欠けた記憶

 いつ果てるともしれない

 子どものとめどないおしゃべり

 相槌をうつと

 反応が嬉しいのか

 なおも話の種は尽きない

 思いつくままに

 曲がりくねるままに

 時間も気にせず

 目的地も定めず

 ただひたすらに

 つたない言葉で語りつづけている

 ひたすらに


 いちばん古い記憶はどんな記憶かと

 たずねてみた

 母親と別れて

 泣いていた時だそうである

 それはとてもよくわかる答えだ

 ぼくはたしか幼少時

 もっとも古い記憶が三つあった

 二つの情景はいまでも思い出せる

 あとの一つは

 忘れてしまった

 いつかまた思い出せるだろうか

 死ぬまでに


 子どもはずっと無防備なまま

 なおもしゃべりつづけている

 不思議なくらいに懐いてくれているこの子どもが

 どんなふうにぼくを記憶するのか

 どんなふうにぼくを忘れるのか

 よくわからない

 ぼくはこの子どもをどんなふうに記憶するのか

 どんなふうに忘れるのか

 死ぬまでに


 欠けた記憶

 初源の記憶

 そんな大切なものさえ忘れてしまえるなら

 この世に忘れられない記憶なんて

 ぼくにはきっとないだろう

 あの人のことも

 死ぬまでに


 しゃべるだけしゃべった後に

 子どもは寝息を立て始めた

 どんな夢をみているのだろう

 夢のなかでも

 しゃべりつづけているのかもしれない

 ぼくは無言で起きたまま

 これまでに何度も反芻はんすうした

 記憶に刻まれた優しい声を

 忘れないうちにまた思い出していた

 死ぬまでに

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