に襲われる心配が減る。


「そうだったのか。

 いやあ、こんな山の中にいるのに、この家は野獣に襲われたことがないんだ。

 やっと訳が分かったよ」


 と、男はのんきに笑った。


 4


 結局、二晩、バルドはこの家に泊まった。

 男手のいる仕事はたくさんあり、バルドの滞在は、家族にとってもありがたいものだったようだ。

 また、バルドが教えた知識に基づいて、エガルソシアの茎を煮て、その汁をいろいろな物に染み込ませた。

 バルドも、マントやシャツに、煮汁を染み込ませた。


 夜になると、バルドは話をせがまれた。

 エガルソシアの料理を食べ、自家製酒を飲みながら、バルドは話をした。

 男は交易の話を聞きたがった。

 妻は歴史や伝説の話を聞きたがった。

 息子は騎士の話を聞きたがった。


 息子は、騎士になりたいと思っているようだった。

 男と妻は、息子の夢を壊してしまいたくはないが、その夢の無謀さに気付かせたい様子だった。

 三日目、息子は一人で西の村に野菜を売りに行くことになった。


「お前も、もう十歳になったからな。

 一人でそのくらいのことはできなくちゃならん。

 心配することはない。

 馬に任せておけばいいんだ。

 余分なことはするなよ」


 バルドは、往き道だけ、息子の護衛を頼まれた。

 西の村は、バルドがこれから進む方向になる。


「まあ、流れの騎士のことなんか、いろいろ話してやってくれよ」


 と男は言った。

 つまり、それがいかにつらいことかを息子に教えてやってくれ、ということだ。


 男は、バルドのことを、いちおう騎士とみてくれている。

 これは、ずいぶん好意的な評価だ。

 なにしろ、今のバルドは、馬もないし、騎士らしい格好ではない。

 供も連れず、服は汚れてみすぼらしい。

 まともな剣さえ持たず、なたの出来損ないのような物を腰に吊っている。

 とても騎士にも貴族にもみえないはずだ。


 もっとも、流れの騎士、という場合、正式の叙任を受けない、自称騎士も辺境には多い。

 流れ歩く騎士など、名前も身分も信用できるものではない。

 そして、農民の息子が騎士になろうなどと思えば、自称騎士になるのが関の山なのだ。


 二日目の夜は、バルドが食事を作った。

 青巻菜の、何か変わった料理方法がないかと男が聞いたのが発端だ。

 妻が興味津々で助手を務めた。


 鍋にたっぶりの水を張った。

 川魚の干物をたっぷり入れて、煮立てる。

 干物がじゅうぶんにほぐれたら、湯から上げる。

 取り出した干物は、塩を振って乾かし、鍋で焼けば、しゃれたつまみになる。


 干物のうまみがたっぷり出た湯に、細かく刻んだ青巻菜を入れて、弱火で煮ていく。

 とろとろになるまで煮る。

 そのあと、サッポの絞り汁を入れる。


 家の周りにサッポの木が生えていたが、一家はこの実が食用になるとは知らなかったようだ。

 熟したサッポの実は、赤ん坊の握り拳ほどの大きさだ。

 外の皮をむいて中の白身を絞ると、半透明の白い絞り汁が出る。

 これは、そのままではあまり味がない。

 ところが、熱い湯にこの絞り汁を落とすと、たちまち、まったりしてこくのあるスープが得られる。


 煮崩した青巻菜にサッポの絞り汁を入れれば、だし全体が白濁してふわっと泡立ち、よい香りが立ち上る。

 妻も、いつのまにか近くにいた男も息子も、おおっ、と目を輝かせた。


 いったん、この白いスープだけを飲ませた。

 三人とも、びっくりしておいしがっている。


「うーん。

 うまいっ。

 青巻菜がこんな味になるとはなあ。

 驚いたよ。

 この作り方を教えてやったら、村のやつらも喜ぶだろう」


 と言う男に、


  ここからが本番じゃて。


 とバルドは言い、山菜や山鳥の肉を、大胆に鍋に落としていく。

