第52話 領域ーあの日起きたことー
「おくれてごめん」
のんびりとした先輩の声が届いた。
「きたか」
ケンシがそう言ってふりむく。
先輩は立っているケンシに落ち着けよ、と言って椅子を示すと自分もその隣にこしかけた。そして、じっとマリを見つめる。その様子を見てしぶしぶと、ケンシが腰を下ろす。
「久しぶりだね、お姉ちゃん」
先輩は驚くことなんて何もないように微笑む。
「ユウト、大きくなったねぇ」
マリが小さな顔を両手で覆うようにして大きな瞳をさらに大きく開いて先輩を見つめる。
「なんか、覚醒そうそういろいろやってくれたみたいだね」
先輩がにんまりと笑う。
引き起こした原因が私にあるのは間違いない。
「ごめんなさい」
「吉川は何も悪くないじゃん。ありがとう」
先輩が真面目な顔をして私を振り向いた。先輩の目の奥に私に対する罪悪感のようなものがうっすらと見えて心のどこかが少しだけ痛くなる。
「じゃ、行こうか?佐々木さんの居場所は確認済み。探しに行くつもりだったでしょ?」
そう言って先輩がニッと笑ってからみんなを促すように立ち上がる。ケンシが呆れたようにため息をつく。
「俺は本当にお前が何考えているのかわからないんですけど?」
「安心しろよ。お前が心配しているようなことじゃない」
「俺が心配していることがなんだかわかってんのかよ」
「さーね」
先輩が笑っで、ぽん、とケンシの頭をたたく。
「ほら、俺もお前が何考えてるのから分からないんだから一緒だよ」
林の中をゆっくりと歩きながら、マリは話し出した。
「あの日、ここが攻撃されて。2度目の攻撃をうけた時はシステムも・・もたなかった」
システムも・・とマリが言ったときに、人が行方不明になったと先輩が言っていたことを思い出した。マリがこれから話す内容は決して明るいものだけじゃないはずなのに、微風にゆれる林の中を歩く私たちははたからみたらとてもくつろいで見えたと思う。
ケンシはつき物が落ちたように安らいだ表情のまま文句も言わずにマリのあとを歩いていた。ミユは私の方をちらりともみない。明らかにわざとだった。何をおこっているんだろうと、頭にはきたけど、先輩のいる前では喧嘩をしたくはなかった。
先輩は私たちよりも少し先を一人で歩いていた。時折こちらをふりかえって、思い切り両手を振って見せる。私は先輩が林の中に溶け込んで消えてしまう気がして、絶対に目を離さないでいようと思った。
「私が作っていたシステム自体は問題なく、データ転送可能だったけれど、攻撃してきた人たちはその瞬間をねらってたんだと思う。セキュリティーが落ちるから」
マリは気持ちよさそうに風に目を細めて木陰に落ちる木漏れ日に目をやった。
「さっさと逃げればよかったのに」
ケンシが言う。
「逃げたんだって。ここにいる私はただの幻なわけじゃないよ」
マリが自分の顔をつねってみせる。
ケンシが眉をひそめると、マリは
「いま、不細工だなっておもったでしょ?」
と、わざとらしく顔をしかめてみせた。確かにここにいる誰よりも現実的で生き生きとしているのはマリだと思う。
「あの日、・・・先生の助けもあって」
そう言ったマリの顔はほんの少しだけ表情が陰って見えた。
「先生?」
尋ねたら、マリがなつかしそうに目を細めた。
「そう。大学の時からいろんなことを教えてくれた恩師。AIと記憶のスペシャリスト」
「AI?」
ケンシが何かを思い出すすために自分に問いかけるように小さく呟いた。
「私たちはもともとAIの研究をしていたの。その研究を通じて人とAIの違いを明確にしていく中で、機械には真似できない人の記憶、特に感情や質感が伴った記憶による世界の再構築の仕方を考え出したんだ」
少し言葉を切ってマリがまっすぐに前を見る。林の向こうにゆっくりと宿舎が見えてきた。
「その作業のことをアーカイブって呼んでいて。アーカイブをする私たちの仕事場は『図書館』って言われていた。私はこの島のみんなの記憶をアーカイブしようとしていたの」
ミユが足を止めた。
「ミユ?」
振り返ると、少し顔色が悪く見えた。
マリも心配そうに振り返る。
「大丈夫。一瞬、めまいがしただけ。気にしないで」
ミユがなんでもないことのように笑って、歩き出す。完璧な微笑みだった。私にも同じように隙のない笑いを浮かべて見せる。ミユがこういう風に笑うときは、何かを考えている時だ。何か、あまり良くないことを。
「結局・・・、この世界は偽物だろ?」
ケンシがすねた小さな子供のようにつぶやく。
「違うよ」
凛としたマリの声が林にこだました。
「確かに、いわゆる現実ではないかもしれないけど」
マリは、頭の中の言葉を探すように少し思案した。
「この世界は偽物なんかじゃないよ」
深呼吸するように手を広げて、マリは思いっきり空に体をのばした。
「だって、あの夏の記憶がベースになってる」
そう言って私とケンシを交互にみて微笑んだ。
木漏れ日の向こうにみえる空をつかむようにマリが両手をのばす。ケンシはまぶしそうに空をみあげる。その先にあるものが何かみようとしているようだった。林の中を小さなころの先輩とケンシが転げるように走っていくのが見えた気がした。マリと一緒に海ではしゃぐ姿も目に浮かぶ。優しくて、どこかせつなくなる時間のかたまりがここにはつまっている。
「じゃあ、もうとりもどせない時間なんですか?」
そう問いかけたわたしにマリは優しく微笑みかけた。ショートカットの女の子ではなくて、とても素敵な大人の女の人のほほえみだった。私もこんな風に笑える人になりたいと思ったし、こんな笑顔をむけられたらこの人のことを好きになるしかないなと思った。
マリが続いて何かを言おうとしたとき、
「おーい」と、まっすぐな声がした。先輩がマリに向かっておおきくてをふる。マリは笑顔でそれに答えながら小さな声でささやいた。
「この世界のことを」
強い風がは林の中を通り抜け、何枚かの葉をちらしていった。
「ユウトはずっと前から知っていたと思う」
ハラハラと木漏れ日の中で、先輩がもう一度大きくてをふった。
「私ができるのはここに確かに存在した“時”を守ることだけ。ケンちゃん、」
マリの呼びかけにケンシが素直にふりむく。
「何があってもユウトの味方でいてあげて。忘れないでね?」
柔らかい風が乾いた夏の空気をゆらして私たちの間を通り過ぎて行った。遠くで風にゆれる木々の葉音がきこえるくらいに静かだった。ケンシがちいさくつぶやいた。「わすれるかよ」と。ケンシの青い瞳は凪の海をうつしたように静かで安らいで、でも今にも泣きだしそうだった。
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