第24話 ~「帰ってくるよ。みんなと一緒に」お父さんとの約束~

 ―僕は、夢を見ていた。そこは僕の知らない、どこかの街。アルメリシアにはないような、大きな建物が並んでいる。

 昼間なのに、日が差し込まない細い道。僕はその先に『お母さんがいる』という確信があった。なんでかは、分からない。だけども僕はぎゅっと何かを握り締めて、走り出した。

 そして僕の奥底にあった"確信"の通り、お母さんがいた。だけども見えた途端に、足元がぐらりと歪んだ。

 石畳なのに、ぬかるむような感触。中々前に進めないもどかしさの中、見えてきたのはある一団の後ろ姿だ。

「お母さん!」

 お母さんは振り返ると、その顔は今にも泣きそうな、哀しさに満ち溢れたようなもの。僕が見たことのない、お母さんの顔だった。

 そしてお母さんは僕に何かを言った。『助けて』かもしれないし、全然違うものかもしれない。僕は手を伸ばす。だけどもその手を掴んで引き摺るのは、僕の後ろからぐんと伸びた、黒い手だった。

 振り返ると、クラヤミが広がっていた。そこには無数の目。

 この光景、僕は覚えてる。僕は必死にクラヤミを、振り払おうとした。でもどんどん、お母さんから離れていく。周りがどんどん暗くなっていって、そして……―


「……おいポメくん、大丈夫か?」

 ゆっさゆっさと体を揺さぶられる。おぼろげな夢の視界の中、僕はそこから引き離されるように目を覚ました。

 頭から手足の指先へと、ぼうっとした感覚からじわじわと現実に戻っていく感じがする。瞼をゆっくりと開けると、ジェコが目を丸くして顔を覗き込んでいた。

「ジェコさん……おはよ」

「あぁ、おはよう。なんだかひどくうなされてたけど、大丈夫?」

 ゆっくりと頭を上げて、辺りを見渡した。ここは……アルメリシアの学校の、ある教室だ。今はしんと静まり返っている。

「うん、大丈夫だよ……なんかへんな夢を見てたみたい」

 まだ少し頭の奥にもやがかかってるような感じだけども、ぺちぺちと頬を叩くとちょっとマシになった。ぐいっと大きく体を伸ばして、僕は立ち上がる。

 ここで少し休んでから、兵士たちに見つかる前にアルメリシアを旅立つ予定なんだ。気をしっかり引きしめなきゃいけないときなのに……やな夢を、見ちゃったな。

「疲れがたまってたら、悪夢を見るって話よ」

 そう声を掛けたのは、窓際で椅子に座っているロココさんだった。楽器を磨きながら、大きなしっぽに光を浴びせていた。

「アンタも気晴らしにちょっと歩いてきたら? デデくんも外に出てるみたいだし」

「え、そうなの?」

 もう一度ぐるりと部屋を見ると、確かにデデがいなかった。でも……デデってこうしてじっとするの、苦手みたいだし、出ていくのも納得できた。

「でもなぁ、本当はちゃんと休んだ方がいいと思うんだけどな。次の町まで、どれくらいかかるか分からないしさ」

 ジェコさんはそう言って小さくため息をついた。確かに……マイマイに乗って行ければいいんだけど、アルメリシアからマイマイに乗るのは難しい。兵士たちがマイマイ小屋も見張っているって話だから。

 この町を出たら次はいつ休めるか分からない。だから心配になるのも、よく分かる。

 でも僕は少し眠ったおかげで、疲れもだいぶ取れた。ロココさんの言う通りちょっとだけ、散歩してきてもいいかもしれない。

「じゃあちょっと……廊下を歩いてくるね」

 そう言って僕は、教室の出口へと向かった。振り返ると二人とも笑顔を見せてくれて、つられて僕も笑顔になった。

 ドアをそっと閉めて、僕は廊下のずっと先を見つめる。ひゅうと冷たい風が通り過ぎていった。

「誰もいない学校って、すごく静かだね……」

 そう言うと、目の前にふわっとフォルがいきなり現れる。呼んでもいないのに。そして僕に見せつけるように、はぁ~っと大きなため息をついた。

「なぁ~に当たり前のこと言ってんだヨ。徴兵命令があってから、学校は休みって言ってただロ?」

「いや、それは聞いてるけどさ……」

 あの徴兵命令があってからずっと、学校は休み。というより、学校どころではないんだと思う。先生の中にも兵士として連れてかれちゃった人がいるって話だし。人さらいのウワサも広まって、子どもは外に出してもらえないという。

「こんな学校、初めてだもん……」

 廊下を歩きながら、教室の一つ一つをのぞきこむ。誰もいないその空間は、目を閉じるといつもの風景が浮かんでくるようだった。

 いつものこの時間なら……今は休み時間だったかな。休み時間はいつも賑やかで、いろんな楽器の音色に包まれるんだ。おいかけっこしたりして遊んでる友達もいれば、楽器を持って演奏をするクラスメイトもいたりした。