 しばらくして具が煮え上がり、バルドが、


  さあ、あとは自由に取って食べるとしようかの。


 というと、皆順番に料理を取って食べ始めた。

 この料理は、一家にとってまったく新しい料理だったようで、大変に喜ばれた。


「この料理は、いろいろ具を変えて作れそうだなあ。

 いやあ。

 いい勉強になったよ」


 バルドの椀には何度も自家製酒がつがれ、楽しくにぎやかな夜となった。


 5


 がたごと、がたごと。

 音を立てて荷車が行く。

 馬は自分のペースで、ゆっくりと荷車を引いている。

 馬の手綱を持つのは十歳の少年だ。


 道は湾曲し、でこぼこしている。

 車輪が盛り上がった土や石に邪魔されれば、馬は器用に体をゆすり、時には左右に、時には前後に針路を操り、見事に荷車を引っ張っている。

 少年は、その邪魔をしないように、手綱を持って歩いているだけである。


 格別によい天気だ。

 木々の葉を抜けて落ちる日の光が、バルドと少年と馬と荷車を、きらきら照らしている。

 吹き抜ける風もさわやかで、旅にはこれ以上ない日よりだ。

 荷物は荷馬車に放り上げ、腰に剣を吊っただけのバルドも、腰の痛みもなく、軽々と歩いている。


 少年は、ひっきりなしに質問をしてくる。

 騎士の修行についての話だ。

 それが段々と、どうやったら騎士になれるか、という話になってきた。


「農民の息子が騎士になるなんて、無理なのかなあ」


  難しいのう。


「おじいさんの家は、騎士の家だったの?」


  騎士ではなかったが、父は郷士じゃったからの。

  剣も持っておった。


 これは、ほとんど嘘に近い。

 なるほどバルドの父は郷士だったかもしれないが、暮らしは農民そのものだった。

 また、剣を所有していたのは事実だが、父がそれを持つのを見たことはない。


「でも、農民が騎士になることもあるって聞いたよ」


  うむ。

  騎士の家で跡継ぎがないときは、健康で利口な農民の子を養子にして騎士にすることもある。

  じゃが、そんなことはめったにはないのう。


「貴族様のお城に行ったら、剣を教えてくれるかなあ」


  城に行っても農民の子は下働きしかさせてもらえんよ。

  騎士の訓練には、長い長い時間がかかる。

  装備を調えるのにはお金もかかる。

  訓練をすれば、その時間は仕事ができん。

  仕事をしない者に、食べ物や装備を与えて訓練をさせてくれる貴族など、まずおらん。


「修行には何年もかかるんだよね」


  うむ。

  ちゃんとした修行をするには、七年から十年ぐらいかかるな。


「そんなにっ?」


  そうじゃ。

  それだけのあいだ、ろくに仕事をしない者を食べさせて訓練させるのじゃな。


「ぼく、訓練しながら、仕事も一生懸命やるよ」


  誰でもそうじゃ。

  下働きが一日かかる仕事を、従卒は半日で済ませる。

  その残りの時間で訓練するのじゃ。

  それにな。

  修行ができたとして、騎士になったら、馬も剣も鎧も買わねばならん。


「剣って高いの?」


  高いぞ。


「一万ポロゲイルぐらい?」


  はっはっはっ。

  一万ポロゲイルはよかったの。

  百ポロゲイルが一ゲイルじゃから、一万ポロゲイルというと、百ゲイルか。

  足りんのう。

  青銅の剣でも、五千ゲイルはする。

  騎士が使うまともな鋼鉄の剣なら、安くても二万ゲイルはするぞ。


「二万ゲイル!

 そんな夢みたいなお金、うちにはないよ」


  最低でもそうじゃ。

  剣だけではどうにもならんぞ。

  他にいろいろ装備もそろえねばならん。


「貴族様が貸してくれないかな。

 ぼく、働いて返すよ」


  働くというて、何をする?


「え?

