第440話華音は、新しい難題に取り組む

華音は、自分の発言で理事会室全体の雰囲気が変わってしまったことには特に反応がない。

それよりも、途中から時計を気にし始めている。

そして、吉村学園長にそっと耳打ち、吉村学園長が頷くと、そのまま理事会室を出て行ってしまった。


吉村学園長が苦笑しながら、その事情を話す。

「華音君は、予定がありまして」

「実は、万葉集の大家の先生の講演で、人麻呂の詠唱を頼まれていて、今日が練習日なんです」

「華音君自身は、もう謝罪は受けたから、時間に遅れないように行きたいとのことで」

「とにかく、そっちに相当なプレッシャーを受けていまして」


その吉村学園長に、文部科学省の課長が質問。

「と言いますと、あの文化勲章の大先生なのですか?」

「そう言えば、人麻呂詠唱に高校生の男子を使うって言っていましたけれど」

「それが華音君だったのですか」

「文化庁後援事業で、偉い先生方も多く来られます」

「それは、華音君も・・・神経を使う」


吉村学園長は、また苦笑。

「そうですね、そっちのほうが大変みたいです」

「その講演会が終わったら、少しして宮内庁に出向くとかで」

「それも、ほぼ決まりみたいなので・・・それはやはり気になりますよ、さすがの華音君でも」

「文化祭で源氏物語を講演してから、その分野での依頼が多くなって」


呆れて話を聴いているしかないテニス都大会運営本部に、文部科学省の藤村が声をかけた。

「今までの話でわかるように、華音君は実に忙しくて重たい仕事を様々に抱えています」

「ですから、テニスの選手なんて、そもそも無理です」

「華音君も謝罪を受け入れたので、その問題については、今日はここではいたしません」

「それ以外の疑念につきましては、後日、文部科学省に出向いてお話をお聞きします」

結局、テニス都大会運営本部は、簡単には許してもらえないようである。



さて、華音が小走りに校舎を出ると、文化庁の今西圭子が待ち構えている。

「華音ちゃん、大変やったな」

「しょうもない連中に絡まれて」


華音は、表情に変化はない。

「まあ、怒っている時間もないし、怒った気持で人麻呂さんは詠めない」


今西圭子

「先生は、相当華音君に期待しとるよ」

「笠女郎を取り上げてくれたのがうれしくて仕方がなかったとか」

「その前の源氏も聴いとる、それから華音ちゃんの大ファンや」

「それだから直々にご指名や、ありがたい」


華音は、少し不安な顔。

「うーん・・・まずはしっかり詠うこと」

「奈良のじい様に鍛えられた通りにしかできない」

「案外難しいの、詠唱って」

「奈良のじい様は、なかなかOKくれなかったし」

「柳生霧冬先生の格闘指導より辛かった」

「それに僕は、人麻呂さんが歩いた場所で、育った」

「その風景を、思いを、どうやって声で表現するか」

「人麻呂さんは、僕にとっても聖なる歌人だから」

「半端な気持では詠めないの」


今西圭子はクスッと笑う。

「まあ、行けばわかる」

そして意味深な言葉。

「思いがけない人もいるかも」


華音は、それはどうでもよかった。

「まずはしっかり詠みたい」それだけを考えていた。

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