第6話 諜報活動

「さーて、諜報お仕事開始っと。」


 ジェシーは日の暮れ掛けた町をスイスイと泳ぐように進んでいく。少女2人をとっ捕まえて主の元に連れて行くことなど子供のお使いにも等しい簡単な仕事だが、言われた通りにやっても意味が無い。

 彼女には主を馬の骨から遠ざけると言う(勝手に決めた)使命があるのだ。


「その為には、あの2人のどっちかがあの馬の骨とくっついてもらうのが早いんだけど」


 どちらかが詐欺師に引っかかってしまう事になるが、もしそうなってしまっても自分には関係ない。若い少女たちには良い授業料になるだろう。


「さてと、取りあえずは領主の娘さんの方から行きますか」


 恋に恋する箱入り娘が、不良気味のワイルド風味な男にころりと騙されるなんてよくある話だ、と言うか現在のエフェットが正にその有様だ。


「問題と言えば、その主張をあの気の強いお嬢様の前で貫き通せるかが疑問だけど、上手くフォローすれば何とかなるかしら」


 うっかりとドジって事実をポロリと滑らせるなりすればいい。要するはエフェットの持つ幻想に罅を入れればいいのだ。

 有能な自分にとっては少女の目を覚まさせることなど、正しく赤子の手をひねる様な事。

 ジェシーは勝手知ったる、他所の街とばかりによどみない足運びで歩を進め、ある一軒の立派な建物の前にたどり着いた。


「……そう言えば、彼女は寮暮らしだったわね。何と言って呼び出そうかしら」


 目の前にそびえる建物には、『王立魔術学園女子寮』と言う古めかしい看板が立てかけられてある。


 こう言った歴史ある施設では人の出入りに厳しいチェックは付き物である。事を大げさにしないために、自分一人で動いているのに、ここに至ってアデルバイムの名前を出す訳にもいかず、ジェシー暫し逡巡する。


