第四節 優しさと甘さは違うだろうから

 「起きなさい。もうクリアが出発するって言ってるわ」

 「……あと五分」


 そう言って寝返りを打つ。生きていて初めて眠ったが、まさか睡眠がここまで心地良いものだったとは……

 日暮〇睡男がそこまで眠り続けるのも納得なのであった。


 「あら、このまま起きないと五分どころか永遠に眠り続けることになるけどいいかしら?」

 「具体的にどんな方法で?」

 「ダイナマイトで脳みそを粉々に吹っ飛ばしてあげる」

 「いくらなんでもそれは怖いよ!」


 思わず飛び起きる俺。まさか本気ではやらないだろうなんて俺は思わない。こいつは本気でやっちゃう系のクレイジーガールなのだから。

 見ると、彼女の手には本物のダイナマイトが握られていた。ほらな、言った通りだろ?


 「何故にダイナマイトを持っているのか……」

 「実はこれは幻なのだわ」


 言うとすぐにダイナマイトが霧となって消えていく。そうだった、こいつは他者に幻覚を見せられるんだった。


 「くそ、騙された」

 「幻でも自分の頭が吹っ飛ぶイメージを見せることは造作もないわ。恐怖でイチコロよ」

 「幻覚見せられて発狂とかえげつねぇ……」

 「脳みそくすぐっちゃうよ?」

 「リアルで脳みそくすぐられた気分だぜ」


 人の認識などいい加減なものだ。少し脳に異常をきたしただけですぐに自分の見ている世界が歪んでしまう。

 今俺がこの世界を見て証明できるものはなに一つとしてない。だって、今この瞬間に見ている世界が幻だという可能性は否定できないからだ。

 全てについて疑うべし。しかしてそのように意識している自分だけはその存在を疑い得ない。

 であるならば……我思う、故に我あり。そんなことを思う寝起きの情けない男一匹。


 「早速アルビナ達が出発するみたいよ」

 「目覚めのコーヒーブレイクを初体験する時間すら俺にはないと言うのかね?」

 「コーヒーはないけどデスソースなら作れるわよ」

 「それタバスコの七百万倍辛い飲み物だろーが。下手したら失神するやつ」

 「よかったわね。また眠れるかもしれないわよ」

 「睡眠と失神は全くの別物なんだって知ってるか?」

 「眠ったことのない私にはよく分からないわね」

 「へぇ、神様って眠らないのな」

 「休息すべき脳がないもの」


 まあそりゃそうか。


 「あなただって本来なら眠る必要はないのよ」

 「でも、一度は体験しておきたいじゃんか」

 「人間が目指した完璧に近い存在のあなたが、こうして人間の不完全性を楽しむっていうのは皮肉なものね」

 「多少不完全な方が人生は豊かなんだよ」

 「主義主張はご自由に」

 「へいへい」


 呆れられながら俺は立ち上がり、体の異常をチェックする。なにも問題なし。今すぐ戦闘態勢に移行できるほどコンディションも良好だ。

 俺達は早速家を出る。真正面には遺跡の村の中心に広がる大きい広場。そしてそこに集まる大勢のアルビナ達。総勢数千は下らないだろう。


 広場の一番奥には檀上が設置されており、その上に立っていたのは村の中心的立場……神たるアキレウスの代弁者であるクリアなのだった。

 クリアは大勢に見られていた。しかし、動じない。度胸がある。しかもカリスマにも富んでいるのか、アルビナ達の視線が熱を帯びている。よっぽど有能なんだろうな。


 「皆さん。数年に一度の星食いの日が、いよいよ明日に迫ってきました」


 慣れたようにいつものトーンで話し始める。それは俺達に話した時となんら変わりないものだ。


 「私達はまた、多くの犠牲を伴う旅を行なわなくてはいけません。生きること、死ぬこと。生命の循環には抗えないように、この世界蛇の中で行われる生命循環もまた、抗うことはできません。ですが、それは悲しむことではありません。私達が生きること、それは死に立ち向かうということです。今こそ、死を潜り抜け、生を掴み取る時。次代に生の灯を繋ぐ時」


