第54話 領域ー歴史の秘密②ー
私たちが領域に滞在する目的。文化と歴史を学ぶこと。
明確に国と民族という分類があった時代。土地や異文化や宗教の違いが大きな摩擦を起こすことがあり、それがきっかけで何度も大きな戦争に発達した。そうだった、と学んでいる。
私たちでもうっすらと記憶に残っているあの大きな戦争を引き起こしたのは組織同士の争いがきっかけだった。特権的な知識。世界を容易に変えてしまうAIの開発戦争とその覇権争い。世界中の国という国が自国の利益だけを追うために研究施設を増設し、ライバルとみなした研究施設を破壊していった。
そんな中で、人でいることを捨てて自らAIとなった研究者が率いる反社会的な組織が危うく世界を統一するところだった。
大きな戦いで私たちはとてもたくさんの価値観の転換を求められたけれど、自分たちがいる場所を見つめ直すきっかけにもなった。世界なんて変える必要なんてない。見たいもの、欲しいものはVRの世界でいくらでも体験できる。
ただ、過去にあった文化を知り、懐かしむことはとても大切だ。自分たちの失ったものをしっかりと理解し、だからこそ世界を変えようと思うことの恐ろしさを身をもって体験することができる。
これが、私たちがここで学ぶこと。
「そう。私たちは負けちゃったんだ」
マリが静かに口にした。後悔とか反省とか否定とか、そんな強い感情は微塵も感じさせない口調だった。目線を静かに下に下ろす。耳の横にかけられた髪がさらりと彼女の頬にかかった。それだけでマリが少し年上の女性のように見えた。
「本当に覚えてないの?」
硬い口調の声。ミユだ。そういえば、ミユはここに来てからずっと黙ったままだった。林の中でも少しおかしかった。やはり体調が悪いのだろうか?
マリがミユの方を振り向かずにうなずく。
「ここにいたことはぼんやりと記憶の中に残っているんだけど。別の人の思い出を眺めているような感じでちっとも実感を持って思い出せないんだよね」
「そうじゃない!!」
ミユが絞り出すような大きな声で叫んだ。マリが、いや、マリだけじゃなくてその部屋にいた全員がミユを見る。私はミユが泣いていると思った。でも、続けた言葉は冷静さを少し取り戻していた。ミユはいっときの感情だけで話しているんじゃない。もうずっと抱えてきた思いがその震えを押さえつけた声に込められていた。
「世界をめちゃくちゃにして、たくさんの人が・・・。それを覚えていないフリするの?」
マリがじっとミユの言葉を受け止めるようにして聞いてから、ゆっくりとでもしっかりと首を振った。それは、本当に覚えていないと言いたいのか、それともミユの言葉自体を否定したいのかわからなかった。
ミユが強い瞳でもう一度口を開こうとした時、佐々木さんがゆっくりと席を立ってミユのそばに近づいた。
「小嶋さん、少し休みましょう」
そう言って、ミユを部屋から連れ出そうとする。私も一緒に行こうとしたら、佐々木さんが動くなというように手のひらを向けてうなずいた。真っ白な顔をしたミユは佐々木さんには抵抗することなく素直にしたがって出口に向かって歩き出した。
ドアの前でもう一度だけ振り向いた。
「私、あなたのことずっと嫌いだった。嫌いな理由がわかってよかったよ」
誰もミユを責められない。
ミユに何があったのかはきっと私は聞けないと思う。「あれ、旅客機だ」と空を飛ぶ飛行機を見てつぶやいていたミユの姿を思い出す。もう二度と戻ってこない時間のどこかで、きっとミユは何かをどうしようもなく亡くしたことがあるはずだ。
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