虹を結んで縁を繋ごう

 ──私がこの世界に来たのは恐らく、渡る者の誰かが世界を渡る際に巻き込まれたから。

 けれどそれは目の前にいる渡る者、アースさんではなく他の渡る者の誰か。

 更に言えば私がこの世界に来たのはアースさんでも解らない奇跡のような状況で、幼児化した原因は渡りが関係してるわけじゃない、と。



 アースさんが教えてくれた内容を自分なりに改めてまとめてみるとこんなところだろうか。

 渡る者という存在が関係してるはずっていうのがわかっただけ十分な収穫だ。

 何もわかってなかった時よりはわかっている。それは確かなんだから。


 そう言い聞かせるけれど、私の不安は表情に出ていたんだろう。

 ぽすんとすっかり覚えた大人の手に頭を撫でられ暗い思考から前を向き直れば、眉根を下げたアースさんと目が合う。

 その顔は本来、威厳に溢れた神様の顔なのに、私を見るその顔はまさに孫を心配するおじいちゃんのような顔に見えた。



【トウカがどうしてこの世界に渡ったのか、どうして幼子の姿になっているのか。

 ワシも答えることはできぬがこれだけは断言しよう。お主が元の世界に戻ることはできる】


「っ、ホントに!?」


【うむ。お主が生きた年月が、世界を越えようとも縁を保ち続けておる。

 それを導にワシが必ず元の世界へと送り届ける】



 脳裏にあの世界で私に笑いかけてくれた沢山の人達の姿が過ぎる

 私が生きた二十四年、それが私を元の世界に繋いでくれている。

 そう教えられた途端に湧き上がっていたはずの暗い不安がどこかへと吹き飛び、むず痒い嬉しさで頬が緩んでしまう。


 帰れるんだ。私はちゃんと帰れる。家族がいて、友達がいる。私が生まれ育ったあの世界に。

 仕事で疲れてベッドに倒れ込んだり、休日に気分転換に出かけて美味しいものを食べたりして……そんな風に過ごしたあの世界に帰れる。



 ぎゅうっと両手を握って喜びを全身で噛み締めていれば、ふと視線を感じてクラヴィスさんを見上げるけれど、私の見間違いだったのだろうか。

 確かに険しい表情を浮かべたクラヴィスさんと目が合ったと思うのだが、瞬き一つした後にはそんな色はどこにも見当たらない。

 むしろじっと見上げている私に向けて、良かったなと言わんばかりに軽く微笑んで頭を撫でてくれた。美人の微笑み爆撃をいきなり降らさないでください。身構えてなかったから大ダメージだよ。


 爆撃の衝撃で固まっていてもお構いなしに優しく髪を梳いていった手が離れて行くのを視線で追い、軽く息を吐く。

 何だかうやむやになっちゃったけど、さっき苦しそうな様子に見えたのは気のせい、なのかなぁ……?



【とはいえ、しばらくはこのままこの世界に留まるんじゃよ。

 ワシの力が戻っていないのもあるが、戻るとなればその姿のままで戻る事になるからの】


「へ?」


【何故姿が変わったかもわからんのじゃ。戻し方もわからん。

 なにより、どの世界でも老いに怯え若さを求める者は大勢おる。そんな者達にお主の事が知られればどうなることやら……】


「あー……そういうこと。うん、確かに駄目デスネ」



 見たはずの幻に首を傾げていたが、溜息交じりで降ってきた言葉がまさに冷水の如くぽわんとしていた私の頭を現実に戻す。

 そうだね、老いなんて誰も望んじゃいないからね。クラヴィスさんにも最初に釘を刺されたね。人体実験なんて断固拒否だよ! 観察もな!!