 周囲のアルビナ達を見渡して力強く言い放つクリア。生きることは死に挑戦するということだと主張する彼女に大声でそうだと賛同するアルビナ達。

 洗脳ではない。個人個人が強く生きたいと思うからこそ出る言葉だった。


 「アキレウス様は言っておられました。生きて、駆け抜けろと。生を謳歌しろと。私達は、アキレウス様のご意思に従い、生きなくてはいけません。絶対に生き抜くのです」


 ……彼女の発言に同調していく聴衆。その中には老いたアルビナも見られる。多分、こいつらは若い奴らほどは走れない。きっと置いてかれるだろう。なのにクリアに対して一切悪意を感じさせない。

 老いた者達が若い者達におぶさって生きることはできるかもしれない。だが、それでは若い奴らの生存確率は低くなってしまうかもしれない。

 次世代に迷惑はかけられない。老いた多くの者達はそう思い、静かに自分の力だけで生きようとし、そして人知れず死んでいこうとする。その様は地球の老人達の姿勢にちょっとだけ似ていたり。


 「死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなのです。死に立ち向かうことを許される生者の立場に感謝しましょう。死を険悪しましょう。生を称えましょう」


 死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。そんな考え方が否定されるような、生の圧倒的肯定がそこにあった。

 彼女達は、死が怖いわけじゃない。でも、死を許容しているわけでもないんだな。


 「さあ、行きましょう。世界蛇の果てまで!」


 喝采が場を包む。意思の総意が肯定の声となって調和する。

 そして、アルビナ達は進行を開始した。


 ある者は子供を抱え、ある者は家財を背負い。或いは何も持たぬまま。

 しかし、全てのアルビナ達は命を抱えて。伝説にある韋駄天のように駆け出した。


 「うお!」


 駆け出したアルビナ達が視界からあっという間に消えていく。瞬間移動をしているわけではない。移動速度が速すぎるのだ。

 それは俊足という言葉すら適当ではないと思えるほどであった。地球上に存在していたどの生物にだってこんな走力は有していまい。


 「前々から疑問には思ってたんだ。こんな広大な体内をどうやって星食いまでに移動するのかって。答えはこれだったわけな」

 「音速か、それ以上の速度を叩き出しているのでしょうね」


 普通、それだけの速度で移動したら体が自壊してしまうのだが……

 アルビナの肉体が強靭なのか、それともヨルムンガンドの体内世界が地球とは違う特殊な法則で運営されているのか。

 しかし今思ったのだが、ここって重力が働いてるんだよな。


 「なあ、俺らって宇宙空間を漂うヨルムンガンドの体内にいるはずだよな? だったらアルビナ達はどうして宙に浮かばずに走れてるんだ?」

 「星は引力を常に発生し続けているけれど、原因は科学的にはまだ未解明というのは知ってるわね?」

 「ああ、引力って力が宇宙に存在してるってことだけしか結局分からなかったな」

 「人類が未解明である事象の殆どは神の力によるものよ。世界を創造した星霊はその世界の中心。そしてその中心には知的生命体が住んでいることが必然。神が知的生命体の文明レベルを効率的に引き上げたいのなら、その場に留まらせて種全体で運営させていくことが必要よ。だから、神はその力を使って自身の肉体である星から種を留まらせておくために、引力と呼ばれる神の力を使うのだわ」

 「ってことは……」


 この世界の創造神であるアキレウスの肉体は、星じゃなくてこのヨルムンガンドの肉体だから……


 「この肉体自体に引力が発生してるってことか」

 「そういうことね。引力は基本的に内核に向かって引き寄せられていくから、私達の真上方向にははちょうどヨルムンガンドの外皮があるってことよ」

 「流石ブルー様です。この世界の仕組みをもう理解されているのですね」


 後ろからやってきたクリアがブルーを敬う。


 「お前、まだいたのか」

 「それはこちらのセリフです。残っているのはもう私達だけですよ?」


 見ると、辺りには誰もいなかった。

 周囲に建てられた遺跡の家にはまばらに気配が感じられたが、それは恐らくこの遺跡の町に残る年老いたアルビナ達なのだろう。


 「早く行かないと、死んでしまいますよ?」

 「そう軽く死ぬなんて言われると怖いんですが」

 「まあ、ここは弱肉強食なんて優しい世界ではなく、弱肉強肉の世界ですから」

 「全部肉になってるやん」

 「星食いによってここまで到達してくる土石流は、生きる者全てを肉塊にしちゃうんですから仕方ないじゃないですか」

 「あ、うん、はい」


 淡々と述べられる事実に黙って首を縦に振る俺なのである。


 「では、私達も先を急ぎましょう」

 「でもさ、本当にあいつらを置いてくのか?」


 遺跡群に残る老いたアルビナ達。自分で決めたことだから無理に引き留めはしない。だが、これではあまりに淡泊すぎやしないだろうか?

