美人の顔に弱いので

 契約の先触れとして、アースさんに害が無いという演出として、ノゲイラの空に架かった大きな虹。

 それを背に満足気な様子で戻って来るアースさんを見上げて私はほげーっと口を開けていた。


 いやぁ派手な演出って言ってたけどこれは派手すぎませんかね。

 城に戻った後の皆の反応が楽しみだわーと、現実逃避しながら変わらずほげーっとしている私と同じように、シドもまた疲れた表情で虹を見上げていた。



「……クラヴィス様」


「思っていたより派手だったな」


「……アレを派手で済ませないで欲しいのですが……」



 喉で小さく笑いながら軽く答えるクラヴィスさんに対し、シドが溜息交じりに首を振る。

 なんだか酷く疲れた顔をしているけど、何か問題でもあるんだろうか。

 確かに規格外に大きいが虹に変わりはないんだし、説明すれば良いだけのことじゃないのかな。

 シドの反応が不思議で虹からシドへと視線を移すが、シドは遠い目で空を見上げたまま静かに口を開いた。



「ただでさえ魔物と契約したのです。その上でこのような巨大な虹が架かったとあれば、また言いがかりをつけてくるに違いありません。

 それにもう言い訳もできない状況ですし、今回ばかりは逃れられませんよ……良くて召喚か、あるいは……」


「どのみち領地の件で王都に呼ばれる頃合いだ。

 どうせなら一度にまとめた方が楽に済むだろう」



 何やら不穏な空気が流れ始め、間近にあるクラヴィスさんの表情を見て固まる。

 シドの忠言を切り捨てたその口元は歪に上げられていて、ここではない何処かを見据えた瞳が冷え切っている。

 今まで見たことのないその冷たさは、整い過ぎているほどの美貌に良く合っていて、見ているこちらが寒く思えるほど冷たい絵画のようだ。


 一体何がクラヴィスさんをこんな表情にさせるのだろう。

 シドの言っていた召喚という言葉からして、恐らく王都の何かに対するものか。

 とりあえずとっても恐ろしいのでどうにか収まらないですかね。美人の歪んだ笑みって凄みがすごいのよ。抱っこされてるから逃げ場もないのよ。

 助けを求めようにもシドはこの圧に慣れているらしく、額に手を当てて緩く首を振り、助け舟などないまま話を続けられた。悲しみ。



「その一度にまとめた案件が大きすぎるのですが。

 ……御身の安全を第一に考えてくださいと何度言えば……あの方の」


「シド」



 名前を呼ぶことで遮った言葉の先には何があるのだろう。

 遮られたシドも理解できないのか、口を噤んではいるものの不思議そうにクラヴィスさんへと視線を向けた瞬間、顔色が一気に青白くなった。



「あの女は死ぬまで続けるだろうよ。

 気にしたところでこちらの歩みが遅くなるだけだ」



 声を聴いただけなのに、背筋にナイフでも突きつけられたかのような恐怖が沸き上がる。

 怖い。その感情を向けられているわけではないのに、心の底から恐怖を抱いてしまう。



「それに」



 わざとらしい間を開けて、ゆっくりと一呼吸するのが触れる胸の動きから感じ取れる。

 怖いもの見たさの好奇心か、それとも単なる恐怖からの強迫観念か。

 恐る恐る恐怖の中心へと向けた視界が捉えたのは、昏く燃える業火の瞳だった。



「いい加減、どちらが崖に立たされているか解らせねばならん」



 先ほどよりも歪みが増し、明確な怒りを宿した黒曜がギラギラと輝く。

 獰猛な横顔はまさに獲物を狙う獣のようで、私は犬歯を剥き出しに嘲う頬に触れた。



「なんだ」


「いやぁ美人のそういう顔って怖いから」



 唐突に頬に触れてきた私に対し、冷たさを少し収めたクラヴィスさんの視線が向く。

 理由を聞かれても、クラヴィスさんの表情が怖いからちょっと収めてほしいだけなので素直に答えれば、私の願った通り冷笑が収まり固まった。



 なんでこんな突拍子のないことをしでかしたかって?

 だってシドは青白いまま固まってるし、アースさんは戻っていいのかわからず宙で戸惑ってるんだもの。

 誰も助けてくれないんだから自分で道を切り開くしかないじゃんか! 