【すぐさま戻りたいのであれば叶えても良いが……身寄りのない幼子として生きる事になりかねん。

 それぐらいならばこの世界に留まり、元の姿に成ってからの方が良かろう?】



 今の姿のまま戻ったところで誰も私が壱岐冬華だって信じてはくれないだろう。私だって信じ難いんだ。それを人に押し付けれるかってんだ。

 家族とか昔からの友達とかなら信じてくれるかもしれないけれど、説得できるかどうかはわからない。

 うまく説得できずあの人達に放り出されたりしたら……想像しただけでおっそろしい。


 この世界よりかは生きやすいだろうけど、家族も友達もいる世界で誰にも頼れないなんて怖すぎて嫌だ。

 そんな危ない橋渡るぐらいなら、アースさんの言う通り何年掛けてでも元の姿に戻ってから帰った方が良いだろう。だが、そうすると一つの懸念が生まれる。



「でも、そんな悠長にしてらんないのよね。

 あんまり長く行方不明だと死亡扱いされかねないもの」


【あぁ、それはお主が流れ出てしまった時間軸に入り込めばいいだけの事じゃ。

 縁さえ在ればそれも辿れるし、何よりお主の記憶を頼りにどのあたりか選べば良い。

 歴史を変えるのは良くないが時を超える事自体は容易いからのぅ……何なら幾度でも挑戦できるぞ?】


「それなら良い、のかなぁ?」



 戻るのに時間がかかればどうなるか、という心配が一刀両断され、首を傾げながら独り言ちる。

 こっちに来てしまったあの時、つまりは湖に落ちたあの時に戻れるのなら、過去の私と入れ替わるように戻るのも簡単だろう。

 湖に落っこちてこの世界に来たからね。水中なら目撃者は居ないはず。



 一瞬、そんな事せずともアースさんに私が世界を渡るのを阻止してもらえば良いのではと思ったが、さっきのアースさんの言葉を思い出して首を振る。

 私がこっちの世界に来なかったら、少なくとも農業やオルガ糖等、色々な事が無かったことになってしまう。

 全てこの世界にいつか芽生えていた知識かもしれないけれど、それでも私がもたらした全てが既にこの世界の歴史を変えたのは自分でもわかってる。

 歴史を変えるのは良くないというのがどの程度の事かはわからないけど、私でも思いつくような提案をしないという事は、私がしてきたことはもう変えてはいけない歴史なんだろう。


