7話 大帝様にプレゼント 「後宮、楽しみだわ!」


 ムツィオはアスラに対してローキックを放った。

 身長差があるので、低めを蹴るのが妥当だったからそうしたのだ。

 アスラはその蹴りをヒョイと軽く躱して微妙な表情を浮かべる。


「いや、本気でやってくれなきゃ物差しにならんだろう?」

「このワシを、天聖であるこのワシを物差し呼ばわりかっ!」


 ムツィオは全身に風をまとった。

 もうあまり魔力が残っていないので、速攻で倒さないとまずい。

 踏み込み、下から上に蹴り上げる。

 それは今のムツィオに出せる最速の蹴り。この蹴りを確実に躱せる者を、ムツィオは3人しか知らない。

 天聖最強の男と、大帝、そして聖女の3人。

 そして今、4人になった。

 アスラは躱した。ムツィオの蹴りを容易く、少なくともムツィオには容易く躱したように見えた。


 何度蹴っても躱されるに違いない、そんな絶望感がムツィオの心を支配した。

 アスラは躱したあとで飛び上がり、ムツィオの顔を蹴った。

 ムツィオは自分の蹴りを躱されて少し崩れていたのもあり、アスラの蹴りでフラついた。

 ダメージはあるが、それほど大きくはない。

 体勢を立て直そうと思った時には、次の衝撃があった。

 連続的な攻撃。

 そこからは一方的だった。

 アスラがずっと攻撃して、ムツィオは何もできなかった。

 何もだ。

 回避も防御もできず、何度も何度も攻撃を受けた。


 アスラが速いのもあるが、速いだけなら斬撃の方が速かった。ムツィオが何もできないのは、崩れた姿勢を立て直せないままだったから。

 それと、アスラの連続した攻撃が、まるで大きな1つの流れのように繋がっていたから。あまりの流麗さに目を奪われてしまうほどに。それほど無駄なく連鎖していたのだ。

 アスラの一発の威力は、女の子にしては大きい。どこにそんなパワーがあるのか、と心からムツィオは驚愕。

 しかし、耐えられる。耐えられるのだが、さすがにずっとは無理だ。

 ダメージが蓄積していく。

 このままではいずれ意識を失う。そう思った時、アスラが攻撃を止めた。


「うーん。君、めっちゃ頑丈だね。今の私のパワーでは倒せないか」

「……時間をかければ、貴様の勝ちだった。ワシは貴様の攻撃で崩れたままだった」

「スピードとテクニックには自信があるんだよね。でもやっぱりパワー不足が響くね。まぁ、体術だけで戦うことってあまりないけど」

「貴様なら天聖の1人になれるだろう。どうだ? 大帝国に来ないか?」


 ムツィオはアスラの才能を高く評価した。もし仲間にできたなら、実に素晴らしいことだ。

 この前、大帝の嫁候補にしたアイリスと同等かそれ以上。ムツィオはそう判断した。


「断る。私は傭兵だからねぇ」ニヤッとアスラが笑う。「そして基本、弱い方の味方なんだよ」


「まるで善人のように言っていますが」サルメが補足する。「基本、傭兵を雇うのは負けてる方ってだけです」


「ついでに言うと」マルクスも補足する。「弱者の味方をした方が楽しい。なぜなら相手が強者になるからだ」


「絶望的な状況というのにも」グレーテルが言う。「惹かれるタイプですわ、団長様もわたしたちも」


「なるほど」ムツィオが頷く。「貴様らはイカレているから、圧倒的な我が大帝国に与する理由がない、というわけか。愚かな……」


「なんでもいいけど、もう君の役目は終わった」とアスラ。


「ふん。ワシを倒したとて、ワシは天聖最弱……」


 そこまで言って、ムツィオの首が爆発し、頭が地面に落ちた。



「うん。爆発の威力も完璧に調節できている」アスラが上機嫌で言う。「私の魔法は今日も絶好調だね」


 ムツィオの頭はあとで使用する予定なので、なるべく原型を残しておきたかった。

 だからこそ、首だけを爆発させたのだから。


「この化け物が最弱ですか……」


 サルメが地面に転がったムツィオの死体を見ながら、苦い表情で言った。


「それで団長」マルクスが言う。「自分の戦闘能力……体術のレベルですかね? 測ってみた感想はどうです?」


「さっきも言った通り、パワー不足だね。でもまぁ、これは肉体的に成長するしかない。他は問題ない水準だと思ったよ」


「型も非常に美しかったですわ」グレーテルが言う。「まさにお手本! まさに舞い!」


「君たちも目指すんだよ?」


 やれやれ、とアスラが肩を竦めた。


「もちろんですとも」マルクスが力強く頷いた。「まぁ、帰りましょうか」


「死体を運んでおくれマルクス。サルメは首を頼む」


 2人は特に理由も聞かずに「了解」と言った。


