第17話 緊張を解くお呪い

 三日後の放課後。


「よし、準備は良いか、御影みかげ


 俊平しゅんぺいは「深層しんそう文学部ぶんげいぶ」の部室にて、繭加まゆかに対して最終確認を行っていた。

 あれから綿密な作戦会議と脚本作りを重ね、役者に選ばれた繭加はそれらを必死に頭に叩きこんだ。最初の方こそ演技に自信が無いと言っていた繭加であったが、蓋を開けてみればこれがなかなかの演技派女優であった。特に演劇の類に関わっていた経験は無いとのことなので、ある種の才能なのだろう。


「だ、だ、大丈夫ですよ。アイザック先輩」

「……誰だ、そいつは」


 今朝、様子を伺った際には平静を保っていた繭加だったが、今はあからさまに落ち着きがなく、小刻みに震えながら明後日の方向を見つめている。


 ――うん。やっぱり駄目かもしれない、こいつ。


 俊平は短い溜息をつき、引きつった笑みを浮かべる。繭加が本番の緊張に弱いタイプだということが判明した瞬間だった。


「練習通りにやれば大丈夫だって。俺や朱里あかりちゃんも近くに待機して、いざとなったらフォローするからさ」

「そうだよ繭加ちゃん。私たちが付いてる」


 主演女優を安心させるため、俊平と朱里が精一杯の励ましの言葉を送る。いざとなったら出て行くというのは気休めではなく、元々そういう計画でもある。


「イメージもしっかり出来てますし、二人の存在はとても心強いです……でも、緊張だけはどうにもなりません」


 ――むしろダークサイドを知る目的で、相手に話を聞いたりすることの方が緊張しそうなものだが、よく今までやってこれたな。


 これ以上刺激すると繭加がどうにかなってしまいそうなので口には出さなかったが、俊平は内心そんなことを考えていた。


藍沢あいざわ先輩、私の緊張をどうにかしてください!」

「いや、そう言われてもな」


 繭加の無茶振りに俊平はうろたえる。人一人の緊張を和らげるというのはそう簡単なものではない。


「俊平先輩、いっそ、キスでもしてみたらどうですか? ショック療法で緊張が吹き飛ぶかもしれません」

「突然何言っちゃってるの、朱里ちゃん?」


 眼鏡美少女が屈託の無い笑顔で発した爆弾発言に、俊平は目を丸くする。まさか本気ではないだろうが、冗談でもそんな大胆な発言をするタイプだとは思っていなかった。


「冗談ですよ冗談、それとも私とします?」

「それこそ突然何言っちゃってるの?」

「冗談です」


 朱里は口角を上げて、小悪魔チックに微笑む。


 ――第一印象とは何だったのか……。


 高梨たかなし朱里あかりという女の子は意外と油断ならない相手なのではと、俊平は認識を改めつつあった。


「御影、ちょっと来い」


 俊平は手招きし、繭加を自分の側に呼び寄せる。もちろんキスなんてしないが、朱里の発した「ショック療法」という言葉は参考になった。求められた以上、繭加の緊張を解く努力はしておくべきだろう。


「緊張を解くお呪いを教えてやる」

「本当ですか!」

「ああ、これはよく効くぞ。前髪を上げておでこを出してみろ」

「こうですか?」


 繭加は素直に従い、右手で前髪をかき上げておでこを露わにする。

 俊平は繭加のおでこに右手を近づけると、


「痛い!」


 繭加のおでこに、俊平が勢い良く放ったデコピンが直撃する。


「何するんですか! 藍沢先輩」


 おでこを抑えた繭加が涙目で俊平に抗議する。女の子である繭加に対してでも俊平のデコピンは容赦が無く、繭加の額には赤く痕が残っている。


「ほら、緊張なんで吹っ飛んだろ?」

「それはそうかもしれませんが、いきなり女の子にデコピンはないと思いますよ! そもそもお呪いと言いながら、めちゃくちゃ物理的じゃないですか!」

「大丈夫だ。俺は女性に優しいから、お前以外の女の子にはそんな真似はしない」

「だったら私にもやらないでくださいよ」

「気にするな、特別扱いだ」

「嫌ですよこんな特別扱い」

「もう一発お見舞いしようか? もっと緊張が消えるぜ」

「その時は華麗に回避し、カウンターで藍沢先輩にデコピンします」

「よし、その口ぶりなら緊張はもう大丈夫そうだな」


 怒りのあまり饒舌になった繭加を見て、俊平は狙い通りの展開に白い歯を覗かせる。気を紛らわせるためには別のことに意識を向けさせることが有効だ。この場合はデコピンによる痛みと俊平に対する怒りがそれにあたる。


「……緊張は確かに無くなりましたね。その代わり相沢先輩に対する怒りの感情がふつふつと湧き上がってきましたが」

「その怒りを糧に頑張ってこい、俺は逃げも隠れもしない」

「カッコいいです、俊平先輩」


 どこまで本気かは定かではないが、朱里は熱い拍手で俊平を称える。


「ここが正念場だぞ」

「心得てます」

「よし、出発するぞ。御影、朱里ちゃん」

「はい!」

「了解です」


 覚悟も決まり、桜木さくらぎ志保しほに接触するために三人は部室を後にした。

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