 何と言うか……ある種の自業自得みたいな感じ。自重する気は全くないけど。

 やってしまった事はしょうがない。この世界の状況が良くなったんだから良いんだよ。そう思っておこう。



【念のためお主の縁はワシが守っておく。

 自ら縁を捨てない限り、何年経とうと必ずお主を送り届ける故、安心せい】


「それなら安心だけど……どうしてそこまでしてくれるの? アースさんのせいじゃないのに」



 アースさんにはアースさんの事情があってここで休んでいるのに、そんなに手厚く私の面倒なんて見ててちゃんと休まるのだろうか。

 考えてみればさっきからの物言いもちょっと気にかかる。別にアースさんが悪いわけじゃなかろうに、責任を感じてるような物言いだ。

 やけに甲斐甲斐しい気がして問えば、アースさんは大きな瞳をぱちぱちと瞬かせる。そして星の流れる金色の瞳を細めた。



【ワシでなくとも渡る力を持った者が巻き込んだのじゃ。渡る者にはお主の望みを叶える責任がある。

 これも何かの縁、ワシはいつでもお主の力になろう】


「……じゃあお言葉に甘えて、頼りにしてるねアースさん」



 にっこりと厳つい笑みと共に向けられた穏やかな声色に、私もにっこりと笑みを返す。

 力を持つ者の責任なのかなんなのか知らないが、頼って良いのなら遠慮なく頼らせてもらおう。

 だってそうしなきゃ私帰れそうに無いもの。アースさん以外手掛かり無いですし。

 私のせいでどこかの世界が滅ぶとか、私のせいで誰かが死ぬとか、そんな嫌な事にならない限り私は私を優先するぞぅ。



 色々と話をしていたからか、それとも彼の足が速いのか。

 ふとクラヴィスさんとアースさんが林の方へと視線を向けたのを見て、クラヴィスさんの肩越しに私も林の方を見れば、シドが荷物を持って駆けて来るところだった。

 そんなに時間は経ってないと思うんだけど、もうあの道を往復して来たのね。流石忍者従者。



「失礼致します。ただいま戻りましたが……」


「丁度一区切りついたところだ」


「おかえりなさーい」



 言葉を少し濁しつつ自身に窺う視線を向けるシドに対し、クラヴィスさんはそう言ってシドの手にある二つの水筒の内、小さい方を取る。

 私達がただお喋りしていたわけではないと雰囲気を見て察したんだろう。ちょっと空気重いもんね。

 私も気持ちを切り替えて子供らしく迎え入れていると、クラヴィスさんは片手で器用に水筒の蓋を開けて私に渡してくれた。

 幼児を抱っこしたままでよくやるよねぇ。喉カッラカラだったので有り難く受け取ります。



【さて……お主らには随分と迷惑をかけとったようじゃし、魔流の流れでも弄ってこの辺りの魔力が活性化するよう促しておこうかの。

 魔力が活性化すれば生きる全ての者達の巡りも活性化するからのぉ……あぁ、難しく考えずとも良い。一か所に留まっている栄養をばらまくようなものじゃて】


「それは助かるが……魔流を弄って問題無いのか?

 あれは世界を巡る強大な力だ。それこそ巡りの淀みに関わりそうだが」


【ここの流れはちと強すぎるぐらいじゃし、弄るといってもほんのちょっとじゃ。どうもせんよ】



 何やら頭上で重要な話が交わされている気がするが、今の私は口を挟む余裕なんて無い。

 喉を潤すので精一杯なので。ディックが果実水淹れてくれてたんで。あまあまなんで。

 契約のおかげで私が通訳せずとも会話できるようになってるんだし、領地にとって良い事みたいだし問題ナイナイ。あ、シドがわからないままじゃん。


 息苦しさもあったので一旦水筒から口を離してシドに説明しようと思ったが、シドは私から水筒を取って軽く首を振る。

 通訳しなくて良いって事だろうけれど、良いのかなぁ……今後の事も含めて話してるみたいなんだけど。



【民に説明するのも時間がかかろう。

 お主が呼ぶまでは湖の底で姿を潜めていた方が良いかの】


「そうだな……それといつでも構わないが、アースに害が無い事を明確に示しておきたい。

 領主の言葉だとしても、実際に目の当りにしなければ信じない者も多い。何かしらの演出をしてもらおうと思うが、良いか?」


【勿論。ワシはお主の契約獣じゃからな。無理でなければ応えるとも。

 民に好かれそうな演出となると……雨を降らすか虹を架けるか、簡単にできるのはそのぐらいかのぉ】


「……いっそ派手な方が民も分かり易いか」


【ならば虹かの? 今すぐできるぞ】


「頼もう。契約の先触れにもなる」


【承知した】



 頭上で取り交わされていた会話がそこで切れたかと思えば、アースさんが私達と距離を取って湖の中心の方へと移動する。

 何をするのかと見ていると、アースさんは軽く蜷局を巻いた後、勢いよく空へと翔け上がり、その姿を追うように強風が巻き起こった。


 湖畔にまで届いた強風は契約の時に起きた暴風とそう変わらない強さで、吹き飛びそうになるのを何とかクラヴィスさんにしがみついてやり過ごす。

 だからいきなりは止めてくださいと私は強く想うのですけれどもー? 何でみんな一言無いのさー!?

 思わず非難の目を向けようと強風吹き荒れる湖の方へと薄目を向ければ、強風は竜巻となって湖の水を巻き上げ空を飛び、空高く昇って行くアースさんの後へと追いすがっていた。



 取り残されて、取り零されて、堕ちていく水が太陽の光を受けて耀き散っていく。

 空高くへと昇る龍は竜巻を連れて行き、遥か上空で放った咆哮と共に竜巻を散らして雲を割く。

 ──そうして空に架かった虹はノゲイラの空を半分に割るかの如く巨大な物で、後に領主が魔物と契約を結んだと知らされたノゲイラの民は領主と魔物に敬意を払い、この日を『虹結びの日』として各地で祭りが開かれるようになっていくのである。

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