 最早自棄になってる気もするが、自棄になったらなったで突き詰めてしまえばいいのです。

 誰も止めないなら私の好きにしてやろう。どうせ笑うならたまに向けてくれるあの優しい微笑みが良いんだよね。美人の笑みを見せてくださいよぉほらぁ。

 固まっている頬を小さな子供の手でもにもにと好き勝手に揉んでいると、少しの間の後クラヴィスさんの肩が震え始めた。おやぁ?



「……くっ」


「ん?」


「っ、ふはは!! そうだ、そういう人だったな君は!」


「うぇ?」



 冷笑から固まって、一転爆笑とは何故にでしょうね。

 笑ってくれるなら良いのだが、なんとなく馬鹿にされてる気がするのはなんででしょうね。誠に遺憾。



「クラヴィスさん?」


「いやなに、改めて思い直しただけだ。

 あぁそうだった。すっかり忘れかけていたな……危ないところだった」



 笑いが収まらないのか私を抱きしめて笑いを堪え、噛み締めるように呟かれる。

 忘れかけるって出会ってから五か月しか経ってないのに何を忘れかけるんだか。

 それにしてもクラヴィスさんが大口を開けて笑うなんて初めて見たなぁ。意識を飛ばす前にもうちょっと見たかった。

 苦しさにぼんやりしていると、ようやく笑いが収まったのかクラヴィスさんがゆっくりと息を吐き、私を抱きしめる腕の力を緩めた。ふぃー思うように息ができるって素晴らしい。



【感情の起伏はそう激しくないと感じておったが、急に怒ったり幸福に満ちたりと案外忙しないんじゃな】


「あ、おかえりアースさん。遅かったね!!」


【ワシじゃって怖いもんは怖いんじゃもーん】



 タイミングを見計らって戻ってきたアースさんへ最大限の煽りをすれば、なんとも腹の立つ反応が返ってきた。

 『もーん』じゃねぇよ。可愛い子ぶってもその見た目じゃ大して意味無いから。


 苛立ちからぴくぴくと頬が引き攣らせていると、不意に大きな手が私の髪を梳いていく。

 髪が流れる感覚にすぐ傍にあるクラヴィスさんを見れば、見たかったあの優しい微笑みが向けられていた。あっ至近距離爆撃じゃん即死です。

 ボンと頭が破裂したかの如く、顔が真っ赤になるのが見ずともわかり、わけのわからない羞恥心から固まる私を置いてクラヴィスさんは元の凛とした表情でアースさんに向き直った。