 ここを去る時のアルビナ達は、一切彼らに目を向けてもいなかった。悲しむ者もいなかった。まるでそれが当然というように。

 昨日クリアは言っていた。見捨てて良い命などないのだと。これじゃあまるで矛盾しているじゃないか。


 「置いていかないと、私達が死んでしまいます」

 「今更ではあるが……もっと前から星食いに備えて避難しておけなかったのか?」

 「それもできたでしょうが、ヨルムンガンドの総排泄口から口内に侵入するには、高い身体能力が不可欠です。老いたアルビナではそれは不可能ですし、若いアルビナ達も自身の荷物や子供を守り抜くだけで精一杯です。尚且つ死傷者は必ず出ます」

 「だから見捨てるのか」

 「違います。見送ってもらうんです」

 「それは言い方を変えただけじゃないのか?」

 「この体内環境こそが私達アルビナにとっての自然の摂理なんです。命は老いて死ぬように、老いてここに残るのは宿命です」

 「だから誰も泣きやしないのか」

 「優しさと甘さは違います。生き残る可能性のある者を助ける優しさはあっても、生き残れないであろう者を無理に生かそうとする甘さは必要ありません」

 「……」


 理解はできる。が、どこかで納得しきれていない自分もいる。

 確かに……クリアの言っていることはあっている。正解だ。

 優しさと甘さは混同されやすいものだが、別々のものだ。

 優しさは生産的なものであり、甘さは非生産的なものである。それは分かる。


 「ならオールド。あなたは延命治療と言う行為を肯定する側なのかしら?」


 ブルーによる突然の問いかけ。それは人の倫理と呼ばれる考え方に触れるものだった。


 「……意思疎通もできない患者を無理に生かすことは罪か否かってことだろ?」

 「無理に生かされている患者にいつまでも固執して延命治療を施す行為は、時間とお金の無駄よね?」

 「だから老いたアルビナも同じだって言いたいのか?」

 「ここに残るアルビナ達もそれを分かっています。だから、相手に見捨てたなんて思わせない。自らがここに残って死を選び、先を行く仲間を見送る。これは……尊厳死なんです」

 「……そうか」


 クリアを否定する材料がなにも浮かばない。尊厳死と言われれば、それまでだろう。

 シンプルだが、絶対的だ。簡単な理は総じてどうしようもないことが多い。


 「感情に流されず、意味のあることと意味のないことの分別を冷静につけていく。これができなければ、この世界では生き残れません」

 「でも、この世界で生きている意味ってあるのか?」

 「……まだ、分かりません。でも、分からないから生きるんです。分かるまで生き続けるんです」

 「そして、またここまで戻ってくるのか。いつまでも、犠牲を出しながら命の中を循環し続けるのか」

 「だって、そうするしかないじゃないですか。他に生き残る方法なんてないじゃないですか」


 だんだん、クリアの表情が険しくなってくる。

 当然だ。わざわざ言いたくもないことを俺に対して言っているのだから。


 だが、この言葉を聞いてもまだ俺は納得しない。

 なにかまだ、別の道があるような気がして。


 「いずれにせよ、今からではもう遅すぎます。ここを移動しなくてはいけません」

 「ここでオールドがなにを考えようと、結果は変わらない。今、するべきことに集中するべきだと思うわ」

 「……ああ、そうだな」


 何を思おうとも、現状は変わらない。

 老いたアルビナ達が助けを求めるならば、或いは一緒に連れていこうと思ったかもしれないが。

 そこにある考え方は滅んだ人類のように破滅的ではなく、むしろ未来を見据えたものであるが故。

 俺が彼らに対して言えることはやはり何もなかったのだ。

 今は、そうだと思うしかない。


 だから俺は彼らに見送られて。

 そして彼らを見捨てたのだった。

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