 お城で仕事をしたり、悪い人をやっつけたりするんでしょう。

 それが騎士のお仕事じゃないの?」


  城勤めの騎士というのはある。

  しかし、そういう仕事はもうやっておる者がおるじゃろうな。


「でも、強い騎士になったら、雇ってもらえるよね」


  そうじゃ。

  ただし、戦いのときだけじゃ。


「戦いのときだけ?」


  うむ。

  貴族同士が戦をしたり、大きな盗賊団を討伐したり、野獣が大発生したときには、戦える者を雇う。

  城勤めできない騎士や兵士は、そういう所に行って働く。

  働くというのは、人や獣を殺すことじゃ」


「人を殺す?」


  人を殺すときにだけ、流れの騎士は雇われる。

  戦が終わったら、また次の仕事を探さねばならん。

  流れの騎士は、そうやってあちこちで人を殺しながら生きていくのじゃ。


 少年は、黙り込んでしまった。

 うつむいて、とぼとぼ歩きながら、考え事をしているようだ。


 天気は良く、旅には絶好の日よりだ。

 肩も腰も痛まない。

 だが、少し胸が痛んだ。


 6


 がたごと、がたごと。

 音を立てながら荷馬車が進む。


 しばらく前から、少年は黙り込んでいる。

 騎士になることの難しさと、騎士になってからの厳しさを突きつけられ、呆然ぼうぜんとしているのだろう。


 農民の子が騎士になることを望むなど、無理なことではある。

 だが、それはバルド自身が通ってきた道と、どう違うのか。


 そういえば、この少年は十歳といったはずだ。

 バルドが、流れの騎士に剣を学んだのが、やはり十歳だった。


 7


 バルドの父は、郷士だった。

 どこかの貴族の血筋であり、城勤めをしていたこともあったらしい。

 と、母から聞いた。

 父自身は、自分が武士だと言ったことはない。

 だが、父は鋼鉄の剣を持っていた。

 それを振る姿は見たことがないが、鋼鉄の剣は騎士以外はめったに持てないもののはずだ。

 また、教養も高く、息子にも読み書きや計算を教え、歴史の知識なども語った。

 村人たちも、父の知識や判断力を頼りにして、何かのときには相談した。

 一家は、村から少し離れた山の中でほそぼそと農業と狩猟をしていた。

 暮らしぶりは村人と変わらなかったが、郷士の家だと皆からみられた。


 あるとき、一人の流れ騎士が家にやってきて居着いた。

 少年の日のバルドは、騎士になりたかったが、それを父には言い出せずにいた。

 ある日、流れの騎士に、剣を教えてほしい、と頼んだ。


「お父さんがいいと言ったら教えよう」


 と流れの騎士は言った。

 それから一週間かけて父を説得し、剣の稽古が始まった。

 その修行は、バルドの思っていたものとは、まるで違っていた。


 朝のあいだは、まき割り、水汲みその他、決められた家の仕事を素早く済ませる。

 それから、野山を走る。

 くたくたになって帰ってきたところで、剣の修行が始まる。

 ただし剣は握らせてももらえない。

 流れの騎士が剣を振る姿を見るだけである。

 流れの騎士は、腰に着ける下着以外を脱いで裸になった。

 裸になって、剣を振るのである。


 流れの騎士は、鋼鉄の剣を持っており、それを両手でふるった。


「騎士は手綱か盾を持つから、騎士の剣は片手で使うのが基本だ。

 騎士が修得しなくてはならん武芸の中には両手剣もあるが、それは鎧の上からたたいて相手を失神させるような大型の剣だ。

 俺がお前に教える剣術は、騎士の基本課程にはないものだ。

 だが、剣を用いる技の中では最も高度に完成されたもので、最も応用が利く」


 そう言いながら、剣を振ってみせた。

 最初は上から下にまっすぐ振り下ろすだけである。

 それを前後左右いろいろな方向から見るようにいわれた。

 剣の動きだけでなく、手や足や、その筋肉や筋がどう動いているかを見極めるようにいわれた。

 いつでも剣を振る姿が頭の中で思い浮かべられるように、その目に動きを焼き付けろ、といわれた。