「私のそれは、傍目から見てもわかるほどだったか」


【見た、というより感じた、じゃな。

 契約獣は契約の繋がりで主の感情がある程度伝わってくる。

 だからこそお主が今、何よりも強く抱いておるその感情も伝わってくるんじゃが……それは個人のモノ。ワシが口を挟むモノでもなかろうて】


「そうか……そうしてくれ。

 これはまだ誰も知らなくて良いモノだから」



 どうやらクラヴィスさんにとって隠しておきたいものまで伝わってしまったようだ。

 元々アースさんは口に出すつもりが無かったのに、それでも口止めを頼むなんて相当の秘密だろう。

 正直滅茶苦茶気になる。でも聞いちゃダメだよねぇ。うん、忘れることにしよう。契約ってプライバシーの欠片も無いネ。



「さて……シド、地図を。それから先に湖の調査を始めておいてくれ。

 私はアースと話しておきたいことがある」


「承知いたしました」



 黙っていてくれるならそれで良いらしく、クラヴィスさんはいつもの声色でシドへと指示を出す。

 さっきの殺伐とした空気が無かったかのようにシドもいつも通りに頷き、鞄の中から地図を取り出しクラヴィスさんへと差し出した。

 魔物の調査とは聞いていたけど湖の調査もしちゃうのね。だからあの荷物の多さだったのか。


 地図を手渡したシドは指示通り、湖の方へと行き、鞄の中から色々な道具を取り出し始める。

 湖の調査ってどんな風にするのかなぁ。沢山持ってきてたし、やっぱり魔道具も使うんだろう。どんな魔道具を使うのかな。



「トウカもシドのところにいなさい。

 調査には貴重な魔道具も使う。見ておいた方が得だぞ?」


「そりゃあ見なきゃ損ですね!」



 そわそわとしている私に気付いたのか、元々そのつもりだったのか。クラヴィスさんの言葉に元気よく返事をすればすぐさま地面に降ろされる。

 魔道具で水質とか棲んでる魚の種類とかも判るかな。特に真珠を作れる貝類なんてのがいるなら、養殖して良い商売ができると思うんです。

 あぁ、でもその前に、一つだけ聞いておきたいことがあるんだった。



「……ねぇ、クラヴィスさん。『あの方』って」


「君は何も知らなくていい」



 聞きたいけれど、きっとこれはクラヴィスさんの心を絞めつける『誰か』だ。

 果たして私がそこまで踏み込んで良いのか分からず、声を落として静かに尋ねるけれど、やはり最後まで言わせてもらえなかった。



「もう終わった面倒事の後処理が上手く行かず、今も燻っているだけだ。

 私はこの件に君を関わらせるつもりは全く無いし、関わらせたくもない。

 だから君も、これ以上知ろうとしないでくれ」


「は、はぁ……?」


「返事は?」


「……よくわからないですけど、クラヴィスさんがそういうなら了解ですぅ」


「それで良い。そうしてくれ」



 わかったのは本当に断片的で限られた事柄のみ。

 はっきりと分からされたのは、これ以上は踏み込めないということだけだ。

 左遷された魔導士で、シドみたいな従者がいて、国の一部を任されるほど王様に信頼されている。

 改めて考えるとこの人がどんな過去を歩んできたかほとんどわからない。けれど、それでもどんな人かはわかっている。



「ストレス、溜め込んじゃダメですよ」


「ストレス……?」


「あー精神的苦痛とか、負荷とか、そう言ったら伝わりますかね。

 怒ったり悲しかったり苦しかったり辛かったり、そういった時に心に降り積もる苦痛です」



 独りでも進む人だから、独りでも耐えて来たことが沢山あるだろう。

 人は一人では生きていけないというけれど、この人は一人でも生きようとするだろう。

 そうして沢山の重荷を背負い続けて行くんだろう。



「人によって耐えられる重さは違うけど、それでも人には限界があるんです。

 心が限界を迎えれば精神を病んだり、体が動かせなくなったりしちゃいます。

 だからまだストレスに耐えていられるうちに対処しないとダメなんですよ」



 背負い続けて耐え続けて、そうして進み続けた先がどうなるか。

 どれほど耐えられるかなんて自分でもわからない。そうして限度を見誤った人の結末を私は知っている。

 そうなる前に、そうならないように、自分自身を甘やかして欲しい。



「好きなことに打ち込んだり、楽しいと思うことをしたり、なんにもしない日を作ったりして息抜きしてください。

 私はまぁ、ダメらしいんでこれ以上は聞きませんが、シドに話したりしてくださいな。

 誰かに話すだけでも多少は気分が晴れますから」



 努めて笑顔でそう伝えれば、クラヴィスさんは瞬きを繰り返す。

 私が知る限り、クラヴィスさんの望むことはそのほとんどが誰かのためになることだった。

 誰かのためになることが生きがいならそれはそれで良いだろう。


 でも、どこまでも付き従ってくれる存在が傍に居るんだ。

 たまには自分のためだけに愚痴を零したりすれば良い。

 きっとシドは、何があってもクラヴィスさんの味方だろうから。



 言いたいことは言えたので、シドの元に向かおうと一歩踏み出したとき、慣れ親しんだ声が私を呼び止める。

 振り返って見上げれば、優しく微笑んだクラヴィスさんが私を見ていた。今日爆撃多くない?



「……落ち着いたら、君の話をたくさん聞きたい。

 知らない事を知るのは楽しいからな」


「それぐらいなら幾らでもお付き合いしてあげます。

 そうですねぇ。おいしいお菓子を用意して、楽しい小さなお茶会でも開きましょ?」


「あぁ、それは楽しみだ」



 これ以上聞けない私に気を遣ってくれたらしい言葉に、私もにっこり笑顔で返す。

 至近距離じゃなかったから耐えられたけど、良い意味で心臓に悪い笑顔だなホント。

 さぁて、楽しい話ができるように、まずは湖の調査に専念しようか。魔道具の類は全く使えないだろうから全部シド頼みだけどネ。

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