「見せしめにでもしますの?」とグレーテル。


「いや違う。仮にも敵軍の司令官だし、帝国に送り返してやろうと思ってね」


「それはいいですな!」マルクスが言う。「捕虜の話では、こいつと大帝は仲がいいらしいですし!」


「お優しいですわね」

「そうだろう?」


 くっくっく、とアスラが邪悪に笑った。



 アイリスはエトニアル帝国に到着して、そこから更に数日かけて首都に移動。

 首都にあるネレーアの屋敷で1泊してから帝城、謁見の間に案内された。

 全裸で縛られたまま。

 アイリスは犬のように首輪をはめて、そのリードを天聖・歌声のネレーアが引いている。

 謁見の間は非常に明るく、埃一つとして存在していない。空気も凜としていて、非常に心地よい空間だった。


 壁や柱の装飾も一流で、赤いカーペットの模様でさえ一級品。

 一つの柱の両隣にそれぞれ騎士が立っている。大帝の親衛隊か何かだろう、とアイリスは思った。

 ネレーアが玉座の前で立ち止まったので、アイリスも立ち止まる。

 玉座も当然、派手でキラキラしていたけれど、それよりも何よりも。


「うっそでしょ!? イケメンすぎて吐きそう!」


 アイリスは思わず叫んでしまった。

 派手な玉座がボロい椅子に思えるレベルで美しい青年がそこに座っていたのだ。

 その黒髪はまるで濡れた鴉の羽のように艶やかで、赤い瞳は炎よりも妖しく、顔の造形はもはや神の領域だった。

 着ている白い服やマントはとっても高価な物だが、それらでさえ不要品に思える。

 何も身に付けない方が素材の美しさを活かせるのではないか、とアイリスは思ったのだ。


「ば、バカ……大帝様の前で……」


 ネレーアが怒り心頭という表情でアイリスを殴ろうとした。


「許す」


 しかし大帝の凜とした声で、ネレーアは振り上げた拳をゆっくりと下ろした。


「余が美しいことは、すでに周知の事実」大帝がニヤッと笑う。「事実を言って罪になることはない。そうだろうネレーア?」


「はい大帝様……」


 ネレーアがその場に跪く。

 そしてアイリスのリードをグッと引っ張った。お前も跪け、という意味だ。

 アイリスはそれを理解して、その場に跪いた。


「嫁候補を連れてきた、という先触れだったが」大帝がアイリスを見詰める。「面白い格好をしているな。趣味か?」


「違いますぅ! あたしはよく拘束されたり鞭で叩かれたりするけど、別に趣味じゃないから!」

「き……貴様、大帝様の前では淑やかに振る舞えとあれほど……」


 ネレーアの表情が引きつるが、アイリスはネレーアより少し後ろにいるのでその表情は見えなかった。

 しかしネレーアがプルプルと震えながら怒りを我慢しているのは理解した。


「性格も面白いようだ」


 ふふん、と大帝が笑う。

 きゃ、笑った顔も素敵! とアイリスは心の中で叫んだ。

 まるでロマンス小説の中に入った気分!

 まぁでもヒロインではなさそうね、あたし。だって全裸で縛られたヒロインなんて見たことないもん。


「確かムツィオの勧めだったか?」と大帝。


「はい大帝様……。ですので、上品さに欠けるのは仕方ないかと……」

「だろうな。あやつは見た目と強さでしか女を測らん」


 大帝は遠い目をして言った。


「ムツィオが死んだと……あたくしもまだ信じられません……」


 船で移動している時に報告があった。大きな鳥を使っての連絡だった。大帝国でも鳥を使ってるんだなぁ、とアイリスはその時思った。


「銀色の魔王、だったか?」

「はい大帝様……。フルセンマークでは有名な傭兵王で……あたくしが殺したと思ったのですが……」


 アイリスは最初から、ネレーアにアスラを殺せるとは思ってなかった。


「ふむ。全ての天聖を投入する」大帝が淡々と言う。「銀色の魔王、傭兵王の首をここに持って来い!」


「はっ!」


 ネレーアがキリッと返事をした。

 アイリスは「それで、あたしは?」と呟いた。

 天聖がアスラのところに行く、というのはあとで伝えればいい。今、重要なのはアイリスの今後である。


「ふむ。余はお前を気に入った。とりあえず後宮に入れてやろう」

「後宮!?」


 大帝の言葉に、アイリスが驚いて叫んだ。


「何だ? 不満か?」

「全然! むしろ楽しみ!」


 そう、後宮といえばロマンス小説の舞台!

 アイリスは自分が後宮に入るお姫様になった気がして、とりあえずその気分に浸った。

 幸せな妄想に身を委ねつつ、冷静な部分でアイリスはいくつかの思考を巡らせていた。

 1つ。この状態から大帝を無力化できないだろうか?