 上から下への振り下ろしという単調な技だけを、流れの騎士は一週間続けた。

 次の一週間は、右上からの振り下ろしだけを見せられた。

 単調な修行は続いた。


 左上からの振り下ろし。

 横からのなぎ払い。

 斜め下からの切り上げ。

 突き。


 ただ見るだけの修行だ。

 だが、飽きなかった。

 飽きるどころか、見れば見るほど面白かった。

 じっと見ているうちに、どこで呼吸をし、どこに力を入れているかが分かるような気がしてきた。

 似たような動作でも、力の入れ方が違うと、まるで違う技になる。

 呼吸の速さや鋭さ、踏み込みの強さによって、技の中身が違ってくる。

 振られた剣に気を取られてしまうと、それは見えない。

 技は、振られた剣にではなく、振る人間に、振る人間の思いの込め方にある。

 思いの込め方から生まれる、微妙な体重移動や呼吸や筋肉の動きに、技の秘密がある。


 流れの騎士は、弓も教えてくれた。

 子ども用にと、小さく張りの弱い弓を作ってくれた。

 修行の方法は無茶なものだった。

 川を泳ぐ魚を狙うのである。

 当たるわけがない。


「素早く動くものを武器で狙うとき、二つの方法がある。

 一つは、相手の動きを予測して、相手が動く先を狙って攻撃する。

 もう一つは、相手の動きなど問題にならないほど速い攻撃をする」


 などと流れの騎士はいうが、水の中の魚の速さは異常である。

 速さで圧倒することは不可能だ。

 かといって、予測して射ても当たらない。

 何しろ、矢が水面に入ってから向きを変え、かわしてしまうのである。


 だが、流れの騎士は、ちゃんと魚を射た。

 子ども用と同じ弓と矢を使ってそれをやるのだから、文句がいえない。

 同じ弓矢なのに、流れの騎士のそれは、非常に速く飛んだ。

 まねしようとして強く引き絞ると、弓が壊れたり、つるが切れたりした。


 流れの騎士は、見本は見せてくれたが、説明はしてくれなかった。

 どうすれば同じ弓矢であの速度が出せるのか、自分で考え工夫するしかなかった。

 いろいろと試すうちに、弦の張り方は強ければよいというものではないことを知った。

 弓のしなりを生かす張り方をすることが大切なのだ。


 ごくまれに、当たることがあった。

 狙いどおりに射てなかったとき、魚が思いもよらない動きをして当たるのだ。


「こちらは魚に矢を当てようと思っている。

 魚は矢に当たらないようにしようと思っている。

 これでは当たるわけがないな」


 と流れの騎士は言った。

 魚が矢に当たろうとするわけがないじゃないか、と思った。

 いや待て。

 では、魚は、どうしようと思っているのか。

 当てることに必死で、魚の思惑や都合は考えていなかった。


 魚を観察した。

 今まで大きさや速さしか気にしていなかったが、魚にもいろいろある。

 流れに逆らって泳ぐのが好きな魚。

 流れに乗って泳ぐのが好きな魚。

 行動範囲の狭い魚と広い魚。

 澄んだ水の好きな魚と、濁った水の好きな魚。


 魚は水の中で自由自在に泳ぎ回っていると思ったが、そうでもない。

 特に、緊急の場合にどういう行動を取るかは、種類ごとにある程度決まっている。

 水の流れが急な川の場合、なおさら反応は限られている。

 近くに岩があったり流れの速さが変わる場所でそんな動きをすれば、その次どうなるか予測できる場合もある。


 そういえば、流れの騎士は、弓を持ってもしばらく構えないことがある。

 構えてもしばらく狙いをつけないことがある。

 狙いをつけても射つまでずいぶん待つことがある。

 あれは、何を待っているのか。


 やがて魚に矢が当たるようになった。

 魚にこちらが望むような反応をさせて、矢に当たりにこさせるようにしていったのである。

 それが可能な場所とタイミングを探した。

 当たるようになると不思議なもので、あまり考えなくてもどんどん当たるようになった。


 剣技の修行も進み、流れの騎士は、連続技を見せてくれるようになった。

 振り下ろしから振り上げへの変化。

