5、夜

第109話 目覚め

 メレンケリは夢を見ていた。


 そこは湿っぽい場所で、僅かな明かりによって辺りが見えるような場所だった。

 メレンケリはそこに一人で立っていたが、暗闇に目が慣れてくると、少し離れたところにメデゥーサが優しい微笑みを浮かべて立っているに気が付いた。

「ひいおばあ様……」

 しかし、メレンケリが近づこうとすると、その顔は不敵な笑みに代わり、皮膚には蛇の模様が浮き上がった。

「……っ!」

 恐ろしくなって後ずさりすると、メデゥーサはそのたびにメレンケリとの距離を詰めてくる。近づくでもなく、離れもしない。

 永遠につかず離れずを繰り返すのかと恐れた時、メデゥーサとメレンケリの間に白い光を纏った人が現れた。その人は白い制服を着ていて、メレンケリに広い背を向け、メデゥーサと対峙する。彼は何かを言い放ったが、メレンケリには聞こえなかった。ただ、メデゥーサには彼の言ったことが聞こえているらしく、彼女は不敵な笑みを浮かべると、「また、会おう」と言ってその場から立ち去った。


 メデゥーサが立ち去ると、メレンケリはほっとしてその場に座り込む。するとその人は、彼女の方を向いて同じ目線になった。だが、顔が見えない。何かを言っているようだが、それも聞こえない。

(ごめんなさい。あなたの言っていることが私には聞こえないの……)

 困ったような表情で呟くと、その人はゆっくりとメレンケリに近づき、力強い腕で優しく抱きしめてくれた。まるで、安心していい、と言っているかのようだった。


(あなたは、誰……?)


 遠のく意識の中で、メレンケリは尋ねた。

 しかし、その人は彼女の問いには答えず、いつの間にか暗闇に消えていた。



 メレンケリはゆっくりと瞼を開く。暗がりの中ですぐに視界に入ったのは、見たことのない綺麗な人だった。彼女は目覚めたメレンケリの顔を見るなり嬉しそうに笑う。


「あ、起きた。すまないが、お医者さまとクディルさんを呼んで来てくれるか」

「はい、畏まりました」

 その人は近くにいた使用人にてきぱきと指示をすると、部屋に明かりを灯し、メレンケリの顔を覗き込む。


「体はどうだ?辛くないか?」


 綺麗な顔立ちに似つかわしくない口調で、その人は尋ねた。メレンケリは何故自分の体調について聞くのかよく分からなかったのだが、布団に入った腕を出してみると包帯が巻かれていた。しかも両腕である。

「……」

 目覚めたばかりのメレンケリは、自分の状況がよく分かっていなかった。何か頭の中で引っかかっているのだが、思い出せない。それ故に、質問には答えず別のことを尋ねた。


「……ここは?」

 虚ろな目で尋ねるメレンケリに、その人は答えてくれた。

「あなたの部屋だよ」

(……私の部屋?)

 メレンケリは起き上がろうとすると、上手く体に力が入らない。腕の怪我もそうだが、なぜこうなってしまったのだろうと思いを巡らせたとき、急に先ほどまでの記憶が蘇ってくる。


――メデゥーサ・アージェは大蛇だった。


 そのことを思い出し、メレンケリは目を見開いて叫んだ。


「……だ、大蛇!大蛇が!」


 曾祖母の姿をしたあれは、やはり大蛇そのものだった。自分は、石にできるチャンスがあったにもかかわらず、それをしなかったせいで、一人の命を大蛇から奪われることになってしまった。

 メデゥーサに「一人の娘の命が奪われた」と言われたとき、メレンケリは心の底から後悔していた。

「私のせい!私のせいで一人の命を奪ってしまった!」


 メレンケリは表情を苦悩に歪ませた。彼女はぎこちなくではあるが、手で顔を覆うと、今度は爪を立てて自身の顔を傷つけようとする。すると傍にいた綺麗な人が、唐突に彼女の腕をどかせて抱きしめた。


「⁉」


 メレンケリは急なことで驚き、どうしたらいいのか硬直していると、その人は耳元で優しく言った。


「大蛇なら、一度去った。だから大丈夫。それに、あなた方が来てから誰も大蛇に命を奪われていない」

 メレンケリは涙を浮かべた瞳を揺らした。

「それは……どういう、こと、ですか?」

 ローシェは動揺しているメレンケリが理解できるように、ゆっくりと話した。

「落ち着いてきいてね。どうやら大蛇は、血を吸おうと思ってここの使用人を確保しておいたらしい。あなたの部屋にある風呂場から、使用人が発見されたんだけど、眠らされていただけだった。今は手当もしているし、命に別状はなかったから安心していいよ」

 メレンケリはゆっくりと口を開き、震える唇で尋ねた。

「本当に……、その方は無事なのですか?」

「ああ、本当だ」

「本当に、本当ですか?」

「本当だよ」

「よかった……」

 メレンケリのほっとしたような言葉を聞き、その人は彼女から離れ、近くにあった椅子に座った。

「落ち着いた?」

 メレンケリはこくりと頷く。そして自分を抱きしめてくれた人を、まじまじと見つめた。


「……そういえば、あなたは誰ですか?」

「私?私はローシェ。ローシェ・ルイリア。一応、身分を明かすと、この国の侯爵令嬢だ」

「……侯爵、令嬢……様が、何故、私の……部屋に?」

「それは私がグイファスの友達だからだ」

「……?」

 

 メレンケリはよく分からない、と目で訴えた。グイファスとは友達だとしても、メレンケリにとっては見ず知らずの人である。その人がどうして自分の部屋にいて、心配そうにしていて、傍にいるのかが分からなかった。

 しかしローシェはそんなことはお構いなしで、メレンケリの左手を手に取ると静かな声で言った。


「メレンケリさん。私は騎士じゃないから、大蛇のこととは別の話をしていいかな」

「別の話ですか?」

「グイファスの友達として、聞きたいことがあるんだ。いいか?」

 グイファスの名前が出て、メレンケリは少し緊張する。

「……なんでしょうか?」

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