 1つ。あるいは後宮に潜んで情報を収集し、機会を待つか。

 1つ。帝国首都の位置をアスラたちに報告したのは昨日。大帝に挨拶に行くと言っていた。そろそろ来る頃だと思うんだけどなぁ。


「大帝陛下!! 大帝陛下!!」


 伝令兵が必死に叫びながら謁見の間に転がり込んだ。

 ああ、やっぱり来たのね、とアイリスは思った。


「何事であるか?」


 大帝は冷静に言った。

 伝令兵がネレーアの隣まで走って、跪く。


「賊が! 賊がこの帝城に!」


 伝令兵の言葉で、周囲の騎士たちが動揺した。

 ネレーアは立ち上がり、伝令兵の胸ぐらを掴んで無理やり立たせた。


「天下の……帝城に、賊ですって……?」


 ネレーアの声と表情は怒りに満ちていた。


「そういうことも、あるだろう」大帝は冷静だった。「殺さず捕らえよ。生まれたことを後悔させてやろうじゃないか」


 その言葉が終わったと同時に、「やっほー」という可愛い声が響き渡った。

 みんなが謁見の間の入り口に視線を送る。


「大帝様に献上品でぇす!」


 ニッコニコのアスラが言った。

 アスラの少し後ろから、マルクスとロイクが2人で木箱を運んでいる。

 あまりにも気軽な様子だったので、みんなちょっと呆けた。

 アイリスは慣れているので、特に何も感じなかった。


「……銀色の……魔王……ですって……」


 ネレーアがアスラを見て上ずった声で言った。

 酷く動揺しているのが見て取れた。

 それはまぁ、そうだろうな、とアイリスは思った。

 さっきまでアスラの話をしていたら、突然本人が現れたのだから。噂をすればなんとやらってことね。

 それに、アスラは遠くフルセンマークの地にいるとネレーアは思っていたはずだから。


「ほう。貴様が傭兵王か」


 大帝が不敵に言った。

 その声で我に返ったのか、騎士たちが一斉にアスラたちに詰め寄って武器を構えた。


「献上品だってば」アスラがヘラヘラと言う。「別に今日、この場で大帝を殺そうなんて思ってないよ? ちょっと挨拶に来ただけさ」


「そんな戯れ言がっ!」と騎士。


「よいよい」大帝が言う。「献上品とやらを確認しようではないか」


 大帝が玉座を立つ。

 うーん、確認しない方がいいんじゃないかなぁ、とアイリスは思った。絶対にロクなもんじゃない。

 でもあえて言わない。


「さすが大帝! 懐が広い!」アスラが両手を叩いた。「私もね、別に君を殺してくれって依頼は請けてないんだよね! 戦争に勝たせてくれ、って依頼も請けていない! よって、君を殺す理由は特にない!」


「殺しちまったら戦争、終わっちまうしな……」


 ボソッとロイクが言った。

 その言葉で、アスラがまだこの戦争を楽しむつもりなのだとアイリスは理解した。

 アスラが歩き始めると、マルクスとロイクが木箱を抱えたまま続く。

 騎士たちは道を開けたが、いつでも攻撃できる態勢だ。

 ネレーアも、酷く警戒している。

 アスラはアイリスの隣で歩みを止め、「よく似合ってるね」と笑顔だけで伝えた。

 アイリスも声を出さずに「うっさい」と言い返した。

 マルクスとロイクが木箱を置く。


「さぁ大帝様! どうぞ!」


 アスラが木箱を示す。

 大帝が頷き、木箱に近寄る。

 騎士たちが木箱を開け、そして表情が歪む。

 ネレーアと大帝も木箱を覗いてショックを受けた。

 アイリスも覗いてみたのだけど、中には氷漬けの死体が折りたたまれていた。それはそれは丁寧に折りたたまれていた。

 その一番上に、こっちを見るように置かれた凍った生首。

 それは天聖・風神のムツィオだった。


「仲良しだったんだろう? だから返してあげるよ! 私たちの善意だよ!」


 アスラがヘラヘラと言った。

 マルクスは無表情で、ロイクはやれやれと肩を竦めた。


「き、貴様ぁぁぁ!!」


 大帝が怒り任せに叫んだ瞬間、帝城の屋根が消し飛んだ。

 ああ、ゴジラッシュの熱線ね、と慣れているアイリスは淡々としていた。

 しかし帝国人たちはみんな驚愕して慌てている。

 その間に、アスラたちは花びらの階段を上って空へ。

 空にはゴジラッシュが待っている。


「こちらの善意のお礼に、もっと兵を送っておくれよ! できれば直接、私の国にも! 私の国の位置はそこの露出狂に聞くと良い!」

「誰が露出狂よ!?」


 アイリスが叫ぶが、アスラたちはどこ吹く風でゴジラッシュに飛び乗り、そのまま飛び去った。

 わぁ、本当に挨拶に来ただけじゃん!


「許さん、許さんぞ傭兵王如きが……世界の覇者である余を愚弄しおって……」


 大帝は怒りに身を震わせていた。

 戦争が激化することは間違いないな、とアイリスは思った。

 早めに大帝を倒せるか試してみて、ダメそうなら情報収集に専念しよう、とアイリスは心に決めた。

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