 斬りつけから突きへの変化。

 単純なもの同士を組み合わせると、驚くほどの変化があった。


「剣を一回振るのにも、力も使うし時間も使う。

 ただの一振りも無駄にするな。

 振り終わったときの体の態勢や剣先の位置を、次の動作に利用せよ。

 空振りでも、相手の動きを封じたり、こちらに都合のいい位置に移動させられれば、むだにはならん」


 流れの騎士が見せる動きは、より速く、より高度なものになっていった。

 たいていは素振りだけを見せられたが、五回だけ物を切るのを見せられた。

 最初は木の枝だった。

 次はかなり太い木の幹だった。

 次は川の上を飛ぶ鳥だった。

 次は水の上に浮かぶ羽毛だった。

 最後は見たのかどうかいまだによく分からないが、流れの騎士は、「今から空を斬ってみせる」と言い、何もない虚空を切った。


 バルドは十歳になり、剣の修行は丸一年が過ぎようとしていた。

 ある日、流れの騎士は、剣を持たせてくれた。


 驚喜した。

 絶対に誰にもさわらせない剣だ。

 これを持つことを許され、しかも振ることを許されるというそのことが、バルドをどうみてくれているかをあらわしている。


 振った。

 一番の基本である、真上から真下への振り下ろしをした。

 心に焼き付けた通り振ろうとしたが、剣が重すぎた。

 ふらついてしまったが、流れの騎士は、


「ふむ。

 だいぶ足腰がしっかりしてきたな。

 肉や筋の動かし方も、だいたいよい。

 この分なら、いずれ正しく剣を振れるようになるだろう」


 と、珍しく賞めてくれた。

 次の日、流れの騎士はいなくなった。

 再び旅に出たのである。


 8


 バルドは、一人で修行を続けた。

 といっても、もう流れの騎士が剣を振る姿を見ることはできない。

 木切れを振って、心の中に焼き付けたそれを再現しようと努めた。

 走る鍛錬も続けた。


 ある日、バルドの人生を決定づける出来事が起きた。


 川で射た魚を持って帰る途中、悲鳴が聞こえた。

 河原で川熊に追われて走っている男がいた。

 川熊の走る速度は人間の大人より遅い。

 だいぶ距離も開いていたし、そのまま逃げれば逃げ切れたかもしれない。

 しかし、疲れていたのか、あわてていたのか、男は木に登った。


 木登りは、川熊の得意とするところである。

 バルドがいる場所は、河原より高い位置にある山道だ。

 駆け下りるのも時間が掛かるし、そもそも十歳の子どもが近寄っても、何もできない。

 弓矢は持っている。

 しかし、弓は小さいし、イラゼイの茎を切って、先をとがらせ、尻を割って鳥の羽を差し込んだだけの矢だ。

 遠く離れた川熊には当たらないし、当たっても羽虫がぶつかったほどにしか感じないだろう。


 石を拾い、腰に巻いた紐をスリング代わりに使って、熊に投げつけた。

 一投目、二投目と外した。

 ちょうど熊が木に登りかけて動きをとめたため、三投目で命中した。

 熊がバルドのほうを見た。

 攻撃目標を変えて、こちらにやって来る。


 バルドは、木の上の男に、手振りで逃げろと伝えた。

 熊が坂の下に来た。

 バルドは、ソイ笹に結わえた十数匹の魚を、熊に向かって投げた。

 熊は目の前に突然降ってきた食べ物を食べ始めた。


 バルドは、急いで紐を腰に巻いて逃げた。

 少し走って振り返ると、男も反対方向に逃げている。

 結局家まで走り続けた。


 翌日、パクラ領主テルシア家の騎士と名乗る男が、バルドの家に来た。

 昨日助けた男は、パクラ領主の使用人だった。

 バルドの父親としばらく話し合っていた騎士は、バルドに感謝の言葉を述べ、褒美の金子を与えてから、


「君は、ご領主エルゼラ・テルシア様のお城で働いてみたいかね」


 といた。

 テルシア家の城は、給金も良く、食べ物もちゃんと食べられる。

 村の誰もが憧れる職場だ。

 バルドは、はい、と答えた。


 そのまま騎士に連れられて城に行った。

 住み込みで働き、一月に一日休みがもらえる。


 十歳の子どもの仕事は限られている。

