『固有時との対話』を暗唱するためのノート

 一九二四年

 十一月二五日生まれの詩人によって書かれた

 『固有時との対話』は

 もっとも好きな詩のひとつだ

 暗唱できればいいのにと願うが

 なにせとても長い詩なので

 いまだに覚えきれずにいる


 だから好きな一節を抜き出し註釈をくわえて

 少しでも記憶の足しにしたい

 そんな暗唱のためのノートをつくろうとしたが

 この詩には独特の緊張感とリズムが貫流しているので

 どこか一部を抜き出すのは無意味な気がした

 はじめからしまいまで

 すべてに必然性があり

 すべてを書き写すしかない

 詩とは本来そのようなものだろう

 たとえこの詩が

 日々に書きなぐった言葉を寄せ集めるように制作された

 不完全な詩であっても

 そこには途切れることのない音楽があった


 “神は何処へいつた こんな真昼間”


 暗唱のためのノートが失敗に終わっても

 白熱した言葉を書き写す喜びは

 身体の内側に残存している


 “わたしはわたしの沈黙が通ふみちを長い長い間 索していた”


 言葉によってなにかを求める

 ひとりの人間の魂の痕跡が

 硬質な声調のまま印されていた


 “且て一度でも自らを自らの手で葬つたことのある者は あの長い冬の物象をむかへるために 感覚を殺ぎ 哀歓を忘れ 幾重にも外殻をかぶつてしまつたわたしの魂の準備を決して嗤ふまい”


 もちろん決して嗤えはしなかった

 嗤いたくなかった

 だれもが嗤っていたとしても

 嗤いたくなかった

 決して


 “この生存が限りなく長いことをわたしはひとつの美と感じなければならなかつた それは何といふ異様な美しさだつたらう”


 その異様な美しさを

 ぼくはまだ知らない

 知ることがあるのかも知らない

 この生存がどれだけ長いのかも


 “独りで凍えさうな空を視てゐるといつも何処かへ還りたいとおもつた”


 その何処かはこの世界にあるのだろうか

 二○一二年

 三月一六日に亡くなった詩人は

 何処へ還ってしまったのか


 “とつぜんあらゆるものは意味をやめる あらゆるものは病んだ空の赤い雲のやうにあきらかに自らを耻しめて浮動する わたしはこれを寂寥と名づけて生存の断層のごとく思つてきた”


 “わたしこそすべてのひとびとのうちもつとも寂寥の底にあつたものだ いまわたしの頭冠にあらゆる名称をつけることをやめよ”


 “明らかにわたしの寂寥はわたしの魂のかかはらない場処に移動しようとしてゐた わたしははげしく瞋らねばならない理由を寂寥の形態で感じてゐた”


 詩に残された寂寥が

 こころを動かすのはなぜなのか

 意味をやめた世界のただなかで

 意味あるもののように思えるこの詩はなんなのか

 暗唱に失敗しながら

 ノートを無駄にしながら

 記憶できない詩にいつまでも執着していた

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