第348話学園文化祭(5)華音は大きな拍手を受ける。
「紫の上は・・・」
そこまで言って、華音の声が少し沈む。
そのうつむいた顔に、聴衆全員が、ますます引き付けられる。
華音は、ゆっくりと話を続ける。
「紫の上は、実は恋を知らなかったのかもしれません」
「北山の僧房で祖母の尼君に育てられていたところ、何もわからずに二条院に連れてこられ」
「当初の光源氏は、親切できれいなお兄さんだったけれど」
「いきなり、男女の関係になって」
「だから恋文を交わすこともなかった」
「ただただ、光源氏の愛情を信じて、どれほど浮気されても、他に行く場所がない」
「彼女自身が努力して、光源氏のお相手をし続けるしかない」
「愛はあったとは思うけれど、それ以外に生きていく手段がなかった」
既に涙する聴衆も多いけれど、華音はスピーチを続ける。
「女三宮と光源氏が結婚すれば、完全に正妻の座は追われ」
「光源氏とは、どうしても、心がすれ違う」
「まさか、内親王で正妻となった女三宮より、自分を大切にして欲しいなど、口が裂けても言えないのです」
「まあ、その前から光源氏の浮気心には、さんざん悩まされ、修復できない程の心の溝もあったのだと思うのですが」
華音のスピーチは続き、再び紫の上の歌を詠む。
「そんな心労が重なり、紫の上は、ついに体調を崩し、歌を詠みます」
「消えとまる ほどやはふべき たまさかの 蓮のつゆの かかるばかりを」
「訳としては、あの露が消えずに残っているのでしょうか、私の命などは、たまたま蓮の葉に露が乗るだけの命なのですもの」
「光源氏という蓮の葉に乗っているだけの露のような私、いつ落とされても間違いはない」
「光源氏はなぐさめ、病状も一旦は回復しますが、やはり持たなかった」
「おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風に乱るる 萩のうわ露」
「これが最後の歌、こうして起きていていると見えるのも、しばらくの時間だけ、すぐに風が吹いて乱れてしまう萩の上の露、そのままの私なのです」
「本当に、風が少しでも吹けば、いとも簡単に零れ落ちる露、その露は紫の上の命です」
華音は、スピーチのまとめに入った。
「以上、短い時間でもあり、意を尽くせない部分も多々ありました」
「それでも、紫の上の心の一端をご紹介させていただきました」
「永遠のアイドル、紫の上のお話ですが、いろいろと考えさせるものが多いと思うのです」
「かの貴公子光源氏の寵愛を、一番受けていて、他の女性から見れば、それでも幸せと思われていたかもしれません」
「しかし、出生時から、最後まで実は内心は複雑」
「本当に幸せだったのか、それとも寂しい人生だったのか」
華音は、聴衆を見まわして、一呼吸。
「源氏物語は、今、皆さまが考えこまれているように、読者に様々なことを考えさせる作品と思います」
「そして、結論は、なかなか出ません」
「とても浅薄な理屈では、語り尽くせないような深い作品」
「今日は、紫の上様をテーマに、その一端をお話させていただきました」
華音は、ここで頭を深く下げた。
「ご清聴ありがとうございました」
つまり、スピーチの終了となる。
聴衆全員が立ち上がった。
そして、大きな拍手となる。
華音は恥ずかしそうな顔。
その華音の隣で、部長の長谷川直美が締める。
「これにて、午前中の華音君の紫の上についての、スピーチを終了させていただきます、皆さま、最後までご清聴ありがとうございました」
その長谷川直美にも、大きな拍手になっている。
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