 バルドの仕事は、なんと、小姓だった。

 農民の子が小姓に取り立てられるなど、めったにない。

 三日目、当主のエルゼラが突然に、


「お前は、武芸の稽古をしたいか」


 と訊いた。

 バルドは、はい、と答えた。


「明日、従卒たちの訓練に参加してみなさい」


 と、エルゼラは言った。

 従卒の仕事は騎士の身の回りの世話をすることだから、小姓と重複する部分も多い。

 しかし、この二つはまったく違う。

 小姓は武器にはさわらないしさわれないが、従卒は、あるじの武器の手入れをする。

 小姓は侍従の見習いであり、従卒は騎士の見習いなのである。


 テルシア家では、将来騎士になる見込みのない人間も、適性と希望によっては従卒とした。

 武器の使い方や戦い方を覚え、兵士として働ければよいという考え方である。

 ゆえにテルシア家の兵士は極めて質が高い。


 翌日、バルドは、朝早く起き、先輩にまじって、水汲みと掃除をし、それから走った。

 城の近くの山道を、ぐるぐると走るのである。

 大勢の従卒がいて、みな年上だった。

 最年長は、十八歳だった。

 バルドは、十八歳の従卒にまったく遅れずに走り抜いた。


 そのあと、模擬剣と木盾を使った素振りの訓練に参加した。

 盾を持ったのも初めてなら、片手で剣を振るのも初めてである。

 しかも今までは木切れを振っていたのだ。


 皆がぶんぶんと音を立てて模擬剣を振るのをみて、武者震いがでた。

 始めに先輩が見本を見せてくれた。

 振り回してはいるが、何かを斬る振り方ではない、と思った。

 流れの騎士から、「騎士の剣は斬るというより振り回して打つのが基本だ」とは教えられたが、この剣は斬る振り方ができるのにと思った。

 不思議なことに、模擬剣を持ったとき、自分がこの剣をどう振りたいか、はっきりした姿が浮かんでいた。

 だが、なかなか心で思う通りには振れなかった。

 七日目に、やっとしっかりした剣筋がつかめた気がした。

 その日の夜、バルドは、


「お前は明日から殿様の従卒となる」


 と言われた。

 テルシアの城では、従卒は交替で騎士たちの担当を務める。

 だから、特定の騎士の専属従卒となることは、ひどく例外的な扱いなのである。

 しかも、当主たるエルゼラの専従だ。

 周りの嫉妬は大変なものになった。


 その嫉妬は、数日で半減した。

 エルゼラの訓練の、あまりの厳しさに。

 だが、それこそがバルドの望むところだった。


 最初にあいさつしたとき、エルゼラは、剣を誰に教わったかと訊いた。

 バルドは、父の友人の騎士に教わりました、と答えた。


「お前は、よい師を持った」


 そう言われ、バルドは無性にうれしかった。


 テルシアの城では、若い者がしっかり成長するように、食事をたっぷり与えてくれた。

 もともとバルドの両親は食べ物の不自由だけはさせなかったから、バルドは庶民の子どもと思えないほど栄養状態がよく、すくすく育っていた。

 鍛錬が進むにしたがい、バルドは大きく、強くなっていった。


 9


 四年後、バルドは従騎士になり、さらに三年後、騎士見習いになった。

 テルシア家では、こうした階梯について非常に厳格だった。

 大陸中央では、従卒からいきなり騎士見習いになることが多く、いったん騎士の誓いを立ててから、有力な騎士の元で従騎士として経験を積むのが普通らしい。

 当然、修行の年限は少なくなる。


 辺境でも、いいかげんな慣行はある。

 ろくな修行もせず、他家の有力な騎士に弟子入りして騎士見習いとなり、二年や三年の形ばかりの修行をすませて騎士の誓いを立てる者も少なくない。


 テルシア家にも、ときどき騎士見習いを受け入れてほしい、という要望がある。

 家を継げない次男以下がやって来る。

 テルシア家で騎士の修行をしたという触れ込みなら、養子の口も増えるからである。

 だが、二か月以上もつ者は少ない。


 二十歳のとき、つまりテルシアの城に入ってから十年目、バルドは騎士の誓いを行った。