 それは授業の予習や、好きに楽しみながら演奏したり。いろんな思いでいろんな音色が、教室中を飛び交うんだ。

「僕も演奏してたなぁ」

 学校で演奏するときは、フォルは何も言わないんだ。いろんな音が混じって、僕の音を正確に聴き取って指摘するのが面倒なんだって。

 そうやってフォルに何も言われないで演奏できるその時間は、肩の力を抜いていられるから好きだった。このことを言うと怒られそうだから、フォルにはナイショだけどね。

 おもむろに教室に入って、僕はトランペットを構える。何も書かれていない黒板をじっと見つめ、前の授業でやった"湖畔のかがり火"を、記憶を頼りに吹いていった。

「ほぉ~ラ、ちょっと上ずってるゾ。おっと、今の音はちょっと掠れたナ」

 だけども休み時間は休み時間でも、今は誰もいない。こういうときなら、フォルだってなんでも言いたい放題だ。

「うぅ、ちょっと感覚が取り戻せないや……ここ最近、練習する時間があんまりなかったせいかな」

「なかった、じゃないだロ。そういう時間はな、自分で作るもんなんだヨ」

「う、うん……次の旅では、ちゃんと練習する時間は作るよ」

 やっぱりフォルに言われながらの演奏は、何も言われないときの楽しさはないや。僕はひとつ息をついて、トランペットをしまい込む。

 ふと風が頬を撫でて、僕は窓の方に目をやった。開いたままの窓の向こうには、細い通りが見える。

 この通りはときどきおじいちゃんおばあちゃんが歩いたりしていて、こっちに手を振ってくれたりするんだよね。それで僕や他の友達も、手を振り返したりするんだ。

 それが少し前までの、当たり前の光景。当たり前だったんだけど……今はもう、当たり前じゃない。

「……なんだか、ちょっと寒いね」

 僕は窓を閉めた。変わらないような、変わってしまったような風景を後にして、僕は教室を出ていく。

「ねぇフォル」

「どうしタ?」

「もしこのまま、町が……国がこんな状態だったらさ。もう、音楽はダイジじゃなくなるのかな」

「…………」

「楽器よりも、武器がダイジだなんてさ……考えたくないよ。でも考えなくても、怖いことが頭に浮かんじゃって」

 廊下の窓に、自分の顔が写り込む。疲れが溜まってるのもあるけど、いやに暗い顔だった。自分でも驚くくらいに、こんな顔をしてるなんて。

 すると、とんとん。後ろから足音が聞こえてくる。

「はぁ~まったく、出発前からこんなに元気がねぇんじゃ、先が思いやられるな」

 ため息混じりに言うそのいやみったらしい口調……僕にはおおよそ、それが誰なのか分かっていた。

「デデ、今までどこ行ってたのさ」

 振り向くと、そこにはデデ。楽器を背負って、腕を組みながら僕のことをツンと睨んだように見つめている。だけども僕の顔を見るなり、ふふんと鼻で小さく笑った。

「なにがおかしいの?」

「お前ってさ、相変わらずひとり言が多いよな。って、思ってさ」

「き、気のせいじゃないかな……?」

 ひとり言というのはきっと、フォルと話している時のことだ。フォルの姿はもちろん、声だって僕以外には聞こえていないのだから、フォルと話しているところを見られるとひとり言のように見えてしまう。

 見られないように気をつけてはいるんだけど、色んな人にそういうところを見られてしまう。特に、デデに見られることが多い気がする。だからデデは僕のことを"ひとり言の多いへんなやつ"と思っているんだ。

「ま、そんなことはどうでもいいんだけどよ」

 デデがそう言うと、その後ろからもう一つの足音が聞こえてくる。デデの体に隠れ切らないほど大きなその体が、近づけば近づくほどよく見えてくる。

「連れてきてやったぜ」

 くるりと回り、デデは廊下の端っこによった。後ろにいたのは、僕のお父さんだった。

「お父さん!」

 お父さんはぐらついた眼鏡を指で整えながら前までやってくると、小さく息をついた。大きな手には、ずっしりとした袋が握りしめられている。

「デデから聞いたよ。やっぱり、旅立つんだな……母さんを探しに」

「…………」

「大事そうなものは、入れておいた。食料も、次の町までみんなと分け合って食べなさい」

 そう言って、手に持っていた袋を差し出した。受け取ると、体がその袋にぐっと持って行かれそうになる。

「……僕を、連れ返そうとしにきたんじゃないの?」

「私もお前と同じ立場だったら、きっと同じことをしてただろうさ」

「……ごめんなさい、何も言わず出てっちゃって」

 袋を離したお父さんの手は、ひらいたまま、動かない。そのまま僕の体を引き寄せて、離さなくなるかもしれない。僕はそう思ったけど、お父さんは手をぐっと閉じて、ゆっくりと下ろしていった。