「あれこれ考えるのもめんどくさいわね。こうなったら直接彼女の部屋に行ってやろうかしら」


 幸い彼女の部屋は資料に記されてあった。3階程度の壁登り、自分にとってはお茶の子さいさい。

 ジェシーは一目が無いのを確認して、2m程はある塀をひらりと乗り越えた。


「貴様、何者だ」

「あえっ!?」


 周囲に人気が無いのは確かに確認した、だが、塀の内側に人がいるとは思わなかった。

 中庭には、この寒い時期にもかかわらず汗で上気させた肌に湯気を曇らせ、使い込まれた木剣を片手に持つ少女が居たのだった。


「あー、あははは、おっ、お邪魔だったからしら、私は直ぐにどっかに行くから、気にせずに続けて?」

「貴様、何物だと言っている」


 少女は切っ先をジェシーに向けて再度同じセリフを言う。


「わっ私はちょっとこの中の人に用事があってね?」

「最後に聞く。貴様何者だ」


 少女は半身になって剣を構え直した、その間も切っ先はジェシーの視線からまったくぶれることは無く。付け焼刃ではない気迫がひしひしと感じられる。


「あっ、あっ、失礼しましたーー!」

「逃さん!」


 投じられた木剣は、一直線に避け辛い胴体へと飛んでいく。


「あぶっ!」


 ジェシーは諜報活動で培った身体能力を利用し間一髪それをかわす、すると木剣はレンガ造りの壁へと深々と突き刺さった。


「あっ! あぶっ!! 貴方なんてことすんのよ! 当たってたらただじゃすまないでしょ!」

「心配するな! ここには将来医師を志望する学生がたんまりと居る! より取り見取りで治療され放題だ!」

「冗談じゃないわよ!」


 少女は木剣を手放し無手になったかと思えば、腰からナイフを引き抜いて来た。ジェシーはその鈍い輝きを見て、脱兎の如く駆けだした。


「待て貴様!」

「待てと言われて待つ馬鹿が何処に居ますか!」


 工作員にとって最も大切なのは逃げ足である。彼女のその生存能力は高く評価されていた。いや、正確に言えばその能力のみ評価されていたと言えるかもしれないが。


「曲者! 曲者だ!」

「どうしましたリリアーノ先輩!」

「曲者が侵入した! 逃がすな!」

「ひーん! 勘弁してよー!」





「はぁ、はぁ、はぁ、酷い目に合ったわ」


 こんな事になるんだったら、多少不自然でも真っ向から行けばよかった。ジェシーはそう後悔しつつも、一般住宅街の方をとぼとぼと歩いていた。


 持ち前の悪運を発揮して何とか追手から逃れることは出来たものの、心身ともにグロッキーである。


「全くついてないわ。魔術学園の寮って言うからもやしっ子の集まりかと思えば、何なのよあのバーサーカーみたいな子」


 気迫も剣筋も熟練の剣士のものだった。逃げられたのは運が良かったから、これも日頃の行いが良かったからだ。ジェシーはうんうんと1人頷く。


「まぁいいわ。次行きましょう次」


 終わった事は終わった事、ジェシーは気持ちを切り替えて、次のターゲットの元へと進む。


「えーっと、次は教授の娘だったわよね」


 パッと見は、領主の娘とは真反対で、小生意気そうな娘だったがどうだろう。まぁ、ああいった優等生は、不良が見せる意外な一面にコロッと騙されてしまうものだ。


「此処ね」


 ジェシーがたどり着いた場所はごく普通の二階建ての建物だった。広くも狭くも、新しくも古くも無い何処にでもある様な建物だ。


「教授って儲からないのかしら」


 さっきはショートカットしようとして失敗したから、今度は正攻法で行ってみよう。

 そう考えたジェシーは、素直にドアをノックした。


「はいはーい、どなたかしら」


 ノックして暫く、奥からパタパタと言う足音共に少女の声が聞こえて来た。

 これはラッキー、目当ての少女の声だとジェシーは内心ほくそ笑む。


「初めましてお嬢さん。私はカルーア・マクダネルと言うものですわ」


 ジェシーはにこやかな笑みを絶やさずに、幾つかある偽名の一つでそう挨拶をした。


「はぁどうも。それで、どのようなご用件でしょうか」


 チェルシーは、見知らぬ他人に対してやや不信感を目に宿しつつ最低限の挨拶をかわす。

 そう言われて、ジェシーははたと止まる。勢いに任せてドアをノックしたものの、その後の事は特に考えていなかったからだ。

 

 ジェシーは曰くありげな笑顔を浮かべつつ時間を稼ぐ。その時彼女の脳内に閃きが走る。

 アデルバイムの名を出すわけには行かないと言う事は、逆に考えればアデルバイムの名さえ出さなければ大丈夫と言う事だ。


「うふふふふ」

「なっ何ですか?」


 突如含み笑いを浮かべたジェシーを不審に思い、チェルシーは思わずドアを閉めようとするが時すでに遅し、ジェシーのつま先はドアの隙間に捩じり込まれていた。


「ああすみません。ちょっとしたことですわお気になさらず」

「いや、怪しいんで帰ってくれませんか。人を呼びますよ」

「うふふふ、そうされて被害をこうむるのは貴方の方かもしれませんわ」

「……どういうことですか」


 ジェシーは思考能力こそは短絡的ですっ飛んでいるものの、その思わせぶりな口調には妙に人を引き付けるものが有った。チェルシーは警戒心を最大限にしつつも、つい話を聞いてしまう。


「私は、有るお方の指示で、とある男性の調査を行っているものです」


 そう言って、ジェシーが差し出したのは、既に撤回されたアデムの手配書であった。


「これは」

「やはり貴方と彼は深い間柄と言う訳ですね」

「ふっ、深い間って!」


 チェルシーは顔を赤くしてそう否定する。だがそれは、傍目に見れば恋をしている少女と言うのがバレバレの表情だった。


(ビンゴ、やっぱり最初から正攻法で行けばよかったわね。無駄な騒動を起こしちゃったわ)


 悪夢のような追いかけっこを思い出しつつ、ジェシーはチェルシーに詰め寄った。


「いえいえ、別に私はそれを咎めようと言う訳ではございません。只々あるお方の前で、彼とのご関係を包み隠さずに行って下されば結構ですわ」


 ジェシーはそう言ってチェルシーに詰め寄った。ニヤニヤと浮かべる笑みは得物を追い詰めたハンターのそれである。


「わっ、私がなんで――」

「娘に何か用ですかな」


 内側に力がかかっていたドアが急に開く。チェルシーの背後には、気の弱そうな笑みを浮かべた男性の姿があった。


「お父さん」

「あら」


 その男の登場に、チェルシーは安堵し、ジェシーはわずかに重心を後ろにずらす。


「どうも初めまして、私はエドワード・リシュタインと言うものです」

「これはどうも、ご丁寧に。私はカルーア・マクダネルと言うものですわ」


 ジェシーがそう言った時だ。エドワードは小声で何かを呟き、ジェシーに軽い衝撃が走った。


「嘘……でございますね」

「なっ、何がでしょうか」


 ジェシーは平静を保ちつつもそう返す。


「失礼なれば、先ほど軽い捜査魔術を掛けさせていただきました、その名前は、嘘でございます」

「そっ、そんな――」


 またしても、先ほどと同じ現象が繰り返される。


「くっ!」

「嘘、でございますね」


 ジェシーは混乱する。洗脳魔術や自白強要魔術の存在は知っているが、こうも簡単に出来る事ではなかったはずだ。

 だが相手は学園の教授、彼女が知らないレベルの魔術を行使出来ていたとしても無理はない。


「失礼しますわ」


 旗色が悪くなったのを察知したジェシーは脱兎の如く立ち去る。引き際を弁えるのも諜報員の素質の一つだ。





「……お父さん、何だったのあれ?」

「さて、誰でしょうねぇ」

「いやそれじゃなくて、さっきの魔術よ」


 チェルシーはそう問いかける。自分が知っている魔術の中にあんなものは無かった。特殊な召喚獣を用いての魔術だろうかと、疑問に思ったのだ。


「あああれですか、アレはただのブラフです。攻撃魔術とも言えないようなごく微量の衝撃波を放って、適当に言っただけですよ」


 エドワードは困ったような笑顔を浮かべたまま、そう呟いたのだった。

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