第50話 領域の向こう19
ミズキが小学生のとき、母方の祖母が死んだ。母の田舎は九州で、どういった経緯があったのかはわからないけれどミズキたち姉妹には祖母が死んだことは伝えられずに母だけが葬儀に行った。
お母さんだけがおばあちゃんの家に行ってずるいよねー、と姉たちと文句を言って過ごした1週間、ミズキの中で祖母は確実に生きていた。
母が帰ってきて、ようやく祖母がもういないことが告げられた。姉二人はその場で号泣した。でも、ミズキは悲しいという気持ちはわいてこなかった。言葉にうまくできなかったけれど、だっておばあちゃんはほんの数分前まで生きていたじゃない、と言いたかった。
その話を聞き終わっても高橋は天井に顔を向けたまま動かなくて、寝たのかと思って、そっと何かをかけてあげようとミズキが起き上がったときに高橋が話し出した。
「人ってさ、誰かに完全に忘れられてときに本当に死ぬって言うよね」
「記憶の中でずっと生きてるぞーって?」
うーん、と高橋は頭をかくと、俺もうまく言えないんだけど、と言いながらポツポツと話し出した。
「俺たちの一つ上にさ、ツトムっていうやつがいたの覚えてる?」
「あー、何となく。色が白くてサラサラヘアーの」
「よかった」
と、高橋が笑う。
「何で?」
「この前さ、カナとキョウタロウに同じように聞いてみたんだよ。飲みに行ったときに、ふと懐かしくなって。思い出共有したくてさ。あ、ミズキがまだこっちに戻って来る前ね」
「うん」
高橋が黙る。雨の気配が強まった。昨夜から降り出した雨がひたひたと窓を打つ。ふーっと息を吐いてから高橋がまた話し出す。
「二人ともそんな子いた?って言って全然覚えていなかった」
「あー、大人しい子だったしね」
「俺は結構、公民館で本を読んでいるの見たから。たまに本の取り合いとかしてたし」
「高橋が一方的に奪ったんじゃなくて?」
「そんなことはない。はず」
部屋の中は暗かったけれど、何となく高橋が笑った気配がわかった。
「で、あいつらが知らないって言った時に、じゃあ、俺の中で懐かしく生きているツトムは誰なんだろうなって思った」
閉じられた窓からひんやりとした空気が流れ込んでくる気がして、ミズキは高橋のそばに少し体を寄せた。
「家に帰って保育園のアルバムとかまで確認したよ、バッチリ写ってた」
「ツトムもきっと元気でやってるよ」
高橋の頭にコツンと自分の頭を当てる。二人の記憶があれば同じ世界を共有できる。そうきっと、いつの日かツトムを交えて三人で飲みに行ったりすることだってあるかもしれないとミズキは思った。それは現実とは限らない。夢の中であっても、思い出の中であっても、世界はいくつあっても構わないのではないだろうか。
高橋がいて、ミズキがいる限りいつまでだってツトムがいた世界を守ることができるはずだ。祖母がミズキの中で確実に生きていたあの1週間のように。
「高橋の中にある世界は私も感じることができるよ」
ミズキがそう言うと、高橋がかすかにうなづいた。しばらくして静かな寝息が聞こえてきた。ミズキは、誰も聞いていない空間に向かって小さく呟いた。
「記憶の中の世界だって本物だよ」
ゆっくりとミズキも眠りに落ちていった。夢を共有できるようにするにはどうしたらいいかなと、ほんの少しだけ考えようとしたけど柔らかな眠りの渦は心地よくてあっという間にミズキの意識は霧散した。
※※
そんな、少し前のことをミズキは一瞬だけ夢を見るように思い出した。
2度目の攻撃は、物理的な破壊行為も伴っていた。もうもうと白い煙が立ち上り、誰の声も聞こえなかった。ほんの数秒だけミズキは意識を失ったが、目をさますと自分が暖かいものに包まれて守られていることに寄付いた。柔らかくて暖かい。
「高橋!」
ミズキが這い出すと、高橋はうっすらと目を開けた。いつものように口の橋を上げて笑おうとしているように見えた。ミズキが微笑み返すと満足げにうなづいた。高橋の背中をそっと支えると、ぬるりと熱いものが触れた。
「ミズキさん!」
佐々木がマシンの向こうに顔を見せる。腕をやられたようで、だらりとした彼の右手を一生懸命左手で抑えている。
ミズキは顔を上げて、システムが動いていることを確認した。転送準備も完了していた。体を動かすと足に何の感覚も残っていなかった。這うようにデスクに近づいて、転送スタートのコードを入力した。最後のチャンスだろう。そして、もう一つのシステムにヘッドフォンをつなぐと、電子音声の出力を最大に設定した。本来であれば、一人づつ操作を行う必要があるのだろうけれど、今は贅沢を言っていられない。
「佐々木君、今から転送始める」
「・・・・・・二人同時に?」
佐々木が上ずった声でミズキに問いかける。うなずいて、ミズキは高橋を振り向く。
「高橋、聞こえる?」
隣に横になって高橋に話しかけた。「おう」という微かな声が聞こえた。もしかしたら声帯器官がやられているのかもしれない。
「今から、私は自分の意識をAIに転送しようと思う。私が作ったシステムを守るにはこれしかもう方法がないの」
高橋がミズキの腕をつかむ。辛そうに顔を歪める。
「でね、」
高橋の髪を撫でながらミズキが続ける。
「高橋にも一緒に来てもらいたいの」
高橋がうっすらと目を開ける。
「ごめんね」
「いいよ」
ひゅうひゅうと漏れ出るような声だったけれど、高橋はいつものように大したことでもないように言ってうなづいた。
ミズキは二人で音声が聞こえるようにヘッドフォンをセットして、高橋に寄り添った。なんだかものすごく眠くなってきた。
「記憶の世界は好きな季節を選べるんだけど、いつがいいかな」
「なつ」
「わかった」
ミズキが最後の操作をするために手を伸ばすと、佐々木が小さく首をふりながら、ミズキの手を止めた。
「止めないでよね」
佐々木が苦笑する。
「わかってますよ。ミズキさんが頑固なのは。自分で操作して二人同時に転送完了させるのは不可能です。・・・僕がやります」
佐々木の声が少し震えていた。
ミズキは佐々木に、
「佐々木君、いつか私たちを連れ戻してね」
と、微笑んで見せた。
佐々木は動く片手でマシーンを操作しながら、その肩に口元を押し付けるようにしてうなずいた。体の震えを一生懸命押さえつけようとしているように見えた。
「なんか眠いね。たかは・し・・?」
高橋が握った手にかすかに力を入れた。安心した。そしてゆっくりとゆっくりとミズキは眠りに落ちていった。ミズキが一番好きな夏の夕暮れの海の音が聞こえてきた気がした。
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