「他にも仲間がいるんだ。無茶なことはしない。お前たちのことを、信じるよ」

「うん、ありがと……」

「ただ、約束してくれ……お母さんが見つけられなくても、必ず帰ってくるんだ。お前と……そして友達のみんなと、一緒にな」

 お父さんはそう言うと、デデの方をちらりと見た。デデもその視線に気づいたみたいで、口元が少しだけ緩んでいる。

「分かってる、でも僕は……」

 フォルの方をちらりと見る。フォルは僕にいつもの笑みを浮かべた。僕もフォルと同じ笑顔を作って、お父さんの方を見た。

「お母さんを見つけて、帰ってくるよ。みんなと一緒に」

 お父さんは僕の笑顔を見て、どう思ってくれたのかな。ただお父さんの顔も、少しだけ緩んだのが分かった。

「そうか……」

 そう言うとお父さんはしゃがみ込んで、懐からあるものを取り出した。お父さんの大きな手のひらに、なんとか収まるくらいのサイズ。それを僕の手に渡すと、ぎゅっと握り締めるようにさせた。

「私には、これくらいしかできないが……」

 手を離すと、今度は僕の背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめた。そのぬくもりは、なんだかとても安心する。僕もこのぬくもりを忘れないように、ぎゅっと抱きしめた。

「それじゃ……無理をするなよ」

 ゆっくりと離れると、お父さんは帰っていく。廊下の向こうへと遠ざかっていくお父さんの後ろ姿を、僕は見えなくなるまで見続けた。

「ふん、お別れ会は終わったかい?」

 後ろでずっと待っていたデデが、声を掛けてきた。振り返ると、デデはからかうような目で僕を見ていた。

「……ありがと、デデ。お父さんを呼んでくれて」

「ま、お前のパパさんも物分かりの良い人で助かったな。……それよりも、何を貰ったんだよ」

「これのこと?」

 お父さんから受け取った、手に握り締められているもの。固いんだけども、結構軽い。なんだろうと手を開くと、白いいびつなボールのような形をしていた。

 中は空洞になっていて、向こうを見通せるくらいの穴が四方に空いていた。

「なぁそれって……確か、譜面石を入れておくやつじゃないか?」

「え?」

 触ってみると、上の部分が蓋のように開く仕組みだ。これくらいの空洞だったら、小さな譜面石なら入れておける。

 だけどもそうだ……これで思い出した。これと同じものを毎年のように見ている。

「これ確か、ルーチ・タクトと一緒に旅立つ子が持つものと同じだよ」

「はぁ? なんでそんなもの、お前の父さんが持ってるんだよ」

「うーん……」

 そんなもの、僕のお父さんだって流石に持っているはずがない。くまなく容器を見てみると、裏面に何かが彫られていた。

「……これ、多分レプリカだね」

 本物であれば確かここに、聖都ハクロトを示す紋章が描かれているはずなんだ。だけどもこれに刻まれているのは、僕の名前だ。

 そういえば、お母さんから聞いたことがある。ルーチ・タクトに選ばれた子たちが持つ容器には、旅の安全を祈願する意味もあるとか。

「きっとお父さんは、お守りとして僕にこれをくれたのかな……」

 僕は高く持ち上げて、まじまじと見つめた。僕が旅立つと知って、朝からこの昼の間に、作り上げたのだろうか。だけどもそんな時間でこれを仕上げちゃうなんて……やっぱり、お父さんってすごいや。

「……ふん!」

 デデがなんだか不満げな声を上げる。振り返ると、デデはジェコたちのいる方の教室へ戻ろうとしていた。

「デデ、どうしたの?」

「別に? なんでもねーよ」

 なんでもない、というわりには、その声は妙に大きく張ってる。なんだか足を大げさに振り上げてて、見るからにごきげんナナメって感じだ。

「……僕、なんかまずいことしたのかな」

 みるみるうちにデデは離れていく。立ち止まったまま、ポツンと廊下の真ん中で僕は一人になった。

「へへン、嫉妬してんじゃないカ? お前のパパさんニ」

「えぇ、そうなのかな?」

 フォルは鼻を高く上げて、自分ならなんでも知っているかのように自慢げな笑みを浮かべていた。

 でも僕には、とてもそうは思えない。あんなデデが、音楽に関して嫉妬するのは分かるけど、お父さんお母さんに嫉妬なんてするのかなぁ……。

「とにかくヨ、それ……あんまアイツの見えるとこに出すのはよくないかもナ」

「……うん」

 なんだかいまいち納得できないけど、フォルが言うんだからそうなのかもしれない。僕はその容器を帽子の中にしまっておいた。

「でもなんで、嫉妬するんだろう」

「そりゃお前、デデの方はパパさんとは仲良くいってないとカ……きっと、そういうのがあるんだロ」

「うーん……」

 でも確かに僕は、デデのお父さんがどんな人か知らない。それどころか、家族すら知らないんだ。だからデデが僕みたいにお父さんと上手くいっているかどうかなんて、分からないんだ。

「ま、アイツにもアイツの問題があるってことサ。あんまり触れない方がいいナ」

「……うん、そうだね」

 デデのプライベートのこと、知っている友達は多分いない。デデは学校でもいつも一人で、自分の楽器だけと見つめていたりするから。だから僕からも、聞き辛いんだよね。

 でもいつか僕に、教えてくれる日が来るのかな……。

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