 驚いたことに、導き手、つまり先達はエルゼラ自身が務めてくれた。

 誓いの儀式で先達を務めてくれた者を忠誠の相手にすることはできない習わしである。

 だから、どこの家でも、当主自身は先達をしない。

 誰か代理の者に先達をさせる。

 そして、新しい騎士は当主への忠誠を誓うのである。

 そのエルゼラ自身が先達をしてくれるとすると、バルドはいったい誰に忠誠を誓えばよいのか。


 エルゼラに先導され、誓いの儀式が始まった。

 そしてその時がやって来た。


「なんじ騎士たらんとする者よ。

 その忠誠は誰人たれひとに捧ぐや」


 その質問に対して、わが忠誠は人民に捧ぐ、と答えたのである。

 それから長い時が流れ、今やバルドは、老いて死出の旅にある。

 だがあのときの誓いは、今も失われていない。

 誓いを守るための剣も盾も、手放してしまったが。


  いや、そうではなかった。

  わしにはお前がおったのう。


 バルドは、左手で、腰に吊った剣のさやをなでた。

 老馬スタボロスの革で作った鞘は、やや無骨な造りである。

 しかし、その革の感触は、この上なく力強い。

 ゲルカストの戦士エングダルによる縫い目は、毅然とした美しい文様を描いている。

 中に入ってるのは、鉈もどきの剣とはいえ、心強い相棒である。


  スタボロスよ。

  ともに戦おうぞ。

  わしが死ぬ日まで、よろしく頼むぞ。


 そう小さく口に出して、バルドは剣の入った鞘を叩いた。

 鞘から不思議なぬくもりが湧いてきたような気がした。


 10


 もう西の村も近い所で、後ろから馬車が来た。

 乗っていたのは西の村の村長と娘で、屈強な若者が二人付いていた。

 東の村に行った帰りらしい。

 こちらの荷車は速度が遅いので、先に行ってもらいたいのだが、すれ違える場所がない。


「もう遠くないから、このまま進めばええ。

 気にせずゆっくり行け。

 その野菜は、皆が楽しみにしとるんじゃ」


 と村長が言ってくれたので、そのまま進むことにした。

 少年は、村長の娘のほうをちらちら見ながら、赤い顔をしている。

 娘のほうでも、少年に話しかけていたから、顔見知りなのだろう。

 村が見えてきたとき、村長の馬車に後ろから襲い掛かってきた獣があった。


「うわわわっ。

 ま、まさかっ。

 ま、魔獣か!?」


 若者が叫んでいる。

 バルドが荷車の後ろに回りこんだときには、二人の若者は倒れており、岩鹿コルアジエの魔獣が馬に突きかかっていた。


  さっそく出番がきたようじゃの、スタボロス。

  ゆくぞ!


 そう念じながら左手で鞘を押さえ、右手で剣もどきを抜いた。

 剣は、あの不思議な燐光を発していた。


  うむっ!

  ありがたい!


 バルドは、太古の魔剣が最後の霊力を振り絞ってくれたことに感謝しつつ、魔獣の首をいだ。

 どんな武器をもってしても、容易には傷つけられないはずのその首は、一撃で切れ飛び、宙を舞った。

 けいれんする魔獣の四肢に気を付けながら、バルドは倒れている若者二人の様子をみた。

 幸い、命に別状はなく、傷は深くない。

 ほっとしながら振り返ると、きらきらした少年の目がそこにあった。


 「やっぱり。

 やっぱり、騎士って、すごいや!

 ぼく、絶対騎士になる。

 人を斬る騎士じゃなくて、野獣を斬る騎士になる。

 みんなを守る騎士になるんだ!」


  しもうた。

  騎士への道を諦めさせるどころか、あおってしもうたようじゃの。

  ううむ。

  おやじ殿、すまん。

  説得は失敗じゃ。

  考えてみれば、わしはこの役回りに不向きであったわ。


 相変わらず上天気だ。

 思いっきり動いてしまったから、たぶん夜には腰が痛むだろう。

 緊張の反動か、ひどく体がだるい。

 若いときはこんなことはなかったのだが、年寄りなのだから致し方ない。

 だが